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インドから愛と光と不条理を受け取って💗 4


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インドにおける新型コロナウイルス感染状況



みなさま、お待たせしました。
怒涛の日々を送っていたらしい嵐を呼ぶ女、王蘇麗さん登場です。
まのじの「原稿をくれえ〜」という強力な念が通じたらしく、久しぶりのコンタクトですが、王さんの近況が実に興味深く、新型コロナよりもその話を、と言いたくなる気持ちをグッと抑えて、目下のインドにおける新型コロナウイルス感染状況をお伺いしました。

――お久しぶりです。お忙しかったですか?

女インドひとり起業サバイバル生活なもので、日々追われており、記事原稿も書けずに、間が空きすぎ、申し訳ございませんでした。定期便は無理かなぁ、と落ち込むところ、編集長のいつも優しいお言葉を掛けてくださる神対応に、勇気をいただきました。
夏以降、経営判断ミスが2件続き大きな出費を出し、今回のコロナでも売り上げ減少、先行き見えず、弱小零細会社が継続できるかどうか、今後の情勢次第で、怖いです。


――王さんの事業にも新型コロナの影響がはっきりと現れているのですね。
インド政府の支援策で何か目につくものはありますか。

  • インド準備銀行(中央銀行)のダス総裁が、1兆ルピー(約1.5兆円)を銀行部門に供給すると発言
  • モディ首相が、化学・肥料省のD.V.サダナンダ・ゴーダ大臣とのオンライン会議で、業界が必須医薬品、医療キット、機器の供給ラインを確実にするよう求め、1400億ルピー(約2000億円)
  • 3月17日、保健省連合は民間病理ラボによる検査許可を決定。政府のラボと同じく無料で検査を受けられるように要請
  • ウッタル・プラデーシュ州、パンジーブ州、テランガーナ州では、日当労働者への支援金が出されて、デリー、アーンドラ・プラッデーシュ州、カルナータカ州、ビハール州では、貧困層無料配給者の配給量を増やしています


――インドでの日常の生活に影響は出ていますか。

インドは2月までは通常モードでした。日本と比較すると、インドの方が安全、と思えるくらいでした。

受験生の息子が日本におりまして、社会人の娘と一緒に暮らしていましたが、多忙な娘に母親代わりさせるよりも、この状況下インドに呼び寄せた方が良いかな、と判断し、ビザ申請をさせました。

3月2日にビザ申請し、通常3日間くらいで発行されるので余裕を見て8日の成田→デリー便を押さえました。ところが3月に入ってからのインドの展開が早かったです。なんと翌日3日に、過去日本人に発給したすべてのインドビザが無効になり、新たなビザ申請も受け付けないとの通知が出ました。1日遅れていたら完全アウト。

その後もそう簡単ではなく、大使館が、インドに行く明確な理由を求めてきました。ちょうど、重いモノを運んだせいで私は腰をやられており、寝返りも起き上がるのも激痛が走る状況だったため、近くの整形外科病院の医師が家族のヘルプを求める手紙を書いてくれました。また、息子はインドの高校を卒業していますので、大使館のインド人職員と上手にコミュニケーションできるスキルがあり、おかげでビザの発行許可にはこぎつけました。

Author:ヌケイ314[CC BY-SA]
駐日インド大使館

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メキシコ便り(60):メキシコの新型コロナ感染状況

 メキシコ、新型コロナ感染広まっています。。。が、感染者のうち9割は軽症、1割が入院。メキシコ政府は、感染状況を1、2、3の3つのステージに分類し、メキシコは3月24日からステージ2に入りました。ステージ3を少しでも緩やかに入る対策として公立の学校は、春休みにさらに2週間足し3月23日から4月20日まで閉鎖。大人も3月23日から4月19日まで、感染ピークを避けるため基本的に皆、家の中で過ごすようにとの指示がでました。popoちゃん在住のファレスは、3月25日現在、感染者6名ほどですが、すでにジム閉鎖、トイレットペーパー不足、ダウンタウンのお店閉鎖、モール閉鎖。

 連邦政府は、頬にキスしてハグしての挨拶はやめましょうと警告、距離感を保ち片手を胸に当てややお辞儀する紳士風な挨拶や、自分の両腕をクロスして二の腕を握りエアハグを送る挨拶になっています。人々はかなり恐怖に煽られている感じがします。でもコロナ感染の恐怖より経済的恐怖に煽られている印象が強いかも。メキシコはその日暮らしの人が多いからかな?

