アーカイブ: オリジナル記事

ままぴよ日記 31

のんびり歩きながら何を話したかも忘れるような会話。
これちょっと辛かったね!など言いながら同じ皿からつつきあう夕餉。
気を許した、空気のような家族。
いさかいがあれば、気を許せないことを知る。
ぼーっとできる事の何と幸せな事か!
心がざわめいていたら、ぼーっとできないことを知る。
本当に欲しいのは遠くの栄光ではなく、近くの安らぎ。
(かんなまま)
————————————————————————

絵本の中にあった公園


今日は日曜日。珍しく娘のパートナーも午後から休んでボストンのコモンパークに行くことにしました。この公園は「かもさん おとおり」(ロバート・マックロスキー福音館書店1965年)の絵本で有名です。私が子育てしていた時から大切にしている絵本で、孫たちも大好きです。

ボストンのコモンパーク

公園の風景をそのまま描写しているので今でも同じ風景が残っています。主人公のカモのマラードさんと子ども達の銅像もあり、孫たちは絵本の世界にタイムスリップしたみたいにはしゃいでいました。なぜか我が家の本棚にあるはずの絵本が飛行機に乗ってコモンパークまでついてきているのにもびっくりしました。犯人は娘です。

Author:theilr[CC BY-SA]

子ども達はパパも一緒なのでハイテンションです。パパの隣でおにぎりやサンドイッチを食べるだけでも嬉しそう!パパも久しぶりに子ども達と過ごせて楽しそうでした。


日本から赴任してくる家族


ボストンに永住を決めたご夫婦から聞いた話ですが、今まで何人も日本から赴任してくる家族を見たけれど、面白いくらいに2パターンに分かれるというのです。一方は日本社会の働き方を貫ぬくタイプ。

帰国することが前提なので子どもの教育に気を抜けません。現地の学校に通わせながら日本の有名塾の通信教育を受講させ、日本語学校にも通わせます。時々日本人同士の親睦パーティがありますが、男性は男同志で仕事の話ばかり。女性は子どもの教育やお出かけ情報の話ばかりしているそうです。このコミュニティの情報は魅力的ですが、ストレスの基にもなっているようです。

もう一方のケース日本的な働き方をしていたけれど、日本人コミュニティよりも現地の社会に溶け込み、アメリカ人の働き方を見て途中から生き方を変えるケースです。その旦那さんも仕事中心で家事も子どもの世話もできない人だったけれどボストンに来て変わっていったそうです。

職場では家族や教育の話もするようになったとのこと。もともと子ども好きな方で、子どもと遊ぶのは得意。子ども達もパパが大好きになり家族の中での存在感が日増しに大きくなって仕事の自信にもつながっているそうです。


» 続きはこちらから

独逸の伯林で見た、聞いた、感じた社会問題、教育問題 ~第44楽章 壁とか国境について考えてみた・・・

第43楽章にも書きましたが、冷戦時代、ベルリンには、ベルリンの壁があり、1961年8月13日から1989年11月9日まで東西に分断されていました。
日本も戦後、日本の分割統治の計画があったそうです。

ベルリンでは、子供時代から学校でも国境があった方がいいのか・・
国境はない方がいいのか・・と関心が高い問題なのです。
日本は海に囲まれているので、あまり国境について考えることは
ないと思います。
もし、日本がフォッサマグナあたりで東西に分かれていたら・・

第44楽章は、壁とか国境について考えてみた・・・
(ユリシス)
————————————————————————

ベルリンの壁崩壊30周年コンサート



ベルリンでは8月24日にブランデンブルグ門の前で
ベルリンフィルハーモニーによるベルリンの壁崩壊30周年の意味もあり、
また、新しい指揮者キリル・ペトレンコ時代の幕開けということで、

Author:A.Savin[FAL]
キリル・ペトレンコ

オープンエアーでの入場無料のコンサートが開催されました。
3万4千人もの人々が集まり、盛大な記念すべきコンサートになりました。







» 続きはこちらから

ぴょんぴょんの「Q・Q・Q」

 アメリカから世界が変わりつつある、その最先端にいるのがQ。
 日本でも「Q army Japan」が活動開始して、何かが変わっていく気配を感じる。
 そんなQについて、おさらいしてみた。
(ぴょんぴょん)
————————————————————————
ぴょんぴょんの「Q・Q・Q」


Qとは何か?


