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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第15話 ― オスマン帝国滅亡前夜

 東日本大震災からやがて丸7年を迎えようとしています。この間、残念なことに随分と日本の破壊が進んでしまいました。民族主義を唱え、愛国だ、右翼だ、と名乗る連中の手によって、です。愛国? 国を愛するとは国民を大切にし、国土の美しい自然環境を大切にすることでしょう。しかしそれと全く真逆のことをする連中が自らを愛国者だというのです。
 また、右翼? そもそも右翼左翼のカテゴリー分け自体が全くナンセンスです。ユダヤ問題のポイントでこれまで見てきたように、スーパー右翼のはずのナチス・ファシズムとスーパー左翼のはずの革命・共産運動は全くの同根です。本質的には同じ中身に違うレッテルを貼っただけのインチキです。
 私たちはありのままに事実を見る必要があります。端的には「巧妙に騙し支配し食い物にする者」と「事実を見ようとせず、騙され食い物にされる多数者」がいる、それだけなのです。
 そして民族主義? これには排他主義が必然的に含まれますが、この民族主義が幅をきかせ出すと国家存亡の危機です。お決まりのパターンなのです。大体、民族主義を唱える連中は本当にその民族の人間なのでしょうか? 安倍ぴょんが現役総理でありながらも、韓国の文鮮明を教祖とする統一教会の機関誌「世界思想」の表紙を度々飾っていること、また、元々の出身地となる山口県熊毛郡田布施村がどういう性質を持つ村か? これらの事実は調べておくべきでしょう。

 さて、大帝国から弱体化させられたオスマン帝国が、最後の矜持でパレスチナの割譲を拒絶します。すると「青年トルコ人」と呼ばれる組織が出現し、革命を起こしスルタンは追放、最後はオスマン帝国が完全滅亡に追いやられます。「青年トルコ人」と呼ばれる謎の組織、彼らもお決まりのパターンで民族主義を唱える連中で、過激な排他主義で民族迫害を敢行し、オスマン帝国を破壊し外国の食い物にさせたのです。
 こういう一見はかっこいいことを唱えるが、実はその中身正体は不明の者が国家のトップに立つのは非常に危険なのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第15話 ― オスマン帝国滅亡前夜

オスマン帝国スルタンとテオドール・ヘルツルの交渉


圧倒的な戦闘力の高さを背景に巨大な帝国を築いていたオスマン帝国。しかしこのイスラム大帝国も欧州側の種々の工作もあったのでしょう、17世紀頃から徐々に衰退し、19世紀終わり頃には莫大な借金が膨らむなど「不治の病人」と揶揄される状態になっていました。

その当時からロスチャイルド家を筆頭とする偽ユダヤが、世界統一政府樹立のために欠かせないとして狙っていたのがパレスチナにおけるユダヤ国家の建設です。しかしその実現にあたり絶対に必要なのが、当然ながらパレスチナを領地として統治していたオスマン帝国のスルタンの了承です。

そこで当時のスルタンのアブデュル・ハミド2世を説得する任についたのがテオドール・ヘルツルです。ヘルツルとは、彼の呼びかけで1897年に世界シオニスト会議が開催され、一般的には「近代シオニズムの父」とされている人物です。「ユダヤ国家の建設」を夢見た男です。

19世紀末、ヘルツルがオスマン帝国の重臣を仲介とした形ですが、アブデュル・ハミド2世に打診をします。「多額の借款の棒引きと引き替えとしたパレスチナの地の割譲」を、です。
オスマン帝国に対する莫大な借款を有していたのはやはり当然ながらロスチャイルド家です。ヘルツルはロスチャイルド家の代理人として交渉に当たったわけです。

これに対するアブデュル・ハミド2世の返答は次のようなものでした。「パレスチナの地は私の所有するものではない。血を流した人民が手にしたものであり、彼らが所有する。私は自分が所有していないものをどうして売ることできようか。そしてもしそのようなユダヤ国家ができるとしたならば、それは我々の死体の上に建てられるだろう。我々は生きている体をナイフで割譲することを許さない。」。売国を拒む印象深い返答です。

