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15/12/6 フルフォード情報英語版:福島原発の核攻撃に関する証人陳述書

 今週翻訳した8月19日付フルフォード情報英語版でDVDとは何ぞやと調べておりましておりますと、イギリスの裁判所に同氏が証人として提出した陳述書がネットで公表されていましたので紹介します。

 DVDは録画用ディスクではなく「Deutsche Verteidigungs Dienst(ドイツ国防局)」の略で、9.11や3.11などの事件の黒幕であり、世界で最も恐ろしい秘密の諜報組織だそうです。
 ドイツを今でも支配し、ブッシュ一族を通してアメリカも支配し、更にはイスラエルにも核兵器の資金と技術を提供したのだとか。2010年には、英国諜報界で有名だったクリストファー・ストーリー氏も殺害しています。英国の元首相エドワード・ヒースやトニー・ブレアをはじめ、DVDの工作員は欧米の指導層に深く入り込んでいます。
 ゴードン・ダフ氏が同組織について信じるに至ったのは、ハンス・リューレ大佐というドイツ国防省元企画室長がドイツとイスラエル間の核兵器協力についてディ・ヴェルト紙に書いた記事を、元IAEAの原子物理学者から送り付けられ、その後イスラエルのハアレツ紙がお粗末な反論文を慌てて出してきたから。ダフ氏はその前年には、アメリカ司法省の高官からも一部同じ話を聞かされていたのです。

 フルフォード氏は2012年3月に今回登場する「リチャード・ゾルゲ」なる人物から、やはり今回登場するロシアの潜水艦クルスクから盗まれた核弾頭の一つが同年のロンドン・オリンピックで無差別殺人テロに使われるとの情報をもたらされました。
 英国人の法廷弁護士マイケル・シュリンプトン氏(57歳)も同じ情報を2012年4月にイギリス国防省へ通報したのですが逮捕されてしまい、2015年2月6日には1年間の収監という判決が下されました。当時、ネットには他にも核テロでこの大会が狙われているという情報が飛び交っていたにも関わらず、です。
 フルフォード氏はロンドンの裁判に当初は東京からビデオ証言をするつもりだったそうですが認められず、2014年11月17日に直にロンドンの法廷に出廷することを決めました。ですが前の晩に突如、日本の国税庁が税務調査を行うこととなり、フライトをキャンセルせざるを得ませんでした。
 証言を阻止されたフルフォード氏は、2015年12月に法廷へ提出する筈だった陳述書をネットで公開したのです。

 ちなみに“ゾルゲ”とは、第二次世界大戦の東京で暗躍したソ連の二重スパイ、リヒャルト・ゾルゲからとった暗号名みたいです。ただ、シュリンプトン氏に言わせると、元祖ゾルゲの方はヴィルヘルム・カナリス海軍大将が率いた諜報活動機関アプヴェーア所属の三重スパイだったらしく、カナリスこそがDVDを設立したのだとか。
 全く同じ綴りなのでリチャードでもリヒャルトでもいいのでしょうが、多分英語で会話している感じなので、英語式に訳しておきます。「アレクサンダー・ロマノフ」と記したのも、ロシアのアレクサンドル皇帝繋がりかと(※別のところで、新“ゾルゲ”はロシア皇室の継承者を主張しているとか見た記憶が)。
 以前ご紹介した死亡追悼文の「ヴァン・デ・ミーア博士、またの名をマイケル・メイリング医師、またの名を???――本物のジェームズ・ボンド」も登場します。
(Yutika)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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福島原発の核攻撃に関する証人陳述書
転載元)
投稿者:フルフォード

裁判所への自己紹介


日本、東京【在住】のベンジャミン・フルフォードによる証人陳述書

(【イギリス】1967年刑事司法法9条、1981年治安裁判所判決7 70)
1980年治安裁判所法102条

名前:ベンジャミン・フルフォード、またの名を、古歩道ベンジャミン
生年月日:1961年3月19日
住所:東京都武蔵野市吉祥寺東町【中略】...

