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新年初「桜を見る会」追求本部ヒアリング20回、21回とも担当責任者は欠席、「出せない、分からない」で国会議員軽視の内閣府

 「桜を見る会」追求本部のヒアリングは7日に20回目、9日に21回目が相次いで行われました。
新年早々、人を食ったような内閣府の回答を聞き続けるのは苦痛ですが、切れ味抜群の毛ば部とる子氏が20回目の2時間にも及ぶヒアリングを簡潔にまとめて下さっていました。御の字!
 まず、直前にスクープされたアベトモ業者の入札問題が取り上げられ、ことの異常さを野党が問うと、酒田総務課長は「打ち合わせではなく改善点の聞き取りだった」「不適切だったとは思っていない」とツッコミ万来のような回答でした。現実には「聞き取り反省会」の効果などなく、毎年セキュリティや会場設営の基準は何ひとつ変わっていなかったということを毛ば部氏がダメ押しです。
 これまで積み上がった質問事項に対し酒田総務課長はずっと「自分には分からない、担当者に聞いたが記憶がない、記録は廃棄」と、まともに答えないため、では現場の担当責任者を呼んで聞こうというのが今回の目的でした。名簿は個人情報を理由に捨てたというので文書管理責任者である官房人事課長を、そして電子データが残っているはずだから出すように求めたところ、セキュリティを理由に拒むのでセキュリティ室長の2人です。いずれも言い訳としては破綻していますが、その破綻を確認されるのが困るのでしょう。もちろん2人とも出席をすっぽかされました。国会を相手にいい度胸だ。
 共産党の田村智子議員が内閣府に「桜を見る会」開催のレクを申し込んだのが昨年10月28日。その同じ日に内閣府の文書保存期間の改訂がなされ、さらに共産党の宮本徹議員が2019年開催分の名簿を内閣府に請求した、その同じ日に名簿はシュレッダーにかけられ、さらに蓮舫議員が昭恵夫人の友人のケータリング会社を国会で質問しようとすると、その業者から知るはずのない蓮舫議員のプライベートな電話番号に言い訳電話がかかってきた、という絵に描いたような内閣府の「火消し」が見えてきます。
 そして9日、21回目のヒアリングでは、
名簿を廃棄したのであれば「廃棄簿」に記載があるのではないかという質問に対して、酒井課長は「廃棄簿への記載はない、担当者への聞き取りでは経緯も記憶もない、しかし廃棄をしたことだけは確かという記憶で、しかもそれは過去五年間に渡る当時の担当者たちが全て同じミスをした」という驚愕の回答でした。本当は存在する名簿を、捨てたことにするためにアクロバティックな言い訳をしているとしか思えません。これらずさんな管理はひいては国民の税金を安倍総理のポケットマネーのように使っても検証できないということだと柚木みちよし議員は厳しく問い詰めますが、糠に釘。共産党の宮本議員が廃棄簿への記載がないだけでなく、そもそも名簿が安倍政権になって以降「行政文書ファイル管理簿」へ記載しない、あるいは記載されていたものを隠蔽のため削除するというガイドライン違反の可能性を指摘するに至って、ますます電子データのログが重要になりました。出さないだろうな。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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専門職者のヒアリング出席拒否と昭恵夫人のオトモダチ業者優遇
(前略)
2019年最後のヒアリングで、いくつかの本質的な質問に酒田課長は答えられなかったので、実務者の話を聞きたいとして、野党追及本部は今回に向けて、2人の出席を要望していた
それが以下の人だ。

官房人事課長 ⇒ 内閣府における文書管理の責任者

セキュリティ室長 ⇒ 電子データの廃棄記録、ログ、バックアップデータについて

ビックリなことに、出席拒否だ。

菅官房長官が、内閣官房での年頭に「国民の声に耳を傾けよ」と訓辞を垂れたのはなんだったのか?
安倍首相が、年頭所感で「桜を見る会」の問題について「今後も丁寧に対応してまいりたい」というあの言葉はなんだったのか?
本当に、安倍政権というのは「言うだけはタダ」精神が一貫ししている。
(中略)
少なくとも、内閣府が談合を疑われる行動をしたのは明らかなのに、酒田総務課長は「不適切とは思っていない」と堂々と言う
すごい神経だ。
では、今後は他の案件についても、こういう疑わしい行為をドンドンやるということだろうか?
毎回のヒアリングで、頭にカッときて、ものすごいストレスに襲われるのは、酒田元洋課長のこういう態度だ。

