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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(45)愛

かんなままさんの執筆記事第45弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(45)愛

すごく美しい風景を見て、

何も考えず、生きる。

心がその瞬間を感じている。

それが、愛です。

出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)


波の音で目を覚ます


波の音で目が覚めました。外は明るくなっているようです。子ども達を見るとまだスヤスヤ寝息をたてています。でも、夫がいません。テントの外に出てみると夫が1人浜辺の岩の上で座禅を組んでじっと海を見ているのです。


夫がそんなことをするなんて想像もできなかったのですが、近づいて行くと「夜が明ける前からここにいるけど、こんなに気持ちのいい朝は初めて」というのです。

後ろを見るとなだらかな丘から太陽が昇ってくるところでした。今日の素晴らしい一日が約束されたかのような神々しい朝日でした。こんな大自然の圧倒的な美しさの中にいると自分の小ささを感じるとともに、その大きな懐に包まれた感動に満たされます。


遊びに来るイルカ


又おいしそうなにおいがしてきました。歯だけ磨いて朝食です。この場所だからなのか、どれもおいしく感じました。と、いきなりスタッフが何かを叫んでいます。「ドルフィン!」と指さす方を見たらたくさんのイルカの群れです。ジャンプもしてくれました。さっそくカヤックを使って海に出る人、泳いでいく人・・・私達もそのままフィンやシュノーケルをつけて海に飛び込みました。

pixabay[CC0]


お姉ちゃん達は自力でついてきます。一番下の子はスタッフが付き添ってくれましたが、一番元気に飛び込んだのは彼でした。泳ぎもできないくせにイルカ見たさに潜ってしまったのです。野生の動物と触れ合うルールはこちらから接近しない。餌をやらないという事です。でもイルカの方から近づいてくるのです。どうも子ども達の事がわかるみたいでひとしきり遊んで帰っていきました。

突然のハプニングにみんな大喜びです。それから毎朝、遊びに来てくれました。その他は一日中何にもすることがありません。ブギボードしたり、カヤックで遊んだり、子ども達はひたすら砂浜で遊んでいました。じりじりと照りつける太陽!その暑いこと!大人は海を見ながら日陰で過ごしている中、一番上の子が穴を掘り始めました。根気よく掘りつづけます。結局何日もかけて大きな穴を掘り上げました。とても満足そうでした。スタッフの子ども達も遊びに来て、その穴の中で仲良く遊んでいました。


大自然の恩寵


スコールが突然やって来ます。その時は一斉に外に出て体を洗います(笑)テントの中が砂だらけにならないように気を付けるのですが、子ども達がいる限り無理だとあきらめました。着替えも必要ありません。濡れた体を拭く必要もありません。朝から晩まで水着1枚です。大きな布さえあれば日差しをよけたり羽織ったり重宝しました。

近くに古代の神殿のような遺跡がありました。歩いて行くと小高い森の中にひんやり佇んでいました。ここは水着ではだめという事で布を巻いて行きました。ハワイ原住民の遺跡で信心深く自然を崇めていたとのこと。この場所にはこの場所の神様がいらっしゃるのだと神聖な気持ちになりました。「お邪魔します」と言いました。

Author:Carol Highsmith[Public Domain]


ある時、誰かが近くのショッピングモールに行ってみようかと言い出しました。お金はすこししかもっていません。でも少し都会の風も懐かしくなってきました。

水着の上にTシャツを着こんで出かけました。足はビーサンです。ちょっと気取った気分でしたが乗るのは荷台。ところがいきなりスコールです。それも強烈な!もちろん逃げ場もなく全員びしょ濡れで笑うしかありませんでした。後ろを運転しているおじさんも私達が濡れながら大笑いしている姿を見て笑っていました。

