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リコール署名偽造容疑で田中孝博事務局長が逮捕 〜 維新の衆院候補だった田中容疑者、公党としての維新の責任

 愛知県知事のリコール署名を偽造した疑いで、署名活動団体の田中孝博事務局長が逮捕されました。メディアによっては言及していないようですが、この田中容疑者がリコール運動当時、日本維新の会の衆院候補者であったこと、同じく逮捕された元事務局幹部も維新の会計責任者で、このリコール運動自体が維新と深く関わっていたことは以前から指摘されていました。当時、コロナ禍にもかかわらず吉村知事や松井市長も積極的に加担していたことは報じられていました。公党の、しかも衆議院の候補者だった人物の逮捕となり、もはや他人事では済まされず恫喝も通じません。日本維新の会としての責任が問われるべき事態となりました。
 当然リコールを始めた河村たかし市長や高須克弥氏の関与も解明されるべきですが、それ以上に日本維新の会は政党助成金という形で「いやでも」私たちが援助しているわけですから、納得のゆく釈明をしていただきたい。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)
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愛知知事リコール 署名偽造の疑いで田中孝博事務局長を逮捕
引用元)
(前略)
 署名偽造を巡っては田中容疑者らが佐賀市内でアルバイトを雇用し署名を代筆させた疑いが持たれている。関係者によると、田中容疑者は名古屋市の広告関連会社を通じて代筆スタッフを集めるよう依頼。自身の署名と押印が入ったアルバイト集めのための474万6500円の「発注書」を出していた。田中容疑者は逮捕前、毎日新聞の取材に事件への関与を一貫して否定していた。
 田中容疑者は1995~2003年に県議を2期務め、リコール運動当時は日本維新の会所属で衆院愛知5区の支部長を務めていた
 (中略)
リコール運動は19年に開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」で、昭和天皇の写真を燃やす場面がある作品などが展示されたことを巡り、「高須クリニック」の高須克弥院長や名古屋市の河村たかし市長らが反発したことが発端。芸術祭実行委員会会長だった大村知事の対応を問題視し、運動が始まった。
(以下略)

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加計学園に関わる行政文書の開示を求める訴訟が全面敗訴 〜 東京地裁は情報公開請求の制度そのものを否定した

 「総理のご意向」により今治市に獣医学部がゴリ押しで新設され「行政の私物化」だと問題化したのが2017年。文科省が設置認可に関わる行政文書を全て「不開示」としたため、それはおかしいと個人である福田圭子氏が国を相手取って「不開示決定の取り消し」を求めて提訴されたのが2018年9月。以来、3年近くも私たち国民の代わりに裁判を戦ってこられました。そしてこの5/18、東京地裁は福田氏の訴えを退けました。部分開示すら認めず一切合切ダメ。東京地裁は理由をこじつけることすら放棄したようで、情報公開請求の制度そのものも否定したような形になりました。
 原告側は前文科省事務次官の前川喜平氏を証人請求するも裁判所は認めず、それならばと、模擬法廷を設定して現実の裁判のように前川氏の証人尋問を行いました。ネット上で公開をし、それを証拠として裁判所に提出するなど真相に迫る働きかけをされました。が、結局全面的に却下でした。
「腹心の友である加計孝太郎氏のために安倍前首相の力が働いていたのではないか?
小さな今治市が獣医学部のために100億円近い補助金や無償の土地を差し出したのは妥当だったのか?
加計学園、森友学園、桜を見る会、河井夫婦の買収、これらすべての安倍政権時代の負の遺産が未だに解決せずに継続している異常を、納税者である私たちは深く受け止めなければいけない。」
判決を受けた福田氏はこのように語りました。
 国会にウソをつくだけついて、またぞろ3期目を目指すなどふざけた報道がありますが、安倍晋三が出てくるのは、これらの負の遺産を解決するときだけで結構です。
(まのじ)
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入管法改定案は国民の声を背に廃案へ / ワクチン大規模接種東京センター大混乱の陰に「またお前か!」の竹中平蔵

