竹下雅敏氏からの情報です。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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タマヨリ姫に白羽の矢
記事配信元)
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
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賀茂別雷神社
転載元より抜粋)
祭神
賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)
賀茂氏の祖神。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。
歴史
『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。
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上賀茂神社
転載元より抜粋)
『釈日本紀』に引く「山城国風土記」逸文によれば、日向国曽の峰に天降った賀茂建角身命は、その後、久我国の北山基に来住し、丹波国神野の伊可古夜日女をめとり、玉依日子・玉依日売をもうけた。
ある日、娘の玉依日売が瀬見の小川(賀茂川)で遊んでいると、丹塗りの矢が流れてきたので、それを拾いとり。床の辺りにおいたところ、それに感じて孕み、期満ちて男子が生まれた。
その子が大きくなった頃、祖父の建角身命は神々を集めて七日七夜の饗宴を催し、その席上で汝の父と思う人にこの酒を飲ませよといったところ、子は天に杯をささげて昇天してしまった。
よってその子を別雷命と名付けた。
丹塗りの矢は乙訓郡にいます火雷命(注1)である云々と記されている。
注1)
もと乙訓郡乙訓村にあった乙訓坐火雷神社の祭神大山咋命。
同社は現在向日市の向神社に合併。
ある日、娘の玉依日売が瀬見の小川(賀茂川)で遊んでいると、丹塗りの矢が流れてきたので、それを拾いとり。床の辺りにおいたところ、それに感じて孕み、期満ちて男子が生まれた。
その子が大きくなった頃、祖父の建角身命は神々を集めて七日七夜の饗宴を催し、その席上で汝の父と思う人にこの酒を飲ませよといったところ、子は天に杯をささげて昇天してしまった。
よってその子を別雷命と名付けた。
丹塗りの矢は乙訓郡にいます火雷命(注1)である云々と記されている。
注1)
もと乙訓郡乙訓村にあった乙訓坐火雷神社の祭神大山咋命。
同社は現在向日市の向神社に合併。
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玉依姫はホツマツタヱではミケイリ(賀茂別雷神)と呼ばれている男の子を連れて、その後ウガヤフキアワセズの内宮となり、神武天皇を産みます。
サルーサの事件に端を発した陰謀の首領は、この大山咋命です。彼は応神天皇に仕えていた第1システム天津神第5レベル(64次元)のホツマの神ですが、天界の改革で第3システムの74次元の神へと昇進していました。
“続きはこちらから”以降で、彼とその関係者について解説します。