荷台から降りてきたのは紛れもなく浮浪者!近くをおしゃれした日本人の観光客が通りますがその違いに可笑しくてたまりませんでした。欲しいものはありませんでした。

隣のテントのマヌさんは愉快な人で、タコ釣名人でした。浜辺から長い糸を垂らしてタコを釣るのです。そしてバーベキューして醤油を付けて振る舞ってくれました。小錦に似た人で夫にマッサージもしてくれました。

美味しい食事とハワイアンのギターと歌声、そしてフラ。その上、毎日どこかに虹が出ました。潮の音を体で感じながら寝るのが心地よく、感覚がどんどんクリアになっていく感じがしました。夫も毎朝浜辺で瞑想をして朝日を拝み、海と遊び、イルカと戯れ、星降る夜空を眺めて眠りにつく…そんな毎日でした。


本当に信じられないくらい豊かな7日間でした。気が付けば一度も子ども達を叱ったことがありませんでした。叱る必要がなかったのです。ケンカもしません。仲良く遊んでいます。私たちに必要なのは、急かされることなく自由である事。自分の感覚を総動員しても有り余るほどの豊かな自然がある事だと気が付きました。その事を体が先に感じて呼吸が深くなり、緩み、感覚が研ぎ澄まされてエネルギーもチャージされていきました。自然はこんなに私達を愛してくれている。無条件に、主張もしないでと思いました。

どうして日常でこの環境を作れないのでしょうか?生きるためには必要不可欠のものです。でも、私達大人は忙しすぎて自分を無くしてしまい、この大自然の恩寵を忘れてしまっているのです。この同じ時間に地球に住んでいるほとんどの人は時計に縛られ自分を無くしています。自然はいつもそこに在るのに私達が勝手に切り捨ててしまっているのです。何と愚かな!

悲しいことに7日間はあっという間に過ぎてしまいました。帰る日、計り知れない愛がここに在ることに気づかせてくれた美しい自然に感謝するとともに、日常の喧噪のなかに戻らなければならないという悲しさでいっぱいになりました。私に何ができるのだろうか・・・。


日常の喧噪


又、来た道をピックアップトラックに乗って帰りました。着いたのは近代的なホテルです。部屋に入るときれいなベッドがありました。すぐにシャワーを浴びました。子ども達が「お湯だ―!お湯が出るー!」と興奮しています。ベッドに寝ては「砂がない!」と感動しています。確かに快適です。久しぶりにバスタブに入って贅沢な気持ちになりました朝までの生活が夢のようです。

我が家に戻ってきました。子ども達は翌日から学校です。飛行機が着陸するころからため息をついていました。私も夫もため息です。子ども達はひときわ日焼けして運動会の演技をこなしていました。しっかり充電して来たので集中力が違います。

困ったのは私です。この喧噪に感覚が追い付かなくて苦しくなったのです。両親達も運動会に来るのでお弁当を作らなければいけません。夫は早速ゴルフです。運動会が終わった後ストレスで体が動かなくなってしまいました。電話の音、車の音でドキドキ、何をするのも緊張して自分のペースがわからなくなって寝込んでしまいました。思い出すのはあの海の潮騒。でも私が暮らしているのはここです。

pixabay[CC0]


ただ、人間も自然の一部だという事を肝に銘じ、自然から受けている恩寵に感謝して破壊しない生き方をしたいと思いました。そして、これからも子ども達にその機会を与えていきたいと思いました。

子ども達は今でも、あの時のキャンプが一番楽しかったと言います。何より自由だったと。
でも、周りの人に旅の話をしても誰一人「いいね、行ってみたい!」という人はいませんでした(笑)

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
かんなままの子育て万華鏡はこちら


[第49回] 地球の鼓動・野草便り 帯が電磁波防止に?


帯が電磁波防止に?

