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「学校の当たり前」をやめた東京千代田区麹町中学校の変革・工藤勇一氏と「みんなの学校」の木村泰子氏

読者からの情報です。
宿題、中間・期末試験、固定担任制、クラス対抗体育祭の廃止を始めとした学校改革に取り組む、麹町中学校の校長先生工藤勇一氏の著書の抜粋記事です。工藤さんは、本来あるべき教育の本質、人間のあり方をしっかり捉えている真の教育者だと感じました。
工藤さんが不登校の生徒に「別に学校に来なくたって大丈夫だよ。進路のことも、高校に行きたいなら、今からでも全然問題なく行けるし、心配することなんて何もない」と言葉をかけたそうですが、ここまで言える先生、ましてや校長先生はなかなかいないのではないでしょうか。
制度が変わらなくても、人の意識が変わることで、公立の学校でもここまでの改革が可能なことに、驚き、希望が持てました。
(ヒカリネコ)
 例によって不勉強まのじ、初めて知ったのですが、工藤勇一氏はメディアでも取り上げられる大変有名な方でした。書かれていることはどれも真っ当で、その理念を麹町中学校での驚異的な取り組みで実現されました。これまでの教育の歴史の中で同様の志を持って教壇に立った方は多かったろうと思います。しかし、そうやすやすと変わらない現実に打ちのめされて来たのではないかと思っていました。
かんなまま様にも少しご意見を伺うと「教員を経験され、教育委員会にもいた方が、学校を変えた行動力は凄いものがあります。特に、必要のない校則を止め、テストを止め、宿題も止め、先生の負担も軽減して、学ぶ本質に迫ろうとしている改革は、目を見張るものがあります。文科省、教育委員会、現場の先生の壁は厚く、まるでラグビーの防御の壁のように厚いのですが、あっけなく変えたという印象です。
でも、本気で変えようとしているのか?この目で確かめたいと思っていたところ、先日テレビで放映された時の生徒たちの顔、先生の顔がよくて安心しました。
この改革が次の校長先生にも引き継がれていくといいのですが。
保護者にも支持されて他の公立学校にも広がっているようなので、日本中で広がってほしい思います。」と、ヒカリネコ様とともに今後に期待を寄せられていました。

 かんなまま様からは補足情報として、大阪市立大空小学校 初代校長、木村泰子氏を紹介していただきました。
工藤氏が「かなわないな」と尊敬されるという、やはり現場を大きく動かしてきた先生です。
 これまで蓄積されて来た教育界の歪みを根底から揺るがすような地殻変動が起ころうとしているのかもしれません。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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[連載]すべての組織改革のヒントになる「千代田区麹町中学校」の変革
(前略)

第1回】 麹町中学校の校長が「宿題全廃」を決めた理由とは? 
第2回中間・期末試験をやめたら、麹町中学校の生徒はどう変わった? 
第3回】 保護者間でアタリ、ハズレと噂も?中学校「固定担任制」の弊害 

(中略)

第10回】 「生徒同士のトラブル」に教師はどのように関与すべきか? 
第11回】 全国の学校で「意味不明なルール」が残り続ける理由とは? 
第12回】 麹町中学校長が語る…生徒の問題行動は、大人の「幻想」かも

[本連載の著者紹介] 工藤 勇一 千代田区立麹町中学校長 

1960年山形県鶴岡市生まれ。東京理科大学理学部応用数学科卒。山形県公立中学校教員、東京都公立中学校教員、東京都教育委員会、目黒区教育委員会、新宿区教育委員会教育指導課長等を経て、2014年から千代田区立麹町中学校長。教育再生実行会議委員、経済産業省「ed-tech 委員」等、公職を歴任。本書が初の著作となる。


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人の心なんて教育できるものではない 公立中学が挑む教育改革(10)【特別対談】木村泰子氏(大阪市立大空小学校 初代校長)×工藤勇一氏(千代田区立麹町中学校 校長)
引用元)
「お会いするたびに『この人にはかなわないな』と思うんです」――。工藤勇一氏が、深い尊敬の念を込めてそう評する人がいる。大阪市立大空小学校の初代校長を務めた木村泰子氏だ。「すべての子どもの学習権を保障する」という理念を掲げ、教職員や地域の人々とともに新たな学校づくりのあり方を示した木村氏。その取り組みは『みんなの学校』として映画化され、教育関係者を中心に数多くのフォロワーを生み出している。

(中略)

▼映画『みんなの学校』

(以下略)

教育現場の奇妙な「学校スタンダード」〜 こういうのを虐待というのでは?

