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青年会議所の広報委員長だった私が振り返る21世紀初頭
〜2001年 特集記事『 道しるべを探して…』4月号を題材に(中)〜

 「総理、なぜ人間は嘘をついてはいけないのですか?」、「財務大臣、なぜ人間は他者もしくは公共の財産を盗んではいけないのですか?」、「法務大臣、なぜ人間は他者の権利を奪ってはいけないのですか?」、「防衛大臣、なぜ人間は人間を殺してはいけないのですか?」・・・国会が全国中継の時、野党議員は政権閣僚にこれらを問うてみる必要はあると思います。ごくごく基本的問いなので事前通告など必要の無い質問です。どう答弁するか、国民は知っておくべきです。彼らは国民の代表であるはずだからです。彼らの道徳観が国民の道徳観になってしまうのですから。彼らは「道徳教育が非常に大事だ」と力説しているのです。実際に道徳を教科化し生徒を評価することにしました。道徳の教科書を作らせ国がつまり彼らが検定することにしました。彼らが善悪を決定して生徒の道徳性を評価するのです。道徳善悪の決定、一体どこにその基準を求めるのでしょうか?極めつけの質問があります。「文科大臣、なぜ援交はいけないのでしょうか?」。どう答えるでしょうか?文科大臣でなくてもいいです。誰でもいいですからまともに少なくとも自分の見解を述べられる与党議員が一体何人いるでしょうか?でも期待は余りできないかもしれないです。野党議員で何人の議員が上記のような質問ができるかが疑問だからです。質問するには質問する側にもそれだけの見識がなければできないからです。
 中身の薄さはともかくとして、記載の特集記事として記している内容はほぼこの通りだと思います。そして間違いなくここで触れた問題は現在に通じています。この頃より今のほうが倫理そして倫理見識の崩壊が顕著に見えるからです。「何を持って人間と称し、人間としてどうあるべきなのか?」この問いは根本的であるがゆえにある意味いつの時代でも新たな問いになるのかもしれません。皆様はどう応えられますでしょうか?
(seiryuu)
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特集記事 「道しるべをさがして・・・1」   2001年4月号掲載  中
・現象の背後の問題 

それではなぜ、私たちは、物質的に豊かで便利な生活を送りながらも、精神的な空白感、飢餓感を抱え、未来に対して、いきいきとした夢や希望を持ちづらい状況に陥ってしまったのでしょうか。

今年1月10日の神戸新聞では、弁護士中坊公平氏のインタビューを通して「なぜ人を殺してはいけないのか」「なぜ悪いことをしてはいけないのか」を問い、「倫理21」等、倫理をめぐる書籍や雑誌の特集が相次いでいる事実、そして倫理観の揺らぎの根底には、人間関係がより希薄な方向へと向かう時代の流れがあるのではないかとの指摘をする記事の掲載がありました。

「なぜ人を殺してはいけないのか」というような問いは、根源的な問いではありますが、当たり前といえば当たり前のことです。それを、今、正面きって論じなくてはならないところに、私たちが生活する現代社会への根源的な問題、もしくは課題というべきものが、提出されているように思います。それは私たちの社会が、人間という根源、何を持って人間と称し、人間としてどうあるべきなのかという誰も皆が共通できる認識、その基盤の崩壊が深刻な段階まで進行してしまっているのではないかということです。人間にとって人間そのものが問題になっているということです。昔の日本、共同体がしっかりした社会においては、何を持って人間と称し、人間としてどうあるべきなのかの認識、この基盤は、一人一人が理屈抜きに体感体得できたものでありましょう。