 ロペス・オブラドール大統領は、新型コロナの件に関しては政治的意向は一切入れず、専門家の意見に信頼を委ねていて、メキシコは世界一の家族愛、絆でコロナウイルスを乗り越えられると国民を奮い立てせています。特に皆で、高齢者、持病もちの人、妊婦さんを守るために一致団結するように促しています。が、危機感を見せないロペス・オブラドール大統領は、海外メディアから無責任な大統領だと大バッシング。が、未だメキシコを飛び回っています。さすがに集会はやめ、国民へのキス、ハグ、握手も、もうやめましたが。。。果たしてメキシコは新型コロナ感染をうまく乗り越えられるのか?!
(popoちゃん)
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メキシコ便り(60):メキシコの新型コロナ感染状況


メキシコ人の命を背負ったウゴ・ロペス・ガテル厚生副大臣


新型コロナ感染対策チームをリードし、メキシコ人の命を背負ったウゴ・ロペス・ガテル厚生副大臣は、1月3日からコロナ対策に真剣に取り組み(たしか世界で一番最初の真剣に取り組んだ国だとか)、確かにお仕事ぶりは素晴らしい。伝染病の専門家でも。毎晩1時間の新型コロナ感染報告と質疑応答ではシンプルにわかりやすく回答し、変なエゴもなく正直そうで爽やかで好感度高いです。

Hugo Lopez Gatell 厚生副大臣

3月27日に副大臣は国民へメッセージを届けました。内容は、この1ヶ月、皆が家に留まることが感染拡大を防げる。すべての大、中、小、零細企業は、この1ヶ月だけ自宅に留まる従業員に無労働でもお給料を出してください。1ヶ月だけですと。。。ご協力お願いしますと。。。

厚生副大臣は、 WHOの言われたとおりに実践する優等生的な感じもあり。最初から新型コロナウイルスはインフルエンザより安全という見方で、恐れる必要はないとメキシコ国民に冷静になるように言ってきました。質疑応答で、ある記者がビタミンCについてどう思うかと質問したとき、ビタミンCは予防接種のように効かないと答え、ちょっと残念なところも。。。

3月24日朝の大統領プレス・コンファレンスでプレゼン中の副大臣

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ぴょんぴょんの「森の中で深呼吸」

 ずっと緊張を保ち続けることは疲れるし、むずかしい。
 どこかで、もうそろそろいいんじゃないか、という誘惑にかられます。
 日本の新型コロナ感染者数もじわじわと増え続けているのに、イタリアよりましだから、日本は大丈夫じゃないか、学校閉鎖もイベント開催の制限もゆるくなったし、大丈夫じゃないか。
 そういう気の弛みが、今、一番アブナイのではないでしょうか。
 現場の医師からの生々しい現状を知ると、一人ひとりが重症化しないために、気を引き締め直さないといけないと感じました。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「森の中で深呼吸」


新型コロナは落ち着いたの?


ああ〜〜〜 
光あふれる季節だって言うのに、何が悲しうて、家の中に引っ込んでなきゃならねえんだよ?
そろそろ、新型コロナも落ち着いた頃じゃねえの?


いやいや、本番はまだまだこれからだよ!

中国やイタリアに比べたら、日本の感染者数は余り増えてないし。
退院してるヤツも、けっこういるし。

その数字、信じてるの?

経済も落ち込んでるし、そろそろ外に出かけた方が、世の中のためじゃね?

感染が広がっちゃったら、経済どこじゃなくなるよ。

日本人の清潔意識は高いし、新型コロナ、そんなにオソロしくねえんじゃね?

