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ぴょんぴょんの「生命維持者にして破壊者」 ~スパイクタンパクで破壊されるミトコンドリア

 今回は、読者の方からいただいた情報を元に、「ミトコンドリア」の復習と、これまで知らなかった「ミトコンドリア」の意外な働きについて考察してみました。
 代謝、免疫、解毒、インスリンの分泌など、幾役もこなすミトコンドリア。
 今ほど、重要な時はないのに・・・ああ。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「生命維持者にして破壊者」 ~スパイクタンパクで破壊されるミトコンドリア

ミトコンドリアは「体のホメオスタシスを保つのに大事」


おおい! この本を見ちょくれ〜!

いきなり、大分弁だねえ。
どれどれ?

免疫学の立場からコロナワクチンの是非を問い続ける、荒川央(ひろし)先生の新刊「コロナワクチンが危険な理由2」!

花伝社

あ、その本、知ってる〜。
先日、荒川先生が出演されたスペース「荒川央先生再降臨!『コロナワクチンが危険な理由2』が解き明かす2023年の異常事態!」で、推薦してたよ。
先生の本は、コロナワクチンに疑問を抱く人たちから「バイブル」と絶賛されてるよ。

なんや、知っちょったんか?
で、荒川先生はスペースで何を話したんや?

30分あたりから、ミトコンドリアの話をしてた。

おおう! いつぞや、ここでも話した、ミトコンドリアの「ミトコちゃん」。

なつかしいね! ミトコちゃん!
荒川先生は、ミトコンドリアは「体のホメオスタシスを保つのに大事」と言ってる。

そうかあ、ミトコはいつも、おれたちの健康のために働いてくれちょる。
だが、もともとミトコはよそ者だったこと、知っちょるな?

うん、知っちょる・・あれ? ウツった?

おれたちの先祖は、酸素無しに生きる生物。
ミトコは、酸素を使ってエネルギーを作る好気性細菌だった。

ぼくたちの先祖とミトコちゃんは、正反対だったんだよね。

そうよ、おれたちの祖先が陸に上がったとき、ミトコが同棲してくれたおかげで、酸素呼吸ができるようになった。
そして、それまでよりずっと効率のいいエネルギー、ATP(アデノシン三リン酸)を生産できるようにしてくれた。

陸でも生物が繁栄できるようになったのは、ミトコちゃんのおかげ。
そんなミトコちゃん、体のホメオスタシスを保つのに大事なんだよ。

ホメオスタシス、と言えばときどきこれを見る。


これは「免疫と恒常性」を高める、写真とイラストだね。
ボーッと見てるだけで、なにかが整う気がする。

癒やしの光」と「祝福の光」もいいぞ。

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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第2話 ― 日本の「構造改革」へ

 中身については本文の中で示しますが、1979年から1982年まで当時のFRB議長に就任したポール・ボルカーによるいわゆる「ボルカーショック」にて、米国の経済と産業が破壊されていきます。ポール・ボルカーのウィキペディア記事では、これに対しての米国民の行動が次のように記されています。
ボルカー指導下の連銀は、連邦準備制度の歴史上最も激しい政治的攻撃と、1913年の創立以来最も広範な層からの抗議を受けることになった。高金利政策によって建設、農業部門などが受けた影響により、重い債務を負った農民がワシントンD.C.にトラクターを乗り入れてFRBが本部を置くエックルス・ビルを封鎖する事態にまで至った。
 「ワシントンD.C.への農民のトラクターの乗り入れ」、今の日本ではこれぐらいのことはすべきではないかと思えます。新型コロナワクチン、防衛費増大、重税、マイナンバーカード関連、原発関連、インボイス制度、産業破壊、特に農業とりわけ酪農家への裏切りの切り捨て、本当に日本政府は日本国民を多角的に「本気で殺しにきている」のです。トラクターの乗り入れでも何でもいいですから、国会や霞が関町などに日本国民も一斉抗議の声をあげるべき時に思えます。
 日本の破壊、日本の物心両面の貧困化は現在までどんどんと進んできたのですが、この流れは1980年代に仕込まれてきていました。日本が物質的に最も豊かだった時代にです。その仕込みの展開は「構造改革」という名称にされていきました。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第2話 ― 日本の「構造改革」へ

プリンスの背後


ある企業経営者だった方が次のように語っていたのを記憶しています。

銀行が「借りてくれ、借りてくれ」としつこく言ってきた。それで仕方無しにその金を借りてやって、事業を拡大して展開させた。それで事業は順調に展開していた。しかしある日突然、銀行が借金返済を迫ってきた。貸し剥がしだ。これで事業資金が行き詰まり、順調だった事業が立ち行かなくなった…。

