アーカイブ: オリジナル記事

牛サマディー君の読書レビュー⑤:日本人だけが知らない戦争論(中)~革命の黒幕、銀行家

前回の続きです。『一般的に「正義の革命」であると思われてきたものは、実は背後で銀行家たちが巧みに糸を引いて起こされたものであった』これが今回の要旨です。このような視点は未だマイノリティーではあるものの、昨今はネットや書籍などで多くの人々に広まりつつあり、今や”陰謀論”と馬鹿にされるものではなくなってきた感があります。いわゆる専門家や学者などよりも、普通の一般庶民の方がすんなりと真相を理解している傾向にあるように感じます。今回の内容に関しては、今まで知らなかった人でも、比較的多くの方にとって受け入れやすいものであるように思います。レプティリアン、天皇の金塊、裏天皇や八咫烏、秘密宇宙プログラム…などとなると、社会常識から外れすぎているため、多くの方にとって未だ受け入れるのにはハードルが高いのではないでしょうか。さらに、竹下氏が提供する天界の情報や直観の情報となると、ほとんどの方が受け入れ拒絶反応を起こしてしまうのではないか想像します。竹下氏が度々言及しているように、誰が本当のことを言っているかを見抜くことの出来る清い感性、真理を素直に受け入れることの出来る柔らかい頭と開いた心、これが非常に大切なのだろう思う次第です。
(牛サマディー)
————————————————————————
日本人だけが知らない戦争論(中)~革命の黒幕、銀行家

Wikipedia より
フリーメイソンのシンボル、プロビデンスの目




銀行家は、恐ろしい程の絶大な権力を有している。以前の記事「利子なるもの」において、このことを言及した。過去の歴史、そして現在を在りのままに紐解いてゆくならば、まさに銀行家こそが世界を牛耳り我が物としていることは明々白々である。最大の利権こそ“お金”であり、“お金”を支配する者こそ世界の覇者となるのだ。

しかし未だかつて、このこと―つまり銀行家が世界を牛耳っていること―が、大手マスメディアの報道に載ったことなどあったろうか?学問も報道も御用機関と成り下がり、この世界は嘘と偽りで満ち溢れている。
真実とは、なんと得難いものなのだろうか―――語られないものの中にこそ、大いなる秘密が隠されているのだから・・・。


Pixabay 〔CCO〕




日常的な意識を飛び越えて・・・



日常的な意識を飛び越え、“彼ら―統治者”の視点から世界を見渡してみよう。我々が目にすることの出来る表面的な出来事の背後には、実はそれとは全く異なる潮流―より深淵な論理の流れ―が存在する。その深層的な世界の有り様を見て取れる者こそが、真にこの世界を熟知している者であると言えるだろう。竹下雅敏氏が映像配信で度々言及している“意識の展開図”を思い起こして頂きたいが、「今だけ・金だけ・自分だけ」という極めて狭い肉体意識の中に埋没している限り、統治者の策略を理解することなど決して出来ない。思考が浅く、狭い意識状態の中に閉じ込められてきた我々民衆が、これまで統治者の繰り出す巧妙なトリックに騙され続けてきたという歴史的事実は、ある意味当然の帰結なのであった。


Pixabay 〔CCO〕




そのような意味で、本書を読む価値は高いのかもしれない。我々が教えられてきた世界史―表面的な出来事―の背後に潜む一貫した流れが、すなわち銀行家たちの策略が、見事に簡潔に分かりやすく記されているからだ。
過去の歴史を振り返ってみると、世界各地で数多くの戦争や革命が勃発し、あまたの死者を伴う大きな社会変動が巻き起こってきた。イングランド革命、フランス革命、ロシア革命、明治維新、米独立戦争、南北戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦・・・。一体これらの出来事は、自然発生的なものなのだろうか、はたまた“誰か”の意図により計画的に引き起こされたものなのだろうか。本書を読めば分かるのだが、その答えは後者であり、もちろんその“誰か”とは大銀行家のことである。オリバー・クロムウェルの主導したイングランド革命など、正義の革命であると思われてきたものは、実は銀行家が国家から通貨発行権・信用創造権を奪取して国家を乗っ取るという目的に基づいた流れなのであった。本書ではそれぞれの出来事について詳細な解説がなされているが、字数の制約があるため本稿ではその一部の要点のみを記しておきたい。

