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中国道教の「八仙」 の唯一の女性の仙人である何仙姑(カセンコ)は、本当は「ホツマの神」だった! ~他の仙人たちとは進化段階がほぼ60段階異なる

竹下雅敏氏からの情報です。
 1月3日の記事のコメントで、“開化天皇と伊香色謎姫は崇神天皇を産む前には、肉体(狭義)の「身体」の焦点は3.0次元の「6層」にあるのに、崇神天皇を産んだ後は「7層」に落ちてしまう…これは、仙道の最奥義「白日昇天」の逆で、我々から見れば通常では見えない存在が、ある時を潮に忽然と物質化したように見えます”と記したのですが、「ホツマの神々」の一団がある時に次元の界層を降下するということが果たして起こり得るのか?
 コーリー・グッド氏はナチスが戦車などを火星に送るのに、自然のポータルを使っていたと言っていますが、このような事でも想定しない限り、有り得ない出来事に思えます。
 そこで、今回は「白日昇天」をしたと言われている仙人が、実際はどうだったのかを調べてみましょう。
 「光の海から」のヴィジョンは、2012年7月24日(旧暦6月6日)の午後6時から1時間の間、私の妻である瓜生姫中子(ウルウヒメナカコ)が光を降ろした時のものです。2011年以降は、主に宇宙の物理的次元の改革に重きを移していましたので、このときのヴィジョンで最初に出てきたのは、神仙の何仙姑(カセンコ)でした。イラストに描かれているのは、肉体(狭義)の「身体」です。
 私の解説にある通り、彼女は中国道教の「八仙」 の唯一の女性の仙人という事になっているのですが、本当は「ホツマの神」です。彼女以外の八仙は皆、仙人で「人」であり、同列に扱うべきではないと感じます。何仙姑(カセンコ)の進化段階は64.0であり、第1システム天津神第5レベルに属しています。他の仙人たちとは、進化段階がほぼ60段階異なります。
 イラストをご覧になると彼女は20代に見えますが、伝承からは少なくとも1300歳以上という事になります。彼女が持っているのが、西王母が管理していて三千年に一度だけ実を結ぶとされ、食すと不老長生が得られるという「蟠桃(ばんとう)」の花で、ホツマツタヱでは「三千実(みちみ)の桃」と呼ばれていました。
 何仙姑の肉体(狭義)の「身体」の焦点の存在界層は、西王母が居たところと同じだと分かります。彼女は肉体(狭義)を持ったまま「白日昇天」したので、私達のいる「7層」に現れて姿を見せることも自在だと思います。
 張道陵(ちょうどうりょう)、鍾離権(しょうりけん)、呂洞賓(りょどうひん)といった高名な仙人も調べて見ました。張道陵は、“白日昇天し、神仙になった”とありますが、彼は「神」ではありません。「昇天」したことになっているのですが、実際は3.0次元の「6層」の火星に移ったようです。
 鍾離権と呂洞賓は、これまで私たちと同じ「7層」の地球に居たようです。恐らく、地上から地下のアガルタへと移ったのではないかと思われます。ただ、残念なことに、この2人は「天界の改革」で滅びてしまいました。
 最後に、現在、崑崙山(こんろんさん)に住み、全ての神仙、女仙、仙人を統べるのは何仙姑(カセンコ)です。こうしたヴィジョンに姿を現すのはこのような意味があるからです。西王母は「天界の改革」で滅びました。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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何仙姑
カセンコ
道教
神仙・八仙の一人
 八仙の中で唯一の女性である仙人。雲母を食べて仙人になったという伝説がある。
 広東省増城県の何泰(かたい)の娘で、生まれたとき頭の上に六本の毛が生えていた。則天武后(在位690~705)の時代に十四、五歳だった彼女は母とともに雲母渓に住んでいた。そのころ、夢に神人が現れて「雲母を食べれば不老不死になれる」とお告げがあったので、その通りにした。すると体が軽くなり、空を飛んで自由自在に野山を駆け回れるようになった。母が死んでから辟穀(穀物を食べないこと)をするようになると、もはや生身の人間とは思えない超俗の雰囲気が出てきた。うわさは広まり、則天武后が使者を送って会おうとしたが、その途中で彼女は使者の前から消えてしまい、ついに会えなかったという。
 何仙姑は則天武后の死後に白日昇天したといわれるが、その後も五色の雲に包まれて姿を現すことがあったという。
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7月24日のヴィジョンと竹下氏による解説
引用元)
(前略)
①最初に見えた女神様。
何かにもたれかかって、枝の花の香りを楽しんでいらっしゃいました。
大変気品があり、立ち姿もしなやかで美しい高貴な女神様でした。
 
