アーカイブ: 子育て

かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(50)偉業

かんなままさんの執筆記事第50弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(50)偉業

偉業だといえることがあるとすれば、恐らく、夫婦の仲が良好であること、そしてちゃんと子どもを育てることだと思います。多分、一番地球の平和に貢献しているだろうと思います。

目に見える形で何か大きなことをするのが偉大なことだと信じている人が多いのですが、違うのです。

本当に大切なことは、もっとも偉大なことというのは、見えないもの、触れられないものなのです。

評価されないもの、目に見えないものは、もっとも価値が高いのです。夫婦や親子の愛は、他人が評価できるものではないからです。

出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)


日々平和を保ち続けること


全く別の性、体癖、体質の夫婦や親子が同じ家に住み、お互い自分勝手な甘えと期待のスープの中で溺れつつも愛を見つけ、日々平和を保ち続けることほど大変なことはありません。

結婚して3年くらいはお互いに恋の魔法にかかっているので幻想とも知らず、相手の期待に応えようと頑張ります。でも、生活しているうちに「何か変だ」と思いはじめます。「自分ばかりが我慢している」「優しくない」「わかってくれない」と・・。

あい∞ん


子どもが生まれたら「私の子ども」という大きな勘違いのもと「理想の子ども像」に近づけようと管理して、子どもはその期待に応えようと頑張りますが「何か変だ」と思いはじめます。「叱られてばかり」「私はダメ人間?」「わかってくれない」と・・。

どうしてこうなってしまうのでしょうか?お互い大切な存在のはずなのに。
そもそも愛情が満たされないまま自立もしていない者同士が恋をして家庭を持ったのです。まずは自分を癒すところから始めなければ始まらないのです。(映像配信:自分を癒す

でも、夫婦は特別な関係です。肌を触れ合った仲同士で、体から先に融合が生まれます。正しく交われば喜びが生まれ調和が始まります。その性エネルギーの力を借りてお互いを信頼し、尊重しあっていければ問題がおきるたびに愛への道が開かれていきます。

あい∞ん


子育ても肌身離さず育てることが肝心です。ゴリラのお母さんは3年間片時も子どもを離さないそうです。母親が食べ物を調達しに行くときだけ父親に預け、父親は他の子どもと一緒に自分の大きな背中の上で遊ばせて見守り、仲裁して社会を教えるのだそうです。人間はこの原点を忘れてしまったのでしょうか?

子どもと肌で愛着関係を築き、心地よい体験を潜在意識に刻み「私は生まれてきてよかった」と思えるように育てれば、おのずと自立したくなり、社会貢献したくなるのです。これも肌から始まります。肌は第2の臓器だと言われています。臓器は感情を記憶しているとも。

あい∞ん


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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(49)育児の知恵

かんなままさんの執筆記事第49弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(49)育児の知恵

自立した人間というのはどういう人間だろうか。

それは、自分の事は自分で決めることが出来る、そして決めたことで成功または失敗しても、その結果についての責任を取ることが出来る、そういう人間です。

自分の目で見て、自分の頭で考えて、自分の足で歩けるように、子どもを導かないといけません。

そうでないと、誰が生きているのかわからなくなってしまいます

出典:「ぴ・よ・こ・と」竹下雅敏(著)


子どもの頃からの思いを叶えた娘


橋の工事が始まるまで、ポッサム個体の遺伝子を調べて基本データを作らなければいけません。ライフル銃の免許をとり、夜中にブッシュを駆け巡ってどんな遺伝子を持った種がどこに住んでいるのか?麻酔銃で眠らせて遺伝子を調べます。私は後で連れて行ってもらったのですが、ライフルとヘッドライトだけで真夜中のブッシュを1人で駆け回っていたのを知ってびっくりしました。本人は「人間の方が怖いよー」と笑っていましたが。

pixabay[CC0]


ところが、あと2ヶ月でレポートを出せるという時になって大事件が起きました。思いもかけなかった実験の不備が見つかったのです。今までの膨大な研究が全て無効になってしまいました。ショックです。

さすがに電話をかけてきました。気落ちした娘の声。これまでずっと頑張ってきただけに立ち直る気力を失くしていました。私は娘の気持ちが痛いほどわかりましたが「今までの研究は決して無駄じゃない。頑張っていたあなたを誇りに思うよ。でも、人間はピンチの時にどう立ち上がるかが一番大事なのよ。学ぶのは今。ピンチはチャンス!」と励ましました。ずっと後になって「あの時の言葉に救われた」と言ってくれました。

