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ぴょんぴょんの「〈毛細血管〉とAVA」

脳動脈瘤を抱えた70代の女性。
動脈瘤破裂の予防にと、降圧剤を飲み続けてきました。
最近、上の血圧が120〜130と落ち着いたので、主治医に言いました。
「そろそろ、降圧剤を止めてもいいでしょうか。」
ところが主治医の答えは、「私としては、110まで下げてほしい」でした。
自分が診ている以上、何かあったら責任問題になると考えたのでしょうか。
一昔前まで「上の血圧は年令プラス90」が標準でしたが、70代で110?
動脈瘤の破裂は免れても、他は大丈夫なのかと心配になりました。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「〈毛細血管〉とAVA」


高血圧は『作られた病気』


ところでその後、おやっさんはどうだ?

心配かけて、ゴメンね。
軽い脳梗塞だって。
後遺症が残らなくてよかったよ。

そいつぁ、ウンが良かったな。

ヒートショックっていうの?
風呂場で服を脱いでたら、倒れちゃってね。
お医者さんが言ってたけど、気温が急に下がる、今の季節に多いんだって。


年寄りが、救急車で運び込まれる季節だな。

ちゃんと定期的に病院に通って、〈血圧〉の薬も飲んでいたのに。

ふうん、やっぱり・・・。

どういうこと?

よし、ゆっくり解説してやろう。
とにかく、ここじゃ寒いから、どっかに入ろうや。

わあ〜い!
ここのお店、「甘酒」って書いてあるよ。

Author:克年三沢[CC BY]

ええなあ、寒い日の「甘酒」、体も大喜びだぜ。

さて・・・と、落ち着いたところで、お父さんの話。
高血圧はコワいよね。

ふ〜ん・・東海大学名誉教授の大櫛氏は、こう言っている。
「高血圧は『作られた病気』です。」
(smart FLASH)

「作られた病気」だって?!

大櫛氏、ホントのこと、バシバシ言ってくれちゃってるぞ!
「日本の健康診断や人間ドックで用いられている (血圧の) 基準は厳しすぎます。
「本来は健康である人を “病人” とし、無駄な投薬や治療をおこなっているのです。」「医療界にとって、高血圧の診断基準はまさに『打ち出の小槌』です。
血圧の基準値を下げれば 患者が増えるんですから。」(smart FLASH)


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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第10話 ― 英領中国に

 「英領日本」、これは日本人には受け入れがたいものでしょう。しかし、中国がイギリスの植民地であったと言えばいかがでしょうか?
 インドは英国女王がインド皇帝になっていますから、表向きにもはっきりと英領でした。中国は表向きその全土は英領とはなっていません。しかしアヘン戦争等で敗戦し、散々蹂躙され、収奪され、主権を奪われているので、実質的にはイギリスなどの植民地であったことには否定されないででしょう。
 中国とは異なるとはいえ日本も同じような部分があり、日英修好通商条約が英領日本に当たる条約になっていると思っています。
 「本物黒酒」さんが提示されたそれを示す資料、1874年8月11日英国官報「英国女王陛下は、«中略»と日本の帝の領土における権限と管轄権を過去も現在も持っている」
 この «中略» 部分ですが、英国官報のガゼット紙の該当部分「Mikado of japan」の前に「Enperor of China」とあります。つまり正式には「英国女王陛下は、中国皇帝と日本の帝の領土における権限と管轄権を過去も現在も持っている」となるでしょう。
 1858年の日英修好通商条約締結の直前に、清国がイギリス側と締結させられた条約があります。天津条約です。英側からすれば天津条約と日英修好通商条約は、連動というかセットになっているのでしょう。別名「第2次アヘン戦争」ともいわれる英側から仕掛けられたアロー戦争によって天津条約が結ばれているのです。
 アロー戦争でイギリス軍を率いて天津条約を結ばせたのがジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)です。ジェイムズ・ブルースがその直後に軍艦を率いて江戸にやってきて、日英修好通商条約を結ばせているのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第10話 ― 英領中国に


仕掛けられた「第2次アヘン戦争」〜不法でっち上げのアロー号事件


すでにアヘン貿易で中国から富を収奪していたイギリス東インド会社(後の300人委員会)は、1839年に勃発させたアヘン戦争にて中国を蹂躙し、アヘン貿易等にてさらなる暴利を貪っていきます。アヘン戦争で香港島を英国女王に割譲させてもいます。

中国におけるインド産アヘンの輸入量の推移
Author:Philg88 [CC BY]

編集者註:グラフでは1835年以降アヘンの輸入量が急増。それに伴い、清とイギリスの間で1840年から2年間にわたり行われたのがアヘン戦争。
1856年から1860年にかけて、再び清とイギリス・フランス連合軍との間でアロー戦争(第2次アヘン戦争)が勃発。1860年の北京条約締結以降、一層アヘンの輸入量が増加。

アヘン戦争の主体者は大英帝国ではなく、悪魔崇拝海賊会社イギリス東インド会社のオーナーたちです。イギリス東インド会社のオーナー ≒イングランド銀行のオーナーでもあります。

