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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第12話 ― 関東軍の独走開始

 新たな年、2021年がスタートしました。昨年までつくづくこの地上世界は、長期間に渡った混濁不透明の光の当たらない世界だったと感じます。新たな年が、光りに満ちた透明な世界へと変貌するスタートになることを願います。
 私が幼少時過ごした家、その前の家の主人は私の父の先輩であり、確か学徒動員からのシベリア抑留者でした。帰国後その方は私が通う小学校の教員となっていたのでしたが、クラス担当になったこともなく、あまり話を聞く機会はなかったのです。それでも少ない機会の話の内に抑留中の飢餓と極寒の苦しみは感じ取れました。
 シベリア抑留者の辛酸もありますが、終戦時、関東軍に見捨てられた満洲移民の悲惨さはとてつもないものでした。少し調べればレイプと惨殺と自殺の山だったのです。誰がどのようにしてこのような大惨事を引き起こしたのか? 日本の大きな問題は、日中戦争から太平洋戦争の総括がなされず、その責任が問われないままで、今日までその体質が維持されてあることでしょう。「過ちは繰り返さない。」、このような言葉は責任の所在を明らかにしない限りは全く信用できないものです。
 日本と米国の国力差は、当時約10倍だったことが孫崎享氏の『日米開戦の正体』の中で指摘されています。この無謀な戦争に舵を切ったのは日本陸軍だったようで、「日本の政府は実質は軍部に乗っ取られ、軍部の独走暴走が日本を地獄に突き落としていった。」こういう話はよく耳にします。
 しかしそうだとしても、なぜ?どのようにして?軍部が日本を乗っ取り、独走暴走していったのか? 軍の暴走の背後には何があったのか? これらのことが明らかにならないと、悲惨な戦争の総括と責任の所在が明らかになりません。私達が透明な社会を、まともで豊かな日本を築く方向に向かって進んでいくには、過去の負の遺産の総括が必要なのです。
 昭和天皇の戦争責任が話題になったこともあります。確かに昭和天皇に戦争責任がなかったわけではないでしょう。しかし事実を洗い直していくと、日本の軍部が暴走し、軍事行動を中国大陸からアジアへと広げていく背後にあったのはやはり八咫烏、堀川辰吉郎を裏天皇に奉じる五龍会の動きが浮彫りになってくるのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第12話 ― 関東軍の独走開始


中国国内での闘争 〜日本の権益拡大派と協調派


袁世凱が1916年に急死し、中国では群雄割拠していた軍閥の激しい権力争いとなります。時あたかも第1次世界大戦の最中でした。

その第1次世界大戦は1918年に終結し、パリ講和会議のベルサイユ条約締結となります。この会議を取り仕切ったのがロスチャイルドだったのは近・現代編の特別編3で見たとおりでした。

日英同盟にあった日本は連合国側として参戦、講和条約ではちゃっかりと中国の山東省の権益を得ていました。1915年に中華民国の袁世凱に突きつけた「21か条の要求」と併せて、これら日本のふるまいに強い反感をもった中国民衆、1919年5月4日、北京から抗日と反帝国主義を掲げる学生運動、大衆運動が広がります。「五四運動」です。この抗日運動を受けて、孫文が中心となって10月に中国国民党を結成します。

抗日と反帝国主義を掲げる五四運動(天安門広場)
Wikimedia Commons [Public Domain]

また、1921年7月にはコミンテルン(国際共産主義組織)の主導により、各地で結成していた共産主義組織を糾合する形で中国共産党が結成されます。

このような中国国内の状況下、奉天軍閥を率いる張作霖が中国全土の掌握を目論んで奉直戦争(奉天派 vs 直隷派)が引き起こされました。この対応をめぐり、日本では海外での権益拡大派と内政不干渉の協調派との間で紛糾します。

孫崎享氏は『日米開戦の正体』にて、日露戦争以降の権益拡大派(積極介入派)には山形有朋、小村寿太郎、後藤新平、松岡洋右、大隈重信の名を、逆に内政不干渉主義(協調派)に伊藤博文の名を挙げています。そのうえで、1920年台前半になると「積極介入派の代表が田中義一協調派の代表が幣原喜重郎」と指摘しています。