その後もヘルツルは交渉に当たり、最終的には1901年に謁見を許され、ヘルツルはアブデュル・ハミド2世と直接交渉の機会を得ます。出合ったヘルツルとアブデュル・ハミド2世は互いに好印象を持ったようでした。しかしパレスチナの地の割譲は最初から答えが出ていたとおりでした。パレスチナでのユダヤ国家建設が暗礁に打ち上げられたヘルツルは焦燥にかられます。「ユダヤ国家の建設」を夢見る彼は、世界シオニスト会議でパレスチナ以外の地でのユダヤ国家建設案を出します。ユダヤ国家建設そのものが目的ならばパレスチナ以外でも良いはずなので、彼にすれば当然の提案です。

しかしこれは当然ロスチャイルド家には最初からの目的が異なっているため、シオニストたちから総スカンでした。ヘルツルは疎まれ失意の内に死去します。世界支配を狙うロスチャイルド家など偽ユダヤたちにとって、ユダヤ国家建設はパレスチナ以外認められるはずがなかったのです。

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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた難民問題、移民問題 ~第7楽章 トルコの外国人労働者も2世代目、3世代目

第6楽章のパレスチナ人に出会うに引き続き、
第7楽章のトルコ人外国人労働者も、2世代目、3世代目です。

ドイツのベルリンには、トルコ人が多く住む
地域がいくつかあります。
トルコ人は、人数が多いので、コミュニティーが発達して
集団で固まっている傾向があるのです。
(ユリシス)
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ドイツでのトルコの影響


戦後、1950年ごろ、高度経済成長した
当時の西ドイツは労働力不足で
した。
外国人の労働力に期待をするしかなかったのです。

pixabay[CC0]


1955年にイタリア、1961年にトルコ、
1968年に旧ユーゴスラビアとの労働協定を結びました。

その後、トルコ人の外国人労働者が一番多くなったのです。
現在、ドイツの人口が8000万人のうち、
外国人が8.2% で、そのうちトルコ人が25%
で、300万人くらい
と言われています。

ドイツのベルリン発祥のドネルケバブサンド。
しかし、ケバブは、トルコ料理です。
1960年にトルコから移民したヌルマンさんが
1972年にベルリンでケバブサンドを屋台で売ったのが
はじまり
です。

opencage[CC BY-SA]


ベルリンには、1000以上のドネルケバブサンドの
お店があり、とても人気
ですが、
これは、トルコ移民が頑張ってきた賜物です。

あるトルコ人の方に質問を投げかけてみました。

Q・ベルリンで生まれたのですか?
A・自分の親世代の前のおじいさん、おばあさんの世代が
トルコからベルリンにやってきた。
だから、ベルリンで生まれて、ベルリンで育った。
トルコから移民して3世代目です。


Q・ドイツで育ってきて、どうでしたか?
A・良い点と悪い点がある。ドイツ語、英語、トルコ語を
すべてネイティブに話せることが良い点だが、
自分はドイツ人なのか、トルコ人なのかわからない
ことがある。

Q・人種差別などを感じますか?
A・私は特に感じないが、人種差別の感じ方は、
環境によって、人それぞれだと思う。就職などで、
あるといえば、あると思う。

このような率直な回答が返ってきました。

質問をさせていただいたトルコ人の方は、
トルコの第3の都市イズミルの出身。
トルコの首都は、アンカラで、第1の都市は、
イスタンブール
になります。

イスタンブール WikimediaCommon[CC BY-SA]


第3の都市イズミルは、地中海に面し、
現在、シリアの難民たちのボートの出発点でもあります。

イタリアのような雰囲気で、オリーブオイルを
ふんだんに使う料理がたくさんあるようです。
トルコ料理とギリシャ料理の起源争いもあるそうです。

イズミル WikimediaCommon[CC BY-SA]


