満洲国設立の背景 〜海外侵略路線は誰の意による?
1932(昭和7)年3月1日に「満洲国」が設立されました。満洲国は
第2話で見たように
石原莞爾(第2話での石原莞爾に関する記述に誤りがあり訂正しています。)が主導したと見られる柳条湖事件を発端とした満洲事変からの設立となったのです。ウィキペディアの
「満州事変」記事に、
1932年(昭和7年)2月初め頃には、関東軍は満洲全土をほぼ占領した。3月1日、満洲国の建国が宣言された。国家元首にあたる「執政」には、清朝の廃帝愛新覚羅溥儀が就いた。
とあるとおりです。
1931年9月の柳条湖事件後の約半年足らずで、関東軍は全満洲地域を占領し、満洲国が設立されたのです。関東軍は独自の判断でこの満洲事変を引き起こしています。この意味で、
満洲国とは関東軍によって作られた国家(傀儡国)だとも言えます。
それでは改めて、
その関東軍とはどういう性格の軍隊かと言えば、「
デジタル大辞泉の解説」で次のようにされています。
満州に駐屯していた日本陸軍部隊。日露戦争後、関東州と南満州鉄道の権益を保護するために設置された関東都督府を前身とし、大正8年(1919)独立。
要は
関東軍とは、南満洲鉄道(満鉄)のための軍隊と表現しても間違いがなく、それぐらいに
南満洲鉄道(満鉄)と一体のものだったのです。
1945年における満洲国の鉄道路線図(赤-社線、緑-北鮮線、青-国線)
大正編 第12話で見たように、満洲事変までには(張作霖爆殺を含む)それに先立つ満洲地域における関東軍の独走暴走がありました。そしてそういった関東軍の行動の裏には満鉄があったのです。
満鉄は、半官半民の形態を取った超巨大国策会社であり、明治の終わりから大正、昭和にかけて大日本帝国が海外進出に動き、侵略主義路線を具現化させていったこと、その中心たる企業体だったのでした。
満鉄は「中国東北部」を侵略・支配してきた大日本帝国の満洲地域における基幹部であり、中国支配のための橋頭堡でもありました。
そして
明治編 第33話にて見たとおり、
この大日本帝国の海外侵略路線の基幹部となる巨大国策会社の満鉄を、そして満鉄を用いての満洲の経営・植民地化の絵図を描いたのが杉山茂丸でした。
杉山茂丸は、落合莞爾氏によれば
玄洋社の実質の社主であり、八咫烏直属の五龍会の一角である白龍会の初代総裁です。
つまり
大雑把には、満洲国設立とは関東軍・満鉄の動きによるものであり、その背後には裏天皇・八咫烏の存在が非常に色濃くがあったということです。
また、玄洋社について付け加えると、玄洋社は満洲の地に「満洲義軍」を組織し、日露戦争の際には後方支援部隊としてロシア軍に打撃を与えています。日露戦争を終結させたのも玄洋社の明石元二郎の諜報工作が大でもありました。
頭山満(前列中央)と満洲義軍の幹部となった玄洋社メンバー(明治37年)
玄洋社:戦前、戦中期にかけて軍部・官僚・財閥、政界に強大な影響力を持ち、
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦そして
第二次世界大戦と日本の関わってきた数々の戦争において情報収集や裏工作に関係してきた。(
ウィキペディアより)
日本の海外進出・侵略、大東亜共栄圏構想の背後には、裏天皇・八咫烏の計画と意志があり、とりわけ満洲にはそれが大変に強く働いていたと言えるでしょう。
こうした視点に立つと「関東軍の独走暴走」という表現に違った意味も現れても来ます。
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撮影者によると、みんな好きな時に乗り降りしていた模様。