Q.介護を続けるうちに、次第に先のことを意識せざるを得なくなると思うのですが、「言いにくいこと」を伝える場面はありましたか。
介護を始めて2週目あたり、4/6頃に、ストローを使って自分で飲むことができなくなりました。吸い上げる力が無くなってきたのだと思います。
いずれ飲んだり食べたり出来なくなる時がくることを予想して、その時には2つの選択肢があることを父に話しました。点滴をして栄養をとるか、自然に任せるか、です。
その2つのメリット、デメリットを説明して、父に決めてもらおうと思いました。
点滴をするメリットは、自然に任せるよりは、少し長く生きられるかもしれないということ。デメリットで考えられることは、身体が受け付けないのに無理に栄養や水分を入れたりすると、身体の何処かに水分が溜まって浮腫んだり、痰がすごく出たりする可能性があって、
思いがけず苦しむ時間が長くなるかもしれないこと。
自然に任せるメリットは、苦しまずスッと逝ける可能性があること。祖母の妹(父にとっては叔母)は延命治療などは一切せず自然に任せていて、最期、急変してからは短い時間で余り苦しむ様子もなく、穏やかにスッと旅立てたことを父も思い出せたかもしれません。
デメリットは、もしかしたら
すごくお腹が減ってしまうのかもしれない!? 我慢できないくらいひもじい場合には、その時に点滴お願いしたら良いかもしれないよ…と伝えました。
また他にも、
医師や看護師さんから何か大事な判断を求められた時、父自身で会話が出来ない
、意識がハッキリしない場合、母(妻)と私(娘)と、どちらに決めてもらうことを希望するかも尋ねました。その他、お葬式についてなにか希望がある?母や私で決めて大丈夫?と訊きました。
この時
「亡くなった後、3日間は魂のために肉体を焼かない方が良いそうだから、そうしても良い?」「お葬式は密葬で良い?」「御香典は受け取らないけど良い?」
と父に問いました。
死に関することを父に直接訊くのは、本人にとって辛いことだろうなと思いましたが、やっぱり避けては通れません。
本人の許可無く勝手に決めたり祈ったりすることはヤマ・ニヤマに反する、と学んでいましたし、父と私のカルマにも係わってくることなので…やっぱり
本人にきちんと選択して決めてもらううことが重要と思いました。
一生懸命説明をして、どうする?と訊いたら、父は嫌そうな顔で、そしてちょっと怒ったような口調で、「解らん!」と言いました。そうだろうなあ、だけど決めることを避けてはいけない、自分自身のことなんだから。。。。
父に「自分の身体のことだから自分で決めないといけないし、私には決められない。勝手に決めたら私の罪になるから…それは困るよ。」と話して、「点滴を受けるかどうかを先生に訊かれた時には、どうか自分で先生に言ってね。」と根気よく説明しました。
なんとか自分で決めてほしかった。
父の決断は「そのままで、自然に委せる。重要なことは娘(私)に決めてもらう。お葬式も一切任せる。」という答えでした。
この答えを聞いて、今度は母にも同様の説明をしました。父の出した答えを伝えて「お母さんはどうしたい?」と訊きました。母も父と同様の選択でした。
Q.あい∞んさんに一切を任せると決められたのは、最善を尽くしてくれるはず、というご両親の信頼でしょうね。
介護を始めて6週目くらい、4/26頃から父の呼吸がしばしば止まりそうになりました。その時期は身体の変化が著しかったです。胸からゴロゴロ音がしたり、シャックリが何日も止まらなかったり、体温計のエラーが続いたり、右脇、左脇で体温差があったり。左側の瞼と目の下のところが、ずっとピクピク動いていたり、尿の汚れが強く量も多くなりました。便が大量に出たり、ストーマの袋もガスで直ぐにパンパンに膨らんだりしていました。
その頃、父が、目をパッチリ開けて何処かをじっと見ていることや、上に手を伸ばして何かを掴もうとしていること、
誰かとはっきりと話をしていたことがあり…。
あぁ…
死が近いのかもしれないな…と感じました。
「シャックリが三日続くと死ぬ」とどこかで聞いたことがありますが、確かにシャックリは身体にとってかなり負担のかかることだと、後から思い至りました。
呼吸も、マラソンをしている時の様な、2回づつ吸う吸う、吐く吐く、みたいなリズムでした。寝たきりでも、ずっと走り続けている様な大きな負担が身体にかかっていたのではないのかな…。