当該陳述書は、英国当局に対して偽の爆弾話をでっちあげたとして有罪判決を受け、現在上訴中のマイケル・シュリンプトン氏の要請に基づいて作成したものです。

ツイートはシャンティ・フーラが挿入

私は30年間、プロのジャーナリストをしております。ナイト゠リッダー新聞や日本経済新聞、サウスチャイナ・モーニング・ポストといった各社で東京を拠点とする特派員を務め、フォーブス誌ではアジア太平洋支局長を務めました。現在は「週刊地政学ニュース分析」の編集者であり出版者です。日本語でノンフィクションの本を70冊出版しております。

プロのジャーナリストとして、名誉毀損の諸法や事実確認の必要性については熟知して【いるつもりです】。従って以下の陳述書は私の知る限り、そして信じる限り、真実です。

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ケムトレイルについて報じたドイツ公共放送「ドイツ連邦軍の軍用機が気象を操作している」 / カバール企業のアップルは、Siriで盗聴していたことを謝罪した

竹下雅敏氏からの情報です。
 冒頭のケムトレイルについて報じた、ドイツ公共放送の3分弱の動画をご覧ください。ドイツ連邦軍の軍用機が気象を操作していると言っています。
 この動画を見てもなお、ケムトレイルなどというものはなく、単なる飛行機雲だと言い続ける人がどのくらいいるのでしょう。多く人の頭の中では、公共放送が報じて初めて真実になるわけです。歴史学者にとって、公文書が出てきて初めて真実になるのと似ています。
 しかし、現実はと言うと、ほとんどの歴史は陰謀によって作られており、秘密結社が背後でうごめいています。彼らが公文書を残すはずがありません。なので、真実を見極めるには、自分で情報を集め、自分の頭で判断するよりないわけです。
 最後のツイートをご覧ください。「カバール企業のアップルは、Siriで盗聴していたことを謝罪した」とあり、こうしたことも含め、様々な事柄が「新世界秩序」を実現するために行われているとあります。
 “続きはこちらから”は、そのSiriの盗聴に関する記事です。アップルは「Siriが誤動作で起動したせいで、ユーザーが意図しないまま録音されたもの」と言い訳していますが、おそらく嘘でしょう。
 確かフルフォード氏だったと思いますが、スマホの電源を切って何かの商品について会話をした後にスマホを使うと、会話した商品の広告が出てくると言っていたと思います。要するに、電源を切っていても盗聴されているのです。
 支配層の目指す「新世界秩序」は、私たちにインプラントして、人工知能が管理する奴隷支配の世界です。イーロン・マスクのような人たちは、そうした世界の実現のために選ばれた存在なのです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)
 
 
 

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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第3話 ― 明治維新の実働隊形成

 先ず気をつけるべき点を。
 善悪などの相対論で事物を括ると実態が見えなくなります。日米修好通商条約の1858年からわずか10年後の1868年に明治政府が樹立しています。この10年間を切り取るだけでも、大激動の大動乱で様々な出来事が目まぐるしく起きました。
 「倒幕だ」「いや幕府を助ける佐幕が本来だ」「尊皇だ」「攘夷だ」「いや開国だ」と、公家から幕臣、大名、商人そして若者たちが激しく動きました。
 そのそれぞれを大別して「尊皇攘夷」と「佐幕開国」としましょう。このどちらかが例えば「尊皇攘夷」が善で「佐幕開国」が悪とも、逆に「尊皇攘夷」が悪で「佐幕開国」が善であったなどとは括れないのです。
 「倒幕」を主張し行動する人間には、本当にこの国の将来を憂いて自身を犠牲にしてでも道を開かんとした人々もいれば、自身の野心や野望を遂げるのが主目的で「倒幕」を主張した者もいたでしょう。これは「佐幕」を主張する人々も同様です。
 それぞれ見えている風景や考え方や立場の相違で主張とその行動は別となりますが、「倒幕」「佐幕」いずれもがその動機が純粋できれいな心からのものもあれば、どす汚れた野心からのものもあるのです。
 ただ日本全体を巻き込んだ激しい動乱の底流にあったのは、外国勢力からの侵略計画でしょう。結果として見れば維新の志士たちは外国勢力の手駒として実働した人々との見方は成立します。しかしその志士たちが「売国」の徒であったか?と言えばその見方は成立しないのです。
 さて、全体を見通す力があり、外国勢力の動向や動機に気づいた上で、それを利用して自身の野望を遂行しようとした者もいたでしょう。そして同じく外国勢力の動向や動機に気づきそれに乗っかりながらも、その力を取り込み、日本の自立と将来のために役立てようと動いた人々もいたでしょう。
 勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛は一本の線として繋がります。現時点での私の見方では彼ら3名は後者の部類に、日本の将来のため動いていた3名だと現時点では見ています。 
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第3話 ― 明治維新の実働隊形成

