消滅危機にあった犯罪シンジケート
カーター政権下で、全米犯罪シンジケートとそれと一体になっていたADLが、アイゼンベルグのビジネス・パートナーのクラツニックの働きもあり、その勢力を一層拡大させたことを前回に見ました。
ところで、この勢力拡大には前段があったのです。実はこれ以前の段階で、全米犯罪シンジケートは消滅の危機を迎えています。ところが、その危機を全米犯罪シンジケートは跳ね返してしまい、それが後の一層の勢力拡大へと繋がっていました。
これ全体にはアイゼンベルグが深く深く絡み、そしてティボー・ローゼンバウムも、特に犯罪シンジケートが危機を跳ね返す部分で大きく関与もしています。
犯罪シンジケートの消滅危機とそれの跳ね返しとは、具体的にはどういうことか?
表面的なところは『ヘブライの館2』の「アメリカの暗黒街のユダヤ紳士たち」の次の記述が簡単に把握できるものです。
●1961年、大統領にジョン・F・ケネディが就任し、司法省長官に弟ロバート・ケネディが就任すると、ケネディ内閣はかつてないほどのスケールで、シンジケート撲滅作戦に乗り出した。ケネディ兄弟は伝統的マフィアの本流、シカゴにまでその手をのばしていった。
1960年台初期に、ジョン・F・ケネディ大統領とその実弟であるロバート・ケネディ司法省長官からの厳しい追求によって、全米犯罪シンジケートは消滅の危機を迎えていたのです。ところが、ケネディ暗殺で全米犯罪シンジケートへの追求は完全にストップ、生き延びた犯罪シンジケートはその後に更に勢力拡大を実現していったわけです。なお、ロバート・ケネディも後に暗殺されています。
全米犯罪シンジケートが危機を跳ね返したと表現しましたが、それはケネディ暗殺、その実行グループの主力がその内部に殺人株式会社を抱える全米犯罪シンジケートだったという意味です。
翻って、ケネディ大統領とロバート・ケネディが全米犯罪シンジケートをなぜ厳しく追求し、大掛かりな撲滅作戦に出たのか?
それを『ケネディとユダヤの秘密戦争』の表紙の帯にある次の文言が端的に示しています。
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アイゼンベルグに関する情報源は詳しいものとして『ユダヤの告白』、それ以外には『オルタナティブ通信』ぐらいしか無く、これではアイゼンベルグは「闇の国の謎の人物」であり、首をかしげることが多かったのです。
しかし、『ケネディとユダヤの秘密戦争』を入手することで、かなりアイゼンベルグの輪郭がハッキリしました。『ケネディとユダヤの秘密戦争』には資料源が明記されてあるし、記載内容が他の情報と照らしても整合しているのです。戦後世界の肝心部の全体像と、そこでのアイゼンベルグの位置が見えるようになったのでした。