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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第11話 ― 中国蹂躙へのホワイト・ロッジの関与

 今年12月7日の竹下さんの記事に、第2次世界時に中国を始め、大陸からの莫大な金銀財宝の略奪を命じたのは堀川辰吉郎であり、それは銀河連合からの指令だったこと、そして銀河連合のバックはホワイト・ロッジであったことが明かされています。
 要するに、中国等からの金銀財宝略奪はホワイト・ロッジの意向だったのです。そしてこの中国の蹂躙と略奪、また植民地化は、第2次世界大戦以前から、具体的にはアヘン戦争前からホワイト・ロッジの意向から継続して実行されてきたのです。
 現実にアヘン戦争から中国を蹂躙し、略奪実行したのはイギリス東インド会社の悪魔崇拝海賊団です。ホワイト・ロッジの中には悪魔崇拝の闇組織が巣くっていて、そこに所属する地上メンバーが悪魔崇拝海賊団に加わっていました。
 しかしそれだけではありません。ホワイト・ロッジの悪魔崇拝ではない勢力、つまりミトラやマイトレーヤたち、それに従う地上組織メンバーも悪魔崇拝海賊団の行為に加担していたのです。その略奪等の行為は彼らの計画に基づいたものだったことが見て取れます。
 中国の蹂躙、略奪、植民地化もハルマゲドン計画の一環だったようです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第11話 ― 中国蹂躙へのホワイト・ロッジの関与

ジェイムズ・ブルースの素性 〜ブルース家とテンプル騎士団


ジェイムズ・ブルース(第8代エルギン伯爵)
Wikimedia Commons [Public Domain]

第2次アヘン戦争とも呼ばれるアロー戦争で、英軍を率いて天津条約を締結させ、その直後に返す刀で軍艦を率いて江戸に襲来し、日英修好通商条約を締結させたのがジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)です。彼は再開したアロー戦争でも英軍を率いて清朝を破壊し、植民地条約といえる北京条約を締結させてもいます。

この中国と日本の植民地化において大変重要な役割を果たしたジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)とは一体どういう人物であったのか? 結論を先に言えば、彼はテンプル騎士団、それも悪魔崇拝ではないほうのポジティブなテンプル騎士団でしょう。

テンプル騎士団はホワイト・ロッジに所属しますが、ホワイト・ロッジの中に悪魔崇拝闇組織が巨大に巣くっていました。こちらはエノクやマイトレーヤ配下の軍団長の覚者たちのグループで、この闇組織の地上組織が裏のイルミナティです。

一方、マイトレーヤ自身やミトラたちは悪魔崇拝ではありませんでした。テンプル騎士団には裏のイルミナティに属する悪魔崇拝のネガティブグループとミトラやマイトレーヤのグループに属するポジティブグループがあるのです。

ジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)はその家系の血統から見て、ポジティブグループのテンプル騎士団となるのです。つまりミトラやマイトレーヤのグループに所属します。

ジェイムズ・ブルースはスコットランド王であったロバート・ブルースの直系子孫です。ロバート・ブルースはイングランドからスコットランドを独立させたスコットランド王であり、その独立を決定させたのが「バノックバーンの戦い」です。数では圧倒するイングランド軍を敗退させる活躍をしたのがヘンリー・シンクレアなどが率いるテンプル騎士団でした。

ロバート1世 (スコットランド王)
Wikimedia Commons [Public Domain]

テンプル騎士団とフリーメーソン』(三交社)ではそのテンプル騎士団出現の様子やロバート・ブルースとテンプル騎士団、ならびにヘンリー・シンクレアなどシンクレア家との緊密で切っても切れない関係などが記されています。

エルサレムのヘロデ神殿を再現させたロスリン礼拝堂を建造したのがシンクレア家ですが、「あぶそるーと ロンドン」の今年1月2日記事では次のような紹介もされています。

「1314年、ロバート・ザ・ブルース王を7代目のヘンリー・シンクレア卿が力強くサポートし、見事イングランドからの独立を勝ち取っております。

このロバート1世が1329年に病死した際、王の副官であったジェームズ・ダグラス卿にヘンリー・シンクレア卿の二人の息子が選ばれ、王の遺言に従い、その心臓を銀の小箱に入れて聖地エルサレムへと帰還させようという試みが行われました。だからロスリン礼拝堂には、ロバート1世の心臓を持つ天使の彫刻が彫られているのです。」