最終的に橋がかかるのに3年かかりました。この橋を渡って交配していることもわかりました。同時進行でフィールドトリップをして大学生たちに指導をしたり、傷ついた野生動物保護のボランティアもしていたようです。

日本に里帰りをしていた時に郊外のレストランで野鳥がガラス窓に激突して失神したことがありました。娘はすぐに駆け寄り、骨折していないか?呼吸はどうか等を入念にチェックして、お店から小さなダンボールを借りて布を敷き、温かく、しずかに保護していたら元気になって飛んでいったことがありました。その手際の良さに驚いたら、いつもしていることだと笑っていました。その時「私は動物を助ける仕事をする!」と言っていた幼い頃の姿が重なって「ああ、この子は自分の力で子どもの頃からの思いを叶えたんだ」と実感しました。

pixabay[CC0]


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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(48)子どもの自立

かんなままさんの執筆記事第48弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(48)子どもの自立

自分から子どもが離れていこうとすると、親不孝者と罵るのはとんでもない話で、精神的に未成熟です。

子どもは親から離れていくものです。離れていく態度を示した時、祝福できないといけません。

またこどもをかばってはいけません。「あなたならできるから行ってきなさい。できるだけ羽ばたいて遠くに生きなさい」というのが、賢明な親のはずです。自分たちが重荷にならないように自分の事は自分でやり、子どもを遠くへ行かせようとするのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)


変わらない、娘の固い意思


ランドセルを背負って道端に座り込み、飽きずに生き物を眺めていた娘。「私はいつでも動物の味方」と言っていた娘が高校の時に選んだ進路は獣医師でした。本当にそれでいいのかを確かめるためにファームステイに行かせました。

冬休み中滞在して、牛、馬、ヤギのお世話をしながらオーナーに獣医の仕事について相談をしたところ、獣医学部の教授の所に連れて行ってくださって、いろいろ話を聞くことが出来ました。その結果「私は獣医になりたいのではなかった。もっと広く野生動物のために働きたい」という思いを強くして帰ってきました。

pixabay[CC0]


自分で野生動物保護の大学を探したようですが見当たりません。密かに海外の学校を視野に入れ、その大学に入学するための準備校を探して来ました。留学する話を聞いた時はびっくりしましたが、娘の意思は固く、応援することにしました。

今までの成績と高校の推薦状を持って面接に臨み、何を学びたいのかを力説して入学が許可されました。その学校はアメリカの有名大学の姉妹校で本校と同じように英語での授業があり、単位も活かされるとのこと。1年間そこで学び、アメリカの大学に編入する仕組みです。

意気揚々と入学しました。私も安心していたら2ヶ月ほどして学校から手紙が来ました。開けてみると「○○さんは、勉強についていけないのでこのままだと放校です」と書かれているではありませんか!びっくりして娘に電話してみると泣きながら「英語の宿題が多すぎて夜中まで終わらない。寝ないで勉強して学校に行くけど授業中眠くて、頭に入らない」と悪循環に陥っていました。

そう言えば、好きな教科は自ら勉強するけど嫌いな教科は睡魔が襲ってくる子でした。やる気だけでは通用しなかったようです。でも寝ないで勉強するのは問題です。「このままだったら病気になるよ。まず、寝なさい。今まで勉強してなかった分苦労するけど、あなたは理解力があるから大丈夫。自分のペースを戻したらついて行けます。ま、諦めて帰ってきてもいいけどね」と言いました。

しばらく連絡が途絶えて、学校からニュースが送られてきました。今年度の成績優秀者が表彰されたという記事が載っていました。なんとそこに娘が写っているのです!びっくりしました。小さい頃から培ってきたやる気の種が「嫌な事でも好きな目的のためなら進化する」という新種を生みだしたようです。

さて、いよいよアメリカの大学に行くという段階になって、又迷い始めました。動物保護に関しては何か違うのです。結局娘は独自でオーストラリアの大学を選びました。姉妹校でもないし、誰も行ったことのない大学なので学校の支援は限られていました。今までの単位も活かせません。又、オーストラリアはオーストラリアの高校やカレッジを卒業していないと大学に入れない事もわかってきました。

振出しに戻りましたが、彼女の意思は変わりません。単身カレッジに入学することになりました。成田で見送った時、寂しさと心配が溢れてきて涙が止まりませんでした。でも背中を押すしかありません。神様に祈りました。ありがたいことに娘はたくさんの友達に見送られて笑顔で出発しました。

pixabay[CC0]