今さら、聞きにくいんだけど、Qってなあに?

おめえ、毎日時事ブログ見てて、まだわかんねえのか?

こないだ、隣の兄ちゃんにQのこと説明しようと思ったら、うまくできなくて。

Eriさんが代表の、日本版Q「Q army Japan」のことは知ってるな。

知ってる。
Qmap翻訳チームから、日本人で初めて、マイケル・フリン率いる民間デジタルソルジャー部隊、〈Q情報軍・特殊部隊〉に抜擢された人だよね。

電通ツイッターから、しょっちゅういやがらせされて、大変そうだがな。

でも彼ら、がんばってるよ。

Qとは何か?
おれが「Qとは何か?」と思ったのは、ちょうど1年前の時事ブログの、popoちゃんの記事だった。
「Qanonはおそらくグループでやっていて その中にJFK Jr. も入っているわ。」


Wikimedia_Commons[Public Domain]
JFK Jr.

ビックリしたよね。
なんでここに、ジョン・F・ケネディの息子が、出てくるの?って。

おめえもか?
ところで、Qを産み出したNSAのこと、知ってるか?
NSAとは、 National Security Agency(アメリカ・国家安全保障局)、アメリカ国防総省の諜報機関だ。 (Wiki)

Wikipedia[Public Domain]

Qは、NSAから生まれたの?

話は、ジョン・F・ケネディの時代にさかのぼる。
当時NSA内にいた愛国者らは、CIAがディープ・ステイトの支配下にあることに気づき、
売国奴ディープ・ステイトから、アメリカを取り戻すべく決起
した。
彼らは、ジョン・F・ケネディを応援することに決めた。
(復活したケネディの反撃)

ところが、ケネディは暗殺されちゃった。

第1ラウンドは、Qの敗北に終わった。
だがな、ケネディ家の墓を見てみろ。


» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第4話 ― 討幕派とは誰か

 明治維新の底流には外国勢力の日本侵略計画があることを見てきました。外国勢力とは全体として表現すれば欧州の「黒い貴族」という表現が間違いないでしょう。イギリス東インド会社のアメリカ支店のペリー率いる東インド艦隊来航が日本を大きく揺さぶり、その後の大変換を呼んだのです。
 ただし、無論具体的には外国勢力の働き中心で徳川幕府の転覆から明治維新が成立したわけではなく、日本の内部にある勢力の働きでそれは達成されていったのです。
 この日本内勢力は通常は薩長と捉えられているでしょう。明治維新は定番として“薩長VS徳川幕府”の構図で語られるからです。そして薩長が倒幕から明治維新の一大勢力であったのは間違いはないです。
 しかしそれ以前に倒幕、明治維新を牽引する国内勢力がありました。薩長などが合言葉にしていたのが「尊皇攘夷」で、これは水戸光圀からの水戸学から生まれた思想です。日本全国に広がった「尊皇攘夷」思想が倒幕、明治維新に繋がったのです。
 実は意外かも知れませんが、水戸徳川が倒幕勢力の中心でした。つまり、徳川幕府の内部に倒幕勢力の中心があったのです。そして更に水戸徳川と連携していたでしょうが、倒幕勢力の本体が別にあったのです。
 この勢力が現在の安倍政権とも繋がっている勢力でもあります。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第4話 ― 討幕派とは誰か

明治維新の牽引者 〜南紀派と一橋派の争い


明治維新の最功労者は徳川慶喜。こう記すと「まさか!?」と驚かれるかも知れません。私自身もそのような情報に接した時「え!?」となりました。

私達には明治維新は”薩長VS徳川幕府”、この構図が刷り込まれています。それで私の中にも維新の流れを見ると、「徳川は随分あっさりと身を引いたものだな」との感はあっても、「徳川自身が明治維新を進めた」、こういった言葉が存在していなかったからです。

ただし事実として、徳川最後の将軍徳川慶喜はあっさりと「大政奉還」を宣言し、鳥羽・伏見の戦いでは部下を置き去りにし敵前逃亡、その後江戸城を開城しているのです。この慶喜の行動で速やかに維新は成立していったのです。

鳥羽・伏見の戦いでは、外国勢力は抜きにして薩長軍と幕府軍のみを比較したら、全体の兵力は幕府軍が圧倒していたのです。ところが司令塔が不在になり、幕府軍は敗退するのです。将軍慶喜の存在なくしてあのような明治維新は無かったのです。


