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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第2話 ― 大日本皇道立教会の設立目的
アジアでもハルマゲドン計画が 〜太平天国の乱は明治維新遠因
前回、八咫烏と客家が秘密結社ネットワークで古くから繋がってきた密接な関係(おそらくは古代イスラエル出身の同根)にあったと指摘しました。
客家の関連で日本にも極めて強い影響を与えた中国での大事件がありました。「太平天国の乱」です。日本と中国はともに同時期に「英領」にさせられています。それはアロー戦争が原因となっています。
イギリスが清朝に対して1856年にでっち上げのいちゃもんにて卑劣に仕掛けた戦争が「第2次アヘン戦争」のアロー戦争でした。イギリス軍を率いる司令官はテンプル騎士団末裔のジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)、清朝を蹂躙し1858年に清朝にとって屈辱の天津条約を締結。これで英領中国が成立です。
北京に入城するエルギン伯
Wikimedia Commons [Public Domain]
この締結直後にジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)が返す刀で艦隊を率いて江戸に襲来し、日本側に締結させた条約がいわゆる日英修好通商条約だったのです。
ところが、実はこの条約は本当は日英修好通商「講和」条約でした。つまり「英領日本」の条約だったのです。
アロー戦争が「英領中国」「英領日本」を成立させる直接的原因となったのです。このアロー戦争には前段があり、それが「太平天国の乱」だったのです。
太平天国の乱 ➡ アロー戦争(第2次アヘン戦争)➡ 天津条約( = 英領中国)➡ 日英修好通商講和条約( = 英領日本)
「太平天国の乱」は明治編第12話で見ましたが 、洪秀全という青年がキリスト教系の「拝上帝会」を組織したのを始めに、大農民反乱の蜂起から1851年には「太平天国」の国号で独立国家を樹立させたのです。1853年には南京を占領して首都としています。
清朝にとっては致命的な痛手となった大事件で、イギリスはこの「太平天国の乱」による清朝の弱体化を絶好の機会と捉え、アロー戦争を仕掛けたのです。
さて、この「太平天国の乱」の洪秀全ですが、ウィキペディアの「客家人の一覧」には“いの一番”に次の名が上がっています。
つまりは、「太平天国の乱」は客家のグループが起こさせた大事件で、これがアロー戦争、英領中国、英領日本へと繋がっていったのです。言うなれば「太平天国の乱」は明治維新の遠因でもあり、辛亥革命にも繋がってもいっているのです。
これらの全てのベースにあったのは「ハルマゲドン計画」で、その流れの中でアジアの再編が図られ、それに伴って八咫烏は朝鮮へ、満洲へ、中国へと進出していったわけです。
こういった八咫烏の動きは日本の裏天皇を世界天皇へと君臨させることを見据えたものだったでしょう。日本を中心としたハルマゲドン計画です。
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そして、その計画には天界レベルのものがあり、それは唯一神サナト・クマーラが天界の天照政権を転覆して絶対神として全天に君臨するというものです。これら全体を「大計画」としていたのです。
地上レベルでの「ハルマゲドン計画」は、時代とともに変遷したり、幾つかのヴァージョンがありました。八咫烏が進めてきたのが日本を中心とするハルマゲドン計画でした。
明治維新はそのステップであり、「大政奉還」の日は、地上に降臨していた神団の中心である大君の色上姫浅子様から、タケミカヅチ尊がその大君の座を奪取した天界のクーデターと重なります。
また、日本では長年に渡り、有名神社から各神社まで多くの神社の祭神が、ホツマの神からハイアラーキへの入れ替えがあったと竹下さんは指摘されています。これなども「大計画」成就の準備であり、「大計画」成就の際には、民衆には「大計画」がクーデターであることを隠し、「本来より唯一神であるサナト・クマーラがホツマの神々の上位にあった。」と説明し、信じさせるつもりであったと思えます。
八咫烏が本格的にアジアを再編し、ハルマゲドン計画を進めていくため組織されたのが大日本皇道立教会でしょう。大日本皇道立教会の名称にその目的と活動の内容が込められています。