『彼女は中国道教の八仙の唯一の女性の仙人である何仙姑(カセンコ)です。伝承では仙人となっていますが、ホツマの神です。』
(以下略)
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張道陵
チョウドウリョウ
道教
五斗米道の開祖
 太平道と並ぶ、中国最古の道教教団・五斗米道の開祖。
 『神仙伝』によると、後漢末の沛国(はいこく)(安徽省(あんきしょう))出身の人で、若いころは儒教を学んだ。
 だが、「これでは寿命は伸びない」と悟ってから長生法を学び、
金丹の調剤に取り組んだ。貧乏だったのでもっと暮らしやすい場所を求めて弟子とともに蜀(四川省)に移り、鵠鳴山で修行を積んだ。と、ある日、無数の天人が降り、道陵に「正一明威の道」というのを授けた。それからというもの道陵はよく病を治すことができるようになり、ここに数万の信徒が集まった。その後、道陵は大いに教団の体制を整え、最後は趙昇、王長という優れた弟子とともに白日昇天し、神仙になったという。
 なお、張道陵自身はその宗教を天師道と呼んだが、彼の孫の張魯(ちょうろ)が病人から五斗の米を受け取って治療したことから、五斗米道と呼ばれるようになったという。
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孚佑帝君
フユウテイクン
道教
八仙の筆頭
 八仙(中国の代表的な8人の仙人)の筆頭である呂洞賓(りょどうひん)のこと。呂祖とも呼ばれる。民衆道教の教祖とまでいわれる中心的神格で、心から祈れば必ず応えてくれる万能力があり、中国における人気は絶大である。呂祖の像は剣を背負っており、その剣は貪欲、怒り、愛欲、煩悩を断じるといわれる。
 呂祖は798年生まれで、若いころ科挙の試験に落第した。そんなとき、居酒屋である老人に出会うと、ちょっとうたた寝した隙に一生の出来事を夢に見てしまった。実はその老人こそ仙人の鍾離権(しょうりけん)で、人生のはかなさを呂祖に教えたのだった。そこで、呂祖は鍾離権の弟子となり終南山で修行を積んだ。やがて、師匠は天に昇って天仙となり、後のことを呂祖に託した。このとき、呂祖は民衆の災いをすべて取り除くまで昇天しないことを誓ったが、その約束どおり、現在も地上にとどまり、民衆済度につくしているという。

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第9代開化天皇の過ちにより、「ホツマの神々」の一団が3.0次元の「6層」から「7層」に転落してしまった事件