ロスリン礼拝堂のロバート1世の心臓を持つ天使

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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第10話 ― 英領中国に

 「英領日本」、これは日本人には受け入れがたいものでしょう。しかし、中国がイギリスの植民地であったと言えばいかがでしょうか?
 インドは英国女王がインド皇帝になっていますから、表向きにもはっきりと英領でした。中国は表向きその全土は英領とはなっていません。しかしアヘン戦争等で敗戦し、散々蹂躙され、収奪され、主権を奪われているので、実質的にはイギリスなどの植民地であったことには否定されないででしょう。
 中国とは異なるとはいえ日本も同じような部分があり、日英修好通商条約が英領日本に当たる条約になっていると思っています。
 「本物黒酒」さんが提示されたそれを示す資料、1874年8月11日英国官報「英国女王陛下は、«中略»と日本の帝の領土における権限と管轄権を過去も現在も持っている」
 この «中略» 部分ですが、英国官報のガゼット紙の該当部分「Mikado of japan」の前に「Enperor of China」とあります。つまり正式には「英国女王陛下は、中国皇帝と日本の帝の領土における権限と管轄権を過去も現在も持っている」となるでしょう。
 1858年の日英修好通商条約締結の直前に、清国がイギリス側と締結させられた条約があります。天津条約です。英側からすれば天津条約と日英修好通商条約は、連動というかセットになっているのでしょう。別名「第2次アヘン戦争」ともいわれる英側から仕掛けられたアロー戦争によって天津条約が結ばれているのです。
 アロー戦争でイギリス軍を率いて天津条約を結ばせたのがジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)です。ジェイムズ・ブルースがその直後に軍艦を率いて江戸にやってきて、日英修好通商条約を結ばせているのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第10話 ― 英領中国に


仕掛けられた「第2次アヘン戦争」〜不法でっち上げのアロー号事件


すでにアヘン貿易で中国から富を収奪していたイギリス東インド会社(後の300人委員会)は、1839年に勃発させたアヘン戦争にて中国を蹂躙し、アヘン貿易等にてさらなる暴利を貪っていきます。アヘン戦争で香港島を英国女王に割譲させてもいます。

中国におけるインド産アヘンの輸入量の推移
Author:Philg88 [CC BY]

編集者註:グラフでは1835年以降アヘンの輸入量が急増。それに伴い、清とイギリスの間で1840年から2年間にわたり行われたのがアヘン戦争。
1856年から1860年にかけて、再び清とイギリス・フランス連合軍との間でアロー戦争(第2次アヘン戦争)が勃発。1860年の北京条約締結以降、一層アヘンの輸入量が増加。

アヘン戦争の主体者は大英帝国ではなく、悪魔崇拝海賊会社イギリス東インド会社のオーナーたちです。イギリス東インド会社のオーナー ≒イングランド銀行のオーナーでもあります。

幾度も見てきたように、1600年台をかけて英国は悪魔崇拝の海賊団たちに乗っ取られています。英国という国家の上に悪魔崇拝の海賊団が位置していて、彼らが世界中を植民地支配してきて、現地人の生き血を貪ってきたのです。

pixabay [CC0]
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香港島が英国女王に割譲されていますが、英国女王は悪魔崇拝海賊団の仲間であり、彼らの看板としての代表なのです。従って香港島の割譲にしても、英国女王を代表として悪魔崇拝海賊団が香港島を収奪しているのです。悪魔崇拝海賊団の大ボスの一人がロスチャイルドということでもあります。

