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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第53話 ― 占領下の“独立日本”1
憲法の上位の安保条約 〜 憲法違反存在の最高裁
1951年9月8日、吉田内閣はサンフランシスコ講和(平和)条約を締結した同日に日米安保条約も締結しました。サンフランシスコ講和条約は、衆人注視の「表の国際条約」でした。しかし、フォスター・ダレスが主導した日米安保条約の調印は、薄暗い下士官クラブという閉鎖空間で、日本側調印者は吉田茂一人という「闇の調印条約」でした。
日米安全保障条約に調印する吉田茂首相
Wikimedia Commons [Public Domain]
第47話でみたように、この同日調印されたサンフランシスコ講和条約と日米安保条約に関する事項の重要度は、
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①日米行政協定
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②日米安保条約
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③サンフランシスコ講和条約
日本はサンフランシスコ講和条約にて、国際的に独立国となったはずですが、これは有名無実だということです。最重要の日米行政協定とは、要するに米国による日本の軍事占領が継続されるということです。これをバックアップするのが日米安保条約という構造になっているのでしょう。
今回の冒頭文で紹介した憲法と条約の解説では、国際法が国内法に優先、しかし、
条約と憲法のどちらが優先されるかについては、議論が分かれています。通説では憲法が優位とされていますが、一部の条約については条約が優位と主張されているのです。
とありました。
日本国憲法と日米安保条約の関係は、現実として日米安保条約が完全に上位にあって、日米安保条約の案件(「安保法体系」と名付けられているようです。)には、日本国憲法は全く機能しないのです。
Author:Yoshikazu TAKADA [CC BY]
こうなった現実経緯について矢部宏治氏の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』に次のようにあります。
一九五九年に在日米軍の存在が憲法違反かどうかをめぐって争われた砂川裁判で、田中耕太郎という最高裁長官(略)が、とんでもない最高裁判決を出してしまった。簡単に言うと、日米安保条約のような高度な政治的問題については、最高裁は憲法判断をしないでよいという判決を出した(中略)...安保条約とそれに関する取り決めが、憲法を含む日本の国内法全体に優越する構造が、このとき法的に確定したわけです。(p44)
最大のポイントは、この判決によって、
「アメリカ政府(上位)」>「日本政府(下位)」
という、占領期に生まれ、その後もおそらく違法な形で温存されていた権力構造が、
「アメリカとの条約群(上位)」>「憲法を含む日本の国内法(下位)」
という形で法的に確定してしまったことにあります。(p49)
「アメリカ政府(上位)」>「日本政府(下位)」
という、占領期に生まれ、その後もおそらく違法な形で温存されていた権力構造が、
「アメリカとの条約群(上位)」>「憲法を含む日本の国内法(下位)」
という形で法的に確定してしまったことにあります。(p49)
砂川裁判にて、最高裁は日米安保条約の憲法判断を放棄し、それで「安保法体系」が法的に憲法よりも上位になることが確定してしまったとの指摘です。
在日米軍立川飛行場の拡張を巡る測量阻止闘争(1956年10月)
Wikimedia_Commons [Public Domain]
この最高裁判決の“不法”を、憲法第81条「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」を引き、「もっとも重要な問題について絶対に憲法判断をしない現在の最高裁そのものが、日本国憲法に完全に違反した存在」とも指摘しています。
日米行政協定が隷属日本を
日本においては、憲法よりも安保条約が上位にあることは確認できました。この安保条約にバックアップされた最重要の日米行政協定(後の日米地位協定)は具体的にはどのようなものだったか?
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』には沖縄の現状として、沖縄本島の18%が米軍基地で占められ、沖縄上空に至っては100%が米軍に支配されていて米軍機のやりたい放題、の事実が指摘されています。
しかしこれは沖縄に限ったものではなく、日本のどの地上も「潜在的には100パーセント支配されている」とも指摘しています。この根拠になるのが「日米行政協定」の取り決め、とのことで以下の記述があります。
「日本国の当局は、(略)所在地のいかんを問わず合衆国の財産について、捜索、差し押さえ、または検証を行う権利を行使しない」(「日米行政協定第17条を改正する議定書に関する合意された公式議事録」1953年9月29日/東京)
一見、それほどたいした内容に思えないかもしれません。しかし実は、これはとんでもない取り決めなのです。文中の「所在地のいかんを問わず」(=場所がどこでも)という部分がありえないほどおかしい。それはつまり、米軍基地のなかだけでなく、「アメリカ政府の財産がある場所」はどこでも一瞬にして治外法権エリアになることを意味しているからです。
そのため、墜落した米軍機の機体や、飛び散った破片などまでが「アメリカ政府の財産」と考えられ、米軍はそれらを保全するためにあらゆる行動をとることができる。一方、日本の警察や消防は、なにもできないという結果になっているのです。(p31〜32)