日本の美の結晶とも思える着物なのですが、最近はリサイクルショップで値打ちのある帯や着物が安く売られています。


実は、金糸銀糸プラチナなどをふんだんに使った帯などが、電磁波防止になるのではないかと思っています。

アルミホイルでかなりの電磁波が防止できるという時事ブログの記事を読んで以来思っていたのですが、さらに最近紹介されているオルゴナイトって、たしか有機物と無機物を組み合わせるとオルゴンエネルギーが誘発されるのだとか・・・絹糸に金や銀(アルミ)を蒸着した糸を使った帯や着物はまさに、有機物と無機物・・・??と単純な発想ですが・・・。

そういえば、ピヨちゃんマーラーにも金色と銀色の糸が使われていますね。


(参考:金銀糸の原点、「本金糸」とは(京都府城陽市)

高度な技術に優れた自然素材、自然豊かな環境で培われた感受性の高い日本人の美意識が育んだ美術品とも言える着物や帯が、最近の着物離れで、古着とはいえ、わずか五百円や千円で売られているのです。それが、電磁波防止にも使えるとしたらありがたいことです。こんなに素晴らしい遺産を子孫に残してくれたご先祖様方に感謝です。

帽子の内側に縫い付けたり、ベストにしたり、携帯入れやパソコンカバー、こたつカバー、電化製品カバーなど、色々に使ってみたいと思います。今のところシンプルなパソコンカバー程度ですが。

若い時に着物に憧れて、着付けを習得して、成人式の着付けをしたり、高校の家庭科の授業で浴衣実習をする団体に所属していました。それで着物に触れる機会も多く、その価値の高さを知る機会も多かったのです。お陰でリサイクルショップで品質を見分けることが多少できるので、中には昔の質のいい着物や帯を見つけることがあります。

もちろん現在も新しい着物や帯は作られていて、購入すれば、伝統産業も守られるのですが、庶民には高値の花?です。
とはいえ伝統的な職人技が受け継がれるよう、地域の特産として、後継者が育っている地方もあるようです。
(参考:牛首紬本場奄美「大島紬」結城紬友禅染

各地で特色ある綿絣などの多くは消えてしまったのではないかと思います。着物に限らず、桶職人、茅葺き職人、いろいろな分野で貴重な技が伝承されれば良いのですが・・・。要は私たち消費者が、高くても本物志向の選択を・・・でしょうか。

着物の柄は野草や自然に通じるものがあり、大胆で洗練された自然美を追求したものが多く大好きです。

着物は健康面でも優れていて、例えば足首を締めないので体に良い足袋(タビ)のコハゼ、着物の前側の打ち合わせ部分は二重になっていて、お腹などの大切な部分を冷やさず、体型の変化にも自在に合わせられ、衣紋や身八つ口(脇)で暑さ調節もでき、姿勢が良くなる帯など、随所に知恵が込められています。

ただ、着付けが簡便な洋服の方が、忙しい現代には合っているのかもしれませんが、着物にも袴など簡易な着付けもあり、神楽衣装の馬乗り袴や旅装束など、動きやすくて着やすそうです。

本当はもっと自由な着付けで、日常生活に和服を着用できればと思います。
というわけで、貴重な帯や着物になかなかハサミが入れられないのです。今のところ仕立て屋さんから頂いた帯の切れ端がたくさんあるので、それを利用しています。着物は裾と袖を短くして紐をつけ、割烹着を何枚か作りました。ウールと絹の混紡や単衣(ヒトエ)の絹の紬などで簡単にリメイクできて、意外とジーパンにも合います。