アヘン戦争からの暴利、しかし彼らはこの莫大な収奪にも満足できていなかったのです。彼らは中国に当時の清朝に武力行使を仕掛ける機会を常に窺っていました。戦争に持ちこみ、さらなる収奪を加算できる条約締結を目論んでいたのです。そのような状況下に都合よく?中国で1851年大農民反乱「太平天国の乱」が起きます。これで1853年には南京を占領するなど中国内での独立国家を設立したのです。

この非常事態の対応に苦悶する清朝、イギリス側はこれを武力行使の絶好の好機と捕らえます。1856年にでっち上げの言いがかりのいちゃもんにて戦争の口実を作り上げます。これがアロー号事件です。アロー号事件を口実にイギリス側が清朝に卑劣に仕掛けた戦争がアロー戦争です。

アロー戦争とは別名「第2次アヘン戦争」です。イギリス軍を率いる司令官はジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)でした。またイギリス側はフランスのナポレオン3世に共同出兵を求め、英仏連合軍として清国に襲いかかり蹂躙したのです。

ジェイムズ・ブルース(第8代エルギン伯爵)
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なお、1858年に日英修好通商条約の前に日米修好通商条約が締結させられていますが、交渉に当たった米側のタウンゼンド・ハリスが江戸幕府を強請るネタに用いたのもこのアロー戦争だったのです。英国、米国、フランスなど国名は違いますがみんな「お仲間」と見たほうが早いでしょう。海賊団の仲間です。

さて、ジェイムズ・ブルースらが率いる連合軍は1857年末には広州を占領し、この地方の総督兼皇帝の特命大臣を捕縛します。そして翌1858年、再び北上して天津を占領し、清国に天津条約を締結させたのです。この締結直後にジェイムズ・ブルースが返す刀で艦隊を率いて江戸に襲来し、日本側に締結させた条約が日英修好通商条約だったのです。

江戸幕府と条約交渉を行うエルギン伯
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第9話 ― 英領日本へ

 日本の自殺者はこの20年近く毎年約3万人程度とされます。しかしWHOの発表では、日本人自殺者は11万人とされているようです。
 この乖離は、3万人は厚生省で自殺と確定された数字、しかし何で亡くなったか不明の変死者が毎年約15万人いるところにあります。変死者のその半数を自殺とカウントすると11万人の数字になるのです。付け加えると日本では毎年約8万人の行方不明者が発生しているようです。いずれも異様な数字です。
 更に深刻なのは、この少子化の現状で未成年者の自殺率が毎年上昇していることです。文字通りに「生命」が、「未来」がこの日本で奪われているのです。これが現実です。奪われるということは奪っている人間がいるのです。
 先日、残念ながら日米貿易協定の名の不平等条約の日米FTAが成立しました。日本人の生命・財産・健康をグローバル企業に差し出す条約です。奪っているのはグローバル企業のオーナー、つまり大銀行のオーナーであるのは明瞭でしょう。
 そしてその一般日本人と国際銀行家の間にあって、日本人の生命・財産・健康をせっせと差し出し、そのおこぼれで肥太ろうとするのがアベシでしょう。
 つくづく、日本は属国というか奴隷扱いされいるとも感じますが、これはどのように始まったのか?
 今回は、私自身は全く準備不足ながら(日本編)に向かうことになった大きな要因である「英領日本」にまで触れたいと考えています。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第9話 ― 英領日本へ


徳川の生き残り戦略 〜徳川三代のブレーン天海


水戸徳川が、水戸徳川出身の最後の将軍徳川慶喜が、倒幕と明治維新の切り札というか決め手になったのは間違いありません。

しかし、水戸徳川が倒幕の最大の力になったとはいえ、もちろん水戸徳川が徳川家を滅ぼすために倒幕運動を展開したわけではありません。逆です。徳川家が日本の支配者として長く存続できるように水戸徳川は倒幕運動を展開したのです。そして現に明治維新から今日に至るまで、徳川家は日本支配層のトップにしっかりと食い込んでいます。
水戸徳川は徳川幕府の後見人の役割を担っていたのですが、徳川家を存続させるため、場合によっては徳川自身が徳川幕府を止める戦略構想は家康自体が持っていたと「るいネット」の記事は次のように記しています。

