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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第26話 ― 政府紙幣
三岡八郎(由利公正)という人物 〜坂本龍馬の刎頸の友
「箱コネマン」さんのツイートのプロフィールには次のようにあります。
坂本龍馬は由利公正の明治政府紙幣「太政官札」発行の黒幕として、後に民営会社「日本銀行」の大株主となるロスチャイルド家(兵器会社ジャーディンマセソン商会、グラバー商会を傘下)に暗殺されたなど、史実を暴露するぜ!
坂本龍馬は言わずと知れた維新の最英傑ですが、由利公正を知っている方は少ないと思います。ところが、実は坂本龍馬が暗殺される少し前、坂本龍馬が越前藩(福井)の宿で昼夜を問わずに、今後の日本の行方に関して熱心に会話と議論を交わした相手が三岡八郎、後の由利公正なのです。
慶応3年の今日(11月2日)、龍馬と由利公正が、福井の「莨屋」という旅館で会談します。龍馬暗殺まで残りあと2週間というタイミングです。大政奉還が成った直後、龍馬は京から福井に向かいます。「新政権で財政を任せられるのは由利公正しかいない!」という“確信”が、龍馬を福井に急がせたのです。 pic.twitter.com/p7XvgHwUOb
— 幕末ジャーナリスト:幕末歴史研究 (@kuni_s47) November 1, 2018
ウィキペディアの「坂本龍馬」の記事に次のようにある通りです。
後藤象二郎の依頼で、慶応3(1868)年10月24日に山内容堂の書状を持って越前へ出向き、松平春嶽の上京を促して三岡八郎(由利公正)と会談したあと、11月5日に帰京した。帰京直後に三岡の新政府入りを推薦する後藤象二郎宛ての手紙「越行の記」を記し、さらに11月10日には福井藩士・中根雪江宛てに三岡を出仕させるよう懇願する手紙を記している。
龍馬が暗殺されたのは、この「三岡八郎を新政府の要職に!」という懇願の手紙を出した5日後の11月15日(旧暦)のことです。龍馬の懇願もあり、三岡八郎(由利公正)は参与として、つまり官僚のトップとして明治新政府の財政を担当することになります。龍馬が惚れ込んだ三岡八郎(由利公正)は福井藩の財政を興隆させた文武両道の人物のようです。
江戸後期から末期、ほとんどの藩は財政的に激しい疲弊状態にありました。福井藩も同様です。その中で三岡八郎(由利公正)は藩の財政再建をかけて殖産興業を、より具体的には養蚕興業に取り組みます。その絹糸の貿易を外国と行い収益をあげ、福井藩は財政的には最も裕福な藩となります。
実際に勝海舟が神戸海軍操練所を設立する当たっては、「海舟は塾の資金調達のため龍馬を越前(福井)へ派遣、以前から親交のあった越前福井藩主松平春嶽から5千両を借りることに成功しました。」(日本銀行 高知支店HP)とのことです。
また慶応4(1868)年3月14日、天皇が天地の神々に誓うという形式で宣布された明治新政府の基本方針が五箇条の御誓文ですが、この明治新政府を船出させた五箇条の御誓文の原文が三岡八郎(由利公正)が起案した「議事之体大意(ぎじのていたいい)」五箇条です。
慶応4年(1868)3月14日、新政府の基本方針である「五箇条の御誓文」(画像)が発せられました。その草案にあたる「議事之体大意」を著したのは、福井藩出身で当時新政府の参与であった三岡八郎(由利公正)です。御誓文の「万機公論に決す」の文言などに、草案が活かされています。(続く pic.twitter.com/sTOU1jRwBj
— 国立公文書館 (@JPNatArchives) March 13, 2018
更にこの「議事之体大意」五箇条の基にあったのが龍馬の「船中八策」であり、「議事之体大意」は明治新政府を起動させるため、三岡八郎と坂本龍馬で練られた案だったようでもあります。坂本龍馬と三岡八郎は「刎頸の友」とも表現できる関係だったでしょう。
