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ぴょんぴょんの「挑発するコソボ(2)」 ~不気味なほどドンバス危機と似ている、コソボ政府とコソボ・セルビア人のにらみ合い

 今回も、コソボとセルビアです。
 緊張状態が気になって、情報を探してはいるのですが、日本や欧米のメディアは、ほとんどまったく報道しないので、Sputnikやロシア・トゥデイ、ツイッターの「kosovo」検索から、拾ってみました。
 これまでの長い間に積み重ねられてきた、セルビア人とアルバニア人の深い深い溝が感じられます。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「挑発するコソボ(2)」 ~不気味なほどドンバス危機と似ている、コソボ政府とコソボ・セルビア人のにらみ合い


世界中で暗躍する犯罪組織アルバニア・マフィアを生んだ国


「コソボはセルビアのハート」

今日もまた、コソボの話かあ・・。

そんな、うんざりした顔、すんなよ〜。
12月21日、セルビアのブルナビッチ首相はこう言ってるんだぜ。
「コソボ政府の一方的な措置のために、北コソボは戦争の瀬戸際にある。」
EURACTIV

いつ、火がついてもおかしくない状況なのか。
そもそもコソボは、もともとセルビアの自治州の一つで、コソボ紛争をきっかけに勝手に独立したんだよね。

ああ、コソボの独立を認めているのは、日本を含む欧米諸国。
ロシアや中国など、世界60カ国以上は承認していない。

もちろん、セルビアも認めてない。

コソボの独立を承認している国(緑色)、承認撤回した国(赤色)
Wikipedia[Public Domain]

セルビアも、認めちゃえばいいのに。
だって、コソボの人口の90%はアルバニア人で、セルビア人は4%しかいないんでしょ。セルビアは国土も広いし、コソボを失ってもどうってことないじゃん。

たしかに、コソボのセルビア人は肩身が狭い思いをしている。
だが、セルビア人にとって、コソボは大切な聖地なのよ。

聖地って、オタクが聖地巡礼する、アレ?

アホ! アニメの聖地じゃなくて、本物の聖地!
コソボには、何世紀も前からセルビア正教の拠点「ペーチ総主教修道院」のほか、世界遺産に登録された4つの重要な教会施設がある。

ペーチ総主教修道院
Author:Quinn Dombrowski[CC BY-SA]

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夜明けを迎えるために

明けましておめでとうございます。🎍
12月22日の冬至を経過して迎えた人類の覚醒の年とされる本年が、私達一人ひとりにとって輝かしい年になっていきますように。🌇


 今回は私が寺の門徒さん向けに年5回出している寺報、その年末版からの切り取りの転載を記事とさせていただいています。切り取りといっても「夜明けを迎えるために」と題した下の文章は寺報の約65%程度の分量で、内容としては古くからの時事ブログの読者さんであれば常識程度のものです。ただし今後に向けて、これまでの世界が、嘘と隠蔽による騙し取りにまみれていた世界であったことを多くの方が気づいていく必要があるでしょうし、ご家族や友人など身近な方との現状認識共有の一助にでもなれば、との思いもあって、転載せていただいた次第です。
(seiryuu)
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夜明けを迎えるために


💡 無法者たちに支配されてきた日本


私達も否が応でも生活環境に準じざるを得ず、本当にため息が出てしまうことの連続です。食料品、石油、ガスを始めとする生活必需品の高騰と公的負担金の一方的な増額、最近ではとうとう政府は、閣議決定のみで防衛費の名の軍事費を莫大に増額し、それを税金負担で賄う決定を行っています。

そして、これを既成事実のように無批判に広報するのが、NHKを始めとするメディアです。NHKなどとっくの昔に公共放送など看板だけで、実際は政府広報となっています。NHKは国会中継さえもやめてしまい、政府に都合のいい部分だけ切り取って広報し、それを公正な報道だとうそぶいているのですから呆れ返ります。

無論、敵基地攻撃能力など防衛費増大の中身は、政府の完全な憲法違反でもあります。日本においては憲法は全ての法規、たとえば刑法などの全ての法律の上位にあります。その憲法を公務員があからさまに無視し違反する。これは犯罪行為です。当たり前です。刑法に違反すれば犯罪者の無法者です。それより上位の法破りを当然のように行っているのです。権力者である自分たちは憲法の上の存在であるかのごとくに。

