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メキシコ便り(7): イタリア旅行記 Part 1

 実はpopoちゃん、過去生はきっとイタリア人だったに違いない!と思うほど大のイタリアファンでして。。。とにかくpopoちゃんがいいなって惹かれるものはほぼイタリアン。好きな食べ物も飲み物もイタリアン!でも、今まで一度も行ったことがなく。。。ついに憧れのイタリア旅行実現!(でも旦那様のお仕事の付き添いだったので。。。半分だけ旅行気分♪それでも十分十分満足♪)2月末、7日間、ほぼミラノ滞在で1日だけフィレンツェに足を伸ばしてきました。

 イタリアは3月4日に総選挙も終え、以前、しんしん丸さんが記事にしてくださった「五つ星運動」が政党単独トップという快挙を成しどけました。フルフォード氏いわく不正選挙なく国民の声がそのまま反映されたとのこと。イタリアに希望の光✨が差してきた!これからイタリアが抱えた移民問題、若者のイタリア離れ、EU離脱、ベーシックインカム導入など、どのように対処していくのか興味深いところです。先日、竹下先生がご紹介された3月8日の国家非常事態対策委員会でフルフォード氏はイタリアの五つ星運動と北部同盟が一緒に組めば過半数がとれ、そうなると双方EU離脱の方向なのでこれはかなりユーロ、ドル、円体制がゆらぐことになるだろう(5:25〜)と言っていましたね。いよいよ経済崩壊?!今後のイタリアの動きが気になります。

 ということで、イタリア旅行記・Part 1ではpopoちゃんがイタリア・ミラノの今を歩いてみて感じたこと書いてみました!

(popoちゃん)
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メキシコ便り(7): イタリア旅行記 Part 1


MILANO


朝8時頃、マルペンサ空港に到着。飛行機から降り冷たい朝の空気を頬に感じながら歩くなか、やはりミラノらしいスタイリッシュな広告(ポスター)が次から次へと登場!『きゃぁ〜!やっぱりイタリアかっこい〜い!』(ファッション大好きなpopoちゃんにはたまらない。。。ワクワク度全開💖)と横目でチラチラ広告を見ながらしばらく歩き、空港出るなり、すぐにタクシーへ。とっても人の良さそうな、感じのいい40代後半くらいのイタリア人男性ドライバー、アントニオさんが「ボン ジョールノ〜♪」(おはよう)と笑顔で車から出てきてお出迎え!ミラノまで約1時間弱の道のり、イタリア語訛りたっぷりの英語で楽しくお話ししてくれました♪ おすすめのショッピングストリート、おすすめのピザ屋さん、おすすめのワインなどなど。。。盛りだくさん!そしてあっという間にミラノ到着!結局、帰りもアントニオさんに空港まで送ってもらうことに。。。アントニオさんのお陰で気持ち良くミラノ滞在スタート🌟

pixabay[CC0]


宿泊先に荷物を置くなり、すぐにミラノの街をぷ〜らぷら。。。最高気温1度にしかも小雨。。。寒さが身に染みながらも素敵な街並みにため息つきながら歩き続けて感じたのは、まずホームレスの方々が多い?!最高気温1℃とか0℃、最低気温−6とか−8℃とか。。。で、そんな中、ホームレスの方々が道の端っこにワンコ連れで地べたに座っていたり、お金をくださいと近寄ってくる人もいたり、そして案外、若い人も居たりで、ちょっとビックリ!こちらの記事によると若者のイタリア離れが起きているとか。。。。

pixabay[CC0]


以下、記事の要約!

The Fondazione Migrantes Research Centreの調査によると25〜34歳の失業率は17%。2016年によりよい条件の仕事のためにイタリアを離れた18〜34歳は約5万人イタリアの若者は政府の汚職に失望してしまっているのとお給料が安いので、イタリアには希望が感じられず外国でお仕事を求めているとか。イタリアではお仕事を得てから最大30ヶ月働け、その後、会社が長期採用するかどうかを決めるらく、働き手が余っているイタリアではほとんどが長期採用にならず、会社はまた新しい人を採用するらしい。。。デイリー新聞La Repubblicaによると1月にパルマの北部の市で看護職の募集に5000人の応募があったとか。。。。