読者からの情報です。
 いつからこんな指導になったのか? 
大人が理由をちゃんと説明できないことを、なぜ、安易に子供に押し付けるのか?
こういうの虐待って言うのではないの?と、記事を読んで思わず独り言。
私が、この子の立場だったら不登校になっていると思いました。
30~40年前の私の子供時代は、もっと自由な発想で生きることが許されていたように思います。
あのまずい給食のパンとマーガリンは持って帰って良しでしたので、食べずに済ませていましたし、家が小学校から2分ぐらいでしたので、あの嫌~なトイレもいかずに、こっそり帰ってした時もありましたし。
政権交代後は、安富さんのような変わり種の方に文部科学大臣になって頂いて、発想力豊かな子供時代が送れる学校にして頂けたらと思います。
(騙されん子(仮になづく))

 驚きました。一部のケッタイな学校だけが行なっている奇行ではなく、教育委員会・校長が率先して定めたルールがあるというのです。全国の自治体のほぼ2割が導入している「学校スタンダード」と呼ばれるもので、自治体ごとに異なる「授業の受け方」や「生活態度」をルール化しています。例えば、記事にあった「筆算の横線は定規で引くべし」以外にも、足の裏を床につけて座る、手を真っ直ぐに挙げる、無言で掃除をする、机上のノートや筆箱の位置やトイレのスリッパの置き方、遊び方の注意点まで!?スタンダードの事例を読むうちに気持ちが悪くなってきます。このようながんじがらめの規則に囲まれたら、捻れ体癖の子などグレるしかないではないか。かんなまま様の「ままぴよ日記」にも小学校の凄まじい規則の描写がありましたが、今や学校現場は「管理教育の是非」ではなく「いかに管理を強化するか」の世界なのですね。児童の自己監視のチェックなど言われた日には、囚人かと。
 一体これは何が起こっているのかと見ると、学校現場に経験の浅い教員が増え、管理職が即効性のあるマニュアルに頼ったことや、学校へ寄せられる多数のクレームに対して、学校が統一したルールに従うことでクレーム予防を測る、とありました。どんなにトンチンカンなルールに思えても、学校全体で決まっていると言えばクレーム対応になるという背景も恐ろしいものを感じます。大人は自身の判断を放棄し、子供はルールを作る主体性を失い、素直な兵隊を大量生産させてるようです。その根底には、教師のブラック労働や非正規雇用の実態が横たわっています。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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筆算の線、手書きなぜダメ? 小5が160問「書き直し」命じられる 指導の背景は
引用元)
西日本新聞
なぜ筆算の横線を、全て定規で引く必要があるのでしょう」。(中略)夏休みの宿題を提出したところ、横線が手書きだったとして、担任に「書き直し」を命じられたという。(中略)

 女性によると、担任は日ごろから定規を使うように指導。男児は疑問を抱きつつも注意されるのが嫌で基本的に従ってきた。今回、筆算の一部は「別にいいだろう」と自分で判断し、手書きで線を引いたという。

 すると、担任から保護者に書き直しを求める電話があった。対象は160問分。理由を尋ねると「計算ミスが減るし、みんなにやらせている」。女性は「計算のリズムが崩れるし、自分なりのノートの取り方を見つけるのも勉強ではないか」と不思議がる。

(中略) 
勤務先の小学校で18年度にスタンダードが導入されたという福岡県の男性教師(60代)は「学校にとって理想の子ども像が書かれている」と話す。

 机上に置くノートや筆箱の位置、発表や話を聞く態度、あいさつの仕方、廊下の歩き方に加え、靴や傘、トイレのスリッパの置き方、休み時間の遊び方の注意点まで書かれている。「子どもには、ルールを作っていく力こそが必要なのに…。スタンダードが浸透するほど枠組みになじめない子が排除される心配もある」。
(以下略)



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やすとみ歩さん、選挙戦最後の街頭演説 〜 「差別の本質に気づいた」「全ての子供たちを守らなければならないわけ」