しかし、グローバル化、情報化が進む現代においては、この共通認識基盤を見出し構築していく作業は決して容易なものではなくなっています。情報が即時に世界を駆け巡る現代社会では、その認識基盤が限定された共同体だけではなく、どの国や民族、異なった立場の人に対しても、矛盾無く通用し納得できるものである必要があるからです。しかし同時に、今その共通認識基盤構築の必然性をも強く感じます。なぜならば、現在私たちが抱えている問題、「物質的に豊かで便利な生活を送りながらも、精神的な空白感、飢餓感を抱え、未来に対して、いきいきとした夢や希望を持ちづらい状況に陥ってしまっている状況」・・・、その原因をたどり突き詰めていけば、この人間基盤崩壊の問題に突き当たると考えられるからです。


2001年春、当時の状況、世相



4月に小泉政権がスタートします。既にこの年1月ブッシュJRの政権がスタートし、新自由主義を展開。小泉総理が旗手となり竹中平蔵氏がその任を担ったのが「構造改革(編注:seiryuu氏の力作にリンクしています)」。これは新自由主義の経済政策。この時のフレーズ「聖域無き規制緩和」が、公共物を私物化するのに邪魔な規制等に難癖をつけて廃止させます。「所有したものは人間を含め空気、水等万物どのようなものも、その所有者が好きなようにしてもよい」。この「聖㊙︎ 根本教義(編注:seiryuu氏の力作にリンクしています)」をあからさまに実行する体制が日米ほぼ同時にスタートしたのです。また、この小泉政権を大躍進させたプロデューサーが広告界のガリバー電通。マスメディアは広告料に依存しています。電子式選挙を一手に担っている(株)ムサシとの繋がりも指摘されています。電通による政権、メディア、選挙、つまり日本の操作。これが肥大化しながら現在に繋がっています。

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牛サマディー君の読書レビュー③:「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告 〜エマニュエル・トッド氏によるロシア分析〜(下)

 ヨーロッパのメディア(トッド氏曰く、特にフランス)が強烈なロシア叩きを行い、プーチン嫌いの雰囲気が西側に蔓延していたにも関わらず、著者は何故ロシアを肯定的に評価しているのでしょうか。自身の中に余程の根拠がない限り、そのような結論には至らないはずです。
 (下)では、具体的に彼がどのようにロシア社会を分析したのかを紹介します。
 本稿では取り上げることが出来ませんでしたが、本書における彼のヨーロッパ各国の分析も非常に興味深いものでした。興味のある方は、是非本書を手に取ってみて下さい。日本での売上は10万部を突破しているそうです。
(牛サマディー)
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「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告

pixabay 〔CC0〕



著者のエマニュエル・トッド曰く、ロシアは”立ち直り始めている国”である。
彼はロシアの様々な人口学的指標を観察したうえでそのように結論付けた。以前の記事で”プーチンがロシア経済を建て直した”ことを書いた。ロシア社会が再生の過程にあることは、人口学を通しても理解できるのだという。
下図をご覧頂きたい。

図表20 ロシア、ウクライナ、フランス他の乳児死亡率の比較 p83より



なぜトッド氏は、乳児死亡率なる数値を持ちだしてくるのか?この数値をもとに、彼はロシア社会について何を見出すのか?本書に次の記述がある。

乳児死亡率
乳児死亡率(1000人の乳児のうち、1歳未満で死亡する数)は、おそらく現実の社会状態の最も重要な指標である。この率は実際、ケアのシステム、インフラ、母親と子供に与えられる食物と住居、母親および女性一般の教育水準等々に同時に依存する。 (以下略) P83より

つまり、乳児死亡率を見ることで、その国の総合的な社会状況が推察されるのだという。
トッド氏は1976年当時のソ連において乳児死亡率が再上昇しつつあることを発見し、ソ連の崩壊を予見した。「乳児死亡率(一歳未満での死亡率)の再上昇は社会システムの一般的劣化の証拠(p81)」であるという。