徳川幕府を開いた家康は天皇を廃止しなかっただけでなく、「徳川幕府が時代の要請にあわなくなったら、密かに南朝の天皇家を皇位に立て、そのもとで徳川家の存続を図る」という有事の際の南朝革命戦略をも持ちあわせて、政権を後世に引き継いだ。その書が「公家法度」で、水戸藩による南朝革命は、この「公家法度」を源流にしている。

この記事では「家康は、朝廷の盲点を見抜いていて、朝廷が、幕府の意向を聞かないときは、南朝を持ち出して、朝廷を揺さぶることを念頭においていた」とし、その南朝系天皇を「当時は、玉(ぎょく)といっていたようで、幕府が隠しもっていたのが、後の東北連合の熊沢天皇だった」と記しています。
徳川家はいざとなった時には生き残るために南朝を立てる戦略を持ち、そのために熊沢天皇を匿っていたとするのですが、さもありなん、との感もします。

家康は暴力と権謀術数の嵐だった戦国時代をサバイバルして、生き残り勝ち残ってきた人物です。大変な超リアリストで、実務的に幾重もの生き残りのための防護線は引いていたでしょう。

そして側近の存在です。生き残り戦略の南朝革命の源になったとされる「公家法度」を創案した家康の側近は「黒衣の宰相」の異名を持つ金地院崇伝ですが、そのライバルだったのが南光坊天海です。

金地院崇伝
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南光坊天海
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天海は江戸を陰陽道・風水の観点から設計し、家康の死後の神号である東照大権現を決めたとされます。ウィキペディアでは「徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した」とあります。家康に南朝を立てて生き残る戦略を提唱したのは天海であった可能性は高いです。

いずれ改めて取り上げますが、日本中心のハルマゲドン・NWO計画の書となっているのが、大本教系の岡本天明が自動書記で綴った「日月神示です。この日月神示を降ろした霊が天海であると竹下さんが明かされています。

要は天海はミトラ・マイトレーヤたちのホワイト・ロッジのメンバーであり、彼らの計画に基づいて徳川を動かしてきたということでしょう。天海は家康、秀忠、家光という徳川三代のブレーンでした。

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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第8話 ― 明治維新の裏側

 この地球世界は物質世界です。原則としてこの世界で起きた数々の問題はこの世界で解決しなくてはいけません。物質世界には物質世界のルールがあり、そのルールによって問題は処理されなければいけないからです。人間が起こした問題を神が降臨して魔法のように一挙に解決するなどはないのです。
 そして問題解決にはその問題の事実を把握しておく必要があります。事実に光を当てて認識することが欠かせないのです。しかしこの物質世界の問題を物質世界の視点でのみ把握できるか?といえば無理なところもあるのです。同じ位置の視点では見えないものは多々あります。
 明治維新は複雑です。物質的な動きでも、日本のいくつかの勢力と外国のいくつかの勢力が絡み合ってもいます。そしてその背後には秘密結社を動かす勢力が絡み合ってもいます。
 過去、フリーメイソン組織をホワイト・ロッジ、ブラック・ロッジ、ホワイト・ロッジの闇組織がそれぞれ自陣に取り込もうとしてきたのを見ましたが、同じような構造がやはり明治維新の裏側にあります。
 この三者の構図はハイアラーキ(国津神)の霊的世界ですが、八幡系と春日系の権力争いなどというホツマの神(天津神)レベルの関与もあります。
 このように明治維新は複雑ではあるのですが、基本となる底流とでも表現すべきものがあります。それがやはりハルマゲドン・救世主降臨計画だったのです。日本にユダヤ王・世界王を誕生させる動きとも表現できます。これが底流にあってそれを軸として、いくつもの勢力が争い、時には協力し、妥協やおそらくは密約を交わしたりしながら歴史が展開し、明治維新が成立していったと見受けられます。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第8話 ― 明治維新の裏側

