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アーカイブ: 南京大虐殺

日本の保守界隈というのは、なぜ、かくも事実をありのままに認識できないのか? ~「実際の記録や当事者の声よりも、それらを曲解した幻想に多くのヒトビトが惹かれてしまう現状に強い危機感を覚える」/ 「南京大虐殺は捏造」という誤解

竹下雅敏氏からの情報です。
 動画は読者の方からの情報提供です。参院選が近いこともあり、これまで無所属連合(元祖)日本保守党日本誠真会の主張を紹介しました。
 私は、これらの政党を支持しているわけではありませんが、これ以外の政党は今のところ票を入れる気にはならないという感じです。
 これまで何度も言っているように、選挙というのはゴミの中から再生利用できそうなゴミを選ぶ作業なのです。間違っても特定の政党や人物を信奉するようなことがあってはなりません。
 さて、今日の記事で2018年10月に掲載された「南京大虐殺」の動画を取り上げる気になったのは、(元祖)日本保守党の石濱哲信氏が「南京大虐殺は捏造」だと考えているのではないかと思ったからです。
 こちらの動画で石濱哲信氏は、“南京入った時に、世界中のマスコミがそこにいたんですよ。日本軍は素晴らしいって書いたんです。そしたらアメリカ、イギリスが困っちゃったんです。”と話しています。
 また、昨日の記事でも触れましたが、日本誠真会の主張する「大日本帝国憲法(帝国憲法)が正統なものである」という認識には違和感というよりも危機感を覚えました。
 日本の保守界隈というのは、なぜ、かくも事実をありのままに認識できないのか? 左翼が正しく認識しているとは思いませんが、動画のコメント欄に「実際の記録や当事者の声よりも、それらを曲解した幻想に多くのヒトビトが惹かれてしまう現状に強い危機感を覚える 投稿主の真摯さに深く敬意を表します」とあり、私も同じように感じました。
 冒頭の「永久保存版」の動画は、二つ目の動画の投稿主の方が推薦動画として紹介していたものです。「もちろん引用大歓迎です。どんどん使って下さい。」とあったので、このような形で転載させていただきました。
 冒頭の動画の17分の所で、当時の南京で治療にあたっていたアメリカ人のロバート・ウィルソン医師の姿があります。動画のコメント欄に『ロバート・ウィルソン医師の手紙』があり、“占領下で虐殺の実態を手紙に書いたが、日本軍を非難するだけでなく、善良な日本兵の存在も記録していることから中立的で内容の信頼度が高い。”と書かれています。
 また、「大東亜戦争は東南アジア解放のためだった」という誤解については、やはり動画の投稿主の方が、こちらのコメントで事実を説明しています。
 これらの説明にきちんと目を通せば、「南京大虐殺は捏造」という意見はなくなると思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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【永久保存版】南京大虐殺の証拠~当時の記録映像と生存者の確実な証言
配信元)
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CGで再現「南京大虐殺」
配信元)

@osugitakiji7842
投稿者です。虐殺否定派の藤井厳喜氏、上島嘉郎氏、小名木善行氏等の動画を拝見し、“実状を誤解されているかも知れない”と感じた部分を中心に、当動画の説明文を大幅に加筆しました。詳細は以下の9点です。否定派の方の疑問が少しでも解けますように。

(1)「1937年12月は欧米からも大勢のメディアが南京入りしているにもかかわらず、目撃者もなく、当時には一切報道もされていない」の誤解

欧米で事件は大々的に報道。占領2日目(12月15日)に早くも『シカゴ・デイリー・ニュース』が報道しており、第一報の時点で「NANKING MASSACRE(南京大虐殺)」の言葉を見出しに使用。12月17日には『ニューヨーク・タイムズ』が「大規模な略奪、婦人への暴行、民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、青年男子の強制連行などは、南京を恐怖の都市と化した」「市内を広範囲に見て回った外国人は、いずれの通りにも民間人の死体を目にした。犠牲者には老人、婦人、子供なども入っていた」「日本軍の略奪は、町ぐるみを略奪するのかと思うほどであった。日本兵はほとんど軒並みに侵入し、ときには上官の監視のもとで侵入することもあり、欲しい物はなんでも持ち出した」と掲載。

南京には陥落時5人の欧米人報道関係者がいたが、全員が陥落3日後には南京を脱出。その後、虐殺のあったとされる時期には、日本軍は欧米の報道関係者の入城を許していない。事件の続報として、「ライフ」1/10、「ワシントンポスト」1/12、「マンチェスター・ガーディアン・ウィークリー」2/11、「タイム」2/14、などが惨状を伝えている。

