こんにちは、
私たちはプレアデスの9の評議会です。今日はあなた方の世界とあなた方の発達についてお話をしに来ています。
次元上昇に繋がる
イニシエーションの道に入る前に各人 は、自分たちが管理出来る範囲のオーラフィールドをきれいにしなければなりません。このプロセスは層毎に行われます。現在の祝福又はこの惑星に降り注がれ ている宇宙光線の強さに従って、多くの者に対して浄化の程度が増しています。
一人一人の道に沿って の前進を妨げている敷居を占拠している者、
闇の天使たちは、自分の闇に直面し、吸収しなければなりません。闇の天使は、自己の一部分であり、認識されず、 愛されず、忘れられた自己の部分であり、これまでの誤解によって、抑圧され、押さえつけられ、捨て去られていました。
あなた方が自分 の内側にある極性を統合したいと思うようになるまで、あなた方は他者の進む道を助ける事は出来ません。
ここで
”努力”と言うのは、自分の考え方を自分の内側から変えなければならないということであり、あなた方にはただ自分ですることがあるだけだ、とい うことです。
一度自分が新し い光の中にいると見始めると、この感じは他の人々も違う光の中にいると見る方向に拡張され始めます。
他者に対する思いやりと心からの愛の感じが自分という存在の中に浸透し、
あなた方は自分の世界を違うように見始めます。以前はあなた方にとって邪魔だったある事がもはや同じ程度の反応を示さなくなるでしょう。
傷と痛みは、自分の意図で解放しない限りは、あなた方の 肉体、細胞、結合組織深くに埋め込まれ、やがては病気や暮らしの苦難、あるいは将来の暮らしの苦難になって姿を現します。
ですから、これらの絶望と憎しみ、悲しみと恐れの古い影 を解放するように意図し、第7の光線であるバイオレットフレームのようなスピリットの贈り物を利用して、より軽く、成長過程の年月を通じてあなた方にとり ついていたことから自由になったと感じられ始めるまでこれらの影を除去し、流し去るようにして下さい。
変化と変態は長 い時間かかり得ます。それはあなた方の取り組み、あらゆる自己批判と他者からの批判から自分を解放させるとの意志次第です。
多くの人達は非難されるべきは少し遠くに住んでいる人達あるいは
銀行システムを操作している者た ち、政治家を支配している者たち、世界を支配したいと思う嘘つき/泥棒達であると、権威筋の言うことに容易になびいてしまいます。
この種のレトリックは支配、分離、征服のために組み立てら れているのです。何が起きているのかを常に意識して欲しいと思いますが、判断に必要なレベルを上回るようにして下さい。
あなた方全ては、全く新しく、汚れ 無しに初めてここに降りてきたのでなければ、
この惑星上での滞在の間ずっと闇の行為に加わっていたのです。
あなた方がそれ に気付いていないとしても、真実であるとして
ニューエイジの教えを通じて拡散された多くの不真実があります。ですから、大元が何なのか峻別する方法を学ぶ のは、個人次第です。
» 続きはこちらから
ただこれは魂のレベルであって、肉体的な次元で宇宙船で地球に島流しにされたという事ではないと思うのです。実はここのところは、私にもよくわかっていない部分で、いずれ解明したいと思っています。
今、妻が「私たちは誰か偉大な存在の腸内細菌で、水洗でここ地球まで流されて来たのではないか」と言う新説を発表しました。この記事自体が科学的根拠の無いものなので、言ったもん勝ちだというところはあるかと思います。
さて、本文に“体内時計が、1日を25時間と想定して作られている”とあり、このことも根拠として、別の星から地球人は連れて来られたのではないかと言っているようです。しかし、体内時計が約25時間であるのは、月の周期であるためだと思います。月の出は毎日50分ずつ遅れるわけで、月を生活の基準にすると、約24.83時間が体内時計となります。私たちは月のリズムに大きな影響を受けていると考える方が理に適っています。
時計上の時間で生活するようになったのはここ最近のことで、時計が無かった時代にはもっと月のリズムに近いところで生活していたと思うのです。自然の生き物は私たち人間のように、時計上の時間で生活しているとは考えられません。私たちの生活スタイルが様々なストレスや弊害を生み、病気などを作りだしていると思います。
最後に文中の“地球上に自分のいる場所がないかのような心もとなさ”ですが、まさしくこの部分が、地球に人類が閉じ込められている理由だと思います。宇宙は生命にあふれており、あらゆる惑星に人々や神霊が住んでいます。恒星にも神が暮らしています。
ところが人類はこの広い宇宙に私たち地球人しか存在せず、私たち人類だけが最も偉大な存在で、見たこともない唯一絶対神によってその人類の偉大さが保障されていると考えているみたいです。要するに思想的・観念的に自らを完全に孤立させておいて、自然を人類が利用する資源のように考えて、その上で寂しいとか、孤独だとか、自分の居る場所が無いとか言っているわけなので、もはやビョーキもここに極まったと言えそうです。
そして、霊的な世界や神々がはっきりと存在し、私たちを援助してくれていると言うと、理性的でないと言われる始末です。どちらが理性的でないのか、なかなかよくわからないのですが、少なくとも、このように縮こまった意識で決して心を開かない人たちは、地球を卒業してより広い空間へと旅立つことはないのだろうと思います。