バブルとその破裂の影響を受けた企業経営者の典型がこの方です。このようにして多くの日本企業は破綻し、不良債権となります。ここで外国ファンドが登場、二束三文となった債権を喰い物にしていきます。


しかし、その企業はもともと事業は順調で、不良債権どころか優良企業だったのです。銀行の貸し剥がしによって日本に不良債権の山が築かれ、それらは外国ファンドにただのような値段で買い漁られていくのです。銀行など日本の金融業も、自分たちの作ってしまった不良債権のせいで破綻していきます。

この惨劇を発動させた一つが、前回に触れたように「BIS規制」でした。
😱 日本の各銀行は「日銀のプリンス」による窓口指導という信用統制によって、筒いっぱいに貸し出しをせざるを得なくなります。
😱 ところが一方で、1988年に総資産の8%以上を自己資産として維持しなければならないという「BIS規制」が仕込まれ、そのために日本の各銀行は貸し出した資金を回収、つまり貸し剥がしをせざるを得なくなっていくのです。
😱 「BIS規制」で企業も銀行も破綻していくのです。
こうやって「平成大不況」を生み出し、幕の後ろから日本経済を転落させた実行犯が「日銀のプリンス」たちでした。

一方で、日銀のプリンスたちにそれを指示したであろう「キング」もいるはずです。「プリンス」に対して「キング」とは、外形的にはアメリカ中央銀行FRBの議長となるでしょう。

日本のバブルの生成と破裂に深く絡んでくる「キング」のFRB議長は、1979年から1987年8月まで議長だったポール・ボルカー、そして1987年から2006年まで議長だったアラン・グリーンスパンとなります。


ただし、「キング」といってもその主人がいます。ポール・ボルカーの主人はデイヴィッド・ロックフェラー、グリーンスパンの主人はジェイコブ・ロスチャイルドになるでしょう。


ポール・ボルカーとグリーンスパンの2名のFRB議長の内、とりわけ日本経済破壊に重要な役割を果たしたのはポール・ボルカーのほうになるはずです。物事は何であれ、それを成立させるための準備と仕込みが重要であり、FRB議長就任期間を見れば、その役割を担ったのはポール・ボルカーになるからです。

ポール・ボルカーは外伝75でみたように、1971年8月のニクソン(ドル)・ショックを誘導した人物です。そして、ボルカーがグリーンスパン以上に重要な役割を担ったと見るのは、就任期間以外の理由もあります。


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hiropanの 絵と詩で泳ぐ 心の世界と島暮らし ~swimmer 第1回

 読者さんの中に、「hiropanさん」を覚えている方がおられるでしょう。
そう、「hiropanのAfter 3.11 ~震災後に見えてきたこと~」という連載をされていた方です。震災、原発、多くの人生を込めた「3.11」に遭遇した若い方が、素直にご自身を見つめた連載でした。読んでいると「3.11」への多くの気づきを与えられ、我が事として考え、反省し、励まされました。
 彼女はどうしているだろう。
その思いに応えてくださったhiropanさん、再登場です。
 彼女は、あの時のように真っ直ぐに語ってくれました。
(まのじ)
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お久しぶりです。hiropanです。8年ぶりにシャンティ・フーラで記事を書かせていただくことになりました。
After3.11の連載から、ずいぶん時が過ぎました。初めましての方もいらっしゃるとことと思います。私は、10年前に、福島から、広島県の離島に移住してきました。詳しいことは、After3.11の記事を読んでみてくださいね。

当時20代前半だった私も、現在では2歳と6歳の子供を育てるお母ちゃんになりました。毎日子育て奮闘中です。自分が子供を産んで育ててみて、改めて、世界中のお母さんたちの偉大さを思い知りました。

日常はギフトに溢れています。

子供達への愛情と尊敬と日々の小さな感動と。
それから疲労も苦労も葛藤も!(笑)

子育ては一筋縄では行かないけれど、5年後10年後、今がどれほど愛おしい時間だったかと、満足感の中で振り返ることができるようにと、願いながら、日々、奮闘しています。

そんな中、あるきっかけがあり、今年1月に、イラストレーターとして開業届を出すことになりました。家事・育児の隙間に、自分の特技を活かして、家でできる仕事を今からでも少しずつ始めていこうと思ったのです。
開業届を出して、ほんの数日後、シャンティフーラさんから時事ブログでの記事作成の依頼を打診するメールが届きました。
開業したこと、まだ誰にも言ってないのに!
それにしてもすごいタイミングです。

もしや、見られてる?(笑)