・南京アメリカ大使館 エスピー副領事の報告(1938年1月作成)※事件の翌月

「(日本軍指揮官は入城前に兵士に規律を求めたが)それにもかかわらず、大勢の兵士が筆舌に尽くし難い凶行を犯したことは事実である。日本兵は盗賊の如く欲しいがままに振舞っていた。市内では数えきれないほど大勢の男性、女性、子供が殺害された」

・南京ドイツ大使館分館 書記官ローゼンの報告(1938年2月10日付)

「私は先の日曜日に日本軍が引き起こした「英雄的行為」の現場とその四人の犠牲者をこの目で見た。そこでは二脚の椅子を運んでいた老人が、日本兵にいとも簡単に銃で撃たれた。この老人の姉は、日本兵が接近したので近くに隠れていたが、知りあいの二人を呼んで、竹竿と縄で戸を担架に作り変え、重傷の老人を運び去ろうとした。すると日本兵は、重傷の老人と姉、老人を運ぼうとした二名、合わせて四名全員を射殺したのだ。[略]同日ラーべ氏は、池から120以上の死体を運び出す様子を目撃した。人々はまず機関銃で殺され、その後で焼かれた。焼却に手問取ると、死体は水中に投げ込まれたのである。犠牲者は針金で後ろ手に縛られていた」

・南京ドイツ大使館分館 事務長シャルフェンベルクの報告(1938年2月1日付)

「南京入城のさいの日本軍の所業については、チンギス=ハーンを思い出さずにはいられないほどの徹底した破壊ぶりであった。日本兵はこう言い含められていたに違いない「ここで頑張った奴はみな、南京で美しい娘をモノにできるぞ」。こうして南京に残っていた女という女はまったくひどい目にあわされた」

・『シカゴ・ディリー・ニュース』(1938年2月4日付)「(陥落時は)逃げ場を失った人々はウサギのように無力で戦意を失っていた」「日本軍は兵士と便衣兵を捕らえるため市内をくまなく捜索した。何百人も難民キャンプから引き出され、処刑された」「日本軍には戦争なのかもしれないが、私には単なる殺戮に見えた」(A・T・スティール記者)

・日本国内は検閲で事件を報道できず。特派員として陥落直後に南京を取材した石川達三は、敗戦翌年に「読売新聞」(昭和21年5月9日)へ寄稿。「入城式におくれて正月私が南京へ着いたとき街上は屍累々大変なものだつた、大きな建物へ一般の中国人数千をおしこめて床へ手榴弾をおき油を流して火をつけ焦熱地獄の中で悶死させた。また武装解除した捕虜を練兵場へあつめて機銃の一斉射撃で葬つた、しまひには弾丸を使ふのはもつたいないとあつて、揚子江へ長い桟橋を作り、河中へ行くほど低くなるやうにしておいて、この上へ中国人を行列させ、先頭から順々に日本刀で首を切つて河中へつきおとしたり逃げ口をふさがれた黒山のやうな捕虜が戸板や机へつかまつて川を流れて行くのを下流で待ちかまへた駆逐艦が機銃のいつせい掃射で片ツぱしから殺害した」。
※この寄稿内容を後に石川が否定したという説は、録音テープや自筆の手紙という物的証拠がなく説得力がない。
(中略)

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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第19話 ― 戦犯の皇族たち

 いわゆる大東亜戦争、この戦争で大掛かりな略奪と虐殺行為、また強姦もありました。ありのままに裁かれるべき人物たちがいます。しかし、この戦争での真犯人たちが裁かれるどころか、完全に世間から秘匿されているのです。
 シリーズのテーマからは少し外れるので、南京大虐殺について資料を読むことはあまりなかったのですが、今回、松井石根という人物に目を引かれました。
 松井石根は南京大虐殺の責任者として東京裁判で処刑されるのですが、彼のウィキペディア記事で出ている東京裁判時の写真が、諦念しているのか非常に穏やかで印象に残ったのでした。
 確かに南京攻略戦での総司令官が松井石根であり、その南京戦で大虐殺と掠奪、そして強姦があったのは事実です。しかし、松井石根はそのような違法行為がないよう将兵に命じていたのが、いわば「裏切られた」のです。
 それでも松井は南京での部下たちの不法行為に対し「自分の責任を回避しない」と、自らの処刑を受け入れ、次の言葉を残してます。
「私だけでも、こういう結果になるということは、当時の軍人たちに一人でも多く、深い反省をあたえるという意味で大変に嬉しい。せっかくこうなったのだから、このまま往生したい。」
 南京戦後、松井は軍服を脱ぎ、日本と中国の戦死者たちを慰霊する毎日を送るのですが、この松井を裏切った上に処刑を身代わりにさせた人物がいます。虐殺と掠奪を命じた皇族たちがいました。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第19話 ― 戦犯の皇族たち


