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「悟り」は“具体的にどういう意識の状態なのか” 〜 最終段階になると、悟りを得た人は「理想の自己像」など持たないで、“あるがまま”の自分に安らっている!

竹下雅敏氏からの情報です。
 大変面白い記事で、「悟り」が“具体的にどういう意識の状態なのか”を、大変わかりやすく示しています。ほとんど、この通りだと思います。
 記事に書かれているように、“一般的な人の間にも悟っている人が山のようにいる”のです。また、“一般的に思われているほど悟りを得るのは難しくない”のです。現在は、宇宙、および天の川銀河のセントラルサンのヒメミコ様から、常に光が降り注がれている状態なので、近い将来、多くの人が悟りを得ることになると思っています。
 以前の記事で説明したように、「私」=意識・心・身体なのですが、インドの哲学には、3つの従属要素(グナ)という概念があるのです。サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(暗質)と言います。サットヴァは軽快で、照らす性質を持っています。ラジャスは刺激的で活動的であり、苦の本質です。タマスは、抑制的で鈍重な性質を持っています。
 「私」=意識・心・身体は、この順に、サットヴァ・ラジャス・タマスになっているのがわかると思います。人間が他の動物と違うのは、心が働き過ぎており、心を刺激するものが多過ぎるという点です。心は思考、感情ですが、特に思考が多過ぎるのです。考え過ぎる人ほど苦しみます。
 「私」=意識・心・身体の中で、ほとんどの人は、「私」を心と身体だと勘違いしています。一番重要な意識(気づき)を無視しているのです。
 「悟り」を得るのに、瞑想は大変有効な手段です。瞑想の本質は、心と身体の活動状態を減らすことです。そうすることで、“快”を本質とする意識(気づき)の割合を増やしているのです。なので、ことさら静かに座って座禅を組む必要はありません。日常生活の中で、ただ自分の心と身体に気づいていれば良いのです。日常生活そのものを瞑想的にすべきなのです。そうすることで、苦しみの原因である心の働きを低下させることができます。
 子供の頃は、ゆっくりと時間が流れていたと感じる人は多いでしょう。なぜでしょうか。子供は、“今”を生きています。しかし、考えるようになって、将来を思い描くようになり、その思い描いた将来のために努力するようになった時、 「自我」が生まれます。心の中に、“理想の自分”という「自我」が生まれたのです。
 もっと良い猫になろうと努力している猫を見たことがあるでしょうか。自分の努力が足りない、だから俺はダメなんだ、と嘆いている猫を見たことがあるでしょうか。この意味で、猫は「自我」を持っていないのです。
 記事では、悟りの最終段階になると「自我という感覚は完全に消滅する」と書かれていますが、これは努力して変わらなければならない「理想の自己像」を持っていないことを意味します。すなわち、悟りを得た人は“あるがまま”の自分に安らっているのです。簡単に言うと、猫のように生きているわけです。
 「自我」の消滅というのはこうした意味であって、自他を区別する概念が無くなったという意味ではありません。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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「悟りってどんな状態?」悟った50人に心理学的手法で詳しく聞いてみた結果とは TransTech Conferenceから
引用元)
(前略)

Martin博士は(中略)... 12年間でこれまでに2500人以上にコンタクトを取ってきたという。

(中略)

「悟りというと宗教家に限定されるイメージだが、一般的な人の間にも悟っている人が山のようにいることが分かった」と同博士は語っている(中略)... その中から50人を選別し、一人当たり6時間から12時間のインタビューを行い、計量心理学的手法、身体的計測や実験を繰り返した。その結果、「悟っている」人々の間には一定の共通点があることが分かったという。

(中略)

PNSE(悟り、覚醒)とは、具体的にはどういう意識の状態なのだろうか。(中略)... PNSEに到達した人の最も共通した体験は、自我の感覚の変化だという。(中略)... PNSEの段階によって自我の感覚は異なるようで、初期の段階では自我は拡張し、あらゆるものに繋がっている感覚だそうだ。一方でPNSEの最終段階になると、自我という感覚は完全に消滅するという。その途中の段階では、自我は残っており、ときどきその自我に引き戻されるらしい。

