アーカイブ: *生き方

ままぴよ日記 56 「社会制度より目の前の子どものSOSが優先!」

 ボストンに暮らす孫が12歳の誕生日を迎えました。今の楽しみは自然豊かなボストンで野生の動物達に出会う事です。
 「誕生プレゼントは何が欲しい?」と聞いたら「海に行きたい」と言って連れて行ってもらったそうです。

ボストンの海


 そして孫は「私は大きくなったらものを言えない動物たちのための仕事がしたい」と言い出しました。

 コロナ騒動で3月から学校に行っていない孫。仕事人間だったパパも家に居て家族団らんができました。自然豊かな環境で遊び、大好きな本やレゴに浸り、ホームスクールで満たされているようです。日本にいた時は兄弟げんかばかりしていたのが嘘みたい。

 娘家族にとって思いもしない不自由な留学体験になりましたが、拾ったものは大きかったと思います。
(かんなまま)
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97歳の母、村に1件の開業医だった祖父


97歳の私の母は大きな家に1人暮らし。父の仏壇と寝室と居間が自分の世界になっています。「どこか痛いのは当たり前」、「神様から与えられた体だから自然体で生きていく」が口癖で誰にも頼ろうとしません。


日常の暮らしの中で腐ったものがわからなくなって食べたり、母のためを思って提案することに聞く耳を持たなかったり、体が動かないのにお盆の行事を自分でやりたがる…などの心配事は発生しますが、ある意味、母らしい生き様を見せてもらっています。

そんな母は一度も働きに出たことがありません。幼児期にお母さんを亡くし、祖父母に育てられました。お父さん、つまり私の祖父は村に1件の開業医。その当時は内科外科からお産まで全てをこなし、家中に患者さんが溢れていたそうです。

そんな働き盛りの祖父のもとに赤紙が来ました。満州事変と第二次世界大戦で2度召集されたそうです。個人の事情など有無を言わさず出征。村で1つの病院はなくなりました。母は学徒動員で役場の出征や戦死などの台帳整理をさせられ、これまた多くの人が出征して亡くなっていったのを見たそうです。時代に翻弄された人々の何と多い事か!

祖父はフィリピンの激戦地で軍医をしていました。大変な思いをしたようですがその時のことは何も語らなかったそうです。その代わり、配給の巻きたばこの紙に日記を付けていて今でも読むことができます。食糧難で現地の人から教えてもらった料理のことや道具が何もないところからいかに料理して飢えをしのいでいくか?などの工夫が詳しく書いてあります。大変な状況の中、自分でできる事をしていたのでしょう。切なくなります。

Wikipedia[Public Domain]

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学徒兵の手記「花があったら」、絵本「猫は生きている」

 東京大空襲の後、学徒兵として焼け野原の中で死体の片付け作業をされていた須田卓男さんという方の手記を、はなももさんが紹介されていました。1970年12月に朝日新聞に掲載された記事だそうです。著作権の関係で抜粋する形で掲載しましたが、引用元に全文があります。
 当時、まだ本人たちも若い学徒でありながら、あまりの酷い状況に麻痺してしまい、多くの遺体を見ても驚かなくなっていたそうです。そんな中、一体の不思議な遺体を見つけます。少年たちはその遺体の様子から空襲の夜、何があったのかを悟りました。涙がこぼれ、「花があったらなあー」と思わず溢れた言葉は、焼けただれた遺体の山に麻痺していた少年たちが大虐殺の意味に気づき、人間らしい気持ちを取り戻した証のようでした。
 胸に迫る手記ですが、これを読んだ時「あ!」と思い出した本がありました。「猫は生きている」という絵本です。幼い頃、猫が出てくる本だと思って読み、内容のあまりの衝撃がトラウマとなったか、以来、素手で土を掘ることができなくなったほどでした。あの絵本はモデルがあったんだ。必死で赤ちゃんを守ろうとしたお母さんは、しかし苦しそうなお顔ではなかったというのも本当だったんだ。
 手記では、お母さんも赤ちゃんも亡くなっています。けれども絵本では、赤ちゃんのそばにいた子猫たちは生きていました。子猫たちはピョンと地上に躍り出ます。子猫たちは託された「希望」だったのかもしれません。
 今、日本は大人たちが若い世代を犠牲にしている戦時下のようです。後から生まれ来る「私たち」のために、今の私たちは必死になっているだろうか。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)
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花があったら
引用元)
「昭和二十年三月十日の(東京)大空襲から三日目か、四日目であったか、
私の脳裏に鮮明に残っている一つの情景がある

(中略)
午後も夕方近く、路地と見られる所で発見した遺体の異様な姿態に不審を覚えた。

頭皮が焼けこげ、着物が焼けて火傷の皮膚があらわなことはいずれとも変わりなかったが、倒壊物の下敷きになった方の他はうつ伏せか、横かがみ、仰向きがすべてであったのに、その遺体のみは、地面に顔をつけてうずくまっていた。

着衣から女性と見分けられたが、なぜこうした形で死んだのか。

その人は赤ちゃんを抱えていた。

さらに、その下には大きな穴が掘られていた。

母と思われる人の十本の指には血と泥がこびりつき、つめは一つもなかった。
(中略)

赤ちゃんの着物は少しも焼けていなかった。
小さなかわいいきれいな両手が母の乳房の一つをつかんでいた。
(中略)
ひどい火傷を負いながらも、息のできない煙に巻かれながらも、苦痛の表情はみられなかった。