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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(48)子どもの自立

かんなままさんの執筆記事第48弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(48)子どもの自立

自分から子どもが離れていこうとすると、親不孝者と罵るのはとんでもない話で、精神的に未成熟です。

子どもは親から離れていくものです。離れていく態度を示した時、祝福できないといけません。

またこどもをかばってはいけません。「あなたならできるから行ってきなさい。できるだけ羽ばたいて遠くに生きなさい」というのが、賢明な親のはずです。自分たちが重荷にならないように自分の事は自分でやり、子どもを遠くへ行かせようとするのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)


変わらない、娘の固い意思


ランドセルを背負って道端に座り込み、飽きずに生き物を眺めていた娘。「私はいつでも動物の味方」と言っていた娘が高校の時に選んだ進路は獣医師でした。本当にそれでいいのかを確かめるためにファームステイに行かせました。

冬休み中滞在して、牛、馬、ヤギのお世話をしながらオーナーに獣医の仕事について相談をしたところ、獣医学部の教授の所に連れて行ってくださって、いろいろ話を聞くことが出来ました。その結果「私は獣医になりたいのではなかった。もっと広く野生動物のために働きたい」という思いを強くして帰ってきました。

pixabay[CC0]


自分で野生動物保護の大学を探したようですが見当たりません。密かに海外の学校を視野に入れ、その大学に入学するための準備校を探して来ました。留学する話を聞いた時はびっくりしましたが、娘の意思は固く、応援することにしました。

今までの成績と高校の推薦状を持って面接に臨み、何を学びたいのかを力説して入学が許可されました。その学校はアメリカの有名大学の姉妹校で本校と同じように英語での授業があり、単位も活かされるとのこと。1年間そこで学び、アメリカの大学に編入する仕組みです。

意気揚々と入学しました。私も安心していたら2ヶ月ほどして学校から手紙が来ました。開けてみると「○○さんは、勉強についていけないのでこのままだと放校です」と書かれているではありませんか!びっくりして娘に電話してみると泣きながら「英語の宿題が多すぎて夜中まで終わらない。寝ないで勉強して学校に行くけど授業中眠くて、頭に入らない」と悪循環に陥っていました。

そう言えば、好きな教科は自ら勉強するけど嫌いな教科は睡魔が襲ってくる子でした。やる気だけでは通用しなかったようです。でも寝ないで勉強するのは問題です。「このままだったら病気になるよ。まず、寝なさい。今まで勉強してなかった分苦労するけど、あなたは理解力があるから大丈夫。自分のペースを戻したらついて行けます。ま、諦めて帰ってきてもいいけどね」と言いました。

しばらく連絡が途絶えて、学校からニュースが送られてきました。今年度の成績優秀者が表彰されたという記事が載っていました。なんとそこに娘が写っているのです!びっくりしました。小さい頃から培ってきたやる気の種が「嫌な事でも好きな目的のためなら進化する」という新種を生みだしたようです。

さて、いよいよアメリカの大学に行くという段階になって、又迷い始めました。動物保護に関しては何か違うのです。結局娘は独自でオーストラリアの大学を選びました。姉妹校でもないし、誰も行ったことのない大学なので学校の支援は限られていました。今までの単位も活かせません。又、オーストラリアはオーストラリアの高校やカレッジを卒業していないと大学に入れない事もわかってきました。

振出しに戻りましたが、彼女の意思は変わりません。単身カレッジに入学することになりました。成田で見送った時、寂しさと心配が溢れてきて涙が止まりませんでした。でも背中を押すしかありません。神様に祈りました。ありがたいことに娘はたくさんの友達に見送られて笑顔で出発しました。

pixabay[CC0]


まず、ぶつかったのは言葉の壁でした。みんなが普通に話す言葉についていけないのです。私も経験がありますが、次第に集中力がなくなって、笑顔だけが顔に張り付いて頭は思考停止です。でも、わからないのに一緒に笑っている自分も嫌になります。話せないと無能に見られるのが悔しくもあります。これがピークに達して笑えなくなってしまった娘。

弱音を吐かない娘が泣きながら電話してきました。毎日話を聞きました。「本当に辛いなら行こうか?」とさえ言いましたが「来て」と言わないのも知っていました。彼女なら乗り越えられる、だって自分で選んだ道だからと祈るような気持ちでした。