(中略)

ほとんどの人が、思考が大幅に減少したと答えている。(中略)... この場合の「思考」とは、自分自身に関する雑念のことで、通常の人生を送る上で必要な思考による問題解決能力が減少したわけではない。(中略)... 感情も思考と同様にPNSEに入ると減少し、PNSEの段階が進めば進むほど減少していくという。

(中略)

PNSEに入ると、雑念が減少していくので、過去を思い出したり、未来を思い悩んだりしなくなり、その結果、今、目の前にある事象に集中するようになる。(中略)... 認知に関するもう一つの大きな変化は、外部刺激に対する心の反応の変化だ。(中略)... PNSEの段階が進めば進むほど、外部刺激に対する反応を自分でコントロールできるようになるという。そして最終段階になれば(中略)... 外部刺激にただ気づくという反応になるらしい。

(中略)

Martin博士は次に、通常意識の人が何をすればPNSEに入ることができるのかを調べた。その結果、「一般的に思われているほどPNSEに入るのは難しくない。自分に合ったアクティビティさえ見つけることができれば、多くの人がPNSEに入れる」という結論になったという。「PNSEに入ることよりも、入ったあとで、新しい意識と自分の人生の折り合いをつけることの方が、よほど大変だ」と同博士は指摘する。

(中略)

常に欠乏した意識から、常に幸福に満たされた意識へ。人類は今、大きな変化の扉の前に立っているのかもしれない。

(以下略)