明治維新の底流にあったもの 〜光格天皇の祭祀


明治維新を実現させた日本での中核組織が、秘密結社八咫烏の政治部門組織となった「天忠党でした。秘密結社八咫烏は日本最強最古の霊能集団でありカバラの使い手です。古代イスラエルの末裔である秦氏が組織した秘密結社でもあります。

「天忠党」は八咫烏とタッグを組んだ光格天皇の「尊皇討幕」の意思で組織されたのですが、光格天皇、そして八咫烏(秦氏)の霊的なバックにはマイトレーヤ、ミトラ、サナット・クマラのホワイト・ロッジの存在がありました。更にそれを守護していたのが応神天皇を頭とする八幡系のホツマの神々でもありました。


光格天皇が八咫烏の神と位置づけられる役小角に「神変大菩薩」の諡号を直筆で贈った大変な崇拝ぶりは、既に日本 明治編)第7話で指摘しています。光格天皇と八咫烏が一体として動いていたのです。

更には「天忠党」が八咫烏の組織であり、背後にホワイト・ロッジ、八幡系の神という霊存在があったのは、ウィキペディアの「光格天皇」記事の「400年近く途絶えていた石清水八幡宮や賀茂神社の臨時祭の復活や新嘗祭など朝廷の儀式の復旧に努めた」という部分からも窺えます。

光格天皇が約400年ぶりに臨時祭を行ったとされる石清水八幡宮と賀茂神社ですが、石清水八幡宮の祭神は応神天皇、宗像三女神、神功皇后という八幡系の神です。そして賀茂神社を祀る加茂氏は、秦氏と一体となったといえるほどの密接な関係であり、下鴨神社の祭神の賀茂建角身命について「金鵄および八咫烏は賀茂建角身命の化身である。」(ウィキペディア「下鴨神社」)とあるのです。

神武天皇の弓の先に止まった金鵄
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八咫烏は現在は一つになっているとのことですが、以前は2つあったとのことで、複雑な部分もあるのですが、概ねはマイトレーヤやミトラが率いるホワイト・ロッジの実働部隊と見て間違いないでしょう。

この八咫烏の政治組織の「天忠党」が中核となって明治維新が実現しているので、明治維新とはその底流にハルマゲドン救世主降臨計画、新エルサレム建設計画があり、その計画の一環であったと見ても取れます。地球の霊的統治の中心である日本で、天照大神の血統の天皇から成り代わり、ユダヤ王・世界王を誕生させる動きともいえるでしょう。

明治維新とは霊的な長いスパンの観点では、ホツマの神々の支配権を奪取し、全宇宙を支配せんとするサナット・クマラの野望に基づいたハルマゲドン・救世主降臨計画が先ず基本としての底流にあるのです。こういった事柄は天忠党に集った存在の性格を見れば現れてもいるのです。

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ユダヤ問題のポイント(日本編) ― 基本情報4 ― ミトラ教の伝播

 ミトラ教といっても日本人には聞き慣れず馴染みの薄いものでしょう。しかし、ミトラ教の言葉は認識されず、そうとは知らないままではあったのですが、ミトラ教は日本人の生活に深く浸透して、日本全土に広まっていたのです。日本の歴史に大変な影響を与えていたのです。
 ミトラ教は東方へは中東から中国、朝鮮半島を経て日本に伝わっており、その伝播の各地域に広く浸透してもいました。ミトラとマイトレーヤ(弥勒菩薩)は ≒ の関係で結べます。
 さて気をつけるべきことは、ミトラ・ミロク信仰が日本に、そして中国など周辺地域に広く浸透することは、「ミロクの世が来る」ことの下準備に、つまり日本を中心としたNWO成立の土台となる事柄だということです。日本を中心としたハルマゲドン・救世主降臨計画です。
 この計画の原点は、ミトラやマイトレーヤたちホワイト・ロッジのハイアラーキーが信奉し、忠誠を誓っていたサナット・クマラの復讐と野望にありました。
 スミワタルタカキホシノヒメミコ様の通信などによって明らかにされていますが、サナット・クマラは天照大神の息子の一名であり、高き神格のホツマの神でしたが、事件を引き起こし、父の天照大神の激怒を買い、ホツマの神から神霊に格下げされて地球に叩き落されます。
 サナット・クマラはその復讐として全宇宙の支配の野望を懐き、ホツマの神々もその支配下に置こうとしたのでした。この復讐と野望を実現させるための組織と計画がホワイト・ロッジのハイアラーキー組織であり、ハルマゲドン・救世主降臨計画でした。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本編) ― 基本情報4 ― ミトラ教の伝播

