アーカイブ: *生き方

里山Ubuntu通信:22日目 Ubuntuでメールを使う(2)
〜Thunderbirdの設定:受信編

————————————————————————
Ubuntuでメールを使う(2) Thunderbirdの設定
前回の記事では、電子メールの「概念」について紹介しました。また、インターネットからあなた宛てのメールを、お使いのパソコンにメールを持ってくるための方式に「IMAP」と「POP3」の2つがあり、必ずそのどちらかを利用することをご説明しました。Ubuntuの標準的な電子メールアプリケーションであるThunderbird(サンダーバード)は、この2つの方式に対応しています。今回は、Thunderbirdの起動方法と、設定画面の呼び出し方、そして、設定画面の内容について解説します。

Thunderbirdの起動方法

Ubuntuの標準的なブラウザであるFireFoxはデスクトップ画面に起動用のアイコンが登録されていたので、それをクリックするだけで実行することができました。Thunderbirdもインストールはされているのですが、残念ながらアイコンは登録されていません。そこで、最初にThunderbirdの起動方法について説明します。デスクトップ画面の左側、一番上のアイコンをクリックします。すると、画面に文字を入力する領域が表示されます。

2017-01-27_07h11_14
Ubuntuはこの領域のことを監視していて、あなたが何か文字を入力すると、それに近い名前を持つアプリケーションを探してきます。そして、「候補」のアプリケーションのアイコンを入力する領域の下に表示します。"Thunderbird"と最後までキーボードを叩かなくても、上の図のアイコンが表示されたらそれをクリックしてください。Thunderbirdが起動します。

Thunderbirdの設定画面を呼び出す

Thunderbirdは大変便利で使いやすいメールアプリケーションなのですが、その設定はやや癖があり、初めての方にはわかりにくいところがあります。「癖」とは、

  • 電子メールの設定が登録されていない間は、起動される度にそれを催促し続ける
  • その際、無料の電子メールサービスのアカウントの作成を提案する
  • 設定は、利用者に情報の入力を促しながら進める、いわゆる「ウィザード」スタイルですが、初心者にはかえってわかりにくい(と私は思っています)
  • 受信と送信、両方の設定が正しくないと設定を完了することができずエラーとなる(「どちらに問題があるか」を表示しないので、間違いの内容がわかりにくく、設定を完了することが難しくなっています)

です。以下、手順を追って説明します。
» 続きはこちらから

[Twitter 他]奥多摩の支援制度すごい!定住する夫婦に「空き家」プレゼント 〜銀行家の奴隷にならないために…〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 これ、本当でしょうか。ツイートをクリックして、詳細をご覧ください。子供たちが18歳になるまでに受けられる支援金は 1,000万円を超えています。家賃は事実上無料で、15年間住むと、その家と土地が自分のものになるらしい。
 これからは自宅で仕事をして会社に出勤する必要のない、そういう働き方の人も増えてくるはずなので、こうした支援制度は生き方の可能性を広げる良い試みだと思います。
 正月に息子が戻っていたので、住宅事情について少し説明をしました。例えば、家、土地付きで2,500万円の一戸建て住宅を、頭金無しで銀行のローンで購入したと仮定すると、ローンの返済に約35年前後かかり、返済の総額は倍の5,000万円近くになると説明しました。無事に返済し終えるためには、途中でリストラや大病に罹らないという幸運が必要だということも納得してもらいました。
 ところで、シャンティ・フーラの社屋ですが、約50坪の土地と建物で、総額は1,000万円未満です。自分で家を建てると、差額は4,000万円近くになります。銀行でローンを組むと、35年間奴隷のように働いて、4,000万円を余分に返済し続けなければならないのです。
 上手に選択すれば、人生の労力を激減させることができます。その分、自分のしたいことができる可能性が高くなります。都会に出て大企業に勤め、人並みの生活をすることが人生だと思っている人は、実は銀行家の奴隷になっていることに全く気づいていないのです。しかもその銀行が貸し出す「お金」は、私たちが銀行に預けた「お金」ではなく、何も無いところから通帳に印字をするだけなのです。
 息子の場合、ここが1番理解するのが難しかったようです。もし私たちが預けた「お金」を誰かに貸し出すのであれば、私たちが預けた「お金」は引き出せないはずです。預けた人も借りた人も引き出せるとすれば、銀行は貸し出す「お金」を新たに作り出しているわけで、その方法は通帳に数字を記入するだけなのです。
 要するに、まったく何も持っていない連中が、無から作り出したお金を貸し付けて、返済ができないと担保を丸ごと持っていくのです。この詐欺同然の行為に誰もが騙されていて、人生のほとんどを棒に振っているわけです。なので、まともに暮らせる社会を生み出すには、銀行システムを根本から変えるよりないのです。
(竹下雅敏)
————————————————————————
配信元)


