Q.いよいよお父様が退院されて、自宅での介護が始まりました。その頃の様子はどうでしたか?
始めは、良い手助けをしようと一生懸命に考えて、
父の身体のために良いと思う食事を作り、残尿を取り、お風呂を見守り、ストーマの袋の取り外しや取り付けの
お手伝いをし、訪問看護への対応、病院受診の付き添いをしてがんばりました。
ちなみに残尿は退院してすぐに正常な範囲に戻り、カテーテル無しでも大丈夫になりました!
退院後に始まった
訪問看護では、血圧・脈・体温・酸素量の測定に加えて、近況報告の聞き取りがありました。専用のノートに測定値と、簡単なメモ(メッセージ)などを記入して下さり、
父本人の状況を共有するのに役立ちました。
訪問看護の聞き取りは元気よく!?
退院後、私が
父のために考えた食事は、秋川牧園さんの野菜を使った野菜料理でした。
父の免疫力をあげる為には、
なるべく無農薬・無化学肥料の野菜や放射能汚染の心配の少ない材料を使い、添加物を多く含むもの、遺伝子組み換えの食品も避けたいと考えました。
父は、311以降も毎日魚を食べていて、放射能大丈夫かな…と常々不安に思っていました。
すでにある癌が暴れないようにする為には、この際、東城百合子さんの「自然療法」を参考に食事を変えた方が良いかしら、良い「気」が通っている食べ物を選ぶことや、食事を
ガヤトリー・マントラで浄めるなど、できるだけ自分なりに努力することで、父の身体は変わるのではないかなとも期待しました。
でも、、父は、それまでとはずいぶん違う食事に戸惑ったようでした。
父は本当に魚が好きでしたので、それが全く無い献立は不満だったのだと思います。
また、
父は元々几帳面な性格で、一度決めたことはキッチリやる人でした。自分のことは自分で出来るし、料理も自分と母の分まで作っていました。毎日血圧を測ってはメモし、トイレの度にお茶を飲むなどマメな人でした。
退院後も、そうした生活の「きまり」は果たそうとします。
それまでの習慣通り何時間も休みなく庭掃除をしたり、いくつもの大きな金魚鉢の水換えをしようとします。
そばに居る私にすれば、フラフラして
危なかしくて見ていられないので、いつもいつも止めていました。でも父は、疲れても途中で止められない性格。毎日、頑張りすぎて具合が悪くなる、の繰り返しです。
なので、
いつも最後にはケンカになるパターンでした。
一歩間違えたら死ぬよ!というようなことを何度説明しても、理解して貰えなくて苦労しました。
普段は薦めても全然散歩などしないのに、ある時、徒歩15分以上は掛かる散髪屋さんに、一人で歩いて行こうとしたこともあります。
転倒したら本当に大変なのに。。
それに、動きすぎるとストーマ(人工肛門)の袋が破れてしまうのも困ったことでした。
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今年の「桜を見る会」の前夜祭で、ホテルニューオータニの「鶴の間」で、歌を披露したシャンソン歌手のケイ潤子さんのブログがあります。記事には会場の写真もあります。
サイダーさんのツイートによると、この「鶴の間」は、“貸切は約900万円”だということです。下の動画をご覧になると、確かに担当者が900万円だと言っています。前夜祭の会費5,000円で850人では、会場費用も出ません。
政治家のパーティーで1,000人集まるというのは、ざらにあるでしょう。うちも5,000円でやってくれと言われれば、ホテルニューオータニ側は断れないということですよね。
口裏を合わせたのはいいが、今後ホテルとしては立ち行かなくなるのではないかという気がするのですが、それを一番感じているのは、お友達の今井敬氏なのかも知れません。