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[IR汚職事件]安倍首相の実弟・岸信夫議員、そして「沖縄県日中友好協会」の顧問・笹川能孝氏も、逮捕された「500ドットコム」の顧問・紺野昌彦容疑者との繋がり明らかに

竹下雅敏氏からの情報です。
 IR汚職事件は、関係者が芋づる式に上がってきて収拾がつかない感じです。
 記事では、逮捕された「500ドットコム」の顧問・紺野昌彦容疑者と癒着していた人物として、“安倍首相の実弟である岸信夫衆院議員”の名前が出てきています。箱コネマンさんのツイートをご覧になると、「沖縄県日中友好協会」の顧問・笹川能孝氏も紺野昌彦容疑者と繋がりがあることがわかります。「沖縄県日中友好協会」は、沖縄にカジノを呼び込もうとしていた団体です。
 東京地検特捜部のターゲットは菅・二階と見る向きもありますが、板垣英憲氏は、本丸は“横田基地へ連れて行かれた大物”だと言っています。これはどう考えても、麻生太郎財務大臣のことでしょう。新井信介氏は、この動きがQグループによるものと見ているのだと思いますが、私も同じように考えています。
 Qグループにとって、日本の病巣を取り除くには、あべぴょんよりもまず阿呆大魔神が先だと考えているのではないでしょうか。ただし、逮捕まで行くとは思えません。おそらく、次の選挙までに引退することを迫られるのではないかと思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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首相真っ青…カジノ捜査拡大と習近平国賓待遇に嫌中派激怒
引用元)

画像はシャンティ・フーラがツイートに差し替え
左から紺野容疑者、木原氏、白須賀氏(紺野容疑者のフェイスブックから)
 
 安倍政権にとって忘れられない「聖夜」だろう。日本でのカジノ参入を目指した中国企業側から370万円相当の賄賂を受け取っていた収賄容疑で、元内閣府副大臣(IR担当)の衆院議員、秋元司容疑者(48)が逮捕された事件。
(中略)
 秋元容疑者は身の潔白を主張しているが、中国企業が自民党議員と手を握り日本のカジノ市場を狙っている構図がハッキリした。実際、秋元容疑者への贈賄容疑で逮捕された500ドットコム社顧問の紺野昌彦容疑者(48)のSNSには、自民党議員と接触していた証拠がしっかり残っている。

 自民党の木原誠二政調副会長と白須賀貴樹衆院議員とのスリーショットや、安倍首相の実弟である岸信夫衆院議員とのツーショットなど、自民党議員に深く食い込んでいた様子がうかがい知れる。
(以下略)
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IR汚職事件がどんどん拡大! 12人リストに続き安倍首相の実弟・岸信夫議員と贈賄容疑者のツーショット写真も
引用元)
(中略)
IR汚職事件はその後、拡大の一途をたどっている。(中略)… 贈賄容疑で逮捕された500ドットコム顧問の紺野昌彦容疑者が日本維新の会の室井邦彦参院議員(衆院1期、参院3期)の息子であることもわかった。
(中略)
紺野容疑者はインスタグラムこうした癒着政治家との会合、面談を度々アップしていた。(中略)… そんななか、やはり2019年2月6日のインスタグラムに、あの安倍首相の実弟である岸信夫衆院議員とのツーショットをアップしていたのだ。(中略)…  “実弟が贈賄で逮捕されたブローカーと癒着していた”となれば、安倍首相もただではすまないだろう。しかも、カジノ疑惑をめぐっては、本サイトで再三指摘しているように、二階幹事長と菅官房長官が本丸だとの見方も根強く流れている。
(中略)
10年ぶりとなる政界捜査は、政権中枢へと伸びるのか。本サイトも引き続き情報が入り次第、お伝えしていくつもりだ。
編集部
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配信元)
 

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[YouTube]「おうち、きちゃった」

編集者からの情報です。
「ミホとデート中のたっくんに届いた、サチコからのメッセージ。
そこには「おうち、きちゃった」の文字が――。」

しゅ、、修羅場か!?
・・・うまいっ!
(まのじ)
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さがそう!オンナの気配
配信元)