————————————————————————
奥多摩町の過疎対策 定住する夫婦に「空き家」プレゼント
配信元)

里山Ubuntu通信:21日目 Ubuntuでメールを使う(1)
〜Thunderbirdの設定:メール設定の概念解説

————————————————————————
21日目 Ubuntuでメールを使う(1)

説明の流れ

里山Ubuntu通信では、Ubuntuの紹介から、仮想マシンへのインストールと初期設定まで説明してきました。それらは、Ubuntuを使い始めるための準備にあたります。パソコンはいろいろな用途に使うことができますが、もっとも多く使うのはブラウザと電子メールでしょう。これまでの通信では、Windowsの標準ブラウザであるInternet Explorerの「お気に入り」をUbuntuの標準ブラウザであるFireFoxに取り込むための手順を説明しており、ブラウザについてはほぼWindowsと同等のことができることをご確認いただけたかと思います。今回からはもう一つのメインテーマ、電子メールについて取り上げます。

Ubuntuには、優れものの電子メールアプリケーション、Thunderbirdが存在します。連載の手順に従っていれば、FireFoxと同様にインストール済みで起動できるようになっているはずです。しかし、同じインターネットの代表的なアプリケーションでありながら、電子メールを利用するための設定は、ブラウザの設定のようにはいきません。なぜなら、

  • 電子メールのアプリケーションは、ユーザが「アカウント」と呼ばれる個人ごとの情報(電子メールアドレス等)を登録しなければ使うことができません(ブラウザはインストールされていれば、すぐに利用することができます。「お気に入り」の内容は、個人ごとですが、ブラウザの利用に必須ではありません)
  • 設定を行うためには、設定項目の内容を理解している必要があります。しかし、電子メールのアプリケーションの設定の内容は、電子メールに関する技術的な「約束」(標準規格)に対応しており、誰もが簡単に理解できるものではありません(それ以前に、一般の方に向けてそれを解説しようという試み自体ほとんど見かけません)

という事情があります。ブラウザと電子メール、ともに典型的なインターネットのアプリケーションですが、利用のための準備という点では大きな違いがあるわけです。

里山Ubuntu通信は、パソコンに詳しくない方を読者として想定しています。メールの設定についてどのように説明するかいろいろ考えた結果、以下の流れで解説を行うことにしました。

初回となる今回の記事では電子メールの概念について説明します。その内容を理解すると、プロバイダから教えられた「メール設定」の内容がわかるようになります(なるはずです)。その上で、Ubuntu上の標準電子メールアプリケーションであるThunderbirdの設定項目について、ひとつずつ説明します。ここまでで、意味を考えながら設定を行えるようになるはずです。さらに、設定例があったほうがわかりやすいと思いますので、プロバイダが公開している電子メールの設定手順を参照しながら、具体的な設定例をご紹介します。それでもうまくいかない場合は、フォームでご質問いただけば、利用できるようになるまで個別にサポートします。

前置きが長くなりましたが、「電子メールの概念」について説明します。

電子メールがたまる場所


電子メールを利用するということは、「電子メールを利用する契約をする」ということです。と書くと、「そんな契約をした覚えはない」と思われるかもしれませんが、インターネットプロバイダと契約をされているはずです。その契約により、インターネットが利用できるわけですが、同時に契約者であるあなたに固有の電子メールの「アカウント」が作成されます。それは、ちょうどアパートやマンションの部屋を借りるようなものです。

メールボックス
契約をすると、あなた宛てのメールがたまる場所(受信箱)が作られます。受信箱には、あなた固有の名前や番号がつけられています。それを「メールアカウント名」と呼びます。でも、受信箱の名前だけわかっても、その受信箱がある建物がわからないと、メールを受け取ることができませんね。電子メールの世界では、その建物を「メールサーバ」と呼びます。読者の方がお使いのメールアドレスごとにそのメールを蓄えるメールサーバが存在し、電子メールのアプリケーションには、それらのメールサーバの名前を教えてあげる(設定する)必要があります。

電子メールアプリケーションのしていること


すべてのメールサーバには、メールを管理する「管理人」がいます。電子メールアプリケーションは、あなたのメールがたまっているはずのメールサーバを探して、そこの管理人に、「ここに○○(受信箱の名前)宛てのメールが届いているはずですが」と話しかけます。メールサーバの管理人は、自分に話しかけてきた人が正当なメールの所有者であるか確認しなければなりませんから、「○○さんのパスワードは何ですか?と尋ねます。正しいパスワードを伝えると、管理人は、届いているメールの数や指定したメールの内容を教えてくれます。