上の統計からは、プーチン統治下のロシアにおける、乳児死亡率の目覚ましい低下が読み取れる。またそれと共に、2009年からは人口が増加(出生率の増加)に転じているという。これは、ロシア社会が良好な状態にあり、安定化していることを示している。

pixabay 〔CC0〕


逆に1990年代の乳児死亡率は非常に高い20人超という数値であり、エリツィン統治下のロシア社会がいかに酷い状況にあったかが読み取れる。以前の記事で、”1990年にはジョージ・ソロスらによってロシアの経済基盤が崩壊してしまった” というジョン・コールマンの見解を紹介した。この点について、「世界の黒い霧(ジョン・コールマン著、成甲書房)」に次のような記述がある。

「ショック療法」という空想的で意味のないお題目の下、ソロスは復讐の天使のごとく飛び回り、目につくものすべてを略奪していった。初めからエリツィンが味方だったから、恐れるものはないと確信してのことだ。この略奪行為の結果、ロシア経済はソロスの意図した通りに急落した。「ショック療法」によってロシアの数百万人の貯蓄が失われ、ハイパーインフレが起こり、優秀な科学者は国を去り、ロシアを動かしていた上層部は他国へと亡命していった。工場や商社への信用は大きく落ち込み、国の産業基盤すべてが完全崩壊の危機に直面した。 「世界の黒い霧(ジョン・コールマン著、成甲書房)」 p88より

pixabay 〔CC0〕


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牛サマディー君の読書レビュー③:「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告 〜エマニュエル・トッド氏によるロシア分析〜 (上)

 第三弾です。再度ロシアについて執筆させて頂きました。
 私たちは、ロシア・プーチンを正しく理解する必要があるのです。何故でしょうか。更に言えば、何故私たちは真実に目覚める必要があるのでしょうか?今回はそのことについて書きました。
 今回取り上げる書籍は、以前時事ブログで取り上げられたものです。本書のおおまかな内容は、そちらでスプートニクによる分かりやすい解説が紹介されているので、興味のある方はそちらを参照して下さい。今回はその記事とは別の観点、つまり著者エマニュエル・トッド氏によるロシア分析をピックアップして紹介させて頂きます。
(牛サマディー)
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「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告 エマニュエル・トッド著


我々の力 意識の光



戦争はもちろん支配層の意図により引き起こされるのであるが、そこには民衆を騙すというプロセスが必ず存在する。つまり我々一般市民が冷静に真実を見据えているならば戦争は引き起こされえないのであり、全ては我々の「意識」にかかっている。

これまで勃発してきた戦争の数々を振り返るならば、支配層がコントロールする大手メディアが嘘情報を流布し、他国や他民族、他宗教に対する誤った憎悪を民衆に植えつけ、人々を好戦的な意識へと誘導する心理的手法が常に用いられてきた。戦争の火種を無くし平和な世界を構築していく為には、我々が自身にかけられた洗脳を解き、真実に目覚めることが決定的な意味を持つ。このことについて竹下氏は、次のように述べている。

(前略)一人の人の理解の閃光が、人々の意識を確実に変化させているのです。(以下略)
Q&Aコーナー(質問と答え)銀行家のパワーの源 より引用

(前略)あなたは何も出来ないと思っているかも知れませんが、あなたの認識の光は、光の速度で世界に広がるのです。光が広がれば闇は居場所がなくなるのです。(以下略)
シャンティ・フーラ時事ブログ[NAVERまとめ]中東和平って何だった?欧米のホンネと覇権主義がパレスチナに産み出した不幸の卵  より引用

(前略)ですから、こうした闇の活動を暴露しようと戦っている人たちの活動を、陰謀論と言って馬鹿にする者たちは、人々の覚醒を妨げるというその行為によって、悪に加担しているのと同じなのです。
(以下略)
シャンティ・フーラ時事ブログ [真実を探すブログ]プーチン大統領がNWOアジェンダ(新世界秩序計画)やウクライナ、欧米を批判!「世界中を刑務所にする」 より引用