» 続きはこちらから

ー通過儀礼ー リース詐欺の体験 〜第3幕 呼び寄せたもの〜

 電話機リース詐欺は3次にも渡ってしまい、大きなトラブルになってしまったのですが、この最大の要因は私の当時の生活姿勢にあったことは否めないのです。電話機リース問題は業者の明らかな詐欺行為で完全な犯罪と言っていいでしょう。その意味で詐欺行為を働くものが悪いのは当然で、ことを明らかにして然るべき処置はされるべきでしょう。事実その後の展開にて“こと”が明らかになるにつれとんでもないほどの大きな種々の問題、闇が相手側にあったのが判明していきます。その大きな問題、闇、そして隠れた本当の主犯についてはおいおい明らかにします。しかし、いくら相手が悪いとはいえ私の側に問題がなければこのような事態に私が陥ることがなかったのも紛れもない事実だったのです。節分で「鬼は~外、福は~内」と豆まきしますが、この逆に「鬼は~内」と自らの内に鬼を呼び寄せたのは私でもあったのです。
(seiryuu)
————————————————————————
ー通過儀礼ー リース詐欺の体験 〜第3幕 呼び寄せたもの〜

pixabay[CC0]


認識できていなかった我が身に起きている事実


                                                        
「銭勘定など下世話で低俗な行い。」この不遜な「思い込み」が私の中で確かに植え付けられ存在していたのです。・・・当たり前にせねばならない義務作業(今も怪しいものなのですが)を、私は免罪符を有しているように実行せずに済ませていたのです。
                                  

特集記事4月号(上)の解説で上記のように記していました。お金をきっちり計算し経理を行いしっかり記録して認識することとお金に執着することは全く別のことです。ところが私はそれを混同していて全くお金の計算、経理を行っていなかったのです。(これは逆にお金に対しての態度の妙な執着の現れかもしれません)。

寺院ですからお布施や寄付などが私に手渡されます。これは裸でお金が渡されることはなく丁重に紙に包まれています。私はその包み紙からお金を取り出すこともしていませんでした。家には妹、そしてお寺には事務員の方がおられ、その二人に包みごとまとめて渡して計算や経理は(そして雑事も)任せっきりだったのです。

銀行通帳も預けっぱなしで手に取って確認することもしていませんでした。日々の経理どころか月単位でのお金の出入りも見ていなかったのです。当然月々リース料の銀行引き落としも認識できていなかったのです。バカ殿様そのものです。私は寺の住職ですから法人代表者であり、そして経営者でもあるのですが経営者としては完全に失格です。これでトラブルが生じないほうが不思議です。自然当然の成り行きで“それ”は来たるべくして来るべきときにやってきました。

既に【概要】で記したことですが、2002年3月11日、(株)Sラム(現在社名はオフィス○4)のO庭という男が突然訪問してきて「必要な工事だ」と騙り書類への押捺を迫ったのです。O庭に応対し押捺したのは妹でした。ただ彼女の名誉のため付け加えると妹は私の許可なしに勝手に押捺したわけではありませんでした。O庭訪問時に「何か良く分からないけど電話工事の人が来ていて工事しなくてはいけないとかと言っているんだけど?」と私に声かけはしたのです。他のことをしていた私は(どうせ、近辺の簡単な電話線工事で、工事許可ための一応の断りだろうと思い)「事務員さんと相談して処置しといて。」と返答していたのです。私のこの対処で“こと”は“おおごと”になっていくのですが、それ以降の数年に渡る長い期間、現に我が身に起きている事実を私は明確には認識さえできていなかったのでした。

pixabay[CC0]



» 続きはこちらから

かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(13)抱っこ

かんなままさんの執筆記事第13弾です。 
————————————————————————
抱っこ
子どもは愛情が欲しいときには甘えてきます。それを察知したら、すぐに抱きしめてあげてください。