管理人
電子メールのアプリケーションは、この会話を繰り返すことによって、新着メールを確認し、表示しています。パスワードによる確認は会話の都度必ず行われますが、その度に受信箱の名前とパスワードを入力するのは煩わしいですね。そこで、電子メールアプリケーションは、一度設定された内容を覚えておくようになっています。また、新着メールの確認について、いちいち操作をしなくて済むようになっていますが、その確認頻度も同様です。

ここまでの内容は、特に問題なくご理解いただけると思いますが、ここからちょっと難しくなります。実はメールサーバの管理人には、2つのタイプがあります。どちらのタイプもメールを配信するためのものですが、タイプごとにメールサーバとの対話のやり方(手順)と内容が異なります。そのため、電子メールアプリケーションは、メールサーバの名前だけでなく、それがどちらのタイプかを知る必要があります。2つのタイプについて説明します。

一つ目のタイプ:「IMAP(アイマップ)方式」


一つ目のタイプは、IMAPと呼ばれます。IMAPのタイプのメールサーバの基本動作を示す絵を描いてみました。

2017-01-06_23h25_58
メールサーバの管理人が右手に持っているのはマイクで、あなたの受信箱の内容について、読み上げています。IMAPのタイプのメールサーバの最大の特徴は、複数のパソコンで同時に利用できることです。図では、3台のパソコンが同じ画面を表示しています。同じメールサーバ上の内容を表示しているから、同じ画面になるわけです。もし、どれかのパソコンであるメールを削除したとします。そうすると、メールサーバ上の該当するメールが削除されますから、3台のパソコンでそのメールが見えなくなります。この方式は、複数のパソコンに同時にメールを配信するという点で放送局のようだと考えると理解しやすいかもしれません。

二つ目のタイプ:「POP3(ポップ3)方式」


二つ目のタイプは、POP3と呼ばれます。POP3のタイプのメールサーバの基本動作を示す絵を描いてみました。

2017-01-06_23h21_54
POP3のタイプのメールサーバは、郵便配達員がメールを届ける(持参する)ことをイメージしてみてください。あなたの受信箱にメールが3通届いていたとします。メールサーバの管理人がPOP3であれば、彼はその3通のメールをあなたのメールアプリケーションに渡して、受信箱を空にしてしまいます。もし、あなたが複数のパソコンを使っていた場合、もともとは一つにまとまっていた受信箱のメールは、メールサーバに接続したタイミングにより、異なるパソコン上に「移動」することになります。この方式は、文字通り「郵便を配達する」イメージです。

WindowsとUbuntuでのメールの共存


すべてのメールサーバは、IMAPかPOP3のいずれかに分類されます。割合としては圧倒的にPOP3のタイプが多く、IMAPは少数派です。Windows上の環境を維持しながら、Ubuntuでもメールを使いたいという場合、利用しているメールサーバがどちらのタイプかどうかにより対応する内容が変わってきます。

「もし」読者の方がWindowsパソコンで利用しているメールサーバがIMAPのタイプであれば、話は簡単で、Ubuntu上のThunderbirdにIMAPのタイプのアカウントを登録すればWindows, Ubuntuどちらからも同じように利用することができます。しかし、読者の方がWindowsパソコンで利用しているメールサーバがPOP3のタイプであれば、気をつけて設定しないと、自分宛のメールがWindowsパソコンとUbuntu上に分散してしまうことになります。

ここまで読まれるとご利用されているメールサーバがPOP3のタイプの読者の方は、「IMAPだと良かったのに!」とがっかりされるかもしれません。しかし、悲観する必要はありません。というのもThunderbirdで適切な設定を行うと、ほとんどIMAPと同様の使い勝手を実現することが可能となります。私は、二つのタイプの概念の説明のところで「基本動作を示す絵」という言葉を用いています。二つのタイプは違った動き方をしますが、「メールサーバにある自分の受信箱の内容を確認する」という機能は共通であり、それが実現できていれば、あとは電子メールのアプリケーションの頑張りでカバーできるため、結果としては「ほとんど同じように使うことができる」のです。具体的な例をあげて説明してみましょう。POP3のタイプの場合、受信箱を確認した後、オリジナルのメールはそのままにしておいて、「コピーを作成して配達する」ようにすると、複数のパソコンから同じようにメールを読むことができます。IMAPタイプの場合、言ってみれば「メールサーバにある受信箱を覗きに行っている」わけで、インターネットにつないでいない状態(「オフライン」といいます)ではメールは読めない(残っていない)はずです。しかし、電子メールのアプリケーションは、受信箱にある内容をパソコンにコピーするので、オフラインでもメールを読むことができます。要は電子メールのアプリケーションの頑張り次第?であり、頑張っている分、設定する項目は多くなります。