 14日に強行採決が見送られた入管法改定案は、18日午前、自民党が今国会での審議を取り下げ、事実上成立を見送りました。驚きと嬉しさで「やったー!」週末の国会前の抗議行動や全国からのFAX、パブコメなど大きな世論が選挙前の政府を思い止まらせたのかもしれません。今回の野党の結束も頼もしいものでした。まだウィシュマさんの映像開示や国際基準に見合う入管行政への注視が必要ですが、大切な一歩でした。
 しかし、あちらもこちらも大混乱の菅政権、大規模ワクチン接種東京センターの予約システムに重大な欠陥があることを大手メディアが実際に確認し、予約システムへの懸念を報じたところ、いつも具合の悪そうな岸防衛相がメディアに対して「極めて悪質な行為だ」と思わず強気のツイートを発しました。兄弟揃ってメディアに文句をつけるのが好き。これがさらにネット上での非難を呼び、不備を指摘してくれたメディアにお礼の一つも言うべきだと一国の大臣が叱られていました。
 さらにこの予約システムを担当していたマーソ株式会社の経営顧問が竹中平蔵氏だったと伝わるに至って「またお前か!」の声がネットを埋めました。防衛省から日本旅行に19億円、そのうちマーソに渡ったのはおいくら? 名ツイートが多く愉快です。あまりにも見事な一連の流れに、これで竹中平蔵ら売国一味政権を駆逐できなければ日本は終わりだと言うくらいのインパクトでした。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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大規模接種ウェブ予約 架空の数字で登録可 券番号も、年齢も
引用元)
 東京23区と大阪市の住民を対象に17日始まった新型コロナウイルスワクチンの高齢者向け大規模集団接種のウェブ予約で、実際の接種券に記載されていない架空の数字を入力しても予約ができることを、毎日新聞記者が複数の数字で確認した
予約の対象は65歳以上だが、65歳未満となる生年月日を入力しても予約できることも確認。架空の数字を使って予約枠を「占拠」することもできるとみられ、予約システムの信頼性が問われそうだ
(以下略)
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大阪市保健所の職員減を認めず、質問した記者を恫喝する松井市長 〜 パワハラでメディアを萎縮させてきた大阪維新の背後には「菅義偉・竹中平蔵」

 以前、大阪都構想の住民投票にあたって、行政コストが増加するという「都合の悪い」データを報じた毎日新聞を松井市長や吉村知事、橋下徹元市長らがこぞって「誤報だ、デマだ」と決めつけたことは記憶に新しいところです。
 先日、大阪市保健所の保健師さんが勇敢にも実名で職場の窮状を訴えたことを受け、常勤保健師の数が減らされているかを問うた記者に対し、松井一郎市長は誠実に答えるどころか記者に食ってかかり「不安を煽る」と高圧的に言い放っていました。しかし実際に疫学調査ができる常勤職員は42人から31人に減らされており、しかも23人は前月に新たに配属され、そのうち10名は新規採用だったことも取材で確認されました。現場では「一定の経験と知識を持っている職員の層が必要」と訴えています。こうした明らかな事実があっても、松井市長は「どっちが正しいんやろか?」とまるで首長の責任を感じていない威圧的発言でした。リテラでは「こうした維新的な恫喝によって、大阪のメディアは完全に黙らされている」と述べ、尾辻かな子議員もこの10年のパワハラの結果が職員やメディアを萎縮させたと述べていました。かつて橋下徹氏とのやり取りでネット上で徹底的に誹謗中傷された記者の方は、ひるむことなく調査で切り込んだ結果、それが自動拡散ソフト(bot)によるバッシングだと突き止め、「ネット社会は資金力の強い者が勝つ世界だ」と確信されました。恫喝と資金力でメディアとネットを支配し、事実を捻じ曲げる。なるほど安倍菅政権のひな形でもあり、橋下徹氏が「(竹中平蔵氏と)価値観、哲学がまったく一緒」と言うわけです。そこには市民の安心安全などありません。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第10話 ― 日中・日米戦争への道程

 北朝勢力と南朝勢力の争い、…北朝勢力が善で南朝勢力が悪、などとは言えません。またはその逆だったとも言えません。ただ、天皇家の血筋で言えば、北朝が天照大神の血筋を引き、南朝は古代イスラエル系だとのことです。
 また、日中・日米戦争への道を主に積極的につけていったのは南朝勢力側だということです。昭和天皇は北朝勢力がたてた天皇のようです。ただ昭和天皇は表に出る政体天皇であって、本気で英米との戦争など進めようもないのです。なぜか?政体天皇は英国女王に従う身なのです。
 これは事実としてほとんど認識されていませんが、表情報でもウィキペディアの「陸軍元帥(イギリス)」記事に次のようにあるとおりです。

「1918年に大正天皇が英国陸軍元帥に、昭和天皇は1928年6月26日に英国陸軍元帥に就任。」

 この元帥は外交上のお飾りとの説もありますが、違う情報では、英国官報ガゼット紙より、昭和天皇が元帥として就任した英国陸軍は正規兵としての名称のようです。英国元帥でもあった昭和天皇は、大戦をその立場上、そして個人的にも避けたかったようです。
 しかし、昭和天皇が恐れていたことがあります。日本での軍事クーデターからの軍事的な内乱・内戦です。当時は世界大恐慌の影響で、日本の軍部の中に「怒りエネルギー」が渦巻く危険な状態にあり、「革命前夜」の様相を示していたのです。さらにはそれ以前に、表の天皇と裏天皇という見えない二重構造は、日本社会全体の統制運営の根本問題であり、軍部にも構造的な問題を与えていたと言え、軍部は大混乱の混迷の危険な状態にあったのです。