もうすぐ3月で、植物たちも春の準備をしているのでしょうが、雪が多く野草たちを探せません。

畑の野菜も雪の下で、こんな時はシソやエゴマの穂、菊芋の醤油漬けや、キャベツ、高菜、白菜、大根など、いろいろなお漬物があるとありがたいですね。

yasou
自然賛歌

雪の朝

雪の結晶



ソヨゴの実


松ぼっくり



孟宗竹

雪折れ桜



石楠花(シャクナゲ)の蕾



沈丁花(ジンチョウゲ)の蕾


ヒサカキの蕾



雪笹





■ 参考文献

イー薬草・ドット・コム
「大地の薬箱 食べる薬草事典」 村上光太郎/著 農文協
「カラダ改善研究所 自然のチカラいただきます」中村臣市郎/監修 西日本新聞社



ライター

ニャンニャン母さんプロフィール

ニャンニャン母さん

プロフィール:1955年魚座生まれ、広島の県北 中山間地域在住、
体癖はおそらく2ー3種

20代の頃「複合汚染」有吉佐和子/著 を読んで、食の環境悪化を考えた時、野草を食べることを思いつき、食料としての野草研究を始める。
全くの素人ながら、健康住宅の設計事務所に入社し、健康住宅を学ぶ。
残された人生と限られた時間について気付かされ、仕事を辞め、自給自足を目指す。
平成22年頃、古民家を借り、Iターン。野草教室を開催。
「古民家カフェ・むす日」「山のくらしえん・わはは」「クリエイティブ・アロマ」等にて野草教室。

現在、野草好きになった87歳の母と、無関心な33歳の長男と猫3匹と暮らしています。

[Twitter]詩 『今日』ニュージーランド詠み人知らず

読者からの情報です。
おかあさんの辛さ愛で肯定する、素敵な詩です。

ツイットにある様に
現在ネット上では、
『おかあさんだから』と言う歌詞(元おかあさんと一緒のうたのおにいさん横山だいすけ氏の新曲)
が賛否両論で炎上しています。

作者の のぶみ氏(絵本作家)が
https://mobile.twitter.com/NrsSJlmPulCyhGZ/status/960378457812123648
上記ツイットでネット上で募集した、ある意味恨み節集めでできたから、
波動低くて読む気にならない訳です(苦笑)
歌詞全文
https://mobile.twitter.com/Chitose1021/status/959984455988457472/photo/1

(メリはち)
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配信元)

※これは、作者不詳のニュージーランドの詩を、作家の伊藤比呂美さんが翻訳されたものだそうです。

かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(44)豊かさを感じる

かんなままさんの執筆記事第44弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(44)豊かさを感じる

大切なことは「何でもない自分が豊かである」ということがわかることです。

何も余分なものを持たなければ、「自然が美しい」と感じる心があることがわかります。それが心の豊かさなのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)


あわただしい毎日


今から22年も前、上の子が中学2年、下の子が小学2年生の頃のお話しです。毎日朝5時に起きてお弁当を作り、順に身支度をさせ、送り出したと思ったら掃除洗濯、食事の用意、学校から帰ったらクラブやおけいこ事の送り迎え、追い立てるように食事、ふろ・・・宿題まで手が回らず教えてあげた記憶がありません。

pixabay[CC0]


子ども達も、学校というレールに乗り、あわただしい毎日でした。我が家の鉄則は一緒にご飯を食べること。一緒にお風呂に入ること。寝る前に絵本を読むことでしたが、子どもの成長と共に叶わなくなり一緒に過ごす時間も減っていきました。とにかくバタバタと時間に追われて過ぎていく毎日で、時々家族で映画を見に出かけたり、外食するのが息抜きでしたが満たされないものが溜まっていきました。

無性に自然の中に身を置きたくてたまらなくなりました。夫まで診療中に波の音が聞こえる(笑)と言い出す始末です。


ハワイでのキャンプのお誘い


そんな時、私の知り合いからハワイでキャンプするツアーを企画したから行かないか?と誘われたのです。彼はアメリカ人の舞台演出家で日本に能を学びに来ていたのです。うちの子達は彼の事をサンタのおじちゃんと言ってなついていました。聞けば9月の7日間海岸でテントを張って過ごすというのです。あまりにも唐突でびっくりしましたが、大自然の中に身を置きたいと思う気持ちは高まるばかりです。

