主人の資金を横領、ロスチャイルド初代 ~ネイサン“シティ”の盟主へ
ネイサン・ロスチャイルドの意向によって1812年に始められた米英戦争、
これはアメリカの第二の独立戦争とも呼ばれています。この米英戦争について『ユダヤ・ロスチャイルド 世界冷酷支配年表』の54頁は次のように記しています。
「ロスチャイルド家の計画では、この戦争によってアメリカに多額の債務を負わせ、アメリカはイギリスに降伏して、ロスチャイルド家が所有する第一合衆国銀行の認可更新を認めざるを得なくなる予定だった。しかしながら、イギリスはまだナポレオンとの戦争に忙しく、大規模な攻撃をしかけることができなかったので、アメリカを打ち負かすことができないまま、この戦争は1814年に終結を迎える。」
ここでは、戦闘としては米国側の敗北とならなかったとしています。しかし
本来の通貨戦争としての米英戦争の意味では、やはり
ネイサンが勝利しています。
1816年に第二合衆国銀行が発足しているからです。
ツイート:1816年に、(第4代)マディソン大統領は、第二合衆国銀行設立法案に署名しました。
このようにロスチャイルド一族は着々と金融帝国を築いていきます。ロスチャイルド一族が金融帝国を築く決定的な“種銭”を手に入れたのは、1806年のことのようです。
複数の情報によると、ナポレオンが軍を率いて攻めてくるとの情報に、
ヘッセン=カッセル方伯はドイツからデンマークへと逃れます。その際に
自らの資産運用を任せていたマネージャーのロスチャイルド初代に、60万ポンド約(300万ドル)の資産の管理を委ねます。ところがこの巨大な資産はヘッセン=カッセル方伯に返却されることは無く、
ロスチャイルド一族によって金融帝国構築の資産として運用されます。
ヘッセン=カッセル方伯
ヴィルヘルム9世
マイアー・アムシェル
・ロスチャイルド
ようは、主人であったヘッセン=カッセル方伯からロスチャイルド初代が巨大資産を“横領”したようなのです。
この横領金を最大限に効率的に運用したのがネイサンです。
ロンドンに移住していたネイサンは、1810年に世界金融中心地となるシティの盟主の座を築きつつありました。幸運にもこの年、シティを支配していたベアリング社のフランシス・ベアリングが、またシティの大物エイブラハム・ゴールドシュミットも死去していたのです。
シティの支配者となったネイサンは、ナポレオンの動きも逐次捉えながらコントロールしていた様子です。ナポレオンはその軍内部の裏切り者(ロスチャイルドの配下)によって、1812年のロシア遠征に失敗し、年末にはモスクワから撤退、その後皇帝の座から退位を余儀なくされ、エルバ島に送られます。
しかしナポレオンは復権を目指していました。このナポレオンの動きをもネイサンは最大限に利用するのです。
ネイサンは「ワーテルローの戦い」が起こることを予想?し(ネイサンがそのように戦争を導いたのが真相のような気がしますが)
、東インド会社の金に投資し、
莫大な資産を形成していくのです。
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うちの父は、唐辛子を食べると、アタマのてっぺんから湯気を出す、という特技を持っていましたが、案の定、そこからハゲていきました。
自分も、遺伝的なハンディがある上に、男性ホルモンが勝っているらしく、ヒゲも濃く、髪も細く薄くなって、ウイッグ欲しいなあと思ってましたが、ありがたいことに、仕事を辞めてから、髪が復活してきました。
遺伝、体質、生活習慣、ストレスは、明らかに毛髪と関係していますが、原因は人それぞれ。
ハゲ・薄毛で悩んでる人々に、安易にクスリを飲んじゃダメよ、と言いたくて書きました。