朝敵になっていた長州 〜「尊皇」「勤王」の意味


帝国憲法は主に伊藤博文によって作成され、そこでは天皇について「御一身は神聖にして侵すべからず」とあります。尊皇攘夷を叫び、勤王の志士として明治維新を成し遂げた伊藤博文たち長州の志士たち、彼らが天皇を「万世一系にしてこの上なく神聖」と規定したのです。

しかし、逆に彼らほど天皇に対する崇敬の念を持たない日本人はいなかったのでは?とも思えます。幕末期、尊皇攘夷を叫び暴れまわる吉田松陰の弟子たちなどの長州勢は京都を席巻していました。しかし逆に孝明天皇に疎まれ、京都を追放された彼らは遂には実力行使の暴力クーデターを起こします。

それはなんと孝明天皇の長州への拉致等を計画したものからで、これが1864年の「禁門の変(蛤御門の変)」です。京都でのこの戦闘の中で、長州勢は孝明天皇、睦仁親王が住む皇居へ砲弾を撃ち込むという前代未聞の行動を起こしているのです。


結果長州勢は敗退し、孝明天皇から「朝敵」とされ討伐の命がくだされます。孝明天皇の命は当然でしょう。ところが紆余曲折はあったのですが、その明らかな「朝敵」長州が、明治天皇を前面に押し出して新政府を樹立して運営していくことになったのです。彼らは担ぎ上げた天皇を「神聖にして侵すべからず」と最大の崇拝姿勢を見せつけ、それを日本全国民に強制させました。

しかしその崇拝の言動は表に見せる部分であって、内心はどうだったのでしょうか? 彼らのもともとの「尊皇」だとか「勤王」だとかは、天皇を拉致して自分たちに都合よく利用しようとすることで、それがうまくいかないとなれば公然と天皇に刃を向いて孝明天皇、睦仁親王の住居に砲弾を打ち込んでいるのです。

天皇を利用しようとしてそれが叶わないとなれば砲弾を撃ち込むこのメンタリティ、これは危険なテロリストもしくはストーカーのそれでしょう。

「朝敵」の烙印が押されたのが1864年、大政奉還が1867年です。「禁門の変」から見るならば、彼ら長州の勤王の志士にとっての天皇は、担ぎ上げることで都合よく利用できれば「誰だって」「何だって」良かったのではないか? そう思えてしまいます。

尊皇の志士たちにとってまことに都合よく、「孝明天皇は1867年1月崩御」と記録されます。壮健だったはずの満35歳で逝去でした。孝明天皇は最後まで長州に嫌悪を示された様子です。

そして孝明天皇は都合よく崩御されたとはいえ、長州に対する嫌悪は睦仁親王も同様、それ以上の嫌悪感・不信感を持っていた可能性は高いです。幼い時分に受けた精神的な傷は成人になってからのもの以上に大きいですから。伊藤博文たちにとっては睦仁親王もまた邪魔な存在であったのは確かでしょう。

五姓田義松による「御物 孝明天皇御肖像」
編集者註:1900年に描かれた肖像画とは明らかに雰囲気が異なりますが、皇室と密接な関係があり、孝明天皇陵のある泉涌寺の肖像画や、桓武天皇と孝明天皇をご祭神としている平安神宮の肖像画とは似ています。