とうとう夕食の時に切り出しました。「ねえ、ハワイでキャンプするっていう話があるんだけどどう思う?砂浜で好きなことして一日中遊んで夜はきれいなお星さまを見て、波の音を聞きながらテントで寝るのよ」と言いました。「え?それってずーっと遊べるの?」「行く!」夫は「行きたいけど仕事があるし」「休めばいいじゃん」「え?」「そうだよ。そうしよう。自分で休むって決めるのよ」・・・となぜかこんなことを簡単に決めてしまう我が家なのです。何と10日間医院を休むことにしました!もちろん学校も休み!

pixabay[CC0]


問題は学校でした。何と帰国した2日後に運動会とのこと。本来は猛練習して本番に臨みます。先生は困った顔をされましたが我が子のミラーニューロン(模倣力)に頼るしかありません。

待ちに待ったその日がやって来ました。ハワイの友達が「そんなところに子ども連れでキャンプするなんて危険すぎる!」と驚いていました。それが常識だなと思います。サンタのおじさんを信じるしかありません。

さて、ハワイのホテルで待ち合わせです。5組が参加していました。兄弟、親子、友達、夫婦の参加で子連れの参加は私達だけでした。そこは立派なホテルでしたが、ここに荷物を預けて帽子、水着とタオル、ゴーグル、フィン、シュノーケルだけ持って行くようにと言われました。

要するに服も靴も化粧道具もいらないというわけです(パスポートだけは持って行きます)。その格好で外に出るとバスではなくピックアップトラックが待っていました。皆その荷台に水着のまま乗って、まるで今から収容所に護送されるかのようでした(笑)。海岸をバンバン飛ばして連れて行かれたのは名もない行き止まりの海岸でした。観光客は皆無、だれ一人いません。

でも、目の前に入り江があって青い海がずうーっと広がっています!その後ろには緑の小高い丘。一目で気に入りました!砂浜には5張のテントが用意されていました。一番大きいテントが我が家です。でも隣に何だか変なテントがあります。なんとそこにはホームレスのマヌさんが住んでいました。交通事故に遭って海で治療しているのだとか(笑)

pixabay[CC0]


さあ、今から7日間、ここで過ごします。トイレはかろうじて道の上に1つありました。水なし。毎日運んできてくれるのですが貴重品なのでシャワーなしです。メインテントで食事を作ってくれるようです。なんだかドキドキしてきました。本当に何もないのです。でも目の前に広がるきれいな海!たっぷりの時間!何より心が躍りました。


全てを忘れて、ただただ感動


海でのんびり過ごしていると、何と夕日が目の前の海に沈んでいくのです!真っ赤な夕日が水平線に沈む様がこんなに美しいとは!顔も赤く染まり光の道の中に自分も入っているような感覚でした。みんな黙って眺めています。感動とともに私の体がゆっくり緩んでいくのがわかりました。見ると子ども達も幸せそうな顔をしています。いつの間にか野良犬たちと仲良くなっていました。

pixabay[CC0]


日が落ちて松明が焚かれました。まわりは真っ暗で人工的な明かりはありません。満天の星でした。カナダに住んでいた頃、カナダの北端にあるインデアンの島で仰いだ空を思い出しました。無数の星がまたたいて流れ星があちらこちらに流れていく様をこの世のものか?と飽きずに眺めたことがあります。私達はこんな星に住んでいて、宇宙にも無限の星があり、みんな繋がっているという不思議一体感に浸ったことが蘇ってきました。

美味しいにおいがしてきました。このキャンプは何もないけど3食ともオーガニックのベジタリアンフードが用意されているのです。料理はどれもおいしく、会話も自然でした。目的は一緒。話しこまなくても分かりあえる人達でした。

後ろの丘から月が上がってきました。満月です!忙しさの中でそんな事すら忘れてしまっていました。その上、大きな月輪がかかっています。何だかこの旅を選んで正解!と神様から言われたような気がしました。

pixabay[CC0]