まず、ぶつかったのは言葉の壁でした。みんなが普通に話す言葉についていけないのです。私も経験がありますが、次第に集中力がなくなって、笑顔だけが顔に張り付いて頭は思考停止です。でも、わからないのに一緒に笑っている自分も嫌になります。話せないと無能に見られるのが悔しくもあります。これがピークに達して笑えなくなってしまった娘。

弱音を吐かない娘が泣きながら電話してきました。毎日話を聞きました。「本当に辛いなら行こうか?」とさえ言いましたが「来て」と言わないのも知っていました。彼女なら乗り越えられる、だって自分で選んだ道だからと祈るような気持ちでした。

乗り切りました!半年で単位をクリアして、みごと第一志望の大学に入学することが出来ました。日本人が少ない環境だったので助かりました。心細いから日本人同士で集まり、外国に住んでいるのに日本語を話して独特の社会を作りがちなのです。


動物保護を目指して


さて、いよいよ彼女が目指した勉強が始まりました。オーストラリアは独特の生態系があります。独自の生物を保護するという点では先進的な取り組みや研究がなされています。見事なほど環境保護が社会のルールになっていました。娘は勉強が面白くて仕方がないようでした。世界中から来た友達を作り、英語も「あなたは日本語が話せるの?」と驚かれるほどに上達しました。

もともと生物は好きでしたが、数学、統計、物理などは嫌い。でもそれを勉強しなければ研究できません。直面して本気で勉強したら面白くなってきたようでした。結局優秀な成績で卒業しました。

このころから娘はオーストラリアに永住して動物保護の仕事をしたいと真剣に思い始めたようです。まずは次の段階のオナーズの資格を取り、様々なテストをクリアして永住権を獲得し、その上で奨学金をもらって修士号、博士号を取得することを決心しました。オーストラリアの奨学金は政府から学費と生活費がもらえます。もちろん返済の必要はありません。

さて、娘が選んだ研究は・・・ポッサムでした。昔からオーストラリアに住んでいた有袋類の小さな可愛いリスのような顔をした動物です。都市化した社会で高速道路が彼らの生活圏を分断して近親交配の危機、絶滅の危機にさらされていました。

ポッサム Wikimedia[CC BY]


娘の研究はポッサムが木から木へ渡り歩く習性を利用して高速道路にポッサムや小動物のための橋を作り、交配が自然な形で進むのかを検証するというものでした。国の予算でポッサムの橋を作ってもらわなければ始まらない研究です。まず計画して予算を取り、工事に掛かります。OKが出ました。でも政権が変わり国の方針が変わりました。動物保護に予算を取りすぎているとのことで、いつ工事が始まるのかわからなくなりました。

つづく

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(47)逆境に遭った時

かんなままさんの執筆記事第47弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(47)逆境に遭った時

困難に遭った時の最初の思いが、その後を決定します。

「しめた!これから何かが動くぞ。自分の人生を生きられるぞ。いいことだ」と思うか、「とんでもないことだ、どうしよう」と思うかで、その後の方向性が変わってしまうのです。

悪いことが起きた時にネガティブな想いを抱くと、後でキャンセルしないといけません。悪い事が起きたと思わず、自分にとって必要なことが起きたと考えるのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)


私を支えてくれた平和の祈り


ただの主婦が1冊の本に感動して講演会を企画しただけなのに、なぜここまで大きくマスコミに取り上げられるのか?感動を共有するために参加くださる人になぜ「人種差別だ!」と抗議しなければいけないのか?それもわざわざアボリジニの人達が外国から押しかけて来るのか?訳が分からないままキャンセルの電話に丁寧に応対しつつ現実を受け入れるしかありませんでした。

pixabay[CC0]


「それでも開催するのですか?」という、まるでこちらが人種差別の片棒を担いでいるような質問を受けながら『もしも私達の会場にも抗議団体が押しかけて参加者に迷惑をかけたら・・』と不安がよぎったのも事実です。

でも、私の気持ちは変わりませんでした。本の中に書いてあった『神様、私に変えられないものを受け入れる平和な心と、変えられるものを変える勇気と、その2つの違いがわかる知恵を与えてください』という平和の祈りが私を支えてくれました。

キャンセルや抗議は私には変えられない事だから平和な心で受け入れ、今私に何ができるかを見極めて最善を成そうと思いました。会場を変更するのは大きなリスクがありました。もうチラシは独り歩きをしています。来ると言ってくださる方にもアナウンスしなおさなければいけません。無理です。どうしたらいいのか、ぼっーっと会場を見ていたら、ふっと考えがよぎりました。『そうだ!この広い会場を使って楽しもう!』と思ったのです。