幾度も見てきたように、1600年台をかけて英国は悪魔崇拝の海賊団たちに乗っ取られています。英国という国家の上に悪魔崇拝の海賊団が位置していて、彼らが世界中を植民地支配してきて、現地人の生き血を貪ってきたのです。

pixabay [CC0]
pixabay [CC0]
Wikimedia Commons [Public Domain]

香港島が英国女王に割譲されていますが、英国女王は悪魔崇拝海賊団の仲間であり、彼らの看板としての代表なのです。従って香港島の割譲にしても、英国女王を代表として悪魔崇拝海賊団が香港島を収奪しているのです。悪魔崇拝海賊団の大ボスの一人がロスチャイルドということでもあります。

アヘン戦争からの暴利、しかし彼らはこの莫大な収奪にも満足できていなかったのです。彼らは中国に当時の清朝に武力行使を仕掛ける機会を常に窺っていました。戦争に持ちこみ、さらなる収奪を加算できる条約締結を目論んでいたのです。そのような状況下に都合よく?中国で1851年大農民反乱「太平天国の乱」が起きます。これで1853年には南京を占領するなど中国内での独立国家を設立したのです。

この非常事態の対応に苦悶する清朝、イギリス側はこれを武力行使の絶好の好機と捕らえます。1856年にでっち上げの言いがかりのいちゃもんにて戦争の口実を作り上げます。これがアロー号事件です。アロー号事件を口実にイギリス側が清朝に卑劣に仕掛けた戦争がアロー戦争です。

アロー戦争とは別名「第2次アヘン戦争」です。イギリス軍を率いる司令官はジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)でした。またイギリス側はフランスのナポレオン3世に共同出兵を求め、英仏連合軍として清国に襲いかかり蹂躙したのです。

ジェイムズ・ブルース(第8代エルギン伯爵)
Wikimedia Commons [Public Domain]

なお、1858年に日英修好通商条約の前に日米修好通商条約が締結させられていますが、交渉に当たった米側のタウンゼンド・ハリスが江戸幕府を強請るネタに用いたのもこのアロー戦争だったのです。英国、米国、フランスなど国名は違いますがみんな「お仲間」と見たほうが早いでしょう。海賊団の仲間です。

さて、ジェイムズ・ブルースらが率いる連合軍は1857年末には広州を占領し、この地方の総督兼皇帝の特命大臣を捕縛します。そして翌1858年、再び北上して天津を占領し、清国に天津条約を締結させたのです。この締結直後にジェイムズ・ブルースが返す刀で艦隊を率いて江戸に襲来し、日本側に締結させた条約が日英修好通商条約だったのです。

江戸幕府と条約交渉を行うエルギン伯
Wikimedia Commons [Public Domain]

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ぺりどっと通信54 うんこ


毎日のように我々が排泄するうんこ💩
今まで自分の体内のあったものが外に出された瞬間から忌み嫌われるうんこ💩
なのに、みんな大好きなうんこ💩
そんなうんこに関する話題を取り上げてみました。
(ぺりどっと)
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ある日、本屋に立ち寄ってみると、あるコーナーを占めていた一角が目に飛び込んできました。


そう、メリはちさんのデビュー記事を華々しく飾った"うんこ漢字ドリル"シャンティ・フーラのプレゼントになったことも。今や、漢字ドリル以外のラインナップもすこぶる豊富というわけです。

その"うんこ漢字ドリル"が、今年の夏のあの話題をすでに予見してます(2番を見てみて)

漢字学習の本は普通なら「数千部売れればいい」と言われるジャンルで、うんこドリルは今やシリーズ累計500万部も突破しとる大ヒット教材!それにあやかって、ぺりどっとも「うんこ」を取り上げたわけなのさ。

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ままぴよ日記 38

 「きゃーーかわいい!」「癒される~」と、うれしそうに声をあげるのは子育て広場に来た中学生のお兄ちゃんとお姉ちゃん達。

 10年前、中学校に子育て広場を作ってから毎回聞こえてくる言葉です。中学生と赤ちゃん1対1の点と点を繋ぐことしかできませんが、どんな教科書よりも確実にお互いの命が交流し合っています。そして、私はその声を聴きながら「ああ、この広場を作ってよかった!」「続けてきてよかった」と思うのです。
(かんなまま)
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自立できるかどうかの大切な時期


小学校までお利口だった子ども達が中学校になると急に感情を表さなくなってしまいます。わかっているのかわかっていないのか返事もしません。中学校の先生は生徒に諭しても空回りするので次第に注意する声が大きくなっていきます。注意すればするほど逆効果になり、生徒から無視されます。どうやってこの時期の関係を築けばいいのか?悩ましいところです。


では、そんな生徒は中学生になっていきなり無感動、無愛想で挨拶もしない失礼な人になったのでしょうか?いえいえ、そうではありません。むしろ今まで何を言っても聞いてもらえず諦めの境地なのかもしれません。

