[パート1] アレキサンドル・イワノフ氏の講演内容の概要
今、世界で最も信頼できる国はロシアだと思います。ロシアが強いのは、ロシア国民が一致団結しているからです。私が思うに、彼らは誰と戦っているのかを知っているのです。おそらく、シリアの国民も知っていると思います。彼らが知っている敵とは、下の記事にある“ハザール系ユダヤ人"です。(竹下雅敏)
2016/10/6
──元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌──
第1章:ハザール王国 vs ロシア帝国
強力な民族であるハザール民族が6世紀から8世紀に、カスピ海の北方から黒海にかけてハザール王国を形成し、キエフなどに定着していたロシア人とたびたび衝突。ハザール人はロシア人を支配下におき、奴隷にして安価で売買していた。
8世紀にビザンチン・キリスト教とイスラムの圧迫を受けた
ハザール民族は、9世紀初めにユダヤ教に改宗し、世界史上、類を見ないユダヤ人以外のユダヤ教国家となって、ユダヤ人と名乗り始める。現在、世界のユダヤ人の大半を占めるアシュケナジー・ユダヤ人は、このハザール人の子孫である。(
以降、アシュケナジー・ユダヤ人を「ハザール人」と総称)
数回にわたる戦争後の
965年、ついにロシア人がハザール王国を占領し、首都イティルを壊滅させると、ハザール国家は弱体化。13世紀にはタタール(モンゴル)がハザール王国を完全に滅亡させ、ハザール人の多くがロシア領内に逃げ込んでいる。すでに12世紀に陰謀を画策し始めていたロシア領内のハザール人たちは、1174年にロシアの最も有名な皇帝、アンドレイ・ボゴリュプスキー皇帝を暗殺。多くの国々の集合体だったロシアでは、それぞれの国の皇帝が集まって会議が行なわれ、ロシア領内のハザール人の弾圧を決定し、多数のハザール人が殺された。
ロシアから追放されたハザール人のほとんどがポーランドに逃げ込むが、15世紀の終わりから16世紀にかけて、
ポーランドのハザール人は、自分たちの政府、国会、教会などをつくり、ポーランド人よりも強大な力を持つ。
一方、そのほとんどすべてが
聖書でいう本当のユダヤ人、すなわちスファラディ・ユダヤ人は15世紀まではスペイン領内にいたが、1492年にスペイン政府がスファラディ・ユダヤ人を国外に追放したことによって、
スペインの中のユダヤ国家は消滅し、スファラディ・ユダヤ人は
北アフリカ、オランダ、イギリスなどへ逃げ込む。
1772年から3回にわたって分割が行なわれていたポーランドは3つに分けられ、当時強国になっていた
ロシア帝国はポーランド領の一部を自らの領土内に組み込んだ。ところがそのポーランドにハザール人が「国家内国家」を形成していた。領土とともにユダヤ人政府も取り込み、きわめて危険な毒を飲み込むことになってしまった。こうして18世紀からロシア国家の内部には、再びユダヤ問題が生じるようになった。
アシュケナジー・ユダヤ人(ハザール人)とスファラディ・ユダヤ人の移動地図
画像はシャンティ・フーラがツイートに差し替え
ロシア対ハザールの確執を含んでいるため、昔からロシアのユダヤ人問題は最も難しい民族問題だった。
当時、ロシアに入ったハザール人は300万人ぐらいで、ほとんどがロシアの西側、すなわちウクライナ、西白ロシア、あるいは旧ポーランド領に住んでいた者たち。19世紀末頃からハザール人が革命運動を画策し、国内情勢が深刻化する。ロシア人は本来戦闘的、革命的な要素を持たない民族だが、ハザール王国を崩壊させたロシアに対する復讐の思いがあり、
ロシアで革命を起こし、国家を転覆させることは、ハザール人にとって最も重要な課題だった。
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IWJが紹介されていた「Film photography」というブログで、マスメディアの論調とネット民たちの声をうまく比較をされていました。メディアの論調の異様さを感じ取ることと、添えられていたウクライナのライブカメラをチェックして冷静になることができます。ブログ主さんは、名だたるSNSがロシア軍とロシア人への暴力を呼び掛けるヘイトスピーチを公式に許可したことを取り上げ、「特定の民族に暴力OKなどと煽るのはジェノサイドしてるのと一緒。」と書いておられました。日本の国会もその線上にあります。