関東軍宮田参謀と731部隊


731部隊の振る舞いが秘された理由はその残虐非道さにありますが、皇族が絡んでいたことも大きかったと考えられます。

731部隊に三笠宮と思われる人物が同席している集合写真がありました。風貌から見て20歳時の三笠宮であると思われます。ただし、この写真で三笠宮が731部隊に深く関与しているということではないです。


写真では特別な椅子に三笠宮と思える若い人物が最前列中央に座していることから見て、宮様が731部隊を訪問したので“お客様”として扱い写真に収まった、というものでしょう。お客様の若い三笠宮が731部隊の行状に関与したとは思えません。

しかし、昭和天皇の従兄弟である竹田宮恒徳は違います。

衣冠姿の竹田宮恒徳
Wikimedia_Commons [Public Domain]

戦後は皇籍離脱し、1962(昭和37)年に日本オリンピック委員会の委員長に任命された竹田宮は、戦時中は731部隊に非常に深く関与しています。「731部隊 竹田宮」や「731部隊 宮田参謀」で検索すればたくさんの情報が出てきます。宮田参謀とは竹田宮恒徳が戦時中に使っていた名前です。

そのネットに多くある情報の一つに、「731からフクシマまで!!」のサイトにて「『死の工場(隠蔽された731部隊)』(シェルダン・H・ハリス著:近藤昭二訳)より」として次のようなものがあります。

竹田宮は、他にもっと直接的なつながりを、細菌兵器施設との間に持っていた。彼は、関東軍司令部によって設置された、731部隊と100部隊の事業の監督をするための特別委員会の幕僚メンバーだった。彼の幕僚メンバーとしての最も重要な責務は、平房や他の支部施設を訪問する許可を与えるかどうかを決定することであった。関東軍における医療行政官のチーフのように権力のある個人すら、平房〔の施設〕に立ち入る際には竹田宮・宮田が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れるときは、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。

こういった情報の真偽ですが、ウィキペディアの竹田宮恒徳の記事には次のようにあります。

太平洋戦争(大東亜戦争)には大本営参謀として、フィリピン攻略戦、ガダルカナルの戦いに参画する。参謀としての秘匿名は「宮田参謀」であった。しばしば前線視察を希望し、危険が多いラバウル視察を強行するなど、周囲をはらはらさせていた。1943年(昭和18年)3月、陸軍中佐に昇進、8月に関東軍参謀に転出した。新京では満州国皇帝溥儀と交流を持ち、親しくしていたという。1945年(昭和20年)7月、第1総軍参謀として内地へ戻り、間もなく終戦を迎えた。

少なくとも竹田宮は、満洲で関東軍の参謀という要職にあったのです。当然ながら、同じ関東軍の731部隊とは共働していたのは間違いないのです。しかも、竹田宮は敗戦(ソ連参戦)を予め知らされていたのでしょう。敗戦直前に満洲から内地に戻っています。悲惨な目にあった満蒙開拓移民とは雲泥の差です。

皇族は民衆とは隔絶された特別な地位にあります。その皇族の中で戦時中には虐殺、そして黄金を主とする財宝の略奪を指揮したものがいます。


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アメリカの公文書によって証明された支那事変での日本軍の暴虐 〜 南京入城以前にすでに50万人殺害