「日米行政協定」によって、1951年以降は「占領軍」が「在日米軍」の名前になって、日本のどこでも「潜在的には100パーセント支配」ができる、このことが、日本の最上位法規の憲法の上となってしまった安保条約から担保されているのです。
日本ぜ~んぶが治外法権
— yumi g-j ゆみ (@ygjumi) March 17, 2018
なぜって1953年の密約があるから
「日本の警察は基地の外であっても米軍の財産については捜査しない」
第2章 日本の国土は、すべて米軍の治外法権下にある
『知ってはいけない──隠された日本支配の構造』https://t.co/nznirfMnmw pic.twitter.com/EGjbX257ur
更に、矢部氏が開示する機密解除された公文書、1957年2月の日本の米国大使館から本国の国務省あてに送られた秘密報告書をあげます。日本の隷属の現状がよく見えてくるのです
「在日米軍基地に関する秘密報告書」
日本国内におけるアメリカの軍事行動の(略)きわだった特徴は、その規模の大きさと、アメリカにあたえられた基地に関する権利の大きさにある。[安保条約にもとづく]行政協定は、アメリカが占領中に保持していた軍事活動のための(略)権限と(略)権利を、アメリカのために保護している。安保条約のもとでは、日本政府とのいかなる相談もなしに(略)米軍を使うことができる。行政協定のもとでは、新しい基地についての条件を決める権利も、現存する基地を保持し続ける権利も、米軍の判断にゆだねられている。それぞれの米軍施設についての基本合意に加え、地域の主権と利益を侵害する数多くの補足的な取り決めが存在する。数多くのアメリカ諜報活動機関(略)の要員が、なんの妨げも受けずに日本中で活動している。...(以下略)(p67〜68)
安保見直しが安保闘争へ
1957年当時の駐日米国大使はダグラス・マッカーサー2世、マッカーサー元帥の甥でした。
「岸はマッカーサー将軍の甥に当たる新駐日大使
— yumi g-j ゆみ (@ygjumi) August 12, 2019
ダグラス・マッカーサー二世に
もしアメリカが岸の権力固めを支持してくれるなら、
新安保条約を通過させ左翼勢力の台頭も抑え込めると語った。
CIAから内々で一連の支払いを受けるより
永続的な財源による支援を希望した」https://t.co/EO5fKGZqDw pic.twitter.com/l5zcJz3Kpf
上にあるように米国大使館の秘密報告書から、行政協定には「地域の主権と利益を侵害する数多くの補足的な取り決めが存在する。」との内容記載がある模様です。日本国憲法の上位で、それの干渉を受けない安保条約に担保された行政協定での取り決めがこれです。
1951年のサンフランシスコ講和条約にて、日本は独立したことになっています。民主主義国家、法治国家、主権在民の国家としてです。
しかし、この行政協定の取り決めを見ると、日本国民に主権など存在するのでしょうか?
日本の民衆には、米国の下士官クラブという閉鎖空間で吉田首相一人だけで調印された「闇の条約」の日米安保条約の中身など知る由もありません。とりわけ行政協定の取り決めなど教えられるはずもなく、目を向けることもできなかったのです。
「外国軍隊が駐留しているということは、その国家は独立国ではなく軍事占領中」、これは世界の常識ですが、この世界常識も日本民衆には目が向かないようにされてきたのです。
…しかし、さすがに日本の大臣や官僚クラスが、日米安保条約の意味が分からないはずはありません。むしろよくよく分かるからこそ、多くの官僚は「日本国憲法」よりも「安保法体系」の傘の中に入っていこうとなったのでしょうし、気骨ある政治家は逆に、占領軍である駐日米軍をなんとかしようと動いたのです。
前回触れたように、鳩山一郎政権の重光葵外務大臣は訪米しダレス国務長官を相手に「米軍撤退」を提言(ただし一蹴されましたが)。急病で2ヶ月で退陣しましたが、石橋湛山政権は堂々と対米自主独立宣言を表明。この石橋政権の外務大臣だったのが岸信介でした。
岸はアメリカに自分を売り込んで、こう言った。
— yumi g-j ゆみ (@ygjumi) August 12, 2019
「もし私を支援してくれたら、この政党〔=自民党〕をつくり、アメリカの外交政策を支援します。経済的に支援してもらえれば、政治的に支援しますし、安保条約にも合意します」
『知ってはいけない2』第3章 https://t.co/EO5fKGZqDw pic.twitter.com/lRYFISvdwi
1957年に首相に就任した岸信介は安保条約を見直す動きに出ました。そうすると、ここに巻き上がったのが60年安保闘争でした。これは学生を中心とした激しい闘争となり、その安保闘争のデモで東京大学女学生の樺美智子さんが死亡する事態にもなりました。
この激しい安保闘争の中、岸政権は新安保条約を強行採決していきます。
日本は“法治国家”のはずです。その日本国内のあらゆる法規で最上位に位置しているのは「日本国憲法」です。従って、本来ならば1946年(昭和21年)11月3日に公布、1947年(昭和22年)5月3日に施行された「日本国憲法」こそが現在に至っている“戦後日本”での最も重要な法的事柄になるはずです。そして、実際に憲法が邪魔な連中が「緊急事態条項」を憲法の中に紛れ込ませて骨抜きにしようとしていて、これが現在日本の今後の行方を大きく左右する非常に重要な問題になってもいます。
しかし、この「日本国憲法」以上に「日米安保条約」が重要と指摘されているのです。憲法と条約の関係は『スマート選挙ブログ』の2022.08.30記事の以下の部分が分かりやすいです。
つまり国際法である条約の方が、国が制定する法より優先されるということです。
日本国憲法第98条では、以下のように規定されています。
引用元:日本国憲法
ただし、条約と憲法のどちらが優先されるかについては、議論が分かれています。通説では憲法が優位とされていますが、一部の条約については条約が優位と主張されているのです。
この元になっているのが「日米安保条約」です。だから最重要なのです。