これも一つの流れかなと思い、この度、再び記事を書かせていただこうと決めました。
不定期の投稿になるかとは思いますが、皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

今日は、一つ、詩を書いてきました。

ずっと以前、私が個人のブログに書いた詩を時事ブログに掲載していただいたことがありました。
実は、当時の私は、ただ自分の思いを文字にして並べていただけで、自分では詩だとは思わず、ブログを書いていました。それを、たまたま、竹下さんが詩として評価してくださったことで、「自分てそんな特技があったの??」と照れ臭くも、嬉しかったのを覚えています。

ずっと子育てが中心で、絵を描くことも、詩を書くこともすっかり遠のいていたけれど、自分の中で、また少しずつ創作意欲が働き始めたのを感じています。

疫病、戦争、エネルギー危機に、食糧危機。
先々、見通しの効かない、不穏な空気が世界には漂っているけれど、その向こう側にある自然界の澄んだ声に意識の標準を合わせ、少しでも、心の中の平和を見失わないようにしたいものだと思います。

「真新しい日」

東の空が淡く白んで
地平線から 太陽がやってくる
真新しい1日が始まる

朝の清しい光の粒子を 胸いっぱい吸い込んで
目を閉じて そっと祈る

今日という日が 素晴らしい日でありますように

東の空が淡く白んで
水平線から 陽が昇る
真新しい1日が始まる

全てのものが 黄金色に輝いて
草木はぐんと 伸びをした

今日という日が 幸福でありますように

東の空が淡く白んで
連なる山々の向こうから 太陽がやってくる
真新しい1日が始まった

眩い光は束になり 凍えた大地を温め始めた
生まれたばかりの赤子のあくびが 白い息になって天に昇っていった

今日という日がどうか平和でありますように
 
やがて光は全てを照らして
命の核を揺さぶった
夜は静かに去っていった

生きろ

生きろ

生きろ

真新しい日がやってきた




Writer

hiropan

イラストレーター。
福島県出身。現在は瀬戸内海の離島に暮らしながら、夫と協力して二人の子供と2匹の猫を育てている。
2023年からイラストと詩で創作活動をスタート。
趣味で自然農の家庭菜園をしている。

Instagram👉https://instagram.com/pepocreation?igshid=YmMyMTA2M2Y=


ぴょんぴょんの「挑発するコソボ(5)」 ~「セルビア自治体共同体」をめぐって

2月27日、ブリュッセルで、
暫定コソボ共和国のクルティ首相と、セルビア共和国のヴチッチ大統領、
EU、アメリカの代表をまじえての会談が行われました。
この記事を書いている時点で、会談の様子はわかっていませんが、
10年前の「ブリュッセル合意」(Wiki)ですでに合意された、
「セルビア自治体共同体」の議題が出たと思われます。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「挑発するコソボ(5)」 ~「セルビア自治体共同体」をめぐって

セルビアの有名な「モスクワ・シュニッツ」


今日もまた、コソボかあ。

そんなガッカリした顔、するなよー。
今が、いや、これからが正念場なんだから、つきあえよな。

・・でも、もっと、おいしい話がいいな。

よし! じゃあ、セルビアのうまいもんを教えちゃる。
これが有名な「モスクワ・シュニッツ」だ!


へえ、セルビアって田舎だと思ってたら、こんな小ジャレたケーキがあるんだ。
でもなんで、ケーキの名前に「モスクワ」?

セルビアの首都ベオグラードにある、ホテル・モスクワで生まれたから。


うわあ!!
おとぎ話に出てきそうなホテルだね。

なんでも、この建物が建てられたのは1908年。

100年以上経ってる!
でも、ここ、セルビアでしょ?
ロシアじゃないのに、なんでホテル・モスクワ?

1908年と言えば、「セルビア王国」の時代。
貧しかったセルビア王国に、ロシア帝国が投資の目的で建てた多目的宮殿「Rossiya」が、ホテル・モスクワになったのよ。(Wiki

いかにも、ロシアの華やかなりし帝国時代の建物って感じ。

「モスクワ・シュニッツ」が誕生した1970年代、ホテルのパティシエはお客に出すスイーツに頭を悩ませていた。と言うのも、セルビアは貧しくて材料が乏しかったのよ。
そこで、当時高級品のパイナップルに自国産フルーツやナッツを加えて、特製クリームでサンドにしたケーキを考案した。

水増しケーキにしては、おいしそうだね。
ベオグラードに行ったら、食べてみたい。

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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第1話 ― バブルの破裂