お金が枯渇していた明治政府 〜明治政府の行動の裏にあったもの
三岡八郎がその財政のトップとして始動した明治新政府でしたが、明治新政府は財政難以前の問題というぐらいに兎に角お金が無かったのです。明治になって新暦が、それも相当に強引な形で採用されるのですが、これについてウィキペディアの「明治5年」記事に次のようにあります。
明治維新早々に財政難を起こしていた明治政府が、官吏(役人)に対する13か月分の俸給の支払いを免れたかった事が背景にあるとされる。
補足:なぜ改暦を急いだか
— 今日は何の日 (@kyouhanannda) December 8, 2019
当時、明治政府は逼迫した財政に頭を悩ませていた。閏月が無くなる上に、明治5年12月分の官吏の月給を支払わずに済む改暦は正に一石二鳥だった。
なお太政官布告第337号は現在でも法令として機能しており、我々が今太陽暦を使用している法的根拠と言える。 pic.twitter.com/8yTkgV1rjS
明治政府には官吏に払うお金さえ無かったのですが、日本そのものにお金がなくなっていたのです。江戸時代を通じてですが、江戸末期には特に大量の黄金が海外に流出しており、日本に金銀がなくなっていたのです。
明治新政府は徳川埋蔵金を当て込んでいたようでもありましたが、埋蔵金はどうしても発見できませんでした。徳川埋蔵金に当たるであろう黄金70万トンは、どうも明治天皇、即ち大室寅之祐がスイスの山中に運び、隠匿させてロスチャイルドのBISとFRBに預けたのは事実のように思えます。お金のない新政府側は最新の軍備を備え、戊辰戦争を勝利するため英国ロスチャイルドから莫大な借金をしていたのです。
この財政難と借財が、そして「富国強兵」の夢が後の日本に悲惨な事態をもたらせます。21話に記していますが、「富国強兵」を夢見る福沢諭吉は「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可すべき」という指示を天皇に与えた模様です。
そして2019/08/09の竹下さんの記事によれば次のような事態となった模様です。
福沢諭吉のアイディアに、天皇一族が飛びつき(中略)...“1900年初頭から(中略)...天皇一族によりだまされ「売春婦として欧米に販売された」日本人女性の数は数十万人”に上るとのことです。
福沢諭吉の正体
— 𓉤箱コネマン𓁷 (@HAKOCONNEMAN) December 15, 2019
渋沢栄一が新一万円札の理由 pic.twitter.com/Jo8Td0Idcl
70万トンもの莫大な金塊が日本にあれば、ロスチャイルドから莫大な借財をする必要も無かったでしょう。しかしそれにも関わらず、明治天皇は70万トンもの金塊をロスチャイルドに預けておきながら、明治政府にロスチャイルドからの莫大な借財をさせています。そしてあまつさえ日本の乙女たちを売春婦として欧米に販売させているのです。
日本が大陸に進出していった理由も同様に、莫大な借財がその裏にありました。なぜこのような支離滅裂とも見受けられる政策を明治天皇が進めさせたのか頭を捻りますが、これは明治天皇が霊能でその指令をうけていた「教旨」によるのでしょう。
さて、このような明治政府の滑り出しにその財政を担ったのが三岡八郎なのです。新政府の構成メンバーはほとんどが薩長を中心とした軍人ばかり。財政の相談をする相手も皆無に近い状況。その中で、新政府を発動させるために三岡八郎が執った施策は、政府紙幣の発行です。
「太政官札」発行の事実 〜故丹羽教授の視点
三岡八郎(由利公正)が発行させた政府紙幣が「太政官札」です。ウィキペディアの「太政官札」記事では概要に次のようにあります。
明治政府は戊辰戦争に多額の費用を要し、殖産興業の資金が不足したので、参与兼会計事務掛三岡八郎(のちの由利公正)の建議によって慶応4年5月15日(1868年7月4日)の布告により、「通用期限は13年間」との期限を決めて太政官札を発行した。総額4,897万3,973両1分3朱製造されたが、実際に発行されたのは4,800万両であり、97万3,973両1分3朱は発行させずに焼却した。