ただ、この「反省会」をやったわりに、実際にはなにひとつ改善されていないのが現実だ
(以下略)



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逃げ足は早いぞ、あべぴょん。外交努力を放棄して自衛隊を違憲で派遣するあべぴょん。

竹下雅敏氏からの情報です。
 6日、安倍首相は年頭記者会見で「(中東の)現状を深く憂慮している。全ての関係者に緊張緩和のための外交努力を尽くすことを求める」と述べました。
いや、のんきにゴルフしていた人に言われても。

 すると7日、「口だけ番長」と言われるのが嫌だったのかしら、あべぴょんは急にサウジアラビア、アラブ首長国連邦、オマーンの中東3カ国を訪問すると発表しました。
え?肝心のイランはスルーですか? 外交努力をしてるふり?

 同じ頃、菅官房長官は記者の質問に答えて、予定していた海上自衛隊の中東派遣は変更なしで行うと答えていました。
 いやいやいや、中東派遣は閣議決定で勝手に決めただけ、国会は承認してませんが!各国が第三次世界大戦を危惧する中、火中に自衛隊員を送り込む気か、日本政府は?

 やはり7日同じ頃、ドイツ国防省はイラクに派遣中のドイツ部隊撤退を発表しました。イランのソレイマニ司令官殺害を受けて、イラク政府からの駐留の求めが無くなったためで、軍事のシロウトにも納得の成り行きです。
それなのに、なぜ日本は調査と称して危険な中東へ行くのか。

 と思っていたら、なんと、あべぴょんの中東訪問は同日、即行で中止に!
首相と言えど危険なのでしょう。
自衛隊員は?
あんたよりもっと危険なんですが!

[追記]
あべぴょん、ユーモア記事にご協力ありがとうございます!
9日17時時点で、やっぱり中東訪問するそうな。
国民の批判よりもトランプ大統領が「大丈夫」って言ったからかな?
(まのじ)
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配信元)







れいわ新選組の木村議員、舩後議員の活動を振り返る 〜「ふたりとも1期か2期経験した議員くらいの仕事をすでにされている。」

 れいわ新選組の山本太郎氏が、2020年に向けての活動を語るとともに、2019年を振り返るインタビューを受けていました。2019年夏の参院選では、山本太郎氏は99万票を獲得した「史上最高得票数の落選議員」となりましたが、れいわ新選組は2人の重度障害者を国会に送り込みました。
 当初「重度障害者に何ができる」と叩かれながら、お二人は国会で目に見える実績を上げておられました。
まず、お二人の議員は登院する前から、国会をバリアフリーに大きく動かしました。またお二人の議員活動の足かせになっている重度訪問介護サービスに対して付された「厚生労働省の告示523号」という制限に目を向けることができました。この人権を無視した告示があるために人間として当たり前の通勤や通学など多くの活動が不可能にさせられています。
 木村議員の委員会での様々な質問から、知られていなかった障害者の方々の日々の苦難が明らかになっています。中でも、多目的トイレや新幹線のバリアフリー化についてはすぐに改善に向けて動き始めました。
 舩後議員は、障害を理由に「定員内不合格」になってしまった子どもさんの話を聞き、早速に文教科学委員会で取り上げられたそうです。2019年の舩後議員の活動は「自身が選ぶベスト質疑」のハイライト動画がありますが、わずか2分足らずの動画を見て、唸ってしまいました。こんな強烈な質問はなかなか無い。さらに、この質問の奥には、大学受験が効率よく規格化された学生を選別するものであることが透けて見えるのです。本当に子ども達一人一人を大切にする教育を考える時、この舩後議員の質問は重要だと気づかされます。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)


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引用元)
週プレNEWS
(前略)
── 舩後(ふなご)靖彦議員、木村英子議員は「重度障害者に何ができる」とバッシングされながらも、国会の委員会質問で確実に実績を上げています