舞台を使うのは辞めました。アリーナホールなので体育館のようにも使えます。客席の半分の椅子を片付けて500席にします。前の空いた空間をブッシュにしようと思いついたのです。そこを歩きまわりながらお話ししてもらえば面白いかも!と思いました。

さて、そのレイアウトを誰がやってくれるのか?友人がNさんを紹介してくれました。Nさんはギャラリーを経営しながらイベントのレイアウトも手掛けている方でした。聞くところによると、この本を読まれて大いに賛同してくださっているとの事。すぐに「喜んで協力します」という返事を頂きました。嬉しい助っ人です。さっそくお友だちと一緒に会場に来て、和紙でオーストラリアのブッシュを再現してくださいました。見事でした。

何だか面白くなってきました。もうこうなったら楽しもう!自分の中の直感を信じて大切にしていることを大切にしよう!これが自分を生きるという事だと思いました。
もう当日は落ち着いていました。むしろこの会場を見たらみんなびっくりして喜ぶだろうなと思うと嬉しくなりました。

ところが、朝一番に館長から呼び出されました。行ってみると固い顔の男の人が2人立っています。館長も怖い顔をして「昨日の新聞を読みました。他の会場は抗議団体が押しかけてきたと書いてあります。この会場でそんなことがあったら困ります。念のためにこの2人の私服刑事を付けておきます。何事もないように万全の注意を払ってください」と申し渡されました。

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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(45)愛

かんなままさんの執筆記事第45弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(45)愛

すごく美しい風景を見て、

何も考えず、生きる。

心がその瞬間を感じている。

それが、愛です。

出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)


波の音で目を覚ます


波の音で目が覚めました。外は明るくなっているようです。子ども達を見るとまだスヤスヤ寝息をたてています。でも、夫がいません。テントの外に出てみると夫が1人浜辺の岩の上で座禅を組んでじっと海を見ているのです。


夫がそんなことをするなんて想像もできなかったのですが、近づいて行くと「夜が明ける前からここにいるけど、こんなに気持ちのいい朝は初めて」というのです。

後ろを見るとなだらかな丘から太陽が昇ってくるところでした。今日の素晴らしい一日が約束されたかのような神々しい朝日でした。こんな大自然の圧倒的な美しさの中にいると自分の小ささを感じるとともに、その大きな懐に包まれた感動に満たされます。


遊びに来るイルカ


又おいしそうなにおいがしてきました。歯だけ磨いて朝食です。この場所だからなのか、どれもおいしく感じました。と、いきなりスタッフが何かを叫んでいます。「ドルフィン!」と指さす方を見たらたくさんのイルカの群れです。ジャンプもしてくれました。さっそくカヤックを使って海に出る人、泳いでいく人・・・私達もそのままフィンやシュノーケルをつけて海に飛び込みました。

pixabay[CC0]


お姉ちゃん達は自力でついてきます。一番下の子はスタッフが付き添ってくれましたが、一番元気に飛び込んだのは彼でした。泳ぎもできないくせにイルカ見たさに潜ってしまったのです。野生の動物と触れ合うルールはこちらから接近しない。餌をやらないという事です。でもイルカの方から近づいてくるのです。どうも子ども達の事がわかるみたいでひとしきり遊んで帰っていきました。

突然のハプニングにみんな大喜びです。それから毎朝、遊びに来てくれました。その他は一日中何にもすることがありません。ブギボードしたり、カヤックで遊んだり、子ども達はひたすら砂浜で遊んでいました。じりじりと照りつける太陽!その暑いこと!大人は海を見ながら日陰で過ごしている中、一番上の子が穴を掘り始めました。根気よく掘りつづけます。結局何日もかけて大きな穴を掘り上げました。とても満足そうでした。スタッフの子ども達も遊びに来て、その穴の中で仲良く遊んでいました。


大自然の恩寵


スコールが突然やって来ます。その時は一斉に外に出て体を洗います(笑)テントの中が砂だらけにならないように気を付けるのですが、子ども達がいる限り無理だとあきらめました。着替えも必要ありません。濡れた体を拭く必要もありません。朝から晩まで水着1枚です。大きな布さえあれば日差しをよけたり羽織ったり重宝しました。