あべぴょんのオフレコ発言がリークされ、菅官房長官の記者会見でも質問打ち切りを記者が拒否 〜 安倍政権のメディアへの拘束力に変化の兆し

 国会から逃げ回り、見られてはマズイ公文書は廃棄隠蔽の限りを尽くし、訪問先のインドから断られて仕方なくマスコミを集めて食事をさせて「桜を見る会」を追求する野党への文句を垂れる俺様あべぴょん。「100兆円の予算の話をしてるのに(桜前夜祭の)5千円の話をやるの?」とオフレコで不満を述べたそうです。あべぴょんの「反省ゼロ」ぶりには今更驚きませんが、こうしたことがリークされる事態は注目です。
 菅官房長官の記者会見では、かつて東京新聞望月記者が孤軍奮闘だった状況が変化し、「桜を見る会」以降、朝日安倍記者、毎日秋山記者、北海道新聞金子記者の名前を覚えるほど質問が活きてきました。助け舟の上村報道室長が、多くの挙手を残したまま質問を打ち切ることが常態化していたところ、珍しく記者側が食い下がって質問を消化させたそうです。本来のジャーナリズムからすれば当たり前の要求も、これまでは有り得なかったことを考えると水面下での変化を感じます。
ゆるねとにゅーすで解説されるように、マスコミが本来の仕事をしていれば、安倍政権など大昔に倒れていたはずでした。
「腐敗した安倍政権本体よりも、一番の元凶、最大の戦犯が政権に癒着したマスコミ」だという指摘にどれほどのメディアが耐えられるのでしょうか。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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【反省0】安倍総理が”マスコミ懐柔懇”を頻繁に開催!「100兆円の予算の話をしてるのに(桜前夜祭の)5千円の話をやるの? 」と”茶坊主記者”の前で強い不満を露わに!
転載元)
どんなにゅーす?

・2019年12月17日、「桜を見る会疑獄」の浮上で多数の疑惑に晒されている安倍総理が、またもマスコミとの食事会を都内の居酒屋で開催。毎日新聞・東京新聞を除いた記者クラブ各社が出席した中で、「100兆円の予算の話をしているのに(桜前夜祭の)5千円の話をやるの? 子供のサッカーと同じで、ボールに集まってるだけなんですよ」などと、最近の厳しい野党追及やマスコミ報道に強い不満をあらわにしたという。

自身をめぐる大規模選挙違反疑惑等が大量に噴出している中、全く反省している様子のない安倍総理に、ネット上では怒りの声が殺到。改めて、安倍総理が自らの血筋や特権をいいことに、自らの違法行為を棚に上げつつ権力の座にふんぞり返っている実情が浮かび上がっている。


(中略)



(中略)

(中略)


(中略)

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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた社会問題、教育問題 ~第52楽章 職業を持つことをどう考える?

 2019年ももうすぐ終わろうとしています。ドイツベルリンでの年末年始は、1月6日ごろまでクリスマスの飾り付けが残っているのです。そのような中で31日はジルベスター(大晦日)でカウントダウンが行われます。2020年もよき年でありますように・・。

 第52楽章は、職業を持つことをどう考える?です。
(ユリシス)
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57歳で初めて職業を持ったというベルリンの男性



ドイツのベルリンで暮らしていて、ベルリンの人たちはどのように働いているのだろう?といつも興味をもって眺めています。日本人の働き方と価値観も違うので面白いものです。ドイツの中でもベルリンとその他の都市でも違うことが多いです。


これからご紹介する記事は、大手マスコミではなく、独立系で真実を報道すると書かれたオンラインメディアからのものです。少し前に気になって記事を保存していました。なぜ、この記事が気になったのかというと、30年以上も就職活動をしていたという呑気な雰囲気、職を持つことへの態度、世間体なども気にすることもなく、ずっとインターンシップを続けてきたこと、職業を持つことの大変さや厳しさとともに、なんとも鷹揚な姿勢がとても不思議でした。

行政、経営関連の分野は、ドイツ人にとても人気であり、大学の学部でも一番人気な分野でもあり、競争率も高い分野ですので就活が大変であったことが想像できます。また、このように呑気にしていることができる実家からの援助もあったと思いますが、もし、日本であったのなら、中高年の悲惨な就活の実態・・ニートの実態・・などと書かれてしまいそうです。日本でよく報道される、ブラック、パワハラ体質、長時間労働、過労死という日本の働き方と比べてみると、価値観が変換できるかもしれないと思いました。

こちらの記事は、ベルリンにて、大学卒業から30年以上経過し、やっと57歳で初めて職業を持ったという男性についての記事です。
簡単に日本語でまとめると、
トーマス・メダーさんは、1988年から1400件以上の仕事を応募しましたが、経験不足が理由でなかなか正式な職業を得ることができませんでした。トーマスさんはいままでに247回のインターンシップと2年の海外インターンシップを経験しています。これでも経験としては不足でしたが、このたび市場調査の仕事で採用されました。トーマスさん曰く、『今後の職業生活についてはストレスを感じていない。気に入らない場合は早めの年金生活に入る予定である。』

どのように思われましたでしょうか・・第一印象として、今までどうやって過ごしてきたの?生活は大丈夫だったの?と思われる方が多いと思います。

31年間で247回のインターンシップと海外の経験ということで、ほぼ毎月、毎年仕事の経験は積んできたと思われます。しかし正式な採用までには至らなかったということで、アピール力や積極性なども不足していたのだと思います。こういう場合は、本人が実は本当に仕事をしたいとは思っていないことが多いものです。情報として書かれてはいませんが、もしかして旧東ドイツの出身、移民背景もあるのかもしれません。

ドイツ人のコメントでは、この年齢ならば、3つの学士、2つの修士、1つの博士号ぐらいないと就職はできない、そして最後には、それが奴隷制度のルールであると書かれていました。