山本 どれくらい活躍できるかについては想定もしていませんでした。ですが、ふたりは初登院する前からバリアフリー化という形で国会を動かしています。通勤や仕事中に使えない「重度訪問介護」の制度について議論が始まったのも、ふたりの当選があってこそです。

それだけじゃない。木村議員は国土交通委員会に所属していますが、委員会質問ですでにふたつの実績を上げました。ひとつは、障害者用トイレについて。もうひとつは新幹線のバリアフリー化について。これに対して赤羽一嘉(あかば・かずよし)国交相はすぐに見直す方向で省内に指示し、JR各社を集めた検討会も設置するそうです。木村議員の質問によって、現実に物事が動いている。

舩後議員の対応も早い。私は全国を回って聞いた声を両議員に届けているんですが、沖縄に行った際、知的障害の子供を持つご両親が「定員内不合格」について話してくれました

障害があるという理由で、定員に余裕があるのに高校が受け入れてくれないという訴えです。本人は学びたいのにそれが叶(かな)えられない。この声を伝えると、舩後議員は自身が所属する文教科学委員会で、早速その件を質問してくれました。ふたりとも、1期か2期経験した議員くらいの仕事をすでにされている
(以下略)


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「桜を見る会」新たな疑惑 〜 飲食受注業者は昭恵夫人のお友達、しかも入札前に内閣府が呼び日程等の打ち合わせの「官製談合」

 年越しで「桜を見る会」は忘れ去られる、、どころか、次々新たな疑惑が噴出し、追求する方々も休みなしです。
 毎日新聞のスクープで、2013年以降ずっとケータリングを単独受注していた「ジェーシー・コムサ社」が、まだ会の日程すら公表されていない入札公告前の時点で、内閣府に呼ばれて打ち合わせをしていたことが明らかになりました。しかも、この「ジェーシー・コムサ社」は昭恵夫人の知人会社であることは以前から指摘されており、安倍首相とも「30代からの付き合い」だそうです。そのせいか、このお友達会社の2013年の受注額は約970万円ですが、2019年には約2200万円にも膨れ上がっています。異邦人さんのツイートでは「事実ならばほとんど官製談合ではないか」、まさしく。
そして今回の疑惑を、きっちり解説されている宮武嶺先生の言葉を借りれば「アベトモのためにやっているようなもんです、桜を見る会」「しかも、その理由が昭恵夫人肝いりのアベトモ業者だからというのが、森友学園問題や加計問題とそっくり」と、本質を突いておられます。内閣府の「入札もどき」がいかに異常か、農林水産省の入札と比較され得心します。
 目の前で何をやって見せても大丈夫だとナメられています、私たち。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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内閣府、「桜を見る会」入札公告前に委託業者に日程伝え打ち合わせ
引用元)
安倍晋三首相主催の「桜を見る会」で、内閣府が2019年1月、飲食提供などの関連業務を巡り、入札公告前に委託業者と打ち合わせをし、開催スケジュールを伝えていたことが毎日新聞の取材で判明した。
内閣府は「今後の運営に役立てる目的で、入札の公平性に疑義は生じない」としているが、専門家は「公正な入札を妨げた恐れがある」と指摘している
(以下略)

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桜を見る会で、内閣府が、入札公告前に、安倍昭恵首相夫人の親友業者と打ち合わせ!これは競争入札制度を害する会計法違反行為だ。
転載元)
(前略)
そして、毎日新聞のスクープ!

 2013年から桜を見る会のケータリングを独占的に単独受注しているジェーシー・コムサ社が、桜を見る会の入札前に、自分のとこだけ内閣府に呼んでもらって、打ち合わせができていて、まだ公表されていない桜を見る会の日程まで教えてもらっていたというのです!