 私はバブルという異様な期間をモロに体験した世代になります。しかし記憶の点でいうと、バブル期ではなく、バブルがはじけた後のことが深く刻み込まれています。企業経営者などが次々と首をくくるなどして、自殺していったからです。彼らは自分が死ぬことで、かけていた保険金を受けて、借財返済の当てにしようとした方が多数いました。一人で企業破綻、返済不能の責任を取り、自殺していくのです。私の知り合いも自殺された方がいます。そういった光景に立会いながらも、私達には為すすべもありません。
  • なぜバブルが発生し、そして破裂したのか?
  • その責任所在は誰にあるのか?
何もわからないのです。どうしようもありません。
 あの事態が理解できたのは、竹下さんに教えていただいたヴェルナー氏の『円の支配者(編集者註:ドキュメンタリー映画「円の支配者」文字起こし記事はこちらの中古本を読み込むことによってでした。この世界のお金が作られるのは、銀行の貸出という信用創造によることもこの時に同時に理解できたのです。2010年の秋のことでした。まるで覆っていた霧や砂がはらされて、隠されていた古代都市が生き生きと現出したような感覚があったのを記憶しています。「よ〜し、これを伝えていかなくては!」、そう思っていた時に発生したのが東日本大震災でした。
 話を戻します。バブルの生成と破裂、それに伴う日本経済の転落と多数の自殺者、これの主犯が日銀「日銀のプリンス」たちです。日銀のプリンスとは日銀生え抜きで、日銀副総裁から日銀総裁になった円の支配者」であり、バブル破裂時にメディアがこぞって「日本経済の正義の執行者、救済者」として称賛していたのが彼らでした。彼らは「同胞殺し」と言えるでしょうし、それの共犯者で、犯罪を強力に幇助したのはいつも通りメディアでした。そして、彼らの背後にはアメリカの支配者たちがいました。これもいつも通りです。


(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第1話 ― バブルの破裂

日本が米国の敵国に


私は「日本の○○年」と表現しますが、近頃は「日本の失われた30年」と表現される「日本の失われた○○年」、この起点は一般には1991年(平成3年)とされます。外伝にて見てきたように、1991年は1月に湾岸戦争が起こされ、同年12月の年末にはソ連が崩壊・解体した年です。この年、日本ではその2月にバブルがはじけた年でもあります。

第2次世界大戦後の世界の構図となっていたのが東西対立米ソ冷戦でした。ところが米ソ冷戦は終決し、ソ連自体が解体されてしまうのです。こうなると米国の敵国は、経済でさんざんしてやられてきた日本と明瞭になったのです。アメリカにとって日本は、はっきりと「奪い・潰す」対象となったのです。そういった事情を『戦後史の正体』p323では、次のように記載されています。

冷戦時代、米国の敵はソ連でした。しかし1990年代初頭になり、日本が米国の経済を脅かす敵として、CIAから位置づけられることになったのです。
この時代に私は、米国のテレビが首脳会談のためワシントンに到着した日本の首相一行を報道していた場面を見ていたことがあります。着陸した飛行機から、ある通産審議官が降りてくるのを見て、テレビのコメンテーターは「彼はエネミーだ」と決めつけました。当時日本の人びとはそれを冗談と思っていたのですが、実はそれが本音でした。米国は日本を「米国経済をおびやかす敵」とみていたのです。


日本は現在に至るまで、アメリカの支配者たちから徹底的にその富を簒奪されていくのですが、日本を敵国とみなしたのはアメリカの支配者たちだけではなく、米国民衆もそうだったようです。こうなるとアメリカの支配者たちは、日本から「奪い・潰す」のはよりやりやすい作業となっていたでしょう。

ほとんど全ての国家の権力者・支配者は、自国民衆に対して外部に敵を作り出して注視させるようにします。実際に民衆の富や権利を奪っているのは、外国の人びとではなく支配者たちなのですが、その実態を民衆に知られないように、民衆の不満や関心を外部にそらすために外の敵を見せかけるのです。

米国もしかりでした。米国はもとは冠たる工業国家で、分厚い中間層が国家の形態でした。その米国の中間層はその富を消失して貧困層となっていくのですが、それはアメリカの支配者たちの仕業によるものです。民衆はメディアなどによって容易に騙され本当の敵を見失うのです。

ともあれ1991年(平成3年)はソ連が解体された年で、その代わりの敵国とされたのが日本であり、そしてその日本がアメリカの敵国とされたのと連動しますが、1991年はバブルがはじけて、目に見えて日本経済が坂道を転がるように転落していく年になってもいます。こういった観点から、「日本の失われた○○年」の起点は1991年との見方は成立していると言えるでしょう。しかし実際に日本の○○年の起点は、1991年より前の1985年だというのが私の見立てです。


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