乗り切りました!半年で単位をクリアして、みごと第一志望の大学に入学することが出来ました。日本人が少ない環境だったので助かりました。心細いから日本人同士で集まり、外国に住んでいるのに日本語を話して独特の社会を作りがちなのです。


動物保護を目指して


さて、いよいよ彼女が目指した勉強が始まりました。オーストラリアは独特の生態系があります。独自の生物を保護するという点では先進的な取り組みや研究がなされています。見事なほど環境保護が社会のルールになっていました。娘は勉強が面白くて仕方がないようでした。世界中から来た友達を作り、英語も「あなたは日本語が話せるの?」と驚かれるほどに上達しました。

もともと生物は好きでしたが、数学、統計、物理などは嫌い。でもそれを勉強しなければ研究できません。直面して本気で勉強したら面白くなってきたようでした。結局優秀な成績で卒業しました。

このころから娘はオーストラリアに永住して動物保護の仕事をしたいと真剣に思い始めたようです。まずは次の段階のオナーズの資格を取り、様々なテストをクリアして永住権を獲得し、その上で奨学金をもらって修士号、博士号を取得することを決心しました。オーストラリアの奨学金は政府から学費と生活費がもらえます。もちろん返済の必要はありません。

さて、娘が選んだ研究は・・・ポッサムでした。昔からオーストラリアに住んでいた有袋類の小さな可愛いリスのような顔をした動物です。都市化した社会で高速道路が彼らの生活圏を分断して近親交配の危機、絶滅の危機にさらされていました。

ポッサム Wikimedia[CC BY]


娘の研究はポッサムが木から木へ渡り歩く習性を利用して高速道路にポッサムや小動物のための橋を作り、交配が自然な形で進むのかを検証するというものでした。国の予算でポッサムの橋を作ってもらわなければ始まらない研究です。まず計画して予算を取り、工事に掛かります。OKが出ました。でも政権が変わり国の方針が変わりました。動物保護に予算を取りすぎているとのことで、いつ工事が始まるのかわからなくなりました。

つづく

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
かんなままの子育て万華鏡はこちら


[カラパイア] 臨死体験は本当にある?人は死後も意識があることを示すサイン

 臨死体験の話はよく伝え聞くところであります。手術中とか交通事故を起こした時などに上空から自分を見下ろしていた!とか、自分が望む時空に移動することができ、その後呼び戻されて肉体に意識が戻り生き返ったといったように。このことは、肉体の死は意識の死ではない!という認識を多くの人々が持っているということの証左といえるかもしれません。
 そうした中、死亡が診断された状態(瞳孔散大、脈拍停止、心停止)においても、肉体の細胞や遺伝子はまだ生きていることがわかった!との驚きのニュースが世界を駆け巡りました。様々な調査の中で、特定の動物細胞にいたっては死亡診断の後も数週間生きていることを発見したとのこと。さらに、死後新たに活性化する遺伝子が存在することも判明したとのこと。そうした遺伝子は、発生遺伝子(誕生後まもなく機能を停止する胎児の発達に関わるもの)が多かったそうです。そして、死亡が診断されてから10分未満の間、深い睡眠時における脳の電気活動であるデルタ波が検出され続けた例もあったといいます。肉体は一度に死ぬのではなく、どうやら異なる速度で各部分が徐々に死んでいくようです。これらの発見は、死亡の診断や死後の世界への認識を根底から見直すこととなり得るのではないでしょうか。
 知人にこうした話をしたところ、そういえば90過ぎの祖母が亡くなった際に、白髪の毛の根元から黒い毛が生えてきていた!そして皺くちゃだった顔もすべすべになっていた!と納得していました。いわゆる死後のストレスフリーな状況において、まだ生命ある細胞はのびのびとそれも若々しく活動していたのではあるまいかと。
 「チベット死者の書」による死後の世界観では、死後の四十九日は次なる生の舞台への旅路である!とされています。これらのことから、死後の肉体を火葬や土葬などする前には数日か?少なくとも三日?は安置しておいた方がよいのかもしれません。肉体を拠り所とした意識の旅立ちは、死後もまだ続いているのかもしれないのですから。