読者からの情報です。
差別の本質について

安富歩さんの最後の選挙演説です。(7月20日、大阪通天閣の下)
竹下さんの子育て講座と同様、多くの皆さんに聞いていただきたいと思いました。
3分17秒から始まります。
(観音寺市民)
 長いようにも感じた選挙戦が終わり、世の中では選挙結果について多種多様な振り返りがなされています。
そんな中、読者の方から、やすとみ歩氏の選挙戦最後の街頭演説の動画を投稿いただきました。
やることをやりつくし、疲れよりも目の前の人々と共に新たな未来を語る楽しさに浸っておられるように見えます。決して情緒的な内容ではない、むしろ厳しい現実を話されているのに、そよ風に吹かれているように心地良くなって、ずっとこのまま聞いていたい、枕元の母の絵本の語りきかせを聞いているような安心した気持ちになるのが不思議でした。
この度は残念ながら議席に繋がりませんでしたが、やすとみ氏のお話を聞けたことは大きな収穫となりました。
 時事ブログ流振り返りと称して、やすとみ歩氏のお話の中から印象的だったところをピックアップしました。
 
5:50〜
 日本に生まれて、男性に生まれて、いい大学に入って、いい会社に入って、大学の教授とかやっていると「白い目」に晒されることはなかった。だけどその私が女性装をすると「白い目」を向けられた。その時、初めて世界が暴力に満ちたていると分かった。同時に全員が「白い目」を向けるわけではないことも知った。私に「白い目」を向けない人も居た。「白い目」を向ける人にこそ問題があるということに気づいた。「白い目」を向けたい人は、向ける機会を探している。対象となる口実はなんだっていい。ユダヤ人でもいいし、黒人でもいい。田舎者でもいい、学歴でもいい。その格好の餌食が「男のくせに女の格好してる奴」。だから彼らは容赦無く私に白い目を向けてきた。
 これまでは「トランスジェンダーだから差別される、ゲイだから差別される。だからトランスジェンダーの人権を守って欲しい」このように問題を捉えていた。被差別部落だから差別される、ユダヤ人だから差別される、というように。
でも違うんです。みんなの心の中にある差別する心が強くなった時、差別する対象を探す。生活が苦しくなったり自分の地位が危うくなって苦しんでいる時には誰かを差別し、精神の安定を保とうとする人がこの国にはたくさんいる。それが問題の本質だと気づいた。存在するのは差別する人で、彼らの口実がトランスジェンダーなど色々あるだけ。差別する心の根源は、自分自身の存在への不安。みんなにいじめられるのではないか、自分はここにいちゃいけないのではないか、そのような恐怖心を転化するために差別する対象が必要になる。それが差別を生む。私たちがすべきは性的少数者の人権を守ることではなく、私たちの中にある差別する気持ちに気づくだけ。その元をたどると、一人一人が不幸だから、ということに気づいた。
しかもその不幸は、「今の」不幸ではなく「子供の時の」不幸だ。だからこそ、子供を守らなくてはいけない。全ての子供を全ての暴力から守らなくてはいけない。全ての子供がおなかいっぱい食べられて、愛情を向けられて、気持ちよく育っていけるように。そうしたら、その正体不明の不幸は私たちの社会から消えて無くなります。
(まのじ)
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配信元)


日本の道徳教科書に毛ば部とる子さんが鋭いツッコミ 〜 唐突な「武士道」やゆがんだ「権利と義務」から見える「愛国」

 ユーモラスで切れ味の良い指摘をされる「毛ば部とる子」さんが今の日本の道徳教科書について突っ込まれていました。かつてお子さんを育てる過程で手に取った小学生用の教科書が、すでに「愛国」や「全体主義」を思わせる内容だったそうですが、現在の中学生用の道徳教科書は、さらに「愛国心」へ直球パワーアップだそうです。まず「日本のいいところを考えさせる課題が何度も出てくる」という構成からして、どこが道徳なのかと思われますが、唐突に「サムライ」や「武士道」が登場し、「強くて、やさしくて、かっこいい」と軽薄な賛美をしているそうです。時代劇大好きなとる子さんでさえあっけにとられ、しかも内容は「お年寄りに席を譲るべきか」「アフリカの恵まれない子供への募金について」というおよそ武士道とは無関係のテーマなのにと「ズッコケて」おられます。
 とる子さんの印象では「道徳の教科書というより思想の教科書」とありました。闇雲にサムライを持ち上げておいて、その矢先に出たのが例の、自民党キャンペーンのとんでも画像です。こちらが恥ずかしさのあまり見て見ぬ振りをしているのに、まさか子供達はこれをあべぴょんだと洗脳されてしまうのか!?
 歯の浮くような「武士道」だけでなく、他にも見逃せないツッコミどころとして「権利と義務」を考えさせる内容を取り上げておられました。クラス対抗リレーで選手に選ばれた子が、自分の都合で選手を断る、という設定が与えられ「個人のことが大事か、クラス全体のことが大事か」という非常に気持ちの悪い選択に誘導しているようです。国のために都合の良い人間を作ろうとしていることがあからさまに分かるお粗末な内容に、これを教材にする教師はどうするのだろうと心配になりました。
 与えられた設定に対して、改めてヤマ・ニヤマを据えて考えてみると、自分とクラスの非暴力、正直、不盗、禁欲、不貪を見直す、全く異なる学習ができそうです。そこから隣人愛を深めることもできそうです。非難や卑屈ではない、幸せな心を育む道徳教科書はできないものかな。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)