 まず、下の毎日新聞の記事には書いてありませんが、前に週刊文春がすっぱ抜いたところによると、2013年からこの会に飲食を提供している「ジェーシー・コムサ」という会社は、安倍首相の昭恵夫人の大学時代の先輩で、昭恵夫人の親友の夫であるアーネストM・比嘉というハワイ出身の日系三世がやっているのです。
(中略)  この比嘉氏という人物は、アメリカの「ドミノ・ピザ」を日本に持ち込み、宅配ピザを日本に根づかせた人物だということで(もう絶対に注文してやらん)、安倍首相とは30代からの付き合いで、ワイフから安倍首相と昭恵夫人を紹介されたそうなんです。

 比嘉氏は安倍首相夫妻とは年に1、2回会うし、例の安倍総理の「腹心の友」加計孝太郎氏とも「安倍の紹介」で会ったことがあると話しています。

そして、 2013年にはこの比嘉氏が経営するコムサの受注額は約970万円だったのが、2019年は約2200万円にもなっているということです。これって、桜を見る会の予算5500万円の実に4割にもなります。アベトモの比嘉氏とコムサのためにやっているようなもんです、桜を見る会

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*まるっと◎なんくるないさぁ~* あい∞ん在宅看取り介護4

 なるべく普段の生活をしようと努めておられたお父様を、付かず離れずで見守っておられた、あい∞んさん。ガン切除で退院されてから3年になろうとする頃、次第にお父様の不調が目立つようになりました。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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あい∞ん在宅看取り介護4

Q.住み慣れた環境で、なるべく薬に頼らず、お父様が心地良い食事や日常を楽しまれるよう配慮されながら、気づくと3年になろうとしていました。この頃から次第に体調の変化があったそうですね。

患部の痛みが次第に強くなってきたようで、お尻の腫瘍を圧迫しないように立っていても、それでも痛みが続いていたようです。平成30年の暮れには、痛みのために横になっている時間が長くなり始めました。この時期から血尿や患部からの出血も見られるようになりました。ついに食事やテレビを観るのも、座るのではなく立ったままで過ごすようになりました。


2月頃の寒い時季、ふと気になって父の部屋をのぞいたことがありました。すると箪笥に寄りかかったまま父はじっと立っていました。
「大丈夫かね?」と聞いたら「ああ」と言ったので私は部屋を後に。

数時間後、また気になってドアを開けると、やはり、ぼーっと虚ろな感じで立ったままで、すごくびっくりしたことがありました。父が虚ろな感じに見えたのは、きっと一人で痛みに向き合って辛抱していたのだろうと思います。ものすごく忍耐強い人でした。

そしてこの頃から、なんとなく家の中に父の気配が感じられなくなっていました。これまでは、父が夜中にトイレに行く時など足音やドアの音で気付いていました。けれども痛みのために動きがゆっくりになり、父は壁に沿って手で支えながら足を引くように歩いていました。



Q.一緒に住むということは、意識のどこかに家族の動きを感じているものなのですね。

食欲が減り、横になって寝ている時間が長くなり、それまで楽しみの1つだったおやつも食べなくなり、さらに自分で小まめに記録していた排尿や排便の記録も書けなくなりました。
心のどこかで「父の死」を意識するようになりました。


平成31年3月下旬、私の携帯電話に一本の電話が入りました。
それは、毎週月曜日に訪問看護に来て下さっている総合病院の主任看護師さんからでした。

看護師「お父様の身体の痛みがとても強くなっていて、これから先、自力で歩いたり出来なくなる前に終末期を自宅で過ごされるか、病院に入院されるのかを早急に決められた方が良いと思います。ご家族で話されて近日中に娘さんも一緒にご家族でお越しいただけますか?」

私(娘)「…はい。痛みが強くなっているのは知っていましたが…。それは、命の期限が近づいていて、看取りを家でするのか?病院で最期を迎えるのか?という意味ですよね?
余命がどのくらいあるのか、もしも解っているなら教えていただけますか?

看護師「はっきりと『余命がこの位』ということは解らないですし…、言えないです。思っていたよりも長く生きられる場合もありますし、突然容態が急変される場合もあります。ただお父様はずっと『九十歳まで生きる』とおっしゃっていましたが…、お誕生日の九月までは半年ありますから…ちょっと厳しいのではないかなと思います…。」

私(娘)「そうなんですね。教えてくださってありがとうございました。家族で相談してから、また改めてお返事させて下さい。」

看護師「はい。もちろん大丈夫です。よろしくお願いいたします。」

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