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ぺりどっと通信1 はじめまして

竹下雅敏氏からの情報です。
 皆様、シャンティ・フーラが満を持して放つ「ぺりどっと通信」の第1回目です。ぺりどっと氏には、時事ブログの編集作業をお願いしているのですが、そのやり取りの中で驚愕の事実を知り、これは、ぜひとも記事にして皆様に知ってもらう必要があると強く確信したところから、このぺりどっと通信は生まれました。
 まさか、本当にインドア派キャンパーが実在するとは… 。しかも、記事を読めば、単なるインドア派キャンパーから、さらに蛹型へと進化しているではないか。
 この寒かった冬でも一切暖房を使わない生活。その生きた知恵の数々をぜひとも紙上で伝授していただこうというのが、この企画の大元です。今回も、暖房費を著しく軽減する“とうがらしマジック”が公開されています。
 私も1本だけ唐辛子を両足の靴下の先に入れて実験してみたのですが、確かにそこの部分だけが暖かい。“片足に…20~30本ほど入れること”に納得。
 ぺりどっと氏によると、この唐辛子だけで一冬を越せると言うのです。なんと経済効率の良いこと! しかも環境に優しい!
 このぺりどっと通信をご覧になれば、経済崩壊後の日本であっても、結構楽しく明るく切り抜けていけるのでは? そう考えると、実にタイムリーな連載が始まったと思います。
(竹下雅敏)
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愛すべき時事ブログをご覧の皆さま、こんにちは。
時事ブログの記事掲載の編集のお仕事をさせて頂いております、ぺりどっとです。ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

僕は2年ほど前に仕事を辞めて、三重から広島の大崎上島という離島に移住してまいりました。こちらの島に移住したきっかけは、hiropanさんの寄稿記事「hiropanのAfter 3.11」です。大崎上島については第19回から出てきます。そうそう、パータさんとポンタール1世さん、こじかさんの訪問記「hiropanさんを訪ねて、大崎上島へ」も必見です。

(まの爺)
 ちょっと待った〜!
ヒョンと登場した「ぺりどっと」さん、読者の皆さまのために、先に少し解説をさせて下され。
 竹下氏はじめ執筆者の方々から届く原稿を、時事ブログに掲載できるよう日夜パソコンに向かって黙々と編集作業をしてくれるのが、編集者さんなのぢゃ。
 その編集者ぺりどっとさんと竹下家との会話に、まの爺は耳を疑った!
それは日本全国が大雪で震え上がったあの日の会話ぢゃ、、。語られた実態は、とても隠しておけるレベルのものではなかった。賢明なシャンティ・フーラ・スタッフも、この事実を開示すべき義務があると決意したのであろう、ぺりどっとさんに、ドサッと原稿用紙を渡したのぢゃ。

僕が今住んでいるのは、1000㎡の広い畑付きの築100年を超える古民家。庭には柿や柚子、梅などがたくさん植えられています。水道は、上水道の他に井戸水と山水が使え、トイレは水洗。備え付けの家電や道具なども自由に使わせてもらっています。部屋は台所以外に6部屋もあり、一人で住むには正直広すぎです。ちなみに家賃は2万円です。



竹下先生の記事掲載の編集では、まず夕方までに竹下家から時事ブログの原稿が届きます。それを元に記事編集をしているときの僕のリアルな服装がこちらです。。。

↓ ↓ ↓


オートバイ用の綿入りの防水防寒つなぎです。雪でも雨でもへっちゃらなヤツで、めっちゃ暖かいです。雪降る中6時間ほどバイクで走っても体は寒くなりませんでした(数時間で指先と足先は凍りつきかけましたが…)。冬場にこれを着慣れたらもう手放せません。もうこれは着る毛布ならぬ、着る布団です♪


冷えは足元からジワジワとやってきます。室内でもレッグウォーマーとムートンブーツを履いて、地面からの冷えを完全にシャットアウト。


なぜ、室内なのに手袋をしているのかですって?
だって寒くて手がかじかんでしまうんですもの♪

(注)デスク面がなぜスノコなのか、そしてそのスノコがなぜカラーボックスの上にのっているだけなのかは、僕だけのトップシークレットです。近くのホームセンターで、スノコやカラーボックスが超激安で売っていたから ひ、秘密の隠れた工夫がこの中にたくさん散りばめられている…はず(汗)

上記の服装だけで割と暖かく過ごせております。でもより寒さが厳しくなり、体を動かせない編集作業中では、手がかじかんで指が動かなくなります。

そんなときには…

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メキシコ便り(6): メキシコの麻薬カルテルとメキシコ政府