近くに古代の神殿のような遺跡がありました。歩いて行くと小高い森の中にひんやり佇んでいました。ここは水着ではだめという事で布を巻いて行きました。ハワイ原住民の遺跡で信心深く自然を崇めていたとのこと。この場所にはこの場所の神様がいらっしゃるのだと神聖な気持ちになりました。「お邪魔します」と言いました。

Author:Carol Highsmith[Public Domain]


ある時、誰かが近くのショッピングモールに行ってみようかと言い出しました。お金はすこししかもっていません。でも少し都会の風も懐かしくなってきました。

水着の上にTシャツを着こんで出かけました。足はビーサンです。ちょっと気取った気分でしたが乗るのは荷台。ところがいきなりスコールです。それも強烈な!もちろん逃げ場もなく全員びしょ濡れで笑うしかありませんでした。後ろを運転しているおじさんも私達が濡れながら大笑いしている姿を見て笑っていました。

荷台から降りてきたのは紛れもなく浮浪者!近くをおしゃれした日本人の観光客が通りますがその違いに可笑しくてたまりませんでした。欲しいものはありませんでした。

隣のテントのマヌさんは愉快な人で、タコ釣名人でした。浜辺から長い糸を垂らしてタコを釣るのです。そしてバーベキューして醤油を付けて振る舞ってくれました。小錦に似た人で夫にマッサージもしてくれました。

美味しい食事とハワイアンのギターと歌声、そしてフラ。その上、毎日どこかに虹が出ました。潮の音を体で感じながら寝るのが心地よく、感覚がどんどんクリアになっていく感じがしました。夫も毎朝浜辺で瞑想をして朝日を拝み、海と遊び、イルカと戯れ、星降る夜空を眺めて眠りにつく…そんな毎日でした。


本当に信じられないくらい豊かな7日間でした。気が付けば一度も子ども達を叱ったことがありませんでした。叱る必要がなかったのです。ケンカもしません。仲良く遊んでいます。私たちに必要なのは、急かされることなく自由である事。自分の感覚を総動員しても有り余るほどの豊かな自然がある事だと気が付きました。その事を体が先に感じて呼吸が深くなり、緩み、感覚が研ぎ澄まされてエネルギーもチャージされていきました。自然はこんなに私達を愛してくれている。無条件に、主張もしないでと思いました。

どうして日常でこの環境を作れないのでしょうか?生きるためには必要不可欠のものです。でも、私達大人は忙しすぎて自分を無くしてしまい、この大自然の恩寵を忘れてしまっているのです。この同じ時間に地球に住んでいるほとんどの人は時計に縛られ自分を無くしています。自然はいつもそこに在るのに私達が勝手に切り捨ててしまっているのです。何と愚かな!

悲しいことに7日間はあっという間に過ぎてしまいました。帰る日、計り知れない愛がここに在ることに気づかせてくれた美しい自然に感謝するとともに、日常の喧噪のなかに戻らなければならないという悲しさでいっぱいになりました。私に何ができるのだろうか・・・。


日常の喧噪


又、来た道をピックアップトラックに乗って帰りました。着いたのは近代的なホテルです。部屋に入るときれいなベッドがありました。すぐにシャワーを浴びました。子ども達が「お湯だ―!お湯が出るー!」と興奮しています。ベッドに寝ては「砂がない!」と感動しています。確かに快適です。久しぶりにバスタブに入って贅沢な気持ちになりました朝までの生活が夢のようです。

我が家に戻ってきました。子ども達は翌日から学校です。飛行機が着陸するころからため息をついていました。私も夫もため息です。子ども達はひときわ日焼けして運動会の演技をこなしていました。しっかり充電して来たので集中力が違います。

困ったのは私です。この喧噪に感覚が追い付かなくて苦しくなったのです。両親達も運動会に来るのでお弁当を作らなければいけません。夫は早速ゴルフです。運動会が終わった後ストレスで体が動かなくなってしまいました。電話の音、車の音でドキドキ、何をするのも緊張して自分のペースがわからなくなって寝込んでしまいました。思い出すのはあの海の潮騒。でも私が暮らしているのはここです。

pixabay[CC0]


ただ、人間も自然の一部だという事を肝に銘じ、自然から受けている恩寵に感謝して破壊しない生き方をしたいと思いました。そして、これからも子ども達にその機会を与えていきたいと思いました。

子ども達は今でも、あの時のキャンプが一番楽しかったと言います。何より自由だったと。
でも、周りの人に旅の話をしても誰一人「いいね、行ってみたい!」という人はいませんでした(笑)

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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