積極介入派の田中義一
Wikimedia Commons [Public Domain]
協調派の幣原喜重郎
Wikimedia Commons [Public Domain]

田中義一を支持していたのが関東軍でした。1921年時点での日本の閣議では「日本は張作霖が満洲や蒙古を支配するには協力、しかし中国全体の支配を求めて動く場合は助けない。」としていました。

満洲国首都(新京)の関東軍司令部(総司令部)
Wikimedia Commons [Public Domain]

1922年の第1次奉直戦争ではこの方針が取られます。張作霖は敗走しました。1924年の第2次奉直戦争では張作霖は日本に軍事支援を求めました。日本ではこの対応を巡って権益拡大派(積極介入派)と内政不干渉主義(協調派)との間で大いに紛糾したのです。

結果としては、当時の幣原喜重郎外相の踏ん張りなどで内政不干渉が取られ、軍事協力は避けられました。日本の軍事協力は得られなかったものの、第2次奉直戦争自体では張作霖が勝利して、直隷派は壊滅となりました。

一方、この1924年には国民党と共産党が協力する第一次の「国共合作」が成立し、国民革命軍は華北に進撃。北京入りを果たしますが、しかし孫文は翌年1925年に病没します。孫文の後を引き継いで国民党を率いるのが蒋介石でした。


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メキシコ便り(80):ある日本の店主の思いやりに泣いたpopoちゃんの体験記!


 あけましておめでとうございます。😃今年もよろしくお願いします。🙇
 年末、個人的にとても感動した出来事がありました。是非是非、皆さまにシェアしたいと思いました。
 昨年2020年、たくさん旅をするつもりだったpopoちゃん夫婦はコロナで足止めに。でも、ちゃんと神様は別の計画を用意してくださっていました!(popoちゃんの勝手な解釈ですが😁)

 このコロナ禍、安易に旅行できなければ帰国もできない。そんな中、ある日本のお店とメキシコ在住のpopoちゃんのメールのやり取りから、感動のドラマが生まれました。このコロナ禍だからこそ、より深く胸を打たれたのかもしれません。

 今年もコロナ禍がまだまだ続きそうですが、コロナに思いやりの気持ちまでも奪われないように、心豊かに穏やかに過ごして行きたいと思いました。
(popoちゃん)
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メキシコ便り(80):ある日本の店主の思いやりに泣いたpopoちゃんの体験記!
ちょうど去年の今頃
愛犬ブルドッグの金太郎が亡くなって1年半

旦那さま:「そろそろ、またブルドッグほしいね〜」
popoちゃん:「ね〜!」


popoちゃん夫婦はソファに寝そべりながら
いつものようにたわいない会話をしていた

出会ったときから
食べたいもの、やりたいことはいつもシンクロ✨
だからとっても一緒に過ごしやすい

旦那さま:「でも今年はたくさん旅行したいからブルドッグは来年だね!」
popoちゃん:「だね!」

二人は、体を動かしたり、移動したり
新しいところで、新しい物を見たり食べたりが好き💖
2020年は目一杯いろんなところに行って
新しい体験をしたい気分だった

2月の初め、早速、1回目の旅行に旅立った
行き先はメキシコのプエブラという街
「タラベラ」という焼き物と「モレ」という料理で有名な街
メキシコシティからバスで3時間ほど


「タラベラ」              「モレ」 

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ぺりどっと通信67 交通


【お知らせ】
年末年始 31日(木)、1日(金)、2日(土)、3日(日)の時事ブログは、1日3本の掲載となります。
(編集部)

お久しぶりです。ぺりどっとです。
ずいぶんと寒くなりましたね。寒さ対策にも新兵器をいくつか投入して万策を配しておりますが、それはいずれのお楽しみということで。
今回は、交通に関するお話です。
(ぺりどっと)
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コロナがまだまだ猛威を振るう中ではありますが、ぺりどっと、小型二輪免許を取得してきました。(第3波前の9~10月)