参考:「ゆりかりん」さん

#岸田に殺される」というワードがトレンド入りしていますが、当然でしょう。ただし、その政府も誰かの命令通りに日本人を苦しめぬく政策を行っている、と見受けられます。



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メキシコ便り(127):世界最大規模の鉄道プロジェクト(1554km)、マヤ・トレン(マヤ列車)でメキシコ東南部の経済活性化🚈💨を目指す

 🎍✨あけましておめでとうございます。✨🎍
 「9つのシッポのお方」(日本人女性)が今日から裏天皇かつ地球同盟の新女王に就任されるということで、なんだか目がキラキラ🤩してしまいます。そして1月15日からはセントラルサンからの✨光✨が体外と体表のチャクラに再び流れ始めるということで、精神状態がとても🍀安らぐ🍀とも言われてましたね!(映像配信 宗教学講座 中級コース第75回より)神々の皆さまに感謝・感謝🙏。ここ数年カオスな時を過ごした地球ですが、竹下先生の映像配信によると「ものすごくうまくいっている。」というのはとても嬉しく心強い。そしてそんなカオスの中、竹下先生の貴重な情報にどんなに救われたとか。。。ホントに感謝・感謝🙏です。こうして今、健康でしかも穏やかでいられるのは、竹下先生の情報、「ガヤトリー・マントラ」「愛のマントラ」「感謝のマントラ」のお陰です。今年もこれらの神様からの「宝」を胸にpopoちゃん自身の波動を高く保つことを最優先し、そしてオマケに世界の良い流れの加速化にも貢献できたらいいな。。。😊
 さて、今回は元旦の最初の記事ということで、新鮮な希望あるメキシコ便りがお届けできたらなと思いましたが、やはり年末はあまり大きなニュースはなく。。。😢が、メキシコは相変わらず好調です。イギリス雑誌The Economistで「投資するのに有利な国 」ランキングでメキシコが6位に入ったとロペス・オブラドール大統領が先日の朝の大統領プレス・コンファレンスで言っていました。「メキシコはすでに世界で最も良い経済の一つです。」とも言っていました。ちなみに日本は8位でした。👏12月23日には半世紀ぶりにペソがドルに対し最も強い通貨となったとも大統領はツイートしていました。
 正直、汚職撲滅、貧しい人々を最優先した富の分配などを軸にしたメキシコ史上4番目の大改革(4T)のプロジェクトの一つ、世界最大級の鉄道プロジェクト(1554km)、マヤ列車についてまとめてみました。2020年に工事が始まり、2023年12月開通予定。新自由主義政権下で全く経済開発をされなかったメキシコ東南部、マヤ列車はそこを走り (最高時速160km)、地元人々の雇用創出、生活向上、観光客の移動でメキシコ経済の活性化を目指します! メキシコの豊かな大自然の虜になったpopoちゃんは、とにかく早く乗りたい!💨 観光客用の列車は、それぞれの区間で地元の料理が列車の中で食べれるらしい。😋 いつかマヤ列車の生のレポートをメキシコ便りでお届けしたいわん!マヤ列車、ユカタン半島に、振りまけ、みんなの笑顔❣️
(popoちゃん💖)
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メキシコ便り(127):世界最大規模の鉄道プロジェクト(1554km)、マヤ・トレン(マヤ列車)でメキシコ東南部の経済活性化🚈💨を目指す

メキシコ東南部の経済活性化


メキシコに住んで面白いなと思ったのは、popoちゃん在住のファレス(アメリカ・テキサス州エルパソとの国境都市)は首都のメキシコシティよりも物価が高いこと。ファレスはメキシコの中で最も物価が高い街の一つ。ちなみにファレスの人口は約150万人。メキシコシティは約920万人。

メキシコの北部は、アメリカに近いため他の地域のメキシコよりも経済が発展していて確かに賃金も高い。ファレスはたくさんの外国企業の工場があり、いつも働き手不足。職を求め南部から出稼ぎに来る人も多いです。北部ではシエスタ(お昼寝)の習慣もほぼ消えています。「我々メキシコの北部の人たちがせっせと働き、南部の人たちを食べさせてあげている。」というアンポンタンな発言をした北部の州知事がいるほどです。


