日本通貨の背後にはロスチャイルドが 〜早々に政府から退去に至った三岡八郎
日本最初の「政府紙幣」の発行、「太政官札(だじょうかんさつ)」(小額紙幣として「民部省札」も後に発行されます。)
の発行は、三岡八郎(由利公正)が政府内の多くの反対を押し切って断行されたものです。
故丹羽春喜教授の論文を参照されれば、
明治新政府を滑り出させ、“明治維新”を成功させた“切り札”となったのが「太政官札」だと言って間違いないでしょう。
金銀の担保も不要、「何ら費用を負担することなく資金を供給できる」日本通貨が発行されたのです。
明治初年の発行当時は、明治政府は極めて脆弱で不安定な状態でした。内戦である戊辰戦争を戦っていたのですから当然です。しかし明治政府がやがて安定し軌道に乗り、その安定した状態で政府紙幣が発行され続けたならば、明治政府下の日本も、やがて世界で最も裕福で、強大な独立国家として世界に認識される位置に立てたでしょう。活発な商取引が行われ、日本の民衆の潜在的な生産能力はフルに稼働され、それがさらなる生産能力の向上となっていったはずです。
明治維新は英領日本の完成でもあったのですが、こうなってしまえば、
政府紙幣の発行の継続は英領日本からの脱却も意味することになります。
しかし残念ながら、
元々明治維新はハルマゲドン計画を進めるためのものであり、日本が民衆と共に豊かな独立国家となることをハルマゲドン計画の計画者並びに実行部隊が許す筈がありません。地上勢力でいえば、政府紙幣の発行をロスチャイルド家がただ指をくわえて傍観しているはずはありません。
早稲田ウィークリーの「
日本の通貨はなぜ「円」なのか 大隈重信と新1万円札・渋沢栄一【前編】」記事には以下のようにあります。
幕府は1866年、近代的造幣局を翌々年に設置すると約束したが、新政府もまた、新通貨の制定が課題であることを認識していた。約束の1868年には貨幣司が置かれ、閉鎖されたイギリスの香港造幣局の造幣機械を、イギリス人商人のトーマス・ブレーク・グラバーを通じて購入した。同年中に造幣機械が到着し、大阪にて造幣工場の建設が開始された。
グラバーはロスチャイルドの日本の代理人です。グラバーを通じて造幣機械が購入されたということは、要は
幕末から明治における日本の通貨の鋳造と流通において、当然ながらその最初からロスチャイルドの意思が関わっていたということです。
一方、
太政官札の発行を断行した三岡八郎(由利公正)ですが、これにロスチャイルドが関与していたかは不明ですが、太政官札発行の翌年の明治2年に早々に三岡八郎は政府を去っているのです。
ウィキペディアの彼の記事では「
太政官札の流通難など政策に対する批判が高まった結果、明治2年(1869年)に辞職するに至った。」 とある通りです。
太政官札の流通難は、当時日本の内戦である戊辰戦争を戦っていた明治政府の脆弱さが原因であることなどは明白であり、三岡八郎にその責任があるわけでないのは当然でしたが、三岡八郎は責任をとって辞職しているのです。
その後の三岡八郎ですが、彼は
東京知事に就任。また岩倉使節団に同行して渡欧してもいます。
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マスコミへの記者会見終了後、ネットを通して支持者に語りかけた山本代表は、本当に悔しい思いを隠そうとしませんでした。それは、底意地の悪い個人攻撃や相変わらずの15兆円に対する古い枠での非難に対して、ではなく、路上に出ることになった人たち、店を閉じた人たち、ボランティアの方々、必死で応援してくださった皆さん、寄付してくださった皆さんに申し訳ない、あなたに申し訳ない。都知事になったら国とケンカしてでも助けられたのに、という心から無念でした。しかし「脳と体は疲れてるけど、燃えてます。」と次なる国政選挙に向けて進んでいく覚悟を語りました。
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選挙は候補者ではなく、選挙民自身が問われているのでした。