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ソウルでは2021年から市内すべての小・中・高校で“オーガニック無償給食”施行、無料給食はすでに推進中

 読者のまゆ様から届いた情報です。
 11/9時事ブログの記事では「ブータン王国が2020年を目標に有機農業100%の国づくり」をすると有りました。いいなあ、国のトップが立派だと夢のようなことが実現するのかと思いましたが、お隣り韓国ソウル市では、2021年から国立・私立を問わず市内全ての小中高の学校給食を「オーガニック」かつ「無償」にするという、これもまた夢のような事業計画を進めています。給食の無償化については、すでに全国的に施行済みか推進中とあります。
 この計画についてソウル市長は「給食費の支払いが困難な生徒が受給申請をしなくても済むようになり、ご飯を食べる時にも差別を受けることのないよう、私たち社会が努力しなければならない」と暖かいコメントをしています。全ての生徒に安全な食事を提供するだけでなく、子供達に格差を感じさせないよう配慮するところに成熟した社会を見ます。
 さて日本での給食事情を見ると、福島県の学校給食への地産地消の取り組みは論外として、全国的にコストの問題が大きく立ちはだかっているようです。
学校給食の施設や運営費は自治体などの出す公費ですが、食材費は保護者が負担する「給食費」でまかなわれます。現状では食材費は高騰しているにもかかわらず、給食費は値上げすることが難しく、その上、所得格差の広がりから、給食費を払いたくとも払えない世帯が増加しています。
食材の品質を問う以前に、現場では食材の確保が難しいというお寒い状況です。「学校給食の無償化についての議論はあります。」ということは、日本での実施は程遠いのでしょう。
 韓国の大統領と日本の首相の差が、そのまま給食の制度に反映しているようで深刻です。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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2021年からソウル市内すべての小・中・高校で“オーガニック無償給食”施行
引用元)
(前略)
2021年からソウルのすべての小・中・高校で「オーガニック無償給食」が全面施行される
(中略)
義務教育対象であっても財政問題で施行が保留されている国立・私立小学校と国際中学校43校の生徒たちも支援対象に含める方針だ
(中略)
市は、オーガニック無償給食がすべての小・中・高1302校に拡大施行されれば、人件費と管理費を含めて年間約7000億ウォン(約700億円)の予算がかかると見ている。

パク・ウォンスン市長は「オーガニック学校無償給食が施行されれば、3万9000人の生徒が給食費の受給申請をしなくとも良くなる。受給者の烙印を捺されることが恥ずかしくて申請しない生徒もいたが、ご飯を食べる時にも差別を受けずに友達と付き合えるよう、私たち社会が努力しなければならない」と話した。また「生徒1人当り年間80万ウォン(約8万円)の給食費が節減され、家計負担もそれだけ減るだろう」と見通した。
(中略)
 現在、江原道、世宗市(セジョンシ)、仁川市、全羅南道、全羅北道、済州道、蔚山市(ウルサンシ)が小・中・高校の無償給食を施行している。京畿道は、市ごとにすでに施行しているか推進中だ。特に仁川と済州は幼稚園にも無償給食を支援している。光州市(クァンジュシ)、大田市(テジョンシ)、忠清南道、忠清北道は、来年から高等学校まで無償給食を施行する。慶尚南道、慶尚北道などは無償給食を推進中だ。

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