ロペス・オブラドール大統領によると、長年、新自由主義政権下でメキシコ東南部への経済開発がほとんど行われなかったとのこと。それどころか前政権は、東南部に属するユカタン半島(メキシコの一番重要な観光地帯)にあるすべての石油資源の開発を外国に引き渡そうとしていたらしい。大統領の出身は、東南部にあるタバスコ州。(上の地図のVeracruzの右隣あたり、メキシコ湾の一番下のカーブのあたり)確か新自由主義政権下ではタバスコ州の成長率はマイナス10とかだったと記憶しています。余談ですが、レストランのテーブルによく置いてあるタバスコ・ソースはアメリカ・ルイジアナ州の商品。タバスコ州原産のチレを主原料に使っているらしい。(wikiより)

そんな見捨てられていたメキシコの東南部の経済活性化を目的としたマヤ列車。5つの州からなるこの東南部にあるユカタン半島のカンクン(上の地図の黄色い部分の一番右の先端)は、おそらく日本でもリゾート観光地として知られていると思います。popoちゃんがカンクンに行ったのは約20年前。

カンクン、ホテルリゾート

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ぴょんぴょんの「挑発するコソボ(1)」 ~ウクライナと同じく、ロシアを介入させたい欧米

「コソボで現在何が起きているか」を書いてみました。
旧ユーゴスラビアの事情は複雑で、今に至るまでの歴史を知る必要があります。
そこからの今、そしてこれから、について考えました。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「挑発するコソボ」 ~ウクライナと同じく、ロシアを介入させたい欧米

正式に認められたワケじゃない「コソボ共和国」



この頃、こういう光景をたくさん見るけど、何が起こってるの?

「現在、ベオグラードで、コソボとメトヒヤのセルビア人を支援する数千人の集会が行われている。叫ばれているのは『セルビア人とロシア人は永遠の兄弟だ!』『コソボはセルビアの心臓部だ!』『NATOをフ◯◯ク!』」(Twitter

う〜ん、なんのことかさっぱり・・まずは、ベオグラードってどこ?

外務省より


地図の色がついてるところがセルビア共和国、その首都がベオグラード。

セルビアの首都なんだ。
あ、セルビアの下にある、ひし形の国がコソボだね。

国?
言っとくが、コソボは国じゃねえよ。

え? 国じゃないの?

自分たちで勝手に独立して、「コソボ共和国」を名乗ってるだけ。
正式に認められたワケじゃねえから、「コソボ共和国(仮)」。

(仮)ねえ。

そのワケを話すと長くなるが、つき合え。

ふう〜〜〜〜。

クロアチア紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で、次々と新しい国が独立して、最後に残ったセルビアとモンテネグロが「ユーゴスラビア連邦共和国」だった時代。
その頃、コソボはセルビア共和国の自治州の一つだった。


へえ、コソボは、セルビアの一部だったのか。

ただ、コソボには、人種的にセルビア人よりアルバニア人が多く住んでおった。
他の国も独立したなら、おいらも独立するべ、てなことで、コソボの独立運動が高まり、それを欧米が支援した結果が、コソボ紛争(1998〜1999)よ。

コソボ空爆による被害
Wikimedia_Commons[Public Domain]

欧米が支援すると言うことは、自分らに利益があるんだね。

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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝77 ― イラン-イスラム革命