1歳半まで心を込めて、たくさん抱っこしてください。もうこれでもかというくらい抱くことです。子どもが起きている時は、ずっと抱いているというくらい抱くこと、子育ての要点はこれだけです。抱き癖なんて全然つきません。

うちは、夫婦で育ててきました。1歳半位まで赤ちゃんが起きている間は、必ずどちらかが抱いていました。

出典:「ぴ・よ・こ・と」竹下雅敏(著)


赤ちゃんは色々な感情や生理的な不快を、泣くことで表現します。よく見ていると泣き方の違いが分かりますが、新米ママは、泣いたらすぐにおっぱい、おむつだけ対応して、泣き止まなかったら「何で~?」と悩み、甘えをネガティブなイメージで捉えている人が多いように思います。

赤ちゃんは、甘えることで安心して育つことができるのです。存分に甘えさせてください。手をかけ、目をかけ、心をかけてください。その要求が満たされたら自ら自立の芽が出るのです。

でも、最近気がかりなのは抱き方の事です。特に首が座っていない時期の赤ちゃんはふにゃふにゃなので抱くのも怖いのですが、首も支えず、つぶれたように縦に抱いている姿を見かけるようになりました。抱っこひもの普及で縦抱きが当たり前になっているのでしょうか?

抱き方の基本 抱っこ紐とベビーカーについて


先日、抱っことおんぶの学習会に行って、この危機感は私だけではないのを確認してきました。
本来、子育ては見よう見まねの学習で伝承されてきたのですが、最近は子育てを親の努力義務にして、伝承と見守りが途切れてしまったと感じています。だから抱き方の基本も伝えていないのです。

対面抱き
(絵・かんなまま)


まず、首が座っていない時期の対面抱きの仕方は、片方の手で首の付け根と頭をしっかり支えて、赤ちゃんのおしりをママのおなかの上に乗せて足を広げ、もう片方の手で背骨をまあるく意識しながら支えます。赤ちゃんは安心して身をゆだね、脱力します。そして、赤ちゃんの顔をしっかり見て笑いかけたり、話しかけたりしてください。赤ちゃんも笑ったり、声を出したりして反応してくれます。


うつ伏せ状態でもたれかける抱き方


又は、ママやパパの体にうつ伏せ状態でもたれかける抱き方があります。その時、高く抱いて赤ちゃんの頭をママの肩にもたれかけます。そして、赤ちゃんのおしりと背中を支えます。赤ちゃんのお顔が横にあって、息遣いを感じます。おっぱいの匂いがします。なあんて、かわいいんでしょう!


横抱き


横抱きの仕方は、おなかの中にいる延長で、まあるく抱きます。手足を伸ばさない、体をねじらないで包み込む抱き方です。ママは肩の力を抜いて脇を自然に閉めて両腕で赤ちゃんをすっぽり包むように抱きます。これも、赤ちゃんにとってママのお顔が一番見える距離で抱きます。

そして首が座るようになったら自分から体を起こせるようになるので、抱き方を変えます。それ以降の抱っこは一方的にママが支えるのではなく、赤ちゃんとのコミュニケーションになります。お座りができるようになった赤ちゃんは背中の支えを緩くすると自分から抱きつくようになり、ハイハイ、つかまり立ちへと移行していきます。

抱っこ紐で抱かれている赤ちゃんは、一方的に支えられているので、自分で体を起こしたり、バランスを取ることができません。その状態が習慣になると、素手でおんぶしても自分から抱きつこうとしないし、バランスが悪くても平気な顔をしています。とても怖いです。

そして最近の抱っこひもは、そのまま寝ることができるように赤ちゃんの頭を布で覆います。抱かれている間、赤ちゃんは周りを見ることができません。小さい時からこの抱かれ方をしていると、自ら正中線を整えてバランスを取ったり、手を出して働きかけたり、外を見て刺激を受ける機会が減ってしまいます。

ベビーカーもしかりです。背中を倒して、膝の角度も広いので、自分から坐骨で支えて座ったり、背中を起こして調整することができません。実は力を入れられない不安定な座り方なのです。自分から手を伸ばして何かをしたりすることができないので、やる気をなくしてしまいます。どちらも親にとって便利な道具なのですが、長く使ってしまうと子どもの育ちが気になります。わざと、でこぼこ道や坂をハイハイしたり階段を上るのはいいですね。(下りは気を付けて!)