 映像配信、宗教学講座・初級コース・第250回・秘密伝承(チベット死者の書2)では、"チベット死者の書"の四十九日とされる死後の旅路においての、意識が辿る階層の移動が明確に解説されています。しかし実際には、顕在意識とエーテルダブルとの波動が合致した階層へと辿り着くまでの旅路が"死後の49日間"といわれているものだそうです。(ちなみに、"チベット死者の書"の所属レベルは国津神第三レベル、現在の地球の宗教は国津神第五レベルとのこと)この旅路する階層の範囲については所属レベル、進化段階によっても異なるということで、こうした所属レベルと進化段階に対応した階層等のお話は今後の中級講座で解説されていくとのことです。

 死後は謎!?とされて真実が霧と闇に覆われている現代において、このように肉体の死後における意識の旅路が"霊的な科学"として開示されてくると、生と死の境界線は今でいう肉体の死亡診断とはかなり違ったものになってくるとおもわれます。
(しんしん丸)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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臨死体験は本当にある?人は死後も意識があることを示すサイン
引用元)
(前略)
 哲学的には、死の定義は少々異なっており、もはや蘇生できない地点を通過することを意味する。(中略)
 しかし心肺蘇生法が登場したことで、人は心臓が止まり死者となり、再び蘇ることが可能となった。(中略)

死んでからも数日は意識がある

(中略)
ここ数年、人が死んでから脳細胞が劣化ゆえに復活できなくなる地点を通過するまで数日かかるという証拠が幾度も得られてきた。

画像の出典: pixabay [CC0]


体内の細胞が死に向かっていくプロセス

(中略)
 2017年、ノーブル教授らはマウスとゼブラフィッシュの実験で、死後も1063個の遺伝子が活動したままであることを発見した。

 しかも、その一部は死後最大4日間その状態で、活発になったものすらあったのだ。「死後24時間後にサンプルを採取すると、遺伝子の転写が増えているんですよ。驚きです」とノーブル教授は話す。

●死んだ直後、2日間に渡り活発に機能する遺伝子の存在が明らかに(米研究) : カラパイア
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ぺりどっと通信2 箱入り娘

 むかーしむかーし、あるところに…
(ぺりどっと)
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こんにちは、ぺりどっとです。

僕の住んでいる大崎上島には橋がかかっていません。ですので、島から出るためにはフェリーに乗らなければなりません。不便であると同時に情緒ある趣きでもあります。鉛精錬所で働いていたときにも、会社のある隣の島までフェリー通勤でした。

ですので島から出て、その日のうちに島に帰るためには、最終便のフェリーに乗らなければなりません。家から一番近い安芸津港からの最終便は19時半です。もう、超箱入り娘並みの門限なのです。

この日はお弁当を買って最終便のフェリーになんとか飛び乗り、さあ、お弁当を食べようとしたら、なんと、お箸がない!ない。どこにもない。箸代わりにボールペン2本でと思い、探してもそのボールペンが1本もない。もう、今のあべぴょんのように絶体絶命ー!

こんな感じの見るからにおいしそうな幕ノ内弁当で、むろん串などもございません。
さて、どうする?

家まで我慢するか。いや、しかし、港まではまだまだ30分近くかかり、家まではさらに10分。でも、目の前の弁当は暖かくてとってもおいしそうだ。…周りにはほとんど人がいないぞ。

その後、ぺりどっとがとった行動とは…続きは後ほど。

* * *

日本には春夏秋冬の四季がございます。せっかく頂いた冬の寒さをご活用させて頂く方法はないものかと、模索し実践する毎日であります。


冬は冷蔵庫の電源を切れ

pixabay[CC0]

…えーと、ぶら下がってる娘さんは無視してくださいな(;^ω^)

冷蔵室の温度はだいたい3~8℃くらいですので、室温が冷蔵庫温度以下の場合は、冷凍庫を使用しない限り意味がありません。僕の家では暖房を使いませんし、何しろ室温=外気温ですので尚更です。そう、冷蔵庫はもはやただの箱。電源を抜いて電気代をしっかり節約しましょう。

