人体実験された被爆者
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原爆製造の過程、その実際
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原爆投下の影響とその意味
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原爆と昭和天皇の関わり
上の
b.を今回は追っていきたいと思います。
1945(昭和20)年の8月6日にヒロシマ、8月9日にナガサキに原子爆弾が投下されました。これにて広島市民約35万人のうち、半数近い14万人以上が亡くなったとされます。ただし、この14万人には軍関係者は含まれておらず、それを含めるとヒロシマ原爆の死者は20万人との説もあります。ナガサキでは7万人以上の市民が死亡との結果になっています。
爆心地では瞬時に人間も建物も全てが蒸発、その周辺では地獄絵巻が現出させられました。原爆は「地獄爆弾」とも称されます。
被爆者の苦痛苦難は原爆による被害だけでは終わりませんでした。
原爆投下直後からヒロシマ・ナガサキに医師グループが駐在しますが、それは被爆者の治療のためではなく、データ収集のためでした。被爆者は被爆の苦痛と共に人体実験にも利用と、人間の尊厳を傷つけられ差別にも苦しめられます。
原爆関連の
ウィキペディア記事には次の記述があります。
東京帝国大学が、1945年8月6日の
広島と9日の
長崎の原爆による被爆者を使って、戦後2年以上に渡り、日本国憲法施行後も、あらゆる人体実験を実施したことを、NHKが2010年8月6日放映の
NHKスペシャル『封印された原爆報告書』にて調査報道した。
この実施した人体実験の具体として番組ナレーターは次のように語っていたとのことです。
被曝者にアドレナリンと言う血圧を上昇させるホルモンを注射し、その反応を調べていました。12人の内6人は、わずかな反応しか示さなかった。山村さんたちは、こうした治療とは関係のない検査を毎日行っていました。調べられることは全て行うのが、調査の方針だったと言います。
原爆投下直後から日本政府と米国政府が原爆による傷害の実態を詳細に調査記録するため、日米合同調査団を編成、調査団はABCC(原爆傷害調査委員会)という機関となり、多数の学者や医師らが参加して、
被爆者への治療を施すわけでなく被爆者の体で研究をしたのです。
日本側で当初からこの調査団に加わっていたのは陸軍医務局、東京帝国大学医学部でした。被爆者は米国が投下した原爆の被害という甚大な苦痛だけではなく、自国の日本政府からも冒涜の被害を受け続けたのです。
ABCCは1947年に広島赤十字病院の一部を借り受けて開設、
1948年には、日本の厚生省国立予防衛生研究所が正式に調査プログラムに参加しています。
陸軍医務局、東京帝国大学医学部、そして国立予防衛生研究所、お気づきでしょう。
原爆被爆者の人体実験にも731部隊関係者が関連してもいるのです。
彼らが戦後の日本医学界をリードしていったのです。
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しかも自主的につくったと。
以前から政治は自分たちに関係あることとTwitterに書き込んでいる俳優たち。
若者に人気の俳優や歌手です。
潮目が変わったのかもしれません。
これが若者に伝わっていくことを望みます。