現地のスタッフがギター片手にハワイアンを奏で始めました。もう一人のスタッフが自然にフラを踊りだしました。なんて心地いい音と踊りなのでしょう!そして心地よい風!サンタのおじさんが何処からともなくバケツを拾ってきて棒に紐を張り、なんと即席のベースを作って弾き始めました。夫もおどけて弾きました。子ども達もフラを真似たりして学校のことなどすっかり、まったく、完全に忘れてしまいました。

やがてそれぞれのテントに行き、眠りました。今何時なのかもうわかりません。寝ているとすっかり仲良しになった野良ちゃんまでテントの中に入ってきて娘達と一緒に寝息を立てています。その臭い事!でも、私達も足は砂だらけ、毛布も砂だらけ、慣れるしかありません。

私はこの展開に感動しすぎて寝付けませんでした。ただ波のざざーっという振動が体に響いてきます。ああ、信じられないけど、ここはハワイ。いつもなら子どもを急かせている時間かも。海の神様、しばらく一緒に過ごさせてくださいと祈りました。いつの間にか全員眠りに落ちていました。

つづく

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
かんなままの子育て万華鏡はこちら


「苦海浄土」石牟礼道子さん死去 〜 患者の魂を言葉に

 石牟礼道子さんの訃報が伝えられました。天上の様に美しい水俣の海が傷つけられ、弱い存在から次々に犠牲となってゆく様を見てきた女性が、その弱い犠牲者の、なおも清らかな魂に耳を傾け、神に捧げる様な作品を生み出してこられました。正視するのも辛い患者さんの姿の中に、命の尊厳を確かに見て世の中に伝えてこられました。そして、近代化の波の中で経済を優先し、生命を虐げるもの達に対し、静かに強く戦ってこられました。厳しい現実に向かいながらも、可憐で「妖精の様な」美しさを失わない方だったそうです。
 311の後、再び「苦海浄土」が多く読まれたと聞きます。
痛めつけられてもなお、深い悲しみの中から美しく蘇る自然、地球が見えてくるのでしょう。
 ご冥福をお祈りします。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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石牟礼道子さん死去 水俣病を描いた小説「苦海浄土」
引用元)
 水俣病患者の苦しみや祈りを共感をこめて描いた小説「苦海浄土」で知られる作家の石牟礼道子(いしむれ・みちこ)さんが10日午前3時14分、パーキンソン病による急性増悪のため熊本市の介護施設で死去した。90歳だった。 (中略)
68年には、「水俣病対策市民会議」の設立に参加。原因企業チッソに対する患者らの闘争を支援した。
 水俣病患者の心の声に耳をすませてつづった69年の「苦海浄土 わが水俣病」は高い評価を受け、第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、「いまなお苦しんでいる患者のことを考えるともらう気になれない」と辞退した。
(以下略)
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「花びら供養」より
きよ子は手も足もよじれてきて、
手足が縄のようによじれて、
我が身を縛っておりましたが、
見るのも辛うして。

それがあなた、
死にました年でしたが、
桜の花の散ります頃に、
私がちょっと留守をしとりましたら、
縁側にころげ出て、縁から落ちて、
地面に這うとりましたですよ。

たまがって駆け寄りましたら、
かなわん指で、桜の花びらば拾おうとしよりましたです。
曲った指で地面ににじりつけて、肘(ひじ)から血ぃ出して。

「おかしゃん、花ば」ちゆうて
花びらば指すとですもんね。
花もあなた、かわいそうに、
地面ににじりつけられて、

何の恨みも言わじゃった
嫁入り前の娘が、
たった一枚の桜の花びらば拾うのが望みでした。

それであなたにお願いですが、
文(ふみ)ばチッソの方々に書いて下さいませんか。
いや、世間の方々に

桜の時期に、花びらば一枚、
きよ子の代わりに拾うてやっては
下さいませんでしょうか。

花の供養に


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