 前回のメキシコの治安の記事に、メキシコの治安の悪さは一般人の犯罪云々より麻薬犯罪組織(麻薬カルテル)による影響のほうが多いと書きました。そんな麻薬カルテルのことをもう少し掘り下げて調べてみました。メキシコを語るのに麻薬カルテル抜きに語れない。。。なぜなら昔から麻薬カルテルとメキシコ政府は深い協力関係にあるから。。。そして、その結果が今のメキシコ(貧富の差、メンタリティー、文化、治安の悪さ)をつくったと言っても過言ではないかも。。。メキシコの麻薬カルテル問題を掘り下げると、それは世界の問題だということがわかってしまった。。。😔 メキシコの真実は世界の真実。これらの麻薬犯罪はメキシコだけなく世界が絡んだ国際犯罪!だからメキシコに興味のない人たちでも無関心でいられないかも。。。

 まずは麻薬カルテルとメキシコ政府の実態を世に知らしめたメキシコの勇敢な本物ジャーナリスト、アナベル・エルナンデスさんを簡単にご紹介♪ 彼女の生きる姿勢は凛として美しい✨こんなに腐敗したメキシコにこんなに輝かしい女性がいるとは。。。。まさにメキシコの宝🌟これが本当のメキシコ人の姿だとpopoちゃんは思いたい!ジャーナリストにとって一番危険な国と言われているメキシコでの彼女の生き様は多くの人に勇気と感動を与えてくれます。

 そして下の動画では、アナベル・エルナンデスさんがイギリス・ロンドンのフロントラインブッククラブでのお話会で、メキシコの麻薬カルテルとメキシコ政府の関係を1960年あたりから非常にわかりやすく話してくれています。動画は約90分ほどあり長いので、ざっくりまとめてみました。そして。。。最後に、別の情報源(元イルミナティのメンバーと語るもの)から衝撃的な告白をご紹介❗️

 それにしても正直、このように真実を知れば知るほど腹立しい。支配欲、所有欲、名誉欲、権力欲、性暴力が膨れに膨れ上がって、お金と暴力でそれらを得た麻薬カルテル、メキシコ政府官僚、アメリカ政府、大企業家、そして銀行家たち。。。彼らにとって、その手段が人の命を奪うことであっても、自己の利益、欲を満たすほうが遥かに大切なのは明らか。。。そんな彼らは本当に幸せ???欲からはフェイクな幸せしか生まれない。。。改めて自分のあらゆる欲を、見つめ手放していきたいと思ったpopoちゃんです!そして、今のめちゃめちゃなメキシコ、今のめちゃめちゃな世界をありのまま平穏な心で受け入れたい。。。ヤツらに対する怒り、批判、期待の心をもったままでは、きっと何も変わらない。。。Adios (さよなら)怒り、批判、期待たち。。。👋 そして今日もpopoちゃんは愛のマントラを唱える💖
(popoちゃん)
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メキシコ便り(6): メキシコの麻薬カルテルとメキシコ政府


勇敢なジャーナリスト


[アナベル・エルナンデスさん] Author:Heinrich-Böll-Stiftung[CC BY-SA]


アナベル・エルナンデスさんはNarcoland(Los Señoles de Narcos)という本を2010年に出版。メキシコでベストセラーに!5年の年月をかけ、麻薬カルテルとメキシコ政府の癒着の実態を調査しまとめた345ページにも及ぶ暴露本。すべて証拠付きのストーリー。まるで映画のように日時、その場の状況、会話までも詳細に描かれている。そして麻薬カルテルと関わった政治家などすべて一人一人名指し。もちろん過去の大統領たちも名指し!

アナベル・エルナンデスさんの本’Narcoland’ Photo by popo


そういう訳で本の出版以来、彼女の頭には値段がつき、2010年、当時のカルデロン大統領の警視庁長官から死刑宣告をも受けたとか。。。ツイッターのアカウントもサスペンド(アカウント凍結)されている模様。。。。現在2人のボディーガードに守られて過ごす日々。。。(これはもう彼女の言っていることが真実だと認めているようなもの。)そして2人の子供をもつシングルマザー。今日殺されるかもしれないと覚悟して、日々、ジャーナリストとしての使命を全うされているようです。(すばらしい!!!👏)