真我を自覚すること、すなわち「悟り」を得るということは、実は、霊的進化のどのレベルでも起こり得ることで、非常に簡単なことなのです

竹下雅敏氏からの情報です。
 ええ、この方は間違いなく「悟り」を得ていますね。ここに書かれている「真我の自覚」は、この通りだと思います。
 「悟り」を得るということは、実は、霊的進化のどのレベルでも起こり得ることで、非常に簡単なことなのです。多くの人が難しく考えすぎているということと、言葉の定義が明確でないために混乱を作り出してしまい、「真我の自覚」の妨げになっています。
 時事ブログでは、例えば、「肉体(狭義)の表層の意識・心・身体」という表現をします。これは私たちの覚醒時の意識・心・身体の状態を示す言葉です。
 ここに書かれているように、「私」と言う場合、意識・心・身体の3つの区分があります。実は、ここで言う「真我(自己)」とは、意識のことなのです。意識は、身体に気づいています。また、想念やイメージにも気づいています。その気づきが意識なのです。すなわち、気づき=真我(自己)です。
 意識が「私」から離れることはありません。要するに、常にあなたは真我そのものなのです。
 ただ、幼い頃からの誤った知識(無知)のせいで、この簡単なことを理解するのが、甚だ難しくなっているのです。いわゆる、科学による分析的な思考によって直感を排除してしまうため、多くの人は、まず身体が作られ、しかる後に心が誕生し、最後に意識が発生するという無茶苦茶な理論を信じてしまっています。
 事実は全く逆で、意識が先にあります。意識は心の世界を生み出し、最後に身体を所有します。あなたが死ぬと、肉体は消滅しますが、内側にある精妙な身体と心と意識は、そのまま残ります。意識・心・精妙な身体は、再び肉体に転生に入るのです。
 このように「私」=意識・心・身体なのですが、なぜ、意識=真我(自己)とされるのかですが、実は、宗教哲学では意識は不滅であると考えているからです。
 私たちは、熟睡している時、身体と心を意識していません。多くの人は、この熟睡時には意識がなくなっていると考えるのですが、宗教哲学では、そうではありません。「ヨーガ・スートラ 佐保田鶴治著 平河出版社」1章10節には、次のように書かれています。
 【睡眠とは、「空無」を対象とする心の働きのことである。】 
 私たちが夢を見ている時には、何かしらの印象を意識しています。ところが熟睡時には、どんな印象ももたらさない霧のような状態を意識していると言っているのです。要するに、意識はずっと存続しているが、深い霧に覆われている状態が熟睡で、その霧に意識の光が投影され、3D映像が映し出された時は夢見の状態であるということになります。
 実は、真我(自己)を悟った人は、不思議な意識状態を体験します。先程の熟睡時の霧がどんどん薄まって、透明になっていくのです。それは、何も対象のない宇宙空間という闇の中でしっかりと目を開けている感覚です。もちろん、この時に、目とか身体の感覚はありません。
 目を醒ますという感覚もなく、熟睡時のこの状態から覚醒の状態に連続的に移行し、意識は全く途切れないということを経験します。
 このように、宗教と科学では、全く逆の考え方をします。意識が身体から生まれるのだとすれば、人は死によって無に帰します。しかし、意識は心と身体を常に観照するもので、それこそが「私」の本質であると認識するならば、死後、意識と心は存続し、その意識と心に相応した精妙な身体もまた存続することは論理的にも明らかで、多くの場合は体験的にも知っています。
 このように、真我を自覚すること、すなわち「悟り」を得ると、“身体が私である”という迷いから解放され、死を恐れることがなくなります。そのために、かえって人生を十全に生きることができるようになるのです。
 今回の記事でわかることは、「悟り」を得ることは、とても簡単なことで、誰にでも可能だということです。この方が確実に悟りを得ているということは、ブログの中にあるこちらの記事をご覧になると、さらにはっきりとわかります。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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【体験談】僕が真我を自覚したときのお話。自我(観察者)が沈黙する?
引用元)
僕が、真我を自覚したときのお話をしようと思います。(中略)… それは、本を読んでいる時に起こりました。ラメッシ・バルセカールの「誰がかまうもんか?!」という黄色い本です。
(中略)
ラメッシ・バルセカールは、ラマナ・マハルシの孫弟子にあたる人なのですが(中略)… ラマナ・マハルシが沈黙を重要視していたのはよく知っています。でも、改めて、その文章を読んで、こう思ったわけです。
「沈黙ってなんだろう?」
(中略)
質問の途中で(中略)… 質問そのもの、そして、質問をする人そのものが、沈黙を妨げているということに、気がついてしまったんです。(中略)… これは、結構不思議な感じです。質問が遮られ、質問する人が消えます。そして、その後には沈黙が残りました。そして、気がつきました。
「これこそが真我なんだ」って。
でも、「これこそが真我なんだ」って思う人は、そこにはいないんです。ここが重要なところです。
(中略)
真我の自覚は、人によっていろんなカタチで語られていると思います。「ジョークみたいなものだ」と言われることもありますよね。
(中略)
「・・・なんで今まで気づかなかったんだろう?」
という感覚です。というのも、良くも悪くも、真我を自覚するということは、とても普通のことだからです。(中略)… 頭の中の思考が止まっていて、自我も一時的に消えている、そんな瞬間は、日常生活の中でもちょこちょこと訪れます。
でも、そのことを自覚することができないんですね。
(以下略)

まったく疑問の余地なく、“マクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(人間)は相似形”だと納得している状態が「悟り」