» 続きはこちらから

ー通過儀礼ー リース詐欺の体験 〜第2幕 弁護士事務所にて〜

 前号で概要をお示ししたように2002年から2005年にかけて私は電話機リース詐欺に引っかかっていたのでした。それもうかつなことに3度目の訪問販売業者(株)日本システムラインとのやりとりで初めてはっきりとそのことの認識ができたのであり、2005年1月時点のそれまではきちんとは気づいてもいなかったのです。この電話機リース事件が以前記した特集記事を解説する寄稿記事の中で「カルマが返り見事に転倒した。」「NTTの構造改革大量リストラが私にも重大な影響を与えた。」(これについてはいずれ記述します。)と記述していた意味だったのです。
(seiryuu)
————————————————————————
ー通過儀礼ー リース詐欺の体験 〜第2幕 弁護士事務所にて〜

pixabay[CC0]



意外な光景


2005年3月中旬のその日、私は(株)日本システムラインとの最終合意文書を取り交わすため大阪の弁護士事務所に赴いていたのです。

まずこの弁護士事務所ですが、5名ほどの弁護士が勤務している事務所で主幹弁護士(女性)は私の生家の斜め前にある家のご出身です。そしてその家は私の寺の古くからご門徒(檀家)であり、私の家とは昔に(途切れたのですが)血縁関係があったので親戚でもあるのです。何か問題が起きたとき最も頼りになる存在だったのです。既にこの日までに幾度か足を運んで相談を交わしていました。

日本システムラインに対してはすでにこの弁護士事務所から契約無効取り消しの内容証明は送付してありました。また、その訪問トークによる三井住友銀リースとの契約は書類不備で成立はしていなかったことがこの日までに発覚していました。それで日本システムラインとの問題解消これについては簡単な確認で済むものと私は思っていました。弁護士側もそう考えていたのか、その日の応対は私の事件担当の古参弁護士ではなく主幹弁護士の息子さんの若い弁護士が担当することになっていました。私の関心事は既に日本システムラインとのことは終わり、その前の(株)トラストコミュニケーションズ、(株)スクラムとの契約を外すこと、そしてこの電話機リース詐欺の背後にある問題に移っていた状態だったのです。

ところが、午後3時頃と記憶しますが私が弁護士事務所に到着してみると意外な光景が飛び込んできたのです。私がドアを開けると既に日本システムラインの幹部社員が数名来ていました。そしてその社員たちは応対している若い弁護士に口々に何かを欲求し激しく詰め寄っているのです。若い弁護士のほうが圧倒されてタジタジとなっているのです。これは当時の私には非常に意外な光景でした。私は日本システムライン等の悪徳業者は素人相手ならともかく弁護士など法律のプロの前ではそそくさと退散するものと考えていたのです。しかし現実は違っていました。いくら若いとはいえ相手は弁護士です。そして場所はその弁護士事務所の中です。ところが彼らは全くひるんだ様子はなく逆に弁護士をやり込める勢いなのです。「大魚は逃がしたが少しでも分け前は頂くぞ」との姿勢です。弁護士ともやりあった相当の場数を踏んできているのが伺えます。

pixabay[CC0]


私が席に着き合意に向けた話し合いが始まります。会話自体は静かで落ち着いたものです。そして結論です。結局、私にとっては決して本意ではなかったのですが幾ばくかの和解金?を支払うことで決着となりました。そして多少不本意とはいえ日本システムラインとの一件は終了し、これはこれで良かったのですが問題はこの後でした。

» 続きはこちらから

牛サマディー君の読書レビュー⑤:日本人だけが知らない戦争論(上)