ちなみに、冬の北海道では凍ってもいいものを家の外に出しておいて、凍ってはいけないものを冷蔵庫に入れていると聞きました。生活の知恵ですね~。

(まの爺)
な〜るほど!
門限が箱入り娘なだけでなく、実際に冷蔵庫の箱に住んでおったわけぢゃな。

冬場の冷蔵庫の電源を切ると、台所などでチョロチョロしておられるあの黒いゴキちゃんがいなくなるそうです。できたら、窓もドアもあけて家の中に寒さを呼び込むと効果は倍増します。ゴキちゃんは暖かいところが好きなので、冬でも暖かい冷蔵庫の裏は冬越しの巣となるようです。北海道でゴキちゃんをほとんど見かけないのは気温が低いからなのでしょう。北海道に住んでいた妙齢の女性が、こちら大崎上島に移住して初めてゴキちゃんに出会って、嬉々として手づかみで捕まえて皆に見せびらかした体験談には、さすがの僕も…汗汗。


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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(47)逆境に遭った時

かんなままさんの執筆記事第47弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(47)逆境に遭った時

困難に遭った時の最初の思いが、その後を決定します。

「しめた!これから何かが動くぞ。自分の人生を生きられるぞ。いいことだ」と思うか、「とんでもないことだ、どうしよう」と思うかで、その後の方向性が変わってしまうのです。

悪いことが起きた時にネガティブな想いを抱くと、後でキャンセルしないといけません。悪い事が起きたと思わず、自分にとって必要なことが起きたと考えるのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)


私を支えてくれた平和の祈り


ただの主婦が1冊の本に感動して講演会を企画しただけなのに、なぜここまで大きくマスコミに取り上げられるのか?感動を共有するために参加くださる人になぜ「人種差別だ!」と抗議しなければいけないのか?それもわざわざアボリジニの人達が外国から押しかけて来るのか?訳が分からないままキャンセルの電話に丁寧に応対しつつ現実を受け入れるしかありませんでした。

pixabay[CC0]


「それでも開催するのですか?」という、まるでこちらが人種差別の片棒を担いでいるような質問を受けながら『もしも私達の会場にも抗議団体が押しかけて参加者に迷惑をかけたら・・』と不安がよぎったのも事実です。

でも、私の気持ちは変わりませんでした。本の中に書いてあった『神様、私に変えられないものを受け入れる平和な心と、変えられるものを変える勇気と、その2つの違いがわかる知恵を与えてください』という平和の祈りが私を支えてくれました。

キャンセルや抗議は私には変えられない事だから平和な心で受け入れ、今私に何ができるかを見極めて最善を成そうと思いました。会場を変更するのは大きなリスクがありました。もうチラシは独り歩きをしています。来ると言ってくださる方にもアナウンスしなおさなければいけません。無理です。どうしたらいいのか、ぼっーっと会場を見ていたら、ふっと考えがよぎりました。『そうだ!この広い会場を使って楽しもう!』と思ったのです。

舞台を使うのは辞めました。アリーナホールなので体育館のようにも使えます。客席の半分の椅子を片付けて500席にします。前の空いた空間をブッシュにしようと思いついたのです。そこを歩きまわりながらお話ししてもらえば面白いかも!と思いました。

さて、そのレイアウトを誰がやってくれるのか?友人がNさんを紹介してくれました。Nさんはギャラリーを経営しながらイベントのレイアウトも手掛けている方でした。聞くところによると、この本を読まれて大いに賛同してくださっているとの事。すぐに「喜んで協力します」という返事を頂きました。嬉しい助っ人です。さっそくお友だちと一緒に会場に来て、和紙でオーストラリアのブッシュを再現してくださいました。見事でした。

何だか面白くなってきました。もうこうなったら楽しもう!自分の中の直感を信じて大切にしていることを大切にしよう!これが自分を生きるという事だと思いました。
もう当日は落ち着いていました。むしろこの会場を見たらみんなびっくりして喜ぶだろうなと思うと嬉しくなりました。

ところが、朝一番に館長から呼び出されました。行ってみると固い顔の男の人が2人立っています。館長も怖い顔をして「昨日の新聞を読みました。他の会場は抗議団体が押しかけてきたと書いてあります。この会場でそんなことがあったら困ります。念のためにこの2人の私服刑事を付けておきます。何事もないように万全の注意を払ってください」と申し渡されました。

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