 世界有数の産油国であるイラン共和国、イランはその中央銀行がロスチャイルド支配ではないごく希少な国家の一つとされます。国家が中央銀行の金融支配下にない真の独立国といえるでしょう。それでは、イランは昔から独立国家であり続けていたのか?というとそうではないのです。イランが独立国として現在に至っているのは、やはり1979年の「イラン-イスラム革命」からの影響が大だということになるのでしょう。革命前のイランの王朝はパフラヴィー朝でしたが、この王朝は英米欧州の傀儡王朝ともいうべきものだったのです。
 イランの地域、イラン高原の歴史は、紀元前3000年頃には言語を有するエラム文明が成立しているように非常に古くからのもので、長くペルシャとも呼び習わされてきました。そのイランもやがて欧州列強の攻撃にさらされ、1900年代はイランにてイギリスとロシア(ソ連)の勢力争いが続き、概ねイランはイギリス支配が強かったようです。1908年のイランにとっての最重要の資源である石油の発見も英国によるものでした。革命前のパフラヴィー朝2代目皇帝モハンマド・レザー・シャーの時代もイランに豊富に湧き出る石油、その利権はメジャーズ(国際石油資本)に独占されていたのです。この当時のイランの中央銀行がどうだったかは分かりませんが、国家王朝自体が傀儡状態だったので推して知るべしでしょう。
 このイランが、イラン革命後には石油は国有化され、中央銀行も欧米の支配を逃れているのです。イラン革命は民衆によるものとされ、こうなれば世界権力をはねのけた画期的なものといえるでしょう。しかし、これまで革命で民衆から、つまり下から起こされた革命はほぼ見たことがありません。革命は上から、つまり世界権力の都合によって起こされています。イラン革命は例外だったのか?どうも疑問です。しかしイラン革命より大事なのは、イランの民衆が様々な干渉の連続の中でも独立を維持してきた事実でしょう。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝77 ― イラン-イスラム革命

第2次オイルショックを招いたイラン革命


Author:TomTheHand [CC BY-SA] より抜粋

1973年の第1次オイルショックに続き、1979年に第2次オイルショックが起きました。『世界史の窓』の「第2次石油危機」には以下のようにある通りです。

 1979年のイラン革命の混乱によって、産油国イランの原油生産が激減したために起こった原油不足、価格上昇のこと。イランは当時、サウジアラビアに次ぐ世界2位の産油量があり、その利権はいわゆるメジャーズ(国際石油資本)に独占されていたが、78年から活発化したパフレヴィー国王の王政に反発する民衆蜂起により、79年1月に国王が亡命すると、その保護のもとにあったメジャーズは撤退を余儀なくされ、革命政権は石油国有化を実現させた。
(中略)
 イラン革命によって成立したイラン=イスラーム共和国で実権を握るホメイニは、資源保護を目的に原油生産額を大幅に減らしたため、輸出は一時的に停止するまでになった。またOPECもイランに同調して増産に慎重な姿勢を取ったため、世界的な原油不足となり、1973年の第4次中東戦争の時の第1次石油危機(オイル=ショック)に次ぐ、第2次石油危機といわれることとなった。

上にある通り、国王が亡命し、革命が成功することで成立したイラン=イスラーム共和国。そのイランの指導者であるホメイニは原油生産を大幅に減らし、一時的に原油輸出停止、これにOPECも歩調を合わしたために世界的に原油が不足し、第2次オイルショックが生じたということになります。

このように第2次オイルショックを招いたのがイラン革命とされますが、その「イラン革命」とはどのようなものであったのか?イラン革命」のウィキペディア記事の冒頭では次のようにあります。

イランのパフラヴィー朝において1978年1月に始まった革命である。亡命中であったルーホッラー・ホメイニーを精神的指導者とするイスラム教十二イマーム派(シーア派)の法学者たちを支柱とするイスラム教勢力が、パフラヴィー朝イランの第2代皇帝モハンマド・レザー・シャーの親欧米専制に反対して、政権を奪取した事件を中心とする政治的・社会的変動を指す。イスラム共和主義革命であると同時に、イスラム化を求める反動的回帰でもあった。

イランに帰国したホメイニ師
Wikimedia Commons [Public Domain]


一般的にごく簡単には、「イラン革命」とは次のような構図になりそうです。

  • 西洋かぶれで専制政治をひき、イスラムの伝統と文化を破壊していったイラン国王。
  • このイラン国王は第1次オイルショックにて手にしたオイルマネーも民衆に回すこともなく、ほとんど思い通りに利益を独占。
  • こういったイラン国王の悪王ぶりにイランの民衆の不満と怒りは溜まっていた。そこでホメイニ師を指導者とするイスラム勢力と一体になって革命を起こして、イラン国王をイランから追い出した。
  • 革命にて成立したイラン=イスラーム共和国は再びイスラム教中心の国家となり、石油も国有化された。

モハンマド・レザー・シャー
ホメイニ師
Wikimedia Commons
[Public Domain]

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