スンニ派とシーア派の闘争?
私たち日本人はイスラム世界と縁が遠く、その宗教や生活の実態は知りません。私たちは欧米のニュースを通してイスラムを知らされ、そのイメージ付けをされてしまっています。私たちは流されるニュースを通して、イスラムに対し「イスラム教徒とは随分熱心だなー!」と思う反面、「なんとなく野蛮そうで怖い。」「何かずっと争っている。」「同じイスラムでも宗派間で流血や殺人まで至る激しい闘争がある」。このようなイメージを抱いているのではないでしょうか?
イスラムは生活に密着しており、単なる宗教思想ではないのですが、
大まかには二派に分かれます。スンニ派とシーア派です。
イスラム全体の約8割がスンニ派、1割強がシーア派とされます。中東での
スンニ派の代表国とされるのがサウジアラビアで、シーア派の代表国がイランです。スンニ派とシーア派、この両派が激しく抗争しているように私たちは思わされていますが、ある意味では正解であり、同時に全くの間違いでもあるようです。
イスラムで両派が分かれたのは632年の預言者ムハンマドの死に遡ります。
ムハンマドの後継者の最高宗教指導者カリフ、この選出は血のつながりでは無く
皆の合意、特に「スンナ(慣行)」を重視すべきとしたのが
スンニ派です。一方、
カリフはムハンマドの娘婿で従兄弟、血の繋がったアリーとその子孫から選ぶべきだ、「シーア・アリー(アリーに従え)」と考えた人たちが
シーア派を構成したようです。従って
スンニ派とシーア派の相違は、本質的に預言者ムハンマドの後継者に対する考え方だけで、宗教教義上の相違があるわけではないのです。お祈りの作法や回数に少し違いがあるようですが、スンニ派であろうがシーア派であろうが、同じイスラム教を信奉していることに変わりがありません。おまけに後継者争いがあったのは1400年近く前の話です。これで現在も
宗教上の理由でスンニ派とシーア派が流血の争い、ましてや死者を出すほどの抗争がおきるはずがありません。実際イラクでは、スンニ派もシーア派の人々もいますが互いに交流し結婚もしているようです。当然といえば当然です。
しかし反面
スンニ派とされる勢力とシーア派勢力の争いがあるのも事実です。国家としてサウジとイランの争いがあります。この抗争は宗教ではなく、経済や国家の姿勢によるものでしょうが、有り体に言えば、
これも欧米というか偽ユダヤの思惑で「創られた抗争」です。そして
中東での抗争の実行犯がサウジなのです。サウジはスンニ派を名乗っています。しかしこれは大いに疑問があります。
政教一致国サウジの国教はイスラム原理主義のワッハーブ派です。「預言者ムハンマドの時代に戻れ」と叫び、それ以外の一切を認めない
過激で排他的な宗派です。排他的なワッハーブ派は、とてもではありませんが、後継者選びに皆の合意を大切にしたスンニ派には見えないのです。
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陰謀論という言葉があります。私には日本語として陰謀論との言葉の意味が不明です。「陰謀など無い」という意味の言葉なのか?、陰謀論の論とはどんな論なのか?、不明なのです。陰謀とは言葉で示すと「陰でのはかりごと」で、これはあって当然です。例えば何かの舞台を作りあげる場合でも、それをいかに効果的にするかは、舞台裏で公式会議以外でも非公式の様々な会合や会議で「どうするか?」の謀議はするでしょう。でなければ効果的な舞台は作りあげられないからです。歴史的な大きな出来事が突発的に起こるなどはほぼ皆無です。歴史的大事件などは公的には見えない陰の場所で、様々な謀議の上で決定しているのは当たり前のことなのです。こうやって歴史は刻まれてきたのです。
そうした歴史の中でも、支配者には自らの多大な利益になり、逆に大衆には苛烈な不利益となる謀略、こうした謀略よって意図的に創られた歴史を陰謀史と呼びます。その陰謀史の大元かつ集約所がハルマゲドン計画です。超巨大で極めて根深いです。全容を明らかにするのは到底無理です。しかし非常に重要でもあるので、その実像と本質の一端にでも触れていきたいと考えています。