ご存知の通り、ぺりどっとはホンダのスーパーカブ50(排気量50cc)に乗っとります。山奥に住んでいるぺりどっとは、時々市街地に出向き、またこちらに戻る際に山を登らねばなりません。こちら山口に引っ越してきた当時は、何ら問題もなかったのですが、次第次第にパワーが落ちてしまい、ギアを落とさねば登りきることが出来なくなってきていました。かなりの低速になってしまうため、後ろを振り返ると、後続車が連なって渋滞を起こしていることも。。。


また、来春には自賠責が切れることもあって乗り換えを考え、せめてもう少し大きな排気量のモノをと、昨年からずっと検討していました。が、普通自動車免許(50ccのバイクは乗れる)しか所持していないため、二輪免許が必要になったというわけです。

通常、教習所に通って取得される方がほとんどだと思いますが、ぺりどっとは、免許センターで直接試験を受ける、いわゆる"一発試験"なるものにチャレンジしてみました。昨年末、免許センターに何度も下見に来ていたのですが、人気がないのか試験を受けてる二輪受験者の方は一人も見かけませんでした。


試験官から直接聞きましたが、コロナの影響で、一発試験でも教習所でも、二輪免許希望者が今まで見られない程かなり増えているのだとか(とはいえ一発試験での二輪受講者は数人/日)。どうやらバスや電車で通学通勤している方が、人との接触を避けるために二輪免許を希望しているようです。

徹底的なリサーチと対策、練習の結果、何とか先日その技能試験に合格(学科試験は自動車免許所持のため免除)。その後、教習所での3時間ほどの講習を受け、無事免許も取得。教習所に通う費用の4割ほどで済みましたが、正直オススメしません。

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ぴょんぴょんの「パンダはレンタルだった」 〜中国共産党の作戦

2020年は「寝ても醒めてもコロナ!コロナ!」で始まり、
「寝ても醒めてもトランプ!トランプ!」で締めくくる1年でした。
そんな今年に、パンダの赤ちゃんが生まれたって知ってた?
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「パンダはレンタルだった」 〜中国共産党の作戦


生まれたばかりのパンダの赤ちゃん


今年もいよいよ終わりかー。

もー、明日が大晦日だなんて、信じられないよー。


来年はさらに、踏ん張りどころだな。

すごい時代だけど、時事ブログのおかげで、それほど心配せずにここまで来られたね。
来年も時事ブログ、一番頼りにしてます。

だが、頼みのツイッターやユーチューブも、ますます規制がかかりそうだな。

それも想定内だよ。
たとえ、そうなっても、ガヤトリー・マントラ愛のマントラで乗り越えたい。

そして、チャクラ感覚を磨いて正しい判断ができたらええな。

ぼくも、練習中だよ。
そうそう、コロナと大統領選に気を取られてる間に、パンダの赤ちゃんが生まれたの、知ってた?


へえ、生まれたばかりのパンダ、こんな顔してんのか。

和歌山県白浜町「アドベンチャーワールド」で生まれたそうだよ。
ここで生まれたパンダは、これで17頭目。

【パンダの赤ちゃん】生後1か月を迎えました!(30日齢)


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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第11話 ― 中国動乱の震源

 ドイツ関連のことは、①世界への甚大な影響、②現代日本に繋がっている、このような点からも非常に重要なのです。
 ただし、ヒトラーがドイツ首相に就任したのは昭和期だったので、大正編ではドイツ関連のことは一旦離れ、地域としては日本、満洲、中国、アジアのところに戻ります。