今が踏ん張りどころだと思うよ。

だってもう、かれこれ2ヶ月になるんだぜ。
長過ぎるよ、飽きたよ。


感染症・指定医療機関勤務の医師からの生々しい訴え


くろちゃんは家にこもって、情報を集めながら、ビタミンCやコロイダルシルバーやレメディをそばにおいて、安全に暮らしてるんでしょ。
でも、新型コロナの感染者と向き合っている、医療関係者は大変なんだからね。
時事ブログで紹介されたツイート、見てよ。


武漢からのチャーター便を受け入れた、4病院のうちのひとつで働く、感染症・指定医療機関勤務の医師からの生々しい訴えだよ。

チャーター便と言えば、第一便は1月29日だったか。

この先生は その頃から「もう他人事やなかった 」と言ってる。
そして、ダイヤモンドプリンセス → 市中感染と、今でも戦闘継続中。
「流石に40年生きてきて 今が疲労度MAXや。」(必死チェッカーもどき

Wikipedia[Public Domain]

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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第24話 ― アヤタチ上田サンカ

 外国勢力を日本に引き込み「英領日本」を導いた国内勢力がありました。その中に「蘭癖」と称される人物群がありました。蘭癖の代表が薩摩島津氏で、島津氏は八咫烏の政治組織である天忠党と同盟関係にありました。
 一方、竹下さんからの情報により、明治天皇となった大室寅之祐の血統である李家(大室寅之祐の曾孫を名乗る張勝植氏は、自分たちの家系は張家の姓を所得したと述べています。)は山家であり、日本の黄金を提供し、外国勢力と協働し、世界革命に助力してきたのが「サンカの大元さん」であることが明かされています。
 他方そのサンカですが、サンカは穢多と称される被差別民との関係が取り沙汰されてもいます。日本や世界を裏から支配し動かす勢力を見るには、蘭癖、八咫烏、サンカ、被差別民、これらがどういう関係にあるのかを整理して明かす必要性があるでしょう。
 しかし、これらの関係は厚い秘密のベールの向こう側にあり謎に包まれています。ところが…アヤタチ上田サンカにスポットを当てると、その謎に包まれ秘密のベールの向こう側にある姿が相当見えてもくるのです。端的には上田サンカ=八咫烏です。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第24話 ― アヤタチ上田サンカ

上田音吉(吉松)という謎の人物 〜その血統が誕生させたもの


第18話の最後部分で見た「日本を支配する李家の系図」、これによると明治天皇となった大室寅之祐の弟は庄吉です。そして庄吉の娘ヨネは橋本卯太郎と結婚し、その息子が橋本龍伍、龍伍の息子が元首相の橋本龍太郎となっています。

要するに李家(張家)の血統を引く大室庄吉の曾孫が、この系図によると橋本龍太郎となります。そしてこの部分は事実だと思えます。


さらにこの図の最下部は要注目です。庄吉(上田音吉)と、つまり庄吉と上田音吉が同一人物になっています。大室庄吉と上田音吉が同一人物? 私はこれは違うと思っていますが、それは置いておき、注目は庄吉(上田音吉)の息子が上田鬼一郎、上田鬼一郎の息子が笹川良一と畑中理の兄弟、畑中理の息子が金正日、金正日と横田めぐみさんの息子が金正恩となっている部分です。

この重要な上田音吉の血統ですが、2016年2月22日の竹下さんの記事に出てくる上田家系図を見ると、上田音吉は多くの女性との間に子供をなしており、確かにこの上田家系図でも上田鬼一郎は上田音吉の息子で、その筋から北朝鮮国家主席金正恩に繋がっています。