アナベルさんの父親はごく普通のビジネスマンだったのだけれど、2000年誘拐され殺されてしまった。。。アナベルさんは警察に捜査願いを出したけれど、お金を要求された。。。アナベルさんは憤慨した、そして、決心した。一生メキシコ政府の腐敗と戦いづつけると。。。

アナベルさんは2012年にWAN-IFRA(世界新聞ニュース発行社協会)から「自由の金のペン賞」を授与。その際の彼女のスピーチがすばらしい✨ 彼女は「沈黙しながら生きることは死ぬことと同じだ」とスピーチの中で言っています。なんと勇敢な。。。 長文ですが、是非、リンク先でご一読を!
http://ukmedia.exblog.jp/18592325/

あの本の出版から早、8年。未だに本で名指しされた官僚の誰一人とも刑務所にいっていないとか。。。その反面、これまでに真実を語るジャーナリストたち170名が殺された。。。なんとも理不尽な。。。彼女を含め多くのメキシコのジャーナリストたちは口を揃えて言う。「麻薬カルテルよりも政府からの脅しのほうが断然悪質だ」と。。。

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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(45)愛

かんなままさんの執筆記事第45弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(45)愛

すごく美しい風景を見て、

何も考えず、生きる。

心がその瞬間を感じている。

それが、愛です。

出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)


波の音で目を覚ます


波の音で目が覚めました。外は明るくなっているようです。子ども達を見るとまだスヤスヤ寝息をたてています。でも、夫がいません。テントの外に出てみると夫が1人浜辺の岩の上で座禅を組んでじっと海を見ているのです。


夫がそんなことをするなんて想像もできなかったのですが、近づいて行くと「夜が明ける前からここにいるけど、こんなに気持ちのいい朝は初めて」というのです。

後ろを見るとなだらかな丘から太陽が昇ってくるところでした。今日の素晴らしい一日が約束されたかのような神々しい朝日でした。こんな大自然の圧倒的な美しさの中にいると自分の小ささを感じるとともに、その大きな懐に包まれた感動に満たされます。


遊びに来るイルカ


又おいしそうなにおいがしてきました。歯だけ磨いて朝食です。この場所だからなのか、どれもおいしく感じました。と、いきなりスタッフが何かを叫んでいます。「ドルフィン!」と指さす方を見たらたくさんのイルカの群れです。ジャンプもしてくれました。さっそくカヤックを使って海に出る人、泳いでいく人・・・私達もそのままフィンやシュノーケルをつけて海に飛び込みました。

pixabay[CC0]


お姉ちゃん達は自力でついてきます。一番下の子はスタッフが付き添ってくれましたが、一番元気に飛び込んだのは彼でした。泳ぎもできないくせにイルカ見たさに潜ってしまったのです。野生の動物と触れ合うルールはこちらから接近しない。餌をやらないという事です。でもイルカの方から近づいてくるのです。どうも子ども達の事がわかるみたいでひとしきり遊んで帰っていきました。

突然のハプニングにみんな大喜びです。それから毎朝、遊びに来てくれました。その他は一日中何にもすることがありません。ブギボードしたり、カヤックで遊んだり、子ども達はひたすら砂浜で遊んでいました。じりじりと照りつける太陽!その暑いこと!大人は海を見ながら日陰で過ごしている中、一番上の子が穴を掘り始めました。根気よく掘りつづけます。結局何日もかけて大きな穴を掘り上げました。とても満足そうでした。スタッフの子ども達も遊びに来て、その穴の中で仲良く遊んでいました。


大自然の恩寵


スコールが突然やって来ます。その時は一斉に外に出て体を洗います(笑)テントの中が砂だらけにならないように気を付けるのですが、子ども達がいる限り無理だとあきらめました。着替えも必要ありません。濡れた体を拭く必要もありません。朝から晩まで水着1枚です。大きな布さえあれば日差しをよけたり羽織ったり重宝しました。

近くに古代の神殿のような遺跡がありました。歩いて行くと小高い森の中にひんやり佇んでいました。ここは水着ではだめという事で布を巻いて行きました。ハワイ原住民の遺跡で信心深く自然を崇めていたとのこと。この場所にはこの場所の神様がいらっしゃるのだと神聖な気持ちになりました。「お邪魔します」と言いました。