 今回紹介するのは、苫米地英人氏の著作です。彼は毎週木曜日にTOKYO MXの「バラいろダンディ」にコメンテーターとして出演していますが、彼の番組内での政治経済や世界情勢に関する発言の多くは非常に的を得た鋭いものであり、シャンティフーラ時事ブログにおいても度々取り上げられています。余談ですが、TOKYO MXといえば以前は上杉隆のレギュラー番組がありましたし、古賀茂明や山本太郎、ベンジャミン・フルフォードなど他のテレビ局では見られないようなメンツも度々MXに登場しており、なかなか面白いテレビ局ではないでしょうか。個人的には、リチャード・コシミズ氏にも一度ゲスト出演して頂き、不正選挙の告発を放映すれば爆発的なインパクトがあるのではと思うのですが・・・。
 今回の読書レビューは全体の分量が多いため上中下の三本に分割し、本日の記事はその前置き部分となります。本書の内容はいわゆる陰謀論と呼ばれる類のものであり、一般的には受け入れられていない常識外れものです。しかしこの視点を持たない限りは、世界情勢や世界史の実相を理解することなど不可能であり、今まさにそうした真実の全面開示(フル・ディスクロージャー)へ向けて多くのあらゆる存在が努力を重ねている最中なのです。
(牛サマディー)
————————————————————————
日本人だけが知らない戦争論 (上)

祝島にて



学校でも教えて貰えない、テレビでも流れない、しかし知らねばならない――――
知る人ぞ知る、世界の真のありさま。隠されてきた秘密。闇の権力の源泉。
賢者たち―世の中からは常に嘲笑されてきた、偉大な彼ら―により、数多くの真実―それは闇の支配者にとって絶対に知られてはならない秘密―が解き明かされてきた。彼らから真摯に学びとるのだ!内なる気付き、真実の目醒め、識別智を呼び起こす――――世界を、そして自己を、より美しく素晴らしい高みへと――――。

私は竹下雅敏氏から、―彼を知ったのは約五年前、恐らく十六歳の頃――非常に数多くの物事を学んできた―そして、それは今も続いている。この先もずっと続くだろう。
他には全く類を見ない、珠玉の英知。人々を、そして全ての存在を、幸福へと導いてゆく愛の教え。シャンティ・フーラの提供する情報は、どれもが燦燦と輝く光に満ちている。その光を感じ取る――そして清らかな真実の世界へと、・・・導かれてゆくのだ。


苫米地英人氏 及び本書について




日本人だけが知らない戦争論
苫米地英人 〔Amazonより引用〕



今回紹介する書籍は、苫米地英人の著作「日本人だけが知らない戦争論(フォレスト出版)」苫米地博士は認知科学者であると同時に、実は軍事の専門家でもある。本書「戦争論」は、良著であると言える。非常に簡潔な文章で、ズバリ本質が突かれているのだ。それは、彼の抜群に秀でた抽象的思考能力―物事を非常に高い視点から俯瞰的に捉えることができる、つまり頭が良い―の成しえた技であろう。要するに本書「戦争論」は、”抽象度の高い”書籍なのである。
苫米地氏の公認記事を読むと、次のような記述がなされてある。

抽象度とは、「Levels of Abstraction」という哲学の概念を苫米地氏が日本語訳したものです。どれだけ物事を広い視野で捉えるかという高さと広さを表す言葉だと言えます。抽象度とは事象を見る視点が広く高いところにあり、下の階層の情報を包括しているかどうかという基準で、「抽象度が高い、低い」と表します。
情報量が少ない状態を「抽象度が高い」といい、情報量が多い状態を「抽象度が低い」といいます。抽象度の高い思考には、より多くの概念が含まれるので、抽象度が高い方が、情報量が多いと感じてしまうかもしれません。しかし、抽象度が上がると、情報量は減る一方で、潜在的な情報は増えるという構造になっています。

苫米地英人は何者なのか?【本人監修公認記事】 4-14抽象度, リスタ!


さて、本書は如何なる書籍であるか。
この書籍の大きな特徴、それは“銀行家―国際金融資本とも呼ばれる存在―”について極めて多くのページを割いていることである。
多くの日本人にとって、これは首を傾げるべきことかもしれない。「戦争論」なるタイトルが付けられた本の中に、何故しつこい程に銀行家のことが言及されて然るのか。まさにこの点こそが、本書が最も伝えんとするテーマであり、我らの知るべき世界の真相なのである。