呼吸が止まりそうになったり、気づくと呼吸が止まっていた時は、父の目がパチパチっとなって、「あれ?」というビックリ顔になっているように見えました。手を握ってあげたり、胸を撫でてあげたりして、しばらくすると呼吸が戻ることが続きました。
父の眼がとても澄んできていたので、お迎えも近いのかもと感じました。父が穏やかに神様に意識を向けて旅立ち出来そうかも…と、ちょっと、ほっ…とするような気持ちにもなりました。その時期、娘も学校から帰省中でしたので、みんなが揃っている時に穏やかに見送れたらと思って、娘と一緒に父の手をさすってあげたり握ってあげたり、「今まで、ありがとう。」とか、「あんまり優しくしてあげられなくて、ごめんね。」とか話しかけながら、ずっと傍に居て見守っていました。
本当に何度も呼吸が止まり、しばらくそのままなのですが、必ず息を吹き返して、ちょっと、ほっ…とした顔をしている様に見えたので、「あれ?何かちょっとおかしいな…、もしかしたらまだ逝きたくないのかも?」という考えが浮かびました。
「三脈を測ること」を、
ぺりどっと通信で教えていただいていたので、自分なりに父の三脈をとってみると…あら?どうやら脈がすごく元気かも!?ドクドク元気な血流で、ズレていないかも!?私の脈と比べてみよう…と自分の脈を測ってみたら、すごく弱々しくて…余りよく解らん…私の方が死にそう?!な脈やん!! と、コントみたいなことが発覚して、娘と顔を見合わせてしまいました。
父に、「もしかして、死ぬの嫌なん?」と聞いてみたら、こくんと頷きました。「死ぬのが恐いん?」と聞いてみたら、また頷きました…。
旅立ちを怯えながら死ぬのは良くないかも…と感じたので、
父に、死ぬのは恐くないから大丈夫、と伝えました。以前にも一度伝えていたことをもう一度、竹下先生の講話で教えて下さっていること、教えて頂いた内容を、父にも伝えました。
もしも誰かがお迎えに来てくれるなら、一体誰が来てくれるのか私なら楽しみだし、
もしかしたら父の親友キンちゃんが迎えに来てくれたりしたら楽しみじゃない?と父に話すと、表情が柔らかになりました。
死ぬ時には、神様が迎えに来て下さって「痛いのをよく我慢してがんばったね」と、きっと褒めてもらえるね、と父に言うと、頷きました。死ぬ時には、
神様に「良いところに連れて行って下さい」とお願いして安心していたら良いよ~、幸せになれる場所に行って、幸せにならんとね♪と父に言うと、顔と心がほころんだ様に見えました。
きっと心の深いところに、届いたかも…安心したかな…と思いました。呼吸が止まっている時は痛くないの?と訊いてみたら、痛くはないのだそう。
痛くないなら良かったな…と、私も安心しました。
「なんくるないさー」は、挫けずに正しく歩むべく努力すれば、いつか良い日が来る、という意味だそうです。生きている中で沢山の色々な事が起こるし、沢山挫折もするけど、「まるっ」と今を受け入れて、「なんくるないさぁ~」を心の杖にして生きれたなら良いな~♪
(あい∞ん)
これは喜ばしい事ですが、小児科の経営という意味では大打撃です。幸い我が家は借金がなく、家賃も払う必要がないので、どうにか回っている状態です。このままいくと倒産するところも増えるのではないでしょうか。
一方で、世の中は少子化が進み、子育て環境の変化に伴って子どもの姿が大きく変わってきました。ある意味、大人社会の経済中心の生活が子どもの成長に影響を与えています。特にコロナ禍で、家の中に籠っている子ども達。周囲から苦情が来るので、静かにしているように強いられて、その代わりにメディアを与えられています。
都会に住む、知り合いの3歳の女の子が、いきなり奇声を発するようになりました。暴力をふるったり、癇癪を起して手に負えません。困り果てた親は精神科を受診して薬を貰うようになったとか。これは決して病気ではなく、子どもが子どもらしくいる事を制限されたストレスの症状です。このような子がどのくらいいるのでしょう。
そんな子ども達の事がとても気になります。子どもの健やかな成長を支援するのが小児科です。今後、子どもが大人社会の犠牲者にならないためにも、小児科医の役割が大きく変わる必要があるのではないかと感じています。経営面ではますます赤字になりますが・・・。
今回はコロナ禍で家に籠りがちなママのために、子どもの家庭内事故について書きたいと思います。特に、新米ママ達は子どもがいる暮らしさえ想像できないまま赤ちゃんのお世話をしています。