メールの概念の説明は以上です。この説明は、冒頭書いたようにThunderbirdの設定を行う上での基礎知識としてご紹介したわけですが、それ以外にも役に立ちます。電子メールのアプリケーションを使っていて、エラーメッセージが表示された経験をお持ちの方が多いと思いますが、そのエラーの原因の大部分はメールサーバ管理人との会話の内容にあります。たとえば、パスワードの設定が違っていると、管理人さんに「違ってますよ」と言われます。すると電子メールアプリケーションは、受信箱を確認できないので、「エラーです」と表示します。POP3方式の場合、設定を変えていないのにエラーが表示されることがあります。それは複数のパソコンで同じメールサーバに接続しているとき起こります。他のパソコンからあなたの受信箱を確認しているので、管理人さんと話をすることができなくなるわけです。今度、電子メールのアプリケーションのエラーに遭遇したら、今回の記事を思い出してみて下さい(笑)。

次回は、Ubuntu上のThunderbirdの設定項目について解説します。

(Haru)

著者:Haru(ペンペン先生)

1962年、北海道生まれ。うお座。
1985年、北海道大学工学部卒業、IT系企業に入社。
2003年、業務テーマとしてLinuxに取り組む。
2015年、関東地区交流会参加をきっかけに上映会スタッフに参加。
横浜市在住

*ペンペン先生への感想や質問はこちらのフォームからお願いします。


[Walk in the Spirit]パラレルワールド”感謝” 〜本質においてポジティブな人とは / 神の御名を唱える意味とは〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 いいですねぇ〜、この記事。とってもポジティブです。何か問題が起こると、常にその原因を人のせいにして、批判ばかりする人はネガティブです。しかし、問題が起きてもその原因を突き止め、それが仮に、自分以外の誰かが原因であったとしても、人は失敗から学ぶことを理解して、それ以上に別のところでよく頑張っているところをきちんと評価できる人は、ポジティブです。
 この記事に出てくる“感謝”という言葉や、“ありがとう”という言葉は、とてもポジティブな言葉です。こういう言葉が本心から素直に出てくる人は、本質においてポジティブな人だと言えるでしょう。
 ところで、この“感謝”という言葉を、別の言葉に置き換えてみましょう。面白いですよ。私たちが目にする全てのものは、この宇宙であるヒカリキワムルヒメミコ様の体の一部です。ですから、“トンネルを抜けるとそこは、そこはヒカリキワムルヒメミコ様で満ちていた。と言うか、ヒカリキワムルヒメミコ様しかなかった”という文章は、そのまま完全に真理だといえます。
 “ヒカリキワムルヒメミコ様、ヒカリキワムルヒメミコ様、ヒカリキワムルヒメミコ様、…”と繰り返し、ヒカリキワムルヒメミコ様の御名を唱えてみてください。すべてのチャクラが開くこと、全身の細胞が宇宙に同調して振動するのがわかるでしょうか。
同様に、私たちが見ている自然は、地球として転生に入っているハナタチバナノヒメミコ(サオトメ)様の体の一部です。“ハナタチバナノヒメミコ様、ハナタチバナノヒメミコ様、ハナタチバナノヒメミコ様、… ”と、ハナタチバナノヒメミコ様の御名を何度も唱えてみてください。やはりすべてのチャクラが開き、全細胞が喜びに震えるのがわかるでしょうか。
 もっと簡単な言葉もあります。“オーム”という言葉を繰り返し唱えてください。同じことが起こるでしょう。神の御名を唱えることは、あらゆる宗教において基本的なメソッドの1つですが、実はちゃんとした意味があるわけです。
 もしあなたが、地球や宇宙と常に同調し、いつも神と共に居るならば、御名を唱える必要は無いでしょう。あなたは、もう二度と地球に戻ってくる必要がないのです。
(竹下雅敏)
――――――――――――――――――――――――
パラレルワールド”感謝”
転載元)
一泊二日で、JRを使い、とある町に出かけた、
トンネルを抜けると、