ミトラとミロクの関係 〜日本でのミトラ教儀式


京都の太秦に「広隆寺」(別称は「蜂岡寺」「秦公寺」など)があります。秦氏の氏寺です。国宝第1号の弥勒菩薩像が安置されてあります。この寺の創建は、ウィキペディア記事には以下のようにあります。

「『書紀』によれば、推古天皇11年(603年)聖徳太子が「私のところに尊い仏像があるが、誰かこれを拝みたてまつる者はいるか」と諸臣に問うたところ、秦河勝が、この仏像を譲り受け、「蜂岡寺」を建てた」


聖徳太子の最側近のブレーンであり秦氏の長であったであろう秦河勝が、弥勒菩薩像を祀るために広隆寺を建てたということでしょう。

広隆寺は仏教寺院となっていますが実体は原始キリスト教、もしくはミトラ教の寺院と見るのが正確でしょう。ベンジャミン・クレームの『マイトレーヤの使命』の中にはイエスをオーバーシャドウ(日本的表現では神憑りもしくは憑依)していたのはマイトレーヤ、つまり弥勒菩薩だとしばしば記されています。

マイトレーヤは霊的世界で、ハイアラーキー(国津神)の太陽系第3レベル(シリウス第5レベル)の地球レベルのキリストだったのです。イエスをマイトレーヤがオーバーシャドウすることで、イエスがイエス・キリストになっていたのです。

なお、マイトレーヤとミトラの関係ですが、ミトラはマイトレーヤ同様に過去に地球に実在した人物で、太陽系第3レベル(シリウス第5レベル)の太陽レベルのキリストだったことを竹下さんが明かされています。

ミトラとマイトレーヤは同質であり、双子の相似形の関係であり、≒ の関係で結べます。こういった事実は聖徳太子も秦河勝もよく知っていた上で広隆寺を創建していると考えられます。

そしてもう一つ、広隆寺が原始キリスト教もしくはミトラ教寺院であるとの根拠となりそうなのが、京都三大奇祭として知られ、広隆寺で毎年10月に開催される「牛祭」です。「牛祭」はコトバンクに次のようにあります。

「陰暦9月12日(現在は10月12日)の夜に京都市右京区太秦(うずまさ)の広隆寺で行われる祭り。摩多羅神(またらじん)の役は白紙の仮面をかぶり、異様な服装をし、牛に乗って寺内を一巡し、国家安穏・五穀豊穣(ごこくほうじょう)・悪病退散の祭文を読む。太秦の牛祭。」

牛祭(都年中行事画帖 1928年)
Wikimedia Commons [Public Domain]

この祭りの主役の摩多羅神(またらじん)とは天台宗寺院の常行三昧堂の守護神でもあり、最澄および円仁が唐から持ち帰った神のようですが、大陸から渡来した摩多羅神(またらじん)とはどのような神なのか?

この摩多羅神(またらじん)とはミトラ神と見て間違いないでしょう。「牛祭」とは「牡牛を屠るミトラ」の「聖牛の供儀」を原型としており、日本では牛を殺して供物にするのは禁じられたので、それをアレンジしたものと見て取れます。

大英博物館所蔵の「牡牛を屠るミトラ(2世紀ごろ)」
Wikimedia Commons [Public Domain]

後述しますがコトバンクに「漢神(からかみ)」とあって「上代に大陸から渡来した神に牛を殺してまつることが諸国で行なわれた」とあります。これは「聖牛の供儀」であって、結論としては摩多羅神(またらじん)=ミトラ神=「漢神」であったと見て取れるのです。

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