竹下雅敏氏からの情報です。
 今回は、ホツマツタヱの記述では何も不自然なところは無いにもかかわらず、その本質では最も理解が困難な箇所です。私自身がいまだに良く分からない部分なのです。
 「ホツマの神々」が約3500万年前から現在に至るまで、3.0次元の肉体に転生に入っていることは分かっていました。私自身が「ホツマの神」であり、日本がその中心とはいえ、日本以外にも「ホツマの神々」が地球に「人」として転生に入ることは、例えば金正恩氏の例を見ても分かります。また、転生に入っている「ホツマの神々」のほとんどは無名のままで、自身が「ホツマの神々」の一柱であることを自覚していません。そのくらい肉体に転生すると、無明(無知の暗闇)に覆われてしまうのです。
 天照大神、神武天皇などのホツマの神が実在の人物で、3.0次元に肉体を持って地球に転生に入っていたことは何度も確かめていましたが、不可解なのは彼らの寿命です。天照大神は寿命が長すぎ、神武天皇はそれまでの神々に比べて短すぎるのです。
 この謎がようやく解けたのは最近のことで、3.0次元の肉体(狭義)といっても、「5層」「6層」の違いがあることが分かりました。私たちが認識している肉体(狭義)は「7層」です。
 今回は、第9代開化天皇の過ちにより、「ホツマの神々」の一団が「6層」から「7層」に転落する事件です。記事をご覧になると分かるように、白人(シラヒト)、胡久美(コクミ)と類似した過ちを犯したことで、開化天皇を中心とする一団が「7層」に転落してしまいます。
 不思議なことですが、開化天皇と伊香色謎姫は崇神天皇を産む前には、肉体(狭義)の「身体」の焦点は3.0次元の「6層」にあるのに、崇神天皇を産んだ後は「7層」に落ちてしまうのです。そして、歴史家は崇神天皇以降の天皇を実在と見なします。
 これは、仙道の最奥義「白日昇天」の逆で、我々から見れば通常では見えない存在が、ある時を潮に忽然と物質化したように見えます。こんなことが果たして起こり得るのか?
 中西征子さんの天界通信61の「ひとみちゃん」は、ガヤトリー・マントラによって、飛躍的な進歩を遂げて女神となり、肉体(狭義)の「身体」が3.0次元の「6層」から、3.3次元の「6層」に変化したことを2020年12月6日の記事でお伝えしました。上昇の例があるので、下降して3.0次元の「7層」に移ることも理論上はあり得るのは分かりますが、納得しがたいのは事実です。
 また、2020年12月13日の記事で、第一根幹人類は「5層」、第二根幹人類は「6層」、第三根幹人類(レムリア人種)以降は「7層」に肉体(狭義)の「身体」があったことを示しました。神智学では、第一根幹人類はアストラル体、第二根幹人類はエーテル体であったと考えている様なのですが、これは間違いであると指摘しました。しかし、いずれにせよ、どの様にして「6層」に居た第二根幹人類から、「7層」の第三根幹人類(レムリア人種)が生まれたのかは、分からないのです。 
 ここでも、開化天皇と伊香色謎姫、崇神天皇の場合と同じ困難がつきまとうのです。この部分が解明できれば、全ての謎が解けると思っています。
(竹下雅敏)
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【32 藤と淡海瑞の紋】


https://www.gejirin.com/hotuma32.html
ほつまつたえ 人の巻32 ふしとあわうみみつのあや 【ふじとあわ海 見つの文】

(前略)
ときあすす ゐもむそふゆ   時アスズ     五百六十年冬
 
そふ かすかいさかわ   十月の十二日   春日率川
 
にいみやこ みことしゐそひ   新都       皇子 歳五十一
 
ふそ あまつひつきお   十一月の二十日  和つ日月
 
うけつきて いむなふとひひ   受け継ぎて    斎名フトヒヒ
 
わかやまと ねこひこあめの   "ワカヤマト    ネコヒコ天の                          (開化天皇)
 
すへらきと たみおかま   " と      民に拝ませ
                         (陽陰の御孫の典)
 
ははあけ そふのきさきも   母も上げ     十二の后も
                (ウツシコメ)
 
さきあり あくるきなゑお   先にあり     明くるキナヱを
                          (アスズ561年)
 
はつのとし としはつそふ   初の年      七年一月十二日
                         (アスズ567年)

いきしこめ たてうちみや   イキシコメ    立てて内宮                 (=イカシコメ)

これのさき きみめすときに   これの先     君召す時に
 
おみけぬし いさめもふさく   オミケヌシ    諌め申さく
                (ミケヌシの子)
 
きみきくや しらうとこくみ   「君 聞くや     シラウドコクミ  

ははおかす かないまあり   母 犯す      汚名 今にあり
                 (サシミメ)
 