 暴力装置である軍隊にはもとより、厳しい規律による統制が求められます。しかし実際には、天皇が陸軍・海軍の統帥権を憲法上は有しているのですが、それは利用されるだけの名ばかりのもので、正常に機能などしていませんでした。最上部のはずの天皇の統帥権が有名無実であるならば、軍の統制は大混乱となるのは必然でもあります。一糸乱れぬ統制などとは程遠く、軍隊の暴走や暴発、暴力テロ、軍事クーデター騒ぎが巻き起こるのはある意味で当然でもあったのです。
 この大混乱の背景が、表の天皇の実際には上位にある裏天皇の存在(南朝勢力)です。ただし、騒乱の背景に南朝勢力があったといっても現場は大混乱ですから、逆に暴力の刃が裏天皇側に向く場合もあります。しかし全体としては、こういった暴力の恐怖と大混乱の混迷も、全てが引っ組められて大戦争への道順として利用もされます。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第10話 ― 日中・日米戦争への道程

大本教事件 〜北朝勢力の攻撃


満洲国設立の頃は、暴力支配と大混乱の時代であり、この背景には禁裡内における北朝勢力と南朝勢力の争いがあったであろうことを前回に見ました。南朝勢力は「いわゆる右翼」という強力な暴力装置を有しており、それで北朝勢力がたてたであろう昭和天皇が重大な危惧に縛られていた模様を確認もしました。

しかし一方では、基本的には北朝勢力からの南朝勢力への攻撃と見るのが自然な大事件も当時に発生してもいます。大本教事件です。

南朝勢力となる裏天皇(八咫烏)直属の五龍会、その五龍会の中の緑龍会の主たる大組織である宗教団体が大本教です。

大本教の創始者は出口ナオ、そして出口ナオの養子に入った出口王仁三郎によって教団は大拡大しています。

「上田家系図」を見れば、出口ナオは緑龍会初代総裁・上田音吉(吉松)の愛人であり、出口王仁三郎はもとの名は上田鬼三郎で緑龍会初代総裁・上田音吉(吉松)の孫です。また出口王仁三郎は有栖川熾仁親王の息子でもあるようです。


大本教は大正編 第4話で見たように、堀川辰吉郎が総裁となった世界紅卍字会と実質は同一団体でもあります。そして大本教には、陸・海軍の大物たちが多く入信してもいましたし、何よりも玄洋社(白龍会)の頭山満や内田良平たちとは密接な関係を結んでいました。大本教関係者たちが玄洋社(白龍会)関係者と協力して大陸に進出もしていました。

左側から大本教主輔 出口王仁三郎、玄洋社総帥 頭山満、
黒龍会主幹 内田良平。
Wikimedia Commons [Public Domain]

この大本教が、日本政府・内務省から1921年の第1次大本教事件の弾圧に引き続き、1935年には不敬罪・治安維持法違反にて徹底的な弾圧攻撃を受け、本部教団施設などは完全な破壊が実行されてもいます。第2次大本教事件です。

この第2次大本教事件では、出口王仁三郎自身も6年余の獄中生活を送ることになりました。南朝勢力である裏天皇直属の五龍会の主要組織とも言えるであろう大本教が、徹底的な弾圧からの破壊攻撃を受けた。これは基本的には北朝勢力による南朝勢力への攻撃と見るのが妥当と思えます。

他方、当時の1932年には三井財団総帥の團琢磨が殺害される事件が発生しています。同年には犬養首相が殺害された5.15事件と、民政党幹事長の井上準之助射殺(血盟団事件)も発生していました。

ミレニアム」からのこの情報を見れば、五龍会の下には秦氏系の企業群があり、その企業群のトップは三井氏であることは明瞭です。その三井財団総帥の團琢磨が殺害されたのです。

また、同年の5.15事件で殺害された犬養首相は陸軍(関東軍)の暴走を危惧しこれを止めようとはしていましたが、裏天皇グループと近い関係にあった人物でもあったのです。

頭山満(左)、犬養毅(中央)、蒋介石(右から2人目)
「昭和4年 蒋介石氏が頭山満、犬養毅両翁を訪れる」
呉竹会_頭山満 [Public Domain]

南朝勢力のはずの三井財団総帥の團琢磨を殺害したのは、(井上準之助を射殺した)1931年に創設された血盟団のメンバーでした。

ただし、南朝勢力の人物が(5.15事件を含め)殺害されたといっても、これは北朝勢力からの攻撃であろう大本教事件とは異なります。これらの殺害テロは当時の大混乱が生み出した事件と見受けられます。

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