アシュケナジの呼称
現在のウクライナのあたり、巨大なハザール王国のあった場所は東西交易の要衝の地、東はローマに西はシルクロードにつながります。多くの商人が行き交い、また古くは騎馬民族スキタイ、そしてフン族など
幾多の民族が興亡を繰り返してきたところにあります。
ハザール王国が成立したのは7世紀、日本では大化の改新の頃です。聖徳太子の家庭教師がペルシア人であったことで分かるよう日本にもこの頃既に幾多の大陸の文化がシルクロードを通り伝わっています。
交易要衝の地ハザールは国際的な交易国でもありました。
さて、
アシュケナジとはドイツのユダヤ人との意味だそうですが、これは非ユダヤ人からのユダヤ人に対する呼称でしょう。
しかしハザール人自身が自らアシュケナジ族だとの自覚があった可能性も実はあります。「ヘブライの館2」の4F「ハザール王国の謎」ここで数々の興味深い記述がありますが、10世紀半ばにスペインに居住するスファラディックユダヤのリーダーからハザール王との間で次のような手紙のやり取りがされたことが記されています。
スペインの首都コルドバは、1492年まで、スファラディが世界で一番多くいた都市で、スペイン・ユダヤ人
(スファラディ)社会の指導者ハスダイはペルシャから来た貿易商人から黒海沿岸に「独立ユダヤ王国」があることを耳にします。やがてコルトバに訪問してきたビザンチン帝国の外交使節団にそれが本当であることを確かめたハスダイは、彼らに
ハザール王国のヨセフ王に宛てた手紙を託します。ハスダイは
ハザールが「失われた10支族」か、確かめたかったのでした。
ハザール王国のヨセフ王からハスダイに届いた(954年)
返信手紙の中には、「650年に成立したハザール王国は、もともとはトルコ系の国であったこと、ブラン王の時代にユダヤ教を受容し、ブラン王の孫(オバデア)が王になった時代に国がユダヤ教に改宗したこと。」など。そして
ハザールの血統に関しては、「先祖はゴメルの子トガルマ」だと明かしています。
ノアの3番目の息子白人種とされるヤペテ、その子がゴメルです。ユダヤ人の父祖アブラハムはヤペテの兄セムの子孫です。従って手紙にあるハザール王の自覚でも
ヤペテの血統である自らハザール人は血統ユダヤ人ではないということです。ただしトガルマの兄、
ゴメルの長男の名はアシュケナジなのです。ですからハザール人は自らが名称としてアシュケナジの一統であるとの自覚を持っていたかもしれないのです。
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冒頭の動画は、敵陣への奇襲作戦のようで、田中龍作ジャーナルによると、 2人の姿を見た昭恵夫人は、一瞬固まったとのこと。黒川陣営にとって、まずまずの出だしというところです。
その下の、“うぐいすオジサン山本太郎”は必見。こういう戦い方をされると、あべぴょんは、ほとほと困ると思います。一度これを聞いたら、耳について離れません。2人は、なかなかの戦略家のようです。