Author:Carol Highsmith[Public Domain]


ある時、誰かが近くのショッピングモールに行ってみようかと言い出しました。お金はすこししかもっていません。でも少し都会の風も懐かしくなってきました。

水着の上にTシャツを着こんで出かけました。足はビーサンです。ちょっと気取った気分でしたが乗るのは荷台。ところがいきなりスコールです。それも強烈な!もちろん逃げ場もなく全員びしょ濡れで笑うしかありませんでした。後ろを運転しているおじさんも私達が濡れながら大笑いしている姿を見て笑っていました。

荷台から降りてきたのは紛れもなく浮浪者!近くをおしゃれした日本人の観光客が通りますがその違いに可笑しくてたまりませんでした。欲しいものはありませんでした。

隣のテントのマヌさんは愉快な人で、タコ釣名人でした。浜辺から長い糸を垂らしてタコを釣るのです。そしてバーベキューして醤油を付けて振る舞ってくれました。小錦に似た人で夫にマッサージもしてくれました。

美味しい食事とハワイアンのギターと歌声、そしてフラ。その上、毎日どこかに虹が出ました。潮の音を体で感じながら寝るのが心地よく、感覚がどんどんクリアになっていく感じがしました。夫も毎朝浜辺で瞑想をして朝日を拝み、海と遊び、イルカと戯れ、星降る夜空を眺めて眠りにつく…そんな毎日でした。


本当に信じられないくらい豊かな7日間でした。気が付けば一度も子ども達を叱ったことがありませんでした。叱る必要がなかったのです。ケンカもしません。仲良く遊んでいます。私たちに必要なのは、急かされることなく自由である事。自分の感覚を総動員しても有り余るほどの豊かな自然がある事だと気が付きました。その事を体が先に感じて呼吸が深くなり、緩み、感覚が研ぎ澄まされてエネルギーもチャージされていきました。自然はこんなに私達を愛してくれている。無条件に、主張もしないでと思いました。

どうして日常でこの環境を作れないのでしょうか?生きるためには必要不可欠のものです。でも、私達大人は忙しすぎて自分を無くしてしまい、この大自然の恩寵を忘れてしまっているのです。この同じ時間に地球に住んでいるほとんどの人は時計に縛られ自分を無くしています。自然はいつもそこに在るのに私達が勝手に切り捨ててしまっているのです。何と愚かな!

悲しいことに7日間はあっという間に過ぎてしまいました。帰る日、計り知れない愛がここに在ることに気づかせてくれた美しい自然に感謝するとともに、日常の喧噪のなかに戻らなければならないという悲しさでいっぱいになりました。私に何ができるのだろうか・・・。


日常の喧噪


又、来た道をピックアップトラックに乗って帰りました。着いたのは近代的なホテルです。部屋に入るときれいなベッドがありました。すぐにシャワーを浴びました。子ども達が「お湯だ―!お湯が出るー!」と興奮しています。ベッドに寝ては「砂がない!」と感動しています。確かに快適です。久しぶりにバスタブに入って贅沢な気持ちになりました朝までの生活が夢のようです。

我が家に戻ってきました。子ども達は翌日から学校です。飛行機が着陸するころからため息をついていました。私も夫もため息です。子ども達はひときわ日焼けして運動会の演技をこなしていました。しっかり充電して来たので集中力が違います。

困ったのは私です。この喧噪に感覚が追い付かなくて苦しくなったのです。両親達も運動会に来るのでお弁当を作らなければいけません。夫は早速ゴルフです。運動会が終わった後ストレスで体が動かなくなってしまいました。電話の音、車の音でドキドキ、何をするのも緊張して自分のペースがわからなくなって寝込んでしまいました。思い出すのはあの海の潮騒。でも私が暮らしているのはここです。

pixabay[CC0]


ただ、人間も自然の一部だという事を肝に銘じ、自然から受けている恩寵に感謝して破壊しない生き方をしたいと思いました。そして、これからも子ども達にその機会を与えていきたいと思いました。

子ども達は今でも、あの時のキャンプが一番楽しかったと言います。何より自由だったと。
でも、周りの人に旅の話をしても誰一人「いいね、行ってみたい!」という人はいませんでした(笑)

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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