これは、いったいなぜだろう。美しい顔であった。

人間の愛を表現する顔であったのか。

だれかがいった。

「花があったらなあーー」

あたりは、はるか彼方まで、焼け野原が続いていた。

私たちは、数え十九才の学徒兵であった。」
(以下略)
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配信元)

ままぴよ日記 55 「コロナで見えてきたアメリカと日本の教育事情と国民性」

 コロナ禍で子育てや学校の課題が浮き彫りになってきているのを肌で感じます。
 ママ達からの相談も増え、時には深刻な悩みもあり、命の危険さえ感じます。貧しい人がもっと貧しくなり、立ち上がれなくなっていっています。そういう親は疲れ果てて子どもを養育する気力を無くしていきます。食事をまともに食べていない子も増えました。給食だけ学校に食べに来る子もいるようです。
 中村哲先生ではありませんが、食べる事が先だと思います。
 子ども食堂もいいけれど場所や食材、人材の確保のハードルが高いし、継続が大変です。そして今は閉鎖中。
 それよりも学校に朝ごはんのおにぎりを!「学校に食べにおいで!」と言いたい。親にも「安心してね」と言ってあげたいです。
 校長先生と話し合って実現したいと思っています。
(かんなまま)
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ボストンの保護者の関心ごとは学校再開



今、日本でも新型コロナウイルス感染の第2波が押し寄せてきていますが、アメリカでは娘家族が住んでいるマサチューセッツ州とハワイだけが落ち着いてきて、行動制限が解除され始めたそうです。ボストン沖でホエールウォッチングをして、その大きさに圧倒された子ども達は大興奮!クジラ好きの孫はしばらくクジラの絵を描き続ける事でしょう。

ボストン沖でのホエールウォッチング


さて、今、ボストンの保護者の関心ごとは学校再開のことだそうです。3月から一度も学校に行っていない子ども達。今は少し落ち着いてきたけれど、また次の波が来るかもしれません。慎重に検討されているようです。

まず教育委員会から6月25日に小中高の学校の安全な再開に関するガイドラインが公開されて、マスク着用、生徒間の適切な距離を確保、他の子と交わるのを避けるためにグループ分けする事が決められたそうです。


そして学校が再開した時に
 ① 登校して授業
 ② 登校とオンラインのハイブリッド授業
 ③ オンラインのみの授業
の中でどのプランを選択するかの検討をすることになった
そうです。ただし、家族の意思によりオンラインを貫く権利は保証されます。

それで6月末と7月末に保護者対象の調査が行われたそうです。メールで配信されてオンラインで回答する方式。6月の調査では3つのプランのどれがいいかを聞かれ、7月はそれぞれのプランの具体的なメリット、デメリットが示されたそうです。

日本と大きく違うのは教育委員会や学校の話し合いがオンラインで保護者に公開されている事です。各学校主催で保護者対象の説明会も開催されて質問する機会も与えられます。

娘も英語を母国語としない保護者の意見を聞いてもらえるように校長先生にお願いしてマイノリティ向けの質問会を開いてもらったそうです。「英語が話せない子どもや家族、学習しょうがいの子ども達、貧困家庭やそのほかの様々なハンディのある家庭にとってリモートワークは親が付いて学習しなければいけないのでとても大変である」「子どもの精神衛生上からも登校して友達に会う事や直接学ぶ事が大切である」と、発言したそうです。校長先生もそのような支援を必要とする子どものために毎日登校できるよう優先枠を設けると言われたそうです。


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ぺりどっと通信66 マントラ修行


 我々はどうしても目に見えることだけに気を取られがちです。ときどきは、内なる自分自身に意識を向けてみるのも悪くないものです。
(ぺりどっと)
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コロナ禍で自宅で過ごす時間もますます増えて、こんな機会にこそ、本格的にガヤトリー・マントラや愛のマントラ、神様の御名をたくさん唱えてみたいとお思いになられた方もいることでしょう。そんな方々のためにマントラを出来得るだけたくさん唱えるためのヒントをここに書き記しておきたいと思います。

ここではぺりどっとが実際にしていたガヤトリー・マントラを使った修行方法を一部ご紹介します。変わり者のぺりどっと独自の非常に独特な方法なので、まー、参考になる部分があるようでしたら、取り入れてみるのも一興かと。

Author:チェーンウィット[CC BY-SA]

まずはガヤトリー・マントラとは何たるかをよくよく知って、その効果効能などの理解を深めておきましょう。


何事も最初は、数稽古です。たくさん唱えることで、ガヤトリー・マントラを身につけていきましょう。

ガヤトリー・マントラを唱える際に、役立つのがマーラー(数珠)。マーラーがあると、マントラに集中しやすくてとても有用です。

Author:AAdas[CC BY-SA]
ルドラクシャのマーラー

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まみむのメモ(31)〈時代の要求〉


 この度の大西つねきさんの命についての発言で、れいわ新選組を除籍というショックな出来事があり、日頃おぼろげに考えていた死について、改めて考えさせられることになりました。
 これまで家族として暮らしてきた犬や猫の天晴れな死に方を思い出しています。
(まみむ)
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まみむのメモ(31)〈時代の要求〉


ヤマトシジミ蝶

ノイバラ


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まぁ

犬が亡くなる1か月くらい前だったか、まだ散歩ができている頃のこと、お気に入りの山際に水路のある木々に挟まれた道を歩いていた。すると不意に「お別れです」とテレパシーが聞こえた。その時は犬の言葉とは気がつかなかった。


木立


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むぅ

犬には死期が迫っていることがわかっていたのですね。


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まぁ

満月の夜、血を吐いて、まぁの腕の中で死んだ。


満月


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みぃ

お月様が導きますとおっしゃった。


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