 「あまり日本では話題になっていませんが」で始まる「論壇net」の情報に驚きました。「逝きし世の面影」で紹介されたものです。
 アメリカ外交関係公文書として、「ドイツ駐在日本国大使館の東郷茂徳大使が、南京を占領する前に、その段階で50万の中国人を虐殺したことを自慢していた」ことを示す資料が存在していました。
この資料は、ドイツ駐在アメリカ大使が1937年12月14日に、ルーズヴェルト大統領に打った暗号電報として保存されていました。元記事には資料の画像とともに英文の書き起こしも掲載されています。
 狭義の「南京大虐殺」の南京入城は12月17日、この報告では、南京に至る以前の「長江デルタ一帯で行われた日本軍による残虐行為」を証明する根拠とされ、これまで確認された中国軍の戦死者数から逆算すると、12月14日の段階ですでに民間人を20万人以上殺害していたことになるようです。
 当時、支那事変での日本軍の蛮行に対して世界各国からの非難が殺到したことを受けて、日本軍や政府が対応したとされていますが、今回のアメリカの公文書の一つはそのことを裏付ける確かな証拠となっています。さらにこの公文書は、この内容を裏付ける証言が日本側資料にも存在するため、資料的価値が大変高いそうです。元記事では、広田弘毅氏の最終弁論を引いて、外務省として残虐行為への処置を講じた事実を確認したと述べています。
 続く3つ目の記事では、南京戦に至る以前の各地で、日本軍が蛮行の限りを尽くしていたことを示す公文書を紹介しています。外国の宣教師や医師による「上海とその周辺地」「杭州」「蘇州」での報告ですが、いずれも共通して、民間人の殺害、女性へのレイプ、私有財産の略奪、放火が行われ、それが「兵士たち個人の利益のために」行われたものではなく「日本軍の利益のために、しかも当局者の認知と同意のもとに行われた」ものだとあります。軍司令部の前に略奪品を運んでいた様子が語られています。占領後も相変わらずレイプ事件は多発し、それを受けて日本軍が慰安所を創設することになったようです。
ここまでの日本軍の実態がありながら南京に入った途端に品行方正になるはずがなく「南京大虐殺はなかった」という説はこれで息の根が止まりました。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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南京大虐殺の犠牲者は「50万人」以上——アメリカ公文書「RG59-793.94/11631」が従来説を大きく覆す
引用元)
(前略)
新たな資料
あまり日本では話題になっていませんが、2004年ごろに中国人研究者によって、ドイツ駐在アメリカ大使トッド氏が1937年12月14日にフランクリン・D・ルーズヴェルト大統領に打った暗号電報(アメリカ外交関係公文書RG59-793.94/11631)のなかに、「ドイツ駐在日本国大使館の東郷茂徳大使が、南京を占領する前に、その段階で50万の中国人を虐殺したことを自慢していた」と書いてあることが報告されました

いわゆる狭義の「南京大虐殺」の前の日本軍による蛮行を記録したものと考えられますが、中国の報道では広義の「南京大虐殺」(長江デルタ一帯で行われた日本軍による残虐行為)を証明する根拠として引用されています
(中略)

原文と翻訳
あまり大きな写真が公開されておらず苦労しましたが、色々調査した結果、次のように書いてあるそうです。
(中略)

ここの日本大使は、一日か二日前に、自国が50万人の中国人を殺したことを自慢しました。……これは、ムッソリーニとヒトラーの政策が世界に準用されると予期させること、そしてこれが悲劇的結果となることを意味します。
RG59-793.94/11631


犠牲者数は最大70~80万人近くまで
(中略)
ゆえに日本軍が50万人殺したというこの通信文を真であるとするならば、これが打たれた1937年12月14日の段階で、民間人を20万人以上殺害していたことになります

また南京事件で有名な幕府山捕虜銃殺は12月16-17日で、南京入城は12月17日ですから、これらの虐殺数はこの50万人にカウントされていません。よって入城後に、中国政府が主張するような虐殺(総犠牲者30万人以上)が起きていたならば、この50万という犠牲者数は70~80万人近くまで膨れ上がります

アメリカ外交関係公文書「RG59-793.94/11631」
(追記)その後、本公文章が「実在」することが確定しました
(以下略)

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[Everyone says I love you !]「南京大虐殺」の存在は、最高裁が家永教科書裁判の判決ですでに決着している。

竹下雅敏氏からの情報です。
 記事によると、教科書検定の家永教科書裁判において、最高裁は“南京占領の際の中国人の女性に対する貞操侵害行為は…特に非難すべき程多数で、残虐な行為…大量虐殺行為と共に…南京占領の際に生じた特徴的事象…と認められる”と言っています。
 記事では、“日本軍がやったことも本当に恥ずかしいですが、これをなかったことにしようとすることが、どれだけ恥ずかしいことか”とあります。同感です。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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「南京大虐殺」の存在は、最高裁が家永教科書裁判の判決ですでに決着している。
記事配信元)
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
記事の提供元にてご覧ください。

[LITERA]南京虐殺世界遺産に抗議の自民党・原田委員長が荻上チキのラジオで「虐殺は捏造」と断言! ネトウヨのデマ信じる浅薄ぶり晒す

竹下雅敏氏からの情報です。
 この記事の元になったラジオのインタビューは、“後日、「Session-22」のサイト上で、その書き起こし全文が公開される”とのことで、是非読んでみたいものだと思いました。
 今の安倍政権の反知性全開が、よくわかります。この連中がこれだけ横暴な振る舞いが出来るのも、“ほとんどのマスコミは尻込みして、この自民党の無知蒙昧をまともに伝えようとしない”ためで、同罪だと思います。フルフォード情報を見れば、愚かな連中は今後居場所を無くすと考えられます。マスコミも、彼らについて行くと滅ぼされる側になるということを自覚すべきです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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南京虐殺世界遺産に抗議の自民党・原田委員長が荻上チキのラジオで「虐殺は捏造」と断言! ネトウヨのデマ信じる浅薄ぶり晒す
記事配信元)
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
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