ジェフリー・ヒントン(人工知能研究の第一人者、ノーベル賞受賞)
— ShortShort News (@ShortShort_News) April 23, 2025
"人間は自分たちが考えていたよりもはるかに非合理的
私たちは論理・推論マシンというよりは類推マシンなのです" https://t.co/6XBlYzDjHl pic.twitter.com/RPGCRTSc0D
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ジェフリー・ヒントン(人工知能研究の第一人者、ノーベル賞受賞)
— ShortShort News (@ShortShort_News) April 23, 2025
"人間は自分たちが考えていたよりもはるかに非合理的
私たちは論理・推論マシンというよりは類推マシンなのです" https://t.co/6XBlYzDjHl pic.twitter.com/RPGCRTSc0D
なぜソ連政府は家庭菜園「ダーチャ」にきっかり6⃣0⃣0⃣m2を割り当てたのか?🧐🥕🧅📐
— ロシア・ナビ 日本 (@roshiaNOW) April 1, 2025
ソ連の家族の多くは、国から土地を受け取り、「ダーチャ」をつくり、野菜や果物を育てることができた。
しかしその際、敷地面積は、厳しく規制されていた。
6ソートカ、つまり600m2だ。 pic.twitter.com/b7t53J1QQj
この「ダーチャ基準」の提唱者は、モスクワ農業大学のヴィタリー・エーデリシュテイン教授だ。著書『個人菜園』の中で、彼は、どの作物をどのくらいの量育てるのが最適かを、すごく細かく計算している。年間基準は、500.7kgだった。 pic.twitter.com/1VgjsZ7rrZ
— ロシア・ナビ 日本 (@roshiaNOW) April 1, 2025
教授は、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、キュウリ、トマト、キャベツを、主な野菜として挙げている。
— ロシア・ナビ 日本 (@roshiaNOW) April 1, 2025
次に、エーデリシュテインは、菜園に必要な面積(124.5m2)を計算して割り出し、それに家族の人数(平均4人)をかけて、さらに庭木や家屋のスペースを加えた。それがちょうど600m2になったわけだ。 pic.twitter.com/ueZmWbLRh7
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
亡くなられてまもなく5年。医師・中村哲さんの活動を追ったドキュメンタリー映画です。
— 京都新聞アート&イベント[ことしるべ] (@kotoshirube) October 21, 2024
京都新聞は、アフガニスタンとパキスタンで病や貧困に苦しむ人々に寄り添い続けた、医師・中村哲さんの記録映画「荒野に希望の灯をともす」の上映会を、京都市内の3会場で開催します。https://t.co/K3APw4KXhb pic.twitter.com/Mw7hP7e2bV
俺の敬愛する中村哲先生が昔赴任していた病院、ペシャワールのミッション病院。
— Hiro @ 🇵🇭 (@kakiaki1005) October 11, 2024
個人的には、この人こそが真のノーベル平和賞にふさわしいとずっと思っている🤔 pic.twitter.com/OscKUo6vYY
私は理科系なのですが、宇宙が数学の言葉で記述されていると考えるような理系バカとは違います。自然の中に直線が無いのは、地球の女神(サオトメ様)が3種体癖の美少女だと考えているからで、もしも1種体癖の男神が化身した惑星なら、パッキパキで花は直線状に咲くのではないかと想像したりします。
それはそれとして、ShortShort Newsさんの動画では、人工知能(AI)研究の第一人者で2024年にノーベル物理学賞を受賞したジェフリー・ヒントン教授は、“精神分析の発展によって…私たちは論理的思考だけでなく、様々な類推を用いて物事を判断していることを受け入れました。私たちは基本的に、自分たちが考えていたよりもはるかに非合理的であることを受け入れました。…今まで人文科学を含むほとんどの人は、私たちは何らかの論理のようなものを使って推論していると考えてきました。私たちは理性的な存在だと。そうではありません。私たちは巨大な類推マシンなのです。私たちは類推によって物事を理解します。…私たちの思考の表面には薄い論理の層があり、それは数学のようなことをする上で非常に重要です。…しかし、私たちは基本的に類推を使って考えています。”と話しています。
論理学の根本原理として、同一律は「AはAである」と表現される法則なのですが、日常生活では同一律は成立していません。
この前のことなのですが、私が「オシドリ夫婦ってオシドリ夫婦じゃないんだよね。」と話すと、妻が「そうなのよ。オシドリの夫婦は、本当はあんまり仲が良くない。」と言って、私の話がキチンと通じていました
「AはAでない」が真になってしまうのですが、これは「オシドリ夫婦」に、オシドリの番い(つがい)という意味と、仲の良い夫婦というふたつの意味があるためです。
そして日常生活では、この例のように言葉にいくつもの意味があり、私たちは文脈で言葉の意味を読み取って暮らしているのです。論理学のように「A」を完全に一つの意味として限定させることは、そもそも無理であることは少し考えれば明らかです。
例えば「女」を定義できません。1月21日の記事で紹介した青木歌音さんは「染色体XXY」ということでした。「人間」を定義するのはさらに難しい。
だとすれば、論理学はもちろんのこと、それを前提に組み立てられている数学などは「思考の表面の薄い論理の層」によるものに過ぎず、宇宙の本質からかけ離れているのではないかと思うのです。
私は物理学の宇宙論などは「苦情の奇異論」(机上の空論よりタチが悪い)だと思っています。