重なる立ち退き話
突然、県土整備事務所から電話がかかりました。「お話したいことがあるので伺います」とのこと。
実は、県の道路計画で自宅と病院が道路にかかるので移転を余儀なくされているのです。5年前の話
ですが、代替地としている場所の
工事が全く進まないので暗礁に乗り上げています。
今年度初めに県からの説明を受けましたが、だんだんトーンが下がってきて、これから10年は動かないだろうと言われてしまいました。
夫は年を取るばかり。
病院も雨漏りをはじめ修理が必要になっていますが移転の計画があるために大掛かりな工事ができないままです。
「計画はなくなっていないので移転は確実です」と言われつつ、新たな候補地は見つからず、いったいいつになるのやら。祈りながら待つしかない・・と自分に言い聞かせながら過ごしていました。
でも、決まらないままの保留ってエネルギーが要ります。
心のどこかに落ち着かない感情が生まれます。なぜ落ち着かないのか?問うてみると私の中に欲があるからです。新しい土地を探すとなったら条件をいろいろ考えてしまいます。神様に祈りながら条件を付けている私です。
もう、考えるのをやめよう。精進して、ご縁を待とうという気になっていました。
話を元に戻しますが、県土整備事務所からいつもの担当者が来られました。しかし、その説明を受けて絶句しました。
何と、10年前に山の古民家を買ってリノベーションしていた家が道路にかかるから立ち退きしてくださいと言われたのです。
築150年の家。湧き水も出て畑もあります。最近、道路前の山林を譲り受けて駐車場もできました。10年たったので外壁を塗る工事をしているところでした。
隣に蛍の飛び交うせせらぎがあります。孫たちもここに行くのを楽しみにしていました。友人も一緒に畑をしながら将来の生き方を話していました。
この拠点があったから家の立ち退きも受け入れていた部分があります。
聞けば5年後には立ち退きだそうです。こちらの方が早くなりそうです。笑い飛ばせるものなら笑いたい。でも私の肩にもう1つ重いものが乗った気持ちです。
私は自分を観察しました。「その感情はあなたの今の状態。素直に出して、出した後に整理しましょう」と別の自分が言っています。
涙が出てきました。泣くのは今だと思いました。でも、
一緒に話を聞いていた夫が横で「しょうがない。どうにかなるさ」と言ったのでイラっとしました。
今まで5回引越ししましたが、仕事を理由にほとんど手伝わなかった夫。引越しの大変さを知らない夫がケロッと言うのに怒りがこみあげてきたのです。「あなたとはこの気持ちを共有できない。今は何も言わないで!私が傷つくから」と言ってしまいました。
それを言いながら
「言ってしまったねえ、でも、そう思っているのはあなた。あなたの問題なのだけどね。
自分に向き合わない限り問題解決しないよ」と別の自分の声が聞こえてきます。
こんなことで夫婦喧嘩する必要がないのはわかっています。
気を取り直して、夫と山の別荘に行きました。まだまだ寒い日々ですが春の芽吹きが始まっています。家にも庭の木々にも畑にもこの話を伝えて「
愛しています」「
ありがとう」と言いながら又涙が出ました。
農水省が作ったたたき台に、経産省、食品企業、日米合同委員会、世界経済フォーラム、そして竹中平蔵氏が、好き勝手に希望を盛り込んだような法案になっています。