さて、このような情報を与えてくれたのがリンパ球バンク株式会社の「表に出始めた明治維新の真実 ~総集編」という記事です。少し長いですが文章は巧みで、全文読まれたら良いかと思います。「どうかな??」と思える部分はありますが、概ねは記述されていることに間違いはないと思います。

この目次の中に「討幕の英雄三傑、慶喜将軍、勝海舟、榎本武揚のその後」とあります。薩長VS徳川幕府の視点ではなく、倒幕の英傑を慶喜将軍、勝海舟、榎本武揚の三名としているのです。明治維新を牽引したのはむしろ徳川内部からの勢力だったという視点です。

この記事では「倒幕派の重鎮」としてまず水戸徳川、そして島津斉彬(薩摩)山内容堂(土佐)松平春嶽(福井)の名を挙げています。ここで挙げられている「討幕派の重鎮」メンバーは、「倒幕派」というよりは全体的には「一橋派」とした方が正確で無難かな?とは思えるのですが、幕末に将軍の後継者問題が勃発し「南紀派」と「一橋派」の争いがあったのです。

歌川広景筆 『青物魚軍勢大合戦之図』
編集者註:将軍継嗣問題(一橋派 vs 南紀派)を風刺した幕末の浮世絵。蛸は水戸名産で「徳川斉昭」、藤顔(冬瓜)は「井伊直弼」。詳細はこちら
Wikimedia Commons [Public Domain]

簡単には血統を重視する保守派が「南紀派」、一方の能力主義の根本改革派が「一橋派」です。「一橋派」が推していたのが英名と評判の「一橋慶喜」、後の徳川慶喜です。しかしこの争いは「南紀派」が勝利します。

この流れの中で大老に就任していた井伊直弼は日米修好通商条約に調印し、それに激昂する水戸徳川などに対して「安政の大獄」を断行します。井伊直弼の行為は大老として徳川幕府の権威を守り回復し、外国勢力と正常に対処していくためのものだったと見受けられます。

しかしこの井伊直弼は程なくして凶刃に倒れます。「桜田門外の変」です。脱藩水戸浪士グループに大老が惨殺され、幕府の権威は完全失墜したのです。

そしてこの後は「一橋派」が日本国内を牽引していくのです。即ち「一橋派」が維新の主要メンバーとなるのです。

» 続きはこちらから

ぺりどっと通信48 サマータイム


 夏真っ盛りで猛暑日連発だとばかりに思っていたら、梅雨のような長雨が続きました。お陰で楽に過ごせましたね。
(ぺりどっと)
————————————————————————

今年の夏もなかなか暑かったようです。暑い日が続きますと、熱中症が気になるところです。ぺりどっと宅ではエアコンがありませんし、今後設置する予定もありませぬ。

今夏の暑さでぺりどっとが熱中症になる前に、時事ブログ編集の相棒であるノートパソコンの方が悲鳴をあげてしまいました。何時間もずっと編集作業などを続けていましたら、パソコン本体の温度が上がり過ぎてしまい、動作が非常に遅くなったり、ネットにもつながりにくくなりました。

ノートパソコンはデスクトップ型に比べて小さく、パーツ同士がより密接していて、そのため熱が内部にこもりやすく、熱暴走してしまうようです。これが過ぎると、電源が勝手に落ちたり、故障を起こしてしまうようです。

ぺりどっとは、ノートパソコン本体にモニターやキーボード、マウスなどを接続しまして、デスクトップPC本体のような使い方を自宅ではしてます。



こうすることで、自宅ではデスクトップパソコンのような快適さが手に入り、外出時にはデータの移し替えなどの手間なく、そのままノートパソコンだけ持ち出せるというわけです。

そのデスクトップ化したノートパソコンを持ち上げて下に空間を作り、そこに卓上型の小さなミニ扇風機で風を当てて空冷してあげると、とたんに熱が下がり不具合がなくなりました。ついでに、Wi-Fiルーターやノートパソコンのアダプターも一緒に冷ましてあげてます。これで、熱でウンウンと唸っていたぺりパソちゃんが完全復活♪

パソコンをひっくり返して風を当ててる図


さらに次の「お金をかけずにお金を使う方法」も併せるとより効果的なようです。


» 続きはこちらから