この政府紙幣は福井藩の和紙が使われます。紙幣に福井の生糸技術が生かされたのです。
太政官札(金一両札、慶応4年発行)
Wikimedia_Commons [Public Domain]
「太政官札」は不換紙幣です。リンカーンが発行したグリーンバックスと同じで、金や銀との交換を不要とした紙幣です。ということは金本位制や銀本位制といった金や銀が紙幣の価値を担保するのではなく、「太政官札」の価値の根拠は基本的にはグリーンバックスと同様に「政府に対する信用」です。政府通貨の根拠は「国富」なのです。
当時の明治新政府は当然ながら非常に不安定なものでした。それもあり「太政官札」に対する評価はネガティブなものが多いです。「太政官札」記事には「国民は紙幣に不慣れであったこと、また政府の信用が強固では無かった為、流通は困難をきわめ、太政官札100両を以て金貨40両に交換するほどであった。」と記されるような具合にです。
しかし太政官札が、極めて不安定な明治新政府を発動させ、徐々に安定的に運営させるための非常に大きな力になっていたことも紛れもない事実です。
シェイブテイルさんがまとめています。
— tasan@日銀がお金を作れど、政府は流さず (@tasan_121) September 28, 2019
「太政官札」発行の断行こそが明治維新成功の鍵であった
維新の財政支出の94%をまかなった!丹羽春喜氏https://t.co/rholoU7zMl
太政官札の解析をされた方がいます。政府貨幣発行特権の発動による財政政策で日本再建を訴えられていた故丹羽春喜教授です。教授は『月刊日本』平成15年7月号、丹羽論文の中で「『太政官札』発券の断行が明治維新成功への決定打だった」とし、「『太政官札』発行による造幣益が、もしも無かったとしたならば、維新政府は存続しえずに崩壊していたにちがいない。」と断言され、その根拠詳細を展開されています。
特筆すべきは、三岡八郎(由利公正)は「国富」を国民の労働力の結集と見ていたことです。現在的にはGDPです。そして経済の要は「蓄財にあるのではなく循環にある」としていたのです。丹羽教授も同様の視点で日本再建を訴えておられたのです。
そのための方策はあるか?といえばあります。というか、これ以外にない方策が政府通貨発行権の活用です。
政府通貨❓ 現在の日本のお金が全て政府通貨だと思いこんでおられる方のほうが大多数に思えます。違います。貨幣、つまり100円玉等のコイン全ては確かに政府通貨です。しかし1000円札など紙幣は全て日本銀行券です。紙幣は政府通貨ではなく、紙幣発行権は実質として政府は日本銀行に奪われているのです。
根本的には、この政府紙幣発行の権限を取り戻し、活用する以外には現在の日本の窮状脱出の術はないでしょう。山本太郎氏とその周辺はこのことを熟知されているでしょう。
政府紙幣といえば、米国ではリンカーンのグリーンバックスです。外伝47に記していますが、政府紙幣が発行されると、
そうなれば世界の文明社会の歴史の中で前例がないほど裕福な政府となる」
しかし政府紙幣の発行の絶対条件があります。政府への民衆の信用です。それには政府がすべての公的情報を全て透明にオープンに、特に金融経済は完全ガラス張りにするのが絶対条件となります。従って現在のウソと隠蔽しかない政府の退場が、政府紙幣発行への絶対的に必要な道筋になります。
また、政府紙幣発行の根拠として、実は日本では既に政府紙幣が発行されたことがあるのです。「太政官札(だじょうかんさつ)」といいます。発行した主体者は三岡八郎(由利公正)です。
彼は画期的な思想を有していて、(政府通貨発行のための)「国富」とは国民の労働力の結集(つまりGDP)であり、経済とは「蓄財」するものではなく「循環」させるものだ、としたのです。
この思想は映像配信・家族の絆 〜夫婦(90)の中で語られていることと同じなのです。