きみまねて かなおかふるや   君 真似て     汚名を被るや」
(以下略)
 
「完訳 秀真伝 下巻 鳥居礼編著 八幡書店」を参考にすると、意味は次のようになる。
 
天鈴560年(紀元前208年)の冬、10月12日、春日(奈良市)の率川(いさかわ)の宮に都を遷した。皇子は51歳であった。11月12日に君の御位を受け継ぎ、諱フトヒヒ、ワカヤマトネコヒコアメノスメラギ(開化天皇)となった。君は正装を民に拝ませ、母親を御上后とし、12人の后もすでに定まっていた。翌キナヱの年を元年とした。
7年1月12日にイキシコメ姫(伊香色謎姫)を内宮にした。これより先、君がイキシコメ姫を召そうとした時に、大御気主命(オオミケヌシノミコト)は君を諫めて申し上げた。「君はお聞きになられたことはございませんか。昔、白人(シラヒト)、胡久美(コクミ)の二人が母と娘を犯した汚名は今に伝わっております。君も同じことをして、汚名を被るおつもりですか。」

開化天皇は大御気主命の言葉に耳を貸さず、大御気主命は「これでは我が御親神が見放すでしょう。」と言って去って行ったという事です。

http://www.tukinohikari.jp/nenpyou/index.html
天照神の年表
(『完訳 秀真伝』の巻末資料、『 注釈 上紀(うえつふみ) 』より)


(前略)
紀元前
208年


















天鈴(あすず)510年
第8代孝元(こうげん)7年


















2月2日、鬱色謎(うつしこめ)姫を内宮に冊立。
兄の鬱色雄(うつしこお)命をケクニ臣と定める。
12月1日、鬱色謎(うつしこめ)姫が日の出と共に、
諱〔太日日(ふとひひ)〕、稚日本根子彦(わかやまとねこひこ)尊〔のちの開化天皇〕を生む。
(以下略)

系図を見ると良く分かりますが、イキシコメ姫(伊香色謎姫)は、孝元天皇の后です。開化天皇の母にあたる女性を内宮にしたことになります。開化天皇と伊香色謎姫の間に第10代崇神天皇が生まれます。この崇神天皇は実在が確実視される人物です。

白人(シラヒト)、胡久美(コクミ)の事件については、こちらのブログをご覧ください。

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メキシコ便り(80):ある日本の店主の思いやりに泣いたpopoちゃんの体験記!


 あけましておめでとうございます。😃今年もよろしくお願いします。🙇
 年末、個人的にとても感動した出来事がありました。是非是非、皆さまにシェアしたいと思いました。
 昨年2020年、たくさん旅をするつもりだったpopoちゃん夫婦はコロナで足止めに。でも、ちゃんと神様は別の計画を用意してくださっていました!(popoちゃんの勝手な解釈ですが😁)

 このコロナ禍、安易に旅行できなければ帰国もできない。そんな中、ある日本のお店とメキシコ在住のpopoちゃんのメールのやり取りから、感動のドラマが生まれました。このコロナ禍だからこそ、より深く胸を打たれたのかもしれません。

 今年もコロナ禍がまだまだ続きそうですが、コロナに思いやりの気持ちまでも奪われないように、心豊かに穏やかに過ごして行きたいと思いました。
(popoちゃん)
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メキシコ便り(80):ある日本の店主の思いやりに泣いたpopoちゃんの体験記!
ちょうど去年の今頃
愛犬ブルドッグの金太郎が亡くなって1年半

旦那さま:「そろそろ、またブルドッグほしいね〜」
popoちゃん:「ね〜!」


popoちゃん夫婦はソファに寝そべりながら
いつものようにたわいない会話をしていた

出会ったときから
食べたいもの、やりたいことはいつもシンクロ✨
だからとっても一緒に過ごしやすい

旦那さま:「でも今年はたくさん旅行したいからブルドッグは来年だね!」
popoちゃん:「だね!」

二人は、体を動かしたり、移動したり
新しいところで、新しい物を見たり食べたりが好き💖
2020年は目一杯いろんなところに行って
新しい体験をしたい気分だった

2月の初め、早速、1回目の旅行に旅立った
行き先はメキシコのプエブラという街
「タラベラ」という焼き物と「モレ」という料理で有名な街
メキシコシティからバスで3時間ほど