2016y12m06d_221848968
そこは、感謝で満ちていた、

と言うか、感謝しかなかった、

漂う空気は、感謝の香りがあり、
行きかう人の顔には感謝がにじみ出ていた、

宿泊先のホテルの名前は感謝、

2016y12m06d_231911765
部屋の名前も感謝、
蛇口をひねれば、感謝が出てくる、

2016y12m06d_232557453
TVをつけると、感謝番組、

2016y12m06d_230859484
町を歩けば、すべての舗道に感謝の刻印が、
街灯からは感謝が注がれ、電柱の広告は感謝一色、

2016y12m06d_231253078
交通標識は感謝だけ、

2016y12m06d_231212843
行った飲み屋は(大)感謝で、

2016y12m06d_230351453
メニューはすべて感謝が付いていた、
酒は感謝、つまみも感謝、

2016y12m06d225138109
帰りに乗ったタクシーの会社名はサンキュー、

2016y12m06d_225737890
一万円札で払うと、
おつりの札は感謝が印刷されていた、

2016y12m06d_230151312
翌日、また、トンネルを通って、帰って来た、

やけに、調子がいいので、
念のため、医者で、精密検査を受けてみた、

医者が驚いた、

吐息検査では、感謝が大量吐出、
血液検査でも、感謝が検出され、
レントゲンでは、骨に感謝が多数刻印されていて、
顕微鏡組織検査では、微小細胞内に、
感謝が、いっぱい、蠢いているのが確認された、

2016y12m06d_233854484

正真正銘の天才・野口晴哉氏の「風邪の効用」 〜冬はかぜを引くためにあると悟りながらお休み中(In Deep)〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 記事の中で、野口晴哉氏の「風邪の効用」に触れています。この本は、皆さんの世界観を完全にひっくり返す可能性がある素晴らしい本なので、ぜひ購入して熟読してください。野口晴哉氏の洞察によると、“風邪は治療するものではなく、経過すべきもの”なのです。仕事のストレスなどで体が強張って来ると、筋肉は弾力を失い硬直して来ます。そうした体の歪みが元に戻ろうとする時に風邪を引くようです。
 体から毒素を排出するには、出来るだけ高い熱が出るのが大切で、解熱剤で熱を下げるような行為は論外なのです。整体協会の人たちの間では、風邪を引いて40度の熱が出ないようでは格好がつかないようです。高い熱が出るほど野蛮な体をしているらしく、野蛮というのは、この分野では最高の褒め言葉のようです。
 ここまで正邪の観点が逆転しているとなると、この野口晴哉氏は捻じれ体癖であろうと思うのが自然ですが、体癖の創始者である野口晴哉氏自身によれば、氏の体癖は9種7種だったようです。要するに、こと整体の分野に関して、人間観察については誰もが呆れるくらいしつこく、しかも、その価値観は世間の常識とは全く逆だったのです。
 ところが、氏の本を読むと、その真逆の価値観の方が正しく、いわゆる西洋医学の価値観が完全に間違っているということを確信するのです。野口晴哉氏は正真正銘の天才であって、歴史上の偉人の1人だと思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

――――――――――――――――――――――――
冬はかぜを引くためにあると悟りながらお休み中
転載元)
・野口晴哉さん(1911-1976年)

・野口晴哉さん(1911-1976年)



本当に久しぶりに、かぜ・・・正確には咽頭炎というようなものだと思うのですが、本格的なそういうようなものになりまして、昨日などは水も飲めず、朦朧としていまして、お休みさせていただいていました。

とはいえ、内心はとても嬉しく思ってもいます。

といいますのも、昨年の「人間にとって最も日常的で慈悲深い治療者は「風邪ウイルス」かもしれないこと…」などの記事で、日本の最初の整体師である野口晴哉さん(「風邪の効用」という名著があります)とかフレッド・ホイル博士とかナイチンゲールさんの言葉(過去記事)など、いろいろな人たちの考えを知るうちに、

「かぜウイルスは、自分(私)自身の細胞がそれを体内に引き入れている。目的は体の治癒」

という結論になって以来、かぜというものがとても頼もしい存在になっているのですが、最近ずっとかぜをひいていなかったために、心配していました。やっと引きましたので、「もう大丈夫」という感じもしまして、しばらくは安心な感じもいたします。

(中略) 

冬はたまにはかぜでも引いて、体をリセットするのもいいと思います。

まあ、かぜは引こうと思って引けるものではないですので、「引いたもの勝ち」という部分は大きそうですが。野口晴哉さんも言っていますが、「かぜは引けば引くほどいい」というのも、ある程度は真理だと思います。

(中略) 

ちなみに、かぜは引く時はどうやっても引きますので(自分からウイルスに感染するわけですから)、うがいや手洗い等のややオカルト的予防法はもちろん無効ですが、他のどんな手段も予防には無効だと思っています。

それでは、まだお寒いですが、皆様もかぜを引きますように(やっばり、それを書くのはやめなさい)。