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金銀為替の差を利用して日本から流出した金(ゴールド)は、蘭芳公司によってボルネオ島(現在のブルネイ)に一旦、集められ、「四海同胞」の理想の下、ヨーロッパにもたらされた

竹下雅敏氏からの情報です。
 アジア初の共和国と言われる蘭芳共和国(蘭芳公司)があった場所は、地図の赤色のところ。現在はインドネシア領です。
 新井信介氏の記事によると、金銀為替の差を利用して日本から流出した金(ゴールド)が、“蘭芳公司によってボルネオ島(現在のブルネイ)に一旦、集められ、「四海同胞」の理想の下、ヨーロッパにもたらされた”とあります。
 記事の内容が事実だとすると、日本から流出した金(ゴールド)が、フランス革命を始めとする西欧世界の大変革を引き起こしたことになります。そして、その影響は日本にも及ぶわけです。
 記事では、金銀為替の差を利用して、金(ゴールド)を日本から流出させたのは、サンカ(山家)だと書かれています。張勝植氏の著書「朝鮮名は張基元 朝鮮半島から[万人幸福の世界作り]を目指した明治天皇」のp25を見ると、“張家の初代は、2代目とともに長い間、雌伏していた「山家」を出て、オランダの東インド会社の船でヨーロッパに航海し、最初は、イタリアに上陸しました。目的は、教旨によるヨーロッパでの歴史的転換の支援をすることです”と書かれています。
 内容的に一致することから、張家はこの金銀為替を利用した金(ゴールド)の流出にも関わっていたと考えざるを得ません。昨日見たように、明治天皇にすり替わった大室寅之祐(張基元)は、BIS、FRBに70万トンもの日本で産出された金(ゴールド)を預けたということです。
 明治政府は、アテにしていた「徳川埋蔵金」がなかったためにお金に困り、“売春婦として日本人女性を海外に「輸出、 売却」し、兵器購入資金を作る”という悪魔の所業を行いました。しかし、これほど莫大な金(ゴールド)があるのなら、このような行為も、またロスチャイルド家からお金を借りる必要もなかったわけです。日本は、借金の返済のために大陸に出て行かざるを得なかったのです。
 先の引用では、“教旨による”と書かれていました。要するに、これはハイアラーキーの計画だということです。これらの陰謀に関わった者たちは、記事にあるように、“国家や民族、血統など関係のない「一視同仁」の世界をつくるため”という理想(大計画)に基づいて動いたわけですが、実際に行ったことは、まさに悪魔の所業なのです。彼らは、自分たちが神に仕えていると信じ切っていたのですが、彼らが仕えていたのは、神ではなく、「魔」の軍団(ハイアラーキー)だったわけです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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蘭芳共和國
(前略)

Author:浴槽[CC BY-SA]
西加里曼丹,蘭芳共和國故地在其境内
(以下略)
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蘭芳公司
蘭芳公司(らんほうこうし、ランファンコンス)は、1777年から1888年にかけてボルネオ島西部に存在した客家系の華人による政権。蘭芳共和国ともいう。広東省梅県出身の客家人羅芳伯によって打ち立てられた。その名は創始者の陳蘭伯と初代総長の羅芳伯に由来する。アジア初の共和国とも言われ、現代中国語では蘭芳共和国と呼ばれる。
(以下略)
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ブルネイ王室と「金融ワンワールド」の秘密。出発は柳沢吉保が行った元禄の貨幣改鋳。列島の内と外での「金銀為替の違い」が世界を動かした。長崎奉行の「日田隠し」とハイヤットに羅芳伯。
引用元)
(前略)
長崎の出島に来るオランダ人が、列島内の金銀交換相場よりも高い値段で金(ゴールド)を買い求めているのを知り、その訳を調べたところ、清国との間で、その金を持って行って、再び日本に返ってくると、金が3倍に増えるからだと判った。
(中略)
徳川幕府は禁止したが、サンカの大元さんは、この仕組みを人類社会の発展のために使うことを考える。(中略)… これに協力したのが大陸側では清に反発した、明の末裔に繋がる客家の人間。そことの運送に当ったのが、薩摩にも寄港する密貿易商人グループで、フリピンやマレーシア、インドネシアを勢力圏にしていた、ハイヤットだった。(中略)… 彼らがボルネオ島に砂金が出る地帯があるのを確認すると、そこを清国と江戸時代の日本の二国間の貿易で発生する大量の金(ゴールド)を、一時的に預かる拠点とした。そして、国家や民族、血統など関係のない「一視同仁」の世界をつくるために、この黄金をつかうと決意し、それが1777年の羅芳公司の成立となった。
(中略)
ウィーン会議後の天保年間には、上記の金銀の為替のカラクリは一般にも知れて、日本列島から大量の金が流出しだしていた。
(中略)
ブルネイ(東マレーシア)地域(王族)の経済的繁栄は、最初は、大陸の清と、列島の江戸幕府での金銀為替差益から生まれた黄金がもとでした。
(以下略)

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