 アヘン戦争以来、中国は動乱の渦の中に巻き込まれますが、大正期も中国はやはり更なる動乱の渦の中にありました。
 満洲族が建国したのが清朝ですが、中華革命で清朝が打倒され中華民国誕生。しかし中華民国が誕生しても、中国大陸は群雄割拠の状態で大きく激しく複雑に揺れ動きます。この中国大陸を当時揺り動かしたいわば震源の中心にいたのが堀川辰吉郎です。
 「堀川辰吉郎の娘」を自称の中丸薫氏は、最近の著書の著者紹介欄には «中国生まれ。北京の紫禁城で幼少期を過ごす。» とあり、これは事実だった模様です。中国において、堀川辰吉郎は自分の娘を紫禁城に住まわすことのできる人物だったということになります。
 しかし、紫禁城は皇居で、満洲皇族の住まいであるのになぜ堀川辰吉郎が? 落合氏の「疑史 第71回」(読書日記)によると、清朝末期の満洲皇族の中心が醇親王であり、その満洲皇族との対応を担当したのが堀川辰吉郎であり、醇親王と堀川辰吉郎は «見識相通じて、爾後の満洲経略を練った。四十二年に中島比多吉が紫禁城に入って溥儀の傳役となり、翌年には辰吉郎が紫禁城の小院に寓居を構えるが、すべて醇親王の計らいであることは言うまでもない。» としています。
 実際に紫禁城に堀川辰吉郎の部屋があり、その後の満洲国建国、また中丸薫氏のことを考慮しても、堀川辰吉郎と満洲皇族が密接な関係を築いていたのは事実でしょう。
 一方、清朝を打倒したのは中華革命でしたが、堀川辰吉郎が「中国革命の父」と呼ばれている孫文と昵懇の間柄であったことはすでに見ています。打倒される側の満洲皇族と清朝打倒側の孫文、この両者に堀川辰吉郎は深く通じていたことになります。
 更には、やがて満洲の覇王となる張作霖とも堀川辰吉郎は、落合氏によると「昵懇を通じていた」とのことで、これも事実と見受けられます。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第11話 ― 中国動乱の震源


中華革命の背後にはやはりホワイト・ロッジ 〜トライアドとは?


大正期の始まりと中華民国の誕生は重なっていました。孫文らの革命運動によって清朝が倒され、中華民国が誕生したわけですが、倒された清朝は満洲族によって建てられた国家でした。当然、漢民族からすればイギリスからの侵略を含め不満が多く、打倒清朝の水面下の動きは秘密結社の結成など中国国内にあったのです。

2020/10/27の竹下さんの記事 «中国をコントロールしていたのは「(裏の)イルミナティ」であり、彼らは「光の銀河連邦」の指示で動いていた» と指摘されています。

清朝を倒した中華革命には、秘密結社が実行部隊として深く関わっていますが、さらにその背後には裏のイルミナティ、そして光の銀河連邦の存在があったということでしょう。

そして、この記事では「ヘンリー・メイコウ氏のブログ記事」を載せられています。
そこには «中国のエリートは、共産党指導部、香港の大物、犯罪者のトライアドの合併です。3つの派閥はすべて、イルミナティの協力からその力を導き出しています。» とあり、 «トライアドとは、18世紀の中国に生まれた清朝打倒を目的とした秘密結社・犯罪集団の総称» と指摘しています。

そのうえで、孫文、そして蒋介石もトライアドのメンバーだったとしています。

孫文(右)とその後継者となる蔣介石
Wikimedia Commons [Public Domain]

トライアドは「三合会」です。『兵頭正俊の優しさ出前』というブログの「『三合会』を従える李家(その2)」記事には次のようにあります。

世界のイルミナティはもちろん深く結束している。香港の李一族が、欧米のイルミナティと違っているのは、三合会と深くつながっていることだ。

中国史は、王朝と秘密結社の歴史である。王朝の権力に対抗するには、基本的に秘密結社しかなかった。日本にゆかりのある孫文は、フリーメイソンの権力者で、王朝の権力に対抗するためにあちこちで「三合会」を創り、その指導者にもなっている。その情熱は世界に拡大し、ホノルル、シカゴ、そして日本でも「三合会」の支部を創っている。ほとんど知られていない孫文の素顔だ。

第1話では、孫文と、打倒幕府の天忠党を率い、五龍会の中央の黄龍会の会長となっている中山一族とは密接な関係にあったこと、堀川辰吉郎と孫文が生死をともにするような活動を展開していたことを見ました。孫文は客家であり、同時に「三合会」の有力メンバーだったと見て間違いないでしょう。

八咫烏は全体としてはホワイト・ロッジ所属の「星の教団」の下部組織とのことでした。裏のイルミナティと光の銀河連邦はホワイト・ロッジの組織であり、その影響下にあったであろう「三合会」はホワイト・ロッジに所属の秘密結社ということでしょう。

「三合会」も「星の教団」に関係するのかは不明ですが、「三合会」と八咫烏は早くから秘密結社ネットワークを組んでいて、中国、アジアからの地上世界の再編を睨んでいたということでしょう。


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