又、思春期になり、自我が目覚めて考えたり迷ったりすることが増えても自分の気持ちを整理して伝えるのは難しいし、性エネルギーが引き起こす激動の変化に自分自身が一番戸惑っているのかもしれません。多感で誤解されやすい時期なのです。でも、これからの自分の人生にとって、自立できるかどうかの大切な時期でもあります。


私が教育委員長だった頃、学校教育に子育ての視点を入れたくて悩み、模索しました。会議で乳幼児期からの一貫した子どもの育ち支援の観点を取り入れて教育施策を作る提案などもしてきましたが、ほとんどが実現しませんでした。

教育委員長という肩書はあっても元はただの専業主婦。男社会の大きな組織の中で発言を期待されてもいませんでしたし、子どもの育ちの現場にいる母親感覚で発言しても教育指導という立場の教育界との意識の差は大きく理解してもらえませんでした。先生自身も現場の子どもの姿より国で決められた指導要領に従わなければいけません。

私に与えられた役割は用意された代表挨拶の原稿を読むお飾りに過ぎないと痛感しました。それでも自分で作った原稿を読み、意見を言い続けました。おしかりもいただきましたが現場の教師や保護者からは感動したという声も届きました。


中学校で子育て広場を開く


そんな時、県の教育センターで社会教育を学んできた先生が中学校の教頭先生になりました。そして「うちの中学校で子育て関係の事業ができないでしょうか?」と相談に来られました。

一回きりの中学生と赤ちゃんの交流会のようなものを考えていらっしゃったのかもしれませんが、私は中学校で毎月1回継続して子育て広場を開かせてもらえませんか?と提案しました。

子育て広場は、家庭科の授業である保育園訪問と違って普通の親子の様子がわかります。親が我が子を抱っこしたりお世話をしたり、子どもが甘えたりする姿を見て自分がどんな風に育ててもらったのかに思いを馳せることができるし、毎月会うことで子どもの成長もわかります。何より自分が子どもを持った時のモデルになるのです。

当時、こんな形で学校に広場を作っているところはありませんでした。本来学校は部外者に定期的に教室を貸すことはしませんが、この教頭先生の計らいと校長先生の理解でやってみましょうという事になりました。


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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた社会問題、教育問題 ~第51楽章 お寿司からツェツィーリエンホーフ宮殿で発せられたポツダム宣言まで

先日ぺりどっとさんがドイツでは「カローシ」(過労死)の日本語が有名であるという記事を書いていらっしゃいました。
本当にそのようで、私は少し前にベルリンにある大型書店Dussmannで、
KAROSHI と書かれている絵葉書カードを発見しました!一瞬このカード見たとき、あららら・・と思いまして、珍しいから購入しようかなと思いつつもがやめたのですが・・。
ドイツ人でこの絵葉書を買う人はいるのでしょうか??
ドイツ人は日本人の多くの方が長時間働き、休みがほとんどないことを知っていて、こんなことは口に出しては言っていませんが、表情から感じるに、
『休みがなくて、自分の時間が持てない人生なんて意味ないんじゃない??』
と言っているような気がしています。

第51楽章は、お寿司からツェツィーリエンホーフ宮殿で発せられたポツダム宣言までです。
(ユリシス)
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「スシ」とお寿司


ベルリンの大型書店Dussmann は、ベルリンの中心部にあるデパート形式の書店です。地下の音楽関連のCDから専門書、英語や多言語の本のコーナー、
専門書、そして、ドイツの文房具やプレゼントに最適な雑貨まで置いてあり、
開店時間も朝9時から深夜24時までになっていて、1日思う存分楽しめる場所です。


座って本を楽しめるスペースもたくさんあり、ドイツ人は旅行が好きなので、
旅行本も充実していて、多くの方が座って旅行本を検討しています。

ドイツでは、「カローシ」のほかに、「スシ」、「ツナミ」などはもちろんのこと、
「マンガ」、「ワサビ」、「ノリ」、「ショウユ」、「カキ」(柿)、「サツマ」(みかん)、「ウメボシ」、「クズ」(葛)、「ほっかいど」(北海道産のかぼちゃ)、「キモノ」、「オリガミ」なども


photo by ユリシス

そのまま日本語が使われています。「スシ」などは、チャイニーズが海外で流行させたと言われていています。
日本人は、「スシ」とは言わずに、丁寧にお寿司と言うものですね。
アメリカでは、アイスコーヒーやコーラと一緒にお寿司を食べていたアメリカ人たちを見て驚愕し、また、シアトルで一度、にぎりのお寿司を食べましたら(庶民的なチャイニーズ経営のお店ですが・・)、
シャリがあまりにも大きすぎてのどがつまりそうになりました!
お刺身とシャリのバランスというものがあるものなのですが、海外だとこうなってしまうのですね。
ベルリンでは、ベトナム人やタイ人が自国の料理とスシを兼ねて営業しているようです。

Author:Yumi Kimura[CC BY-SA]

今まで見たところによると、一応にぎり寿司もあるようですが、
多くの外国人の方は、太巻きやかっぱ巻きを「スシ」と思っているようです。


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