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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第2話 ― 明治の逆転劇、北朝天皇はありえない

 平気で嘘をつき続る人たちがいます。彼らの特徴は言葉と思いが全く別、おまけに言っていることと実際の行動がアベコベで、支離滅裂なことです。
 彼らのその主張は整合性が全くなく論理破綻していて、それを指摘されたところで平気であって、恥というものを知りません。ビョーキなのです。もちろん安倍一派がこれなのですが、彼らのビョーキは遺伝なのだろうなと感じます。
 明治天皇を担ぎ上げることで明治政府は成立して稼働していきました。明治天皇の前の天皇、壮健だったはずが満35歳の若さで崩御したと記録される孝明天皇は北朝の天皇です。南北朝の争いを経て室町時代中期以降、天皇は代々北朝の天皇なのです。
 ウィキペディアによると明治22年『(旧)皇室典範』制定に当たった伊藤博文は、皇位継承をできるのは父親である天皇の胤を受けた男子とします。その上で大日本帝国憲法第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とします。
 こうなると明治天皇は孝明天皇の胤を受けた息子のはずです。でなければ「万世一系」でも「之ヲ統治ス」も成立しません。睦仁親王が孝明天皇の胤を受けた皇太子ならば、この条件をクリアし「万世一系ノ天皇」となります。そしてこの天皇は当然ながら北朝の天皇となるのです。
 しかし明治天皇は、前回見た「招魂社」の件から見て、そもそも天皇としてあまりにも異質で代々天皇とは乖離しています。その上ましてや北朝の天皇としては全く「ありえない」のです。実際に明治政府が日本国民を統治するために行ってきた数々の事柄は、北朝天皇の日本統治としては完全に矛盾するのです。辻褄が全く合わないのです。
 ある事柄同士が相矛盾し、辻褄が合わない、これは虚偽の特徴です。田布施出身の伊藤博文はその理由までは分かりませんが、意図的に数々の虚偽を押し通してきたのは明瞭です。血縁があるかは不明ですが、安倍晋三氏は伊藤博文と同じく田布施の系統です。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第2話 ― 明治の逆転劇、北朝天皇はありえない

200年間の「朝敵」が神に 〜建武中興十五社の怪


神戸市中央区に湊川神社があります。明治2年にその場所は確保され、社殿は明治5年に完成。明治期最初から全国に設立されていった招魂社と同時並行的に湊川神社は設立されたのが分かるのですが、湊川神社は最初から“神社”として創建されました。この神社の祭神は「楠木正成」です。


楠木正成は朝廷が南北に別れ争った南北朝時代の武将で、後醍醐天皇に仕えた南朝側の武将です。楠木正成は「日本史上最大の軍事的天才」として高名ですが、1336年の湊川の戦いで北朝側となった足利尊氏によって自刃に追い込まれました。その後に南北朝の争いは北朝側の勝利となります。

その結果、楠木正成はどのような扱いとなったかは彼のウィキペディア記事に次にある通りです。

南北朝の争いが北朝側の勝利に終わると、南朝側に尽くして死んだ正成は朝敵とされてしまった。だが、永禄2年(1559年)11月20日、正成の子孫と称した楠木正虎が朝敵の赦免を嘆願し、正親町天皇の勅免を受けて正成と楠木氏は朝敵でなくなった。ただし、この時点では『先祖である朝敵・正成の非を子孫が深く悔いたから』許されたという形式になっており、正成に非があるとする汚名の返上にまでは至らなかった。」

いつの時代でもそうですが、その人物の評価は時の為政者で権力を握った側の都合で決められます。「勝てば官軍、負ければ賊軍」です。朝廷への子孫の嘆願と献金によって正成は約200年間の「朝敵」とのレッテルは外されました。しかし北朝側からすればやはり正成は大悪人です。そして室町時代中期以降の天皇は代々北朝の血統子孫なので、基本的に正成は幕末までは大悪人の扱いのはずだったのです。