竹下雅敏氏からの情報です。
 冒頭の非常に印象的な動画をご覧ください。Wikipediaの画像にあるハート型のお尻をしたダニのような形のマンデルブロ集合を、私は“ヤツ”と呼んでいます。動画をご覧になると、ヤツの形状は非常に複雑で、小さな部分を拡大して見ると、自己相似形になっているのがわかると思います。
 動画の20秒辺りをご覧になると、小さなヤツが何匹も出てきます。しかし、彼らは、原初の巨大なヤツと細い糸で“繋がっている”のです。単に繋がっているだけではなく、数学的には「単連結」であることが知られています。要するに、非常に複雑な形をしていても、円盤が変形しているに過ぎないというわけです。
 “続きはこちらから”をご覧ください。これは、別班マンさんのツイートにリンクされていた記事です。「悟り」を非常に見事に表現した文章で、これほど見事なものは、そうそう見られるものではありません。
 「永遠の一者」=「神」=「それ」は、“永遠に知られざるもの”であることを多くの人が認めると思いますが、実は、「それ」=「自己」なのだということを、わかりやすく説明しています。
 私の家、私の服、私の財布という言い方をした場合、「私」と家、服、財布は別であることを意味します。同様に、私の体と言った場合、「私」と体は別であることを意味します。ならば、その「私は誰か?」
 「私」は、自身の想念に気づくことができ、心を見つめることができます。なので、想念や心は「私」ではありません。だとすれば、「私は誰か?」
 このように、私でないものを次々に否定すれば、最後に残るのが、“純粋な観照者”である「私」です。要するに、「私」とは、純粋な観照者である「自己」のことなのです。
 冒頭の動画の小さな「ヤツ」が、あなたの「自己(ジヴァ・アートマン/モナド)」です。それは、他のあらゆる存在の「自己」と繋がっており、宇宙の自己(パラマ・アートマン)と相似形なのです。
 現れとしての私、すなわち姿形は様々でも、「内在する自己」は「神」と自己相似形であり、「神」そのものなのです。このことを完全に体得した状態を、「悟り」と言います。
 私たちは、日常生活で「私」という言葉を使う時、以上に述べた「自己」としての私ではなく、「私」の所有物と混同して使っています。「偽りの私」を次々に排除して、「真の私」=「自己」=「神」を認識することが、「悟り」なのです。
 インドの聖者ラマナ・マハリシは、 「私は誰か?」と問いかけます。答えは、「私は私」です。
 以上の哲学問答がすんなりとわかる人は、「悟り」を得ていると言えるでしょう。知的に理解することは、少しも難しいことではありません。しかし、知的に理解することと、それが腑に落ちていることは違います。まったく疑問の余地なく、“マクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(人間)は相似形”だと納得している状態が、「悟り」なのです。東洋の哲学では、これを実に簡潔な言葉で表現します。「汝それなり」。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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FractalNet HD - Slow deep Mandelbrot zoom
配信元)
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マンデルブロ集合

Author:Wolfgang Beyer[CC BY-SA]

マンデルブロ集合
数学、特に複素力学系に於けるマンデルブロ集合は、 充填ジュリア集合に対する指標として提唱された集合である。数学者ブノワ・マンデルブロの名に因む。

定義
次の漸化式
で定義される複素数列 {zn}n∈N∪{0} が n → ∞ の極限で無限大に発散しないという条件を満たす複素数 c 全体が作る集合がマンデルブロ集合である。

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ぺりどっと通信43 いざ福井!弐


前回の続きです。
タルマーリーさんを出発して、ぺりどっとが向かったのは、岡山。
その岡山にはいったい何があるのでしょう。
(ぺりどっと)
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タルマーリーさんを出発して、その後、二時間ほどで岡山に到着♪




岡山といえば、桃太郎でも有名ですよね。駅前には桃太郎の像まで鎮座しとりました!



マンホールにも



でも、あの桃太郎の物語。実は、かなり改変されているようです。

桃太郎は、川から流れてきた桃をおばあさんが持ち帰って、それを割って中から出てきた設定になっています。しかし、元々の話によると、桃太郎は桃から生まれたのではなく、桃を食べて若返ったおじいさんとおばあさんの間に生まれた子供のようです。




そう、ここ岡山は、桃の名産地でもあります。



そんな若返りの桃を食べに来た、、、というわけではなく、ぺりどっとが目指したのはですね、、、

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ホピの神話に登場するブルー・エイビアンズとキメラ!彼らが共同して、人類を創造主から引き離しており、ブルー・エイビアンズの指示に忠実に従っていたのが、キメラ・グループ

