房中術(ぼうちゅうじゅつ)とは、中国古来の
養生術の一種。房事すなわち性生活における技法で、男女和合の道である。
(中略)
『
漢書』「
芸文志」方技略に付されている房中の解説に、房中術の要点が記されている。「楽しみに節度があれば、心は穏やかで長生きできる。おぼれて顧みなくなれば病が生じ、いのちが損なわれる」。
(中略)
房中術については、人は陰陽の交わりを絶ってはならず、陰陽が交わらなくなると気が滞り病気になりやすく長生できなくなると、その効果を説いている。
(中略)
後代の
内丹法は、清修派と双修派の丹法に大別される。「禁欲的」で一人で行う単修法が「清修派」で、中国の修行者のほとんどはこの丹法である。そして
「房中術」を取り入れたのが、男女の二人で修行する「双修派」の丹法である。双修派の丹法は、その
接触形態から二つに分かれる。男女が「肉体的」に交接することで気を循環させる「体交法」と、肉体の交接をせず「神(意識)」のみで行う「神交法」である。
「体交法」は、「肉体的」交接により気のやりとりを行い、気の循環を図る。気のやりとりの無いものは通常の性的行為であり、内丹法としての房中術ではないとされる。体交法は、交接により男女の「双方」で気のやりとりを行うが、効果を出すためには双方ともみだりに精を漏らしてはならないとする。他に、男女の片方が一方的に気を奪い取る「玉女採戦」があるが、奪われる側は体をひどく損ねるとされ問題視された。
「神交法」は、隔体神交法とも呼び、肉体での交わりはせずに
離れた所から互いに「神(意識)」だけで気のやりとりを行う。要点は、男は衣をゆるめず、女は帯をとかず「男不寛衣、女不解帯」。神明のごとく敬い、父母のごとく愛せ「敬如神明、愛如父母」。つまり、厳粛実直の気持ちで、相手に対し父母に対するがごとく淫念を持たず愛し、
相手から離れて静かに向かい合って意識で気を交わらせる、とされ体交法よりも効果が高いという。
(以下略)
しぶしぶ、というのは「九大生体解剖事件」をテーマにした話だったからだ。
それでも、事件について知っておきたいと思って、しぶしぶ見た。
長かった・・・見終わったら、全身が緊張していた・・・。
だけど、見てよかった、今、見るべきドラマだと思った。