ところがそれが明治になると、その元は朝敵であった悪人が一転して大忠臣の大英雄で神として奉られるのです。実は明治の世におけるこの逆転劇は正成だけではありませんでした。湊川神社は明治に次々と建設された建武中興十五社の一つで、ウィキペディアによると「建武中興十五社(けんむちゅうこうじゅうごしゃ)とは、建武中興(建武の新政)に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする15の神社である。」とのことです。

要は明治になると、楠木正成をトップとしてそれまで北朝側にすれば大悪人であったはずの南朝側の皇族や武将を神として奉るようにしたのです。これは政府による国民統治のための施策です。

しかし明治天皇は北朝の天皇のはずで統治権を有していますが、本当に北朝の天皇ならば、国民統治のために敵方であった南朝の皇族や武将を神として奉る神社を創設していくでしょうか?


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小泉進次郎氏「悲観的な考えしか持てない人口1億2千人の国より、将来を楽観し自信に満ちた人口6千万人の国の方が、成功事例を生み出せるのではないか」 ~堂々と日本人削減計画発言

竹下雅敏氏からの情報です。
 記事によると、2016年9月に都内で開催した「ソーシャルイノベーションフォーラム」において、小泉進次郎氏は、「悲観的な考えしか持てない人口1億2千万人の国より、将来を楽観し自信に満ちた人口6千万人の国の方が、成功事例を生み出せるのではないか」と語ったとのこと。ツイートでは、“堂々と日本人削減計画発言”と言っていますが、デービッド・ロックフェラーから、日本の人口を半分に減らせと命令されていたのではないかと思います。
 支配層の頭の中では、未来の労働力はAI(人工知能)とロボットが担うので、ほとんどの人類は、“役立たずの無駄飯食い”でしかなく、戦争その他で削減すべきだと考えていたのでしょう。
 日本は、人口を半分にすることが当面の目標で、労働力のつなぎとして外国人労働者を用いるという考えなのだと思います。そうすると、安倍政権のやっていることが、とてもよくわかります。
 要するに、現在安倍政権を支持している人々というのは、“肉屋を支持する豚”と同じだということになります。
 こうした事がらが陰謀論でないのは、“続きはこちらから”のゆるねとにゅーすさんの記事をご覧になると、よくわかります。冒頭に、トルーマン大統領の言葉が出てきますが、本当に、このように根性の悪い人間というのが居るのです。というよりも、支配層のほとんどが、トルーマンと同じ考え方をしているのです。
 ゆるねとにゅーすさんは、こうした連中の暴走を止めるには、“一般庶民が、このような1%の人間たちの思想や世界観を知ること”と言っていますが、全くその通りだと思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)
 
 
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【正論】年頭にあたり 恵まれた国、未来志向の若者…大いなる楽観が将来を開く 日本財団会長・笹川陽平
引用元)
画像はシャンティ・フーラがツイートに差し替え
日本財団会長・笹川陽平氏(栗橋隆悦撮影)

≪確実に増える未来志向の若者≫
 私はかねて、日本の現状や将来を悲観的に見る知識人の考えに疑問を持ってきた。(中略)… 確かに現状では、将来を悲観的に見る若者の方が圧倒的に多い。内閣府が2013年、日本を含めた7カ国の13~29歳の男女を対象に行った意識調査でも、自分の将来に「希望がある」と答えた日本の若者はわずかに12・2%。
(中略)
 背景には少子高齢化や地方の過疎化、国債や借入金など国内総生産(GDP)の約2倍、1050兆円にも上る国の借金など不安要因の増加がある。毎年1兆円近い社会保障費の膨張が年金や医療制度の将来に不安を投げ掛けている点も見逃せない。
(中略)
 昨年9月に都内で開催した「ソーシャルイノベーションフォーラム」にも全国から2千人を超す若者が詰め掛け、人口減少など、この国の将来について3日間にわたり熱い議論を行った。

 自民党青年局長を務めた小泉進次郎衆院議員も出席、「悲観的な考えしか持てない人口1億2千万人の国より、将来を楽観し自信に満ちた人口6千万人の国の方が、成功事例を生み出せるのではないか」と語り、会場から拍手が起きた。
(以下略)

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