竹下雅敏氏からの情報です。
 ドラコニアンとレプティリアンは、指揮官と兵士の関係だと考えられています。ドラコニアンの中に階級があるようですが、最上層部は王族のようです。彼らの上位に居るのが、アルコーン(堕天使)です。コブラによれば、キメラとはクモ型の生命体が人間に転生したものだということです。私はヴィジョンを見ていないので、想像ですが、ひょっとしたら、キメラのプラズマ体はクモ型の宇宙人なのかも知れません。
 コブラによれば、このキメラ・グループが闇の組織を支配しているということですが、私はそうではなくて、キメラ・グループとアルコーンたちは同盟関係なのではないかと思っています。
 “続きはこちらから”の記事をご覧になると、ブルー・エイビアンズが設置したバリアによって、太陽系外に脱出できなくなったドラコニアンの皇帝が、“子分たちは全部差し出すから王族だけは逃してくれ”と交渉してきたが、却下されたとのことです。
 こうした事柄を見ると、ブルー・エイビアンズは、地球解放を願う地球人にとって心強い味方で、救世主のように思えてしまいます。実際にコーリー・グッド氏は、救世主という概念を否定しつつも、実際にはそのように捉えているのではないかという気がします。
 さて、5月13日の記事のコメントで説明していますが、ホピの神話に、“モクニと呼ばれる鳥の形をとったラバイホヤ(お喋り)”と“大きな頭をもつ蛇の姿をしたカトヤという美青年”が出てきます。コメントで、前者はブルー・エイビアンズで、後者はキメラであると説明しました。彼らが共同して、人類を創造主から引き離していたのです。
 この神話は、彼らの関係を示す決定的ものです。実は、ブルー・エイビアンズの指示に忠実に従っていたのが、キメラ・グループなのです。
 こうした事の全体像を知れば、いわゆる「光の勢力」の地球解放計画が、いかに欺瞞に満ちたペテンであるかがわかると思います。おそらく、私のこうした情報を、コーリー・グッド氏やディビッド・ウィルコック氏は信じないと思います。
 私は単に、自分が調べた事実を述べているだけで、誰かに信じてもらいたいとは思っていません。むしろ、こうした一連の記事は、私のブログを見ている宇宙人に対して書かれているものです。彼らは、神々と一緒に私の言っていることが事実かどうかを調べることができます。実際に、神々はすでにこの事の捜査に入っています。
 事実関係が明らかになれば、こうした悪事に関与した連中は、全員処刑されるでしょう。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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状況更新
引用元)
(前略)
リゲル・地球ワームホールを通じて、多くのネガティブな生命体が惑星地球にやってきて地球を汚染しました。

その中でも最も危険な生命体は、キメラ・スパイダーでした。それは巨大なクモ状の生命体で、プラズマトップレット爆弾がその皮膚に付着しており、小さいものでは10メートルから100メートルの直径、大きいものでは数キロもの直径があります。
(中略)
いま宇宙のセントラル種族がクモのエネルギーを絶滅の危機に瀕するまで抜き取っているので、キメラは大都市で5Gの技術を導入して、超小型衛星を使ってネガティブなエネルギーフィールドを強化する計画に出ました。

https://pfcleadership.org/blog/2019/04/30/20000-satellites-for-5g-will-send-focused-beams-of-intense-microwave-radiation-over-entire-earth/

キメラはまた、ナノボット(注 細胞程度の大きさの小さなロボット)技術の強化を図ろうとしています。

https://stillnessinthestorm.com/2019/05/designer-nanobots-changing-humanity/

光の勢力は、これに対しての措置を取っています。

2018年のアルファタイムラインの崩壊以来、私は難しい立場に立たされています。というのも、重要な情報の開示は一切許されていない一方で、このブログの継続だけは求められているからです。アルファタイムラインが崩壊して以降、光の勢力は情報非開示の徹底を図っています。
(以下略)

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