大室庄吉と上田音吉が同一人物と思えませんが、上田音吉の血統がいわば北朝鮮を誕生させたのは事実だと思われます。

また系図では、上田音吉と別の女性の息子が創価学会初代会長牧口常三郎、また上田音吉の孫が創価学会2代目会長戸田城聖となっています。

更には、系図からは上田音吉の愛人が大本教初代教主出口ナオであったこと、出口王仁三郎(上田鬼三郎)が上田音吉の孫にもなっています。

これらによると上田音吉並びにその血統が北朝鮮だけでなく創価学会と大本教をも誕生させたことになります。

更にあります。上田音吉を巡る系図は重要で要注目なのです。2016年4月10日の記事で、竹下さんは以下のようにコメントされています。

皇道立教会の総裁・伏見宮貞愛と久邇宮朝彦は兄弟です。下の系図をご覧になるとわかりますが、伏見宮貞愛は有栖川宮を介して上田家と繋がります。

そしてその記事にある「伏見宮邦家・有栖川宮幟仁・上田音吉〜金正恩の系図」を見れば、確かに上田音吉の系統は有栖川宮を介して久邇宮(中川宮)朝彦と繋がります。久邇宮朝彦の孫が梨本宮方子です。梨本宮方子の娘が横田早紀江さん、孫が横田めぐみさんと繋がるわけで、これは事実でしょう。


北朝鮮王国、大本教、創価学会を誕生させ、宮家とも繋がる上田音吉とその血統…。こう見てくると上田音吉が超重要人物であることが分かります。

これらの系図に触れた際「この上田音吉もしくは上田吉松とも称されるこの人物、一体どこから出てきたんだ?」私は首を傾げていたのです。その回答がありました。落合莞爾氏によると、前回見たサンカの大親分アヤタチ・上田サンカの幕末当時の当主が上田音吉(吉松)とのことなのです。

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*まるっと◎なんくるないさぁ~* あい∞ん在宅看取り介護6

 「薬に頼るのではなく、なるべく自然に任せたい」と介護宣言をした、あい∞んさん。
 介護スタッフさん達のびみょ〜な空気にも怯まず、いよいよご自宅でお父様の介護が始まりました。
 今回は少し視点を変えて、あい∞んさんの介護食をのぞいてみましょう。
(まのじ)
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看取り介護 お食事編


『私はなるべく自然の成り行きに任せて、極力薬を使わず、点滴をしないで、枯れるように亡くなることが自然なことなんじゃないかと想っています。
なるべく薬などを使いたくありません。』

今、冷静に考えてみたら、これは私の勝手な、余計なお節介だったのかもしれません。
父自身が決めないといけないことを、ほぼ私が先導してしまったような気がします。

家族の誰かを将来的に看取る立場にある方は、日頃からご本人の希望や意思をしっかり話し合って知っておくことがとても重要と思いました。
医療のメリット、デメリットを知った上で、ご本人にとって一番大切にしたいこと、重要なこと、希望などをあらかじめ確認しておいて、その時々のご本人の状況や想いにあわせて臨機応変に変えていくというのが望ましいような気がしました。

父の希望は、、、多分本人にもよく分からなかったのかもしれません。


私も家族にエンディングノートを渡していましたが、ちゃんと書いてはくれませんでした。
「自分自身の死に向き合う」のはピンとこないことのようで、ご本人がよほど「ちゃんと決めておこう」と決心しない限りは、ただただ成り行き任せになって、結局故人の意思はどうだったのだろう、ああすればよかった、こうしなければよかった…と後で家族がモヤモヤしてしまう場合もあると思います。

死をタブーと捉えずに、自然なこととして、
「どんな仕事したい?」とか「どんな人と結婚したい?」などと同じように
「どんな死に方したい?」って
家族や友人や知人でフランクに話せたら、いいなぁ

世の中が、もっともっと死についてリラックスして考えられるようになると、もしかしたら病気も減ったりして(笑)、なんて想像したりしました。


今回は、父の様子を見ながら色々に工夫した食事を、タイプ別にまとめてみました。
体を整え、本人の楽しみにもなるよう、一日に3回、朝・昼・晩(食事時間は、その日により変動あり)を目安に食事を作りました。

食事は基本的に私がカップを持ち、ストローを添えて、父の口に持っていきました。
お粥や、柔らかく煮炊きしたおかずなどは、私がスプーンですくい、口に入れていました。


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