「タラベラ」              「モレ」 

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ぺりどっと通信67 交通


【お知らせ】
年末年始 31日(木)、1日(金)、2日(土)、3日(日)の時事ブログは、1日3本の掲載となります。
(編集部)

お久しぶりです。ぺりどっとです。
ずいぶんと寒くなりましたね。寒さ対策にも新兵器をいくつか投入して万策を配しておりますが、それはいずれのお楽しみということで。
今回は、交通に関するお話です。
(ぺりどっと)
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コロナがまだまだ猛威を振るう中ではありますが、ぺりどっと、小型二輪免許を取得してきました。(第3波前の9~10月)

ご存知の通り、ぺりどっとはホンダのスーパーカブ50(排気量50cc)に乗っとります。山奥に住んでいるぺりどっとは、時々市街地に出向き、またこちらに戻る際に山を登らねばなりません。こちら山口に引っ越してきた当時は、何ら問題もなかったのですが、次第次第にパワーが落ちてしまい、ギアを落とさねば登りきることが出来なくなってきていました。かなりの低速になってしまうため、後ろを振り返ると、後続車が連なって渋滞を起こしていることも。。。


また、来春には自賠責が切れることもあって乗り換えを考え、せめてもう少し大きな排気量のモノをと、昨年からずっと検討していました。が、普通自動車免許(50ccのバイクは乗れる)しか所持していないため、二輪免許が必要になったというわけです。

通常、教習所に通って取得される方がほとんどだと思いますが、ぺりどっとは、免許センターで直接試験を受ける、いわゆる"一発試験"なるものにチャレンジしてみました。昨年末、免許センターに何度も下見に来ていたのですが、人気がないのか試験を受けてる二輪受験者の方は一人も見かけませんでした。


試験官から直接聞きましたが、コロナの影響で、一発試験でも教習所でも、二輪免許希望者が今まで見られない程かなり増えているのだとか(とはいえ一発試験での二輪受講者は数人/日)。どうやらバスや電車で通学通勤している方が、人との接触を避けるために二輪免許を希望しているようです。

徹底的なリサーチと対策、練習の結果、何とか先日その技能試験に合格(学科試験は自動車免許所持のため免除)。その後、教習所での3時間ほどの講習を受け、無事免許も取得。教習所に通う費用の4割ほどで済みましたが、正直オススメしません。

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*まるっと◎なんくるないさぁ~* あい∞ん在宅看取り介護9

 あい∞んさんのお見送りの時。
誰にとっても突然です。けれども、あい∞んさんのお話を伺っていると
介護されるお父様は静かに何かを感じておられたような気がしました。
(まのじ)
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あい∞ん在宅看取り介護9

Q.4月の終わり頃は、あい∞んさんもお父様も、最期の時を意識されていたのですね。

その頃は、生ハチミツやお水をちょこちょこ飲むくらいの食事になっていました。「お水飲む?」「飲み込める?」「最後まで飲み込んで」と声かけに気をつけていました。返事が無い時は、意識が無い時なので飲ませたら危険だそうです。


父のベッドに折り畳んだ柔らかい座布団を差し込んで、父の身体さんになるべく圧迫がないよう工夫をしていました。

髭剃りをしたり、顔と体の前面にホットタオルを当てたり。便の漏れ対策に夜用パットを脇に当てておいて浴衣を被せるなど、介護のコツはある程度つかめていましたが、ベッドの高さが中途半端なために、私の腰にひどく負担がかかっていました。また重心を掛けていた右足が少し不調をきたしました。介護する人に負担をかけない、安全な身体の使い方のコツを知っておくことは非常に大切かも!と感じました。

高さに合わせて重心低く(整体ノ先生直伝ヨリ)


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