我々が信じ込まされている’偽り’。
政治、経済、医療、教育、食、歴史、宗教、科学、美術、宇宙・・・
驚愕すべきことに、’偽り’はありとあらゆる分野に渡っている。我々はそれら全てを丁寧に解きほぐし、完全なる真実の世界を追い求めなければならない。


pixabay 〔CC0〕



でっち上げられた敵、意図された対立



「ドイツ帝国」が世界を破滅させる
エマニュエル・トッド
[Amazonより引用]

今回紹介する本は『「ドイツ帝国」は世界を滅ぼす(エマニュエル・トッド著、文春新書)』トッド氏は人口学者であるのだが、本書における彼のロシア分析が非常に興味深い。彼は欧米メディアのプロパガンダに毒されておらず、彼自身の頭脳で自立的に物事を考察する学者であると言える。
自立する人の放つ言葉は、聴く者に深い気付きを与える。

ロシア・プーチンに関する誤ったイメージを解き、正確な理解を得ることは極めて重要な事である。それにより、支配層が撒いた戦争の火種を摘み取ることが出来る。真実の追求は、我々がこの世界で生きるうえでの義務ではないだろうか。以前一度取りあげたテーマであるが、今回もう一度、別の視点から取りあげてみたい。

トッド氏は人口学者としての立場から独特な視点でロシア社会を分析しており、以前紹介したコールマン博士と同じく、ロシアに対して肯定的な評価を下している。探究の道は異なれど、真理は普遍的なものなのである。
まずはじめに、トッド氏は次のように述べている。

ロシア脅威論は西洋が病んでいる証
(中略)西洋はたしかに世界で圧倒的に支配的だが、それと裏腹に今日、そのさまざまな部分において不安に駆られ、煩悶し、病んでいる。財政危機、所得の低迷ないし低下、経済格差の拡大、将来展望の不在、そして大陸ヨーロッパにおいては少子化など、いろいろな問題がある。
イデオロギーの側面から見ると、ロシア脅威論はまずスケープゴート探しのように、もっといえば、西側で最小限の一体感を保つために必要な敵のでっち上げのように見える。(以下略) P20,21より

このようなこと、つまり’敵のでっち上げ’は、日本社会においても言えるのではないだろうか?つまり、中国や韓国に対する激しい憎悪である。日本会議関係者、ネトウヨ達、彼らの主張は下劣そのものであり、明らかに精神が病んでいる。彼らの唱える’美しい日本’は偽物である。決して同調してはならない。

他民族を排斥するなどという下らないことに貴重な精力を費やすのは愚かである。自国の闇へと目を向けることのない盲目的愛国主義も愚かである。

ナルシズムに陥るでも自己を卑下するでもなく、ただただありのままを見つめよ。


これは古今東西様々な賢者達により説かれてきた教えである。自己に対しても、社会に対しても、このような態度で向き合わなければならない。それによって初めて根本的な変革が起こり得るのである。

pixabay 〔CC0〕


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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(2) 〜心の清らかさ〜

かんなままさんの執筆記事第2弾です。
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心の清らかさ
神様は、神、人間、妖精、動物といった区別には全然関係がなく、心が清らかかどうかを見ています。

もちろん、学歴や知識を持っているかどうかも関係がありません。

知識とは、それを使って世の中を豊かにするためにあるのです。

それよりもっと大事なのは、心がきれいかどうかです。

姿形は、本質ではないのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)



神様が与えてくださった犬


我が家で一番心が清らかなのは愛犬のルナかもしれません。

もともと動物好きの私はペットを飼いたかったのですが、その頃の我が家は夫婦の危機でそれどころではない状態でした。
子ども達はみんな独立して二人だけの生活。見かねた娘が犬でも飼ったら?と提案してくれたのです。でも夫は乗り気ではありません。強行するわけもいかず保留にしていました。

そんなある日、何だか気晴らしに外出したくなり、知り合いのお店に行ってコーヒーを飲んでいました。すると友人がやってきていきなり「ねえ、犬いらない?」というのです。聞くと「まだお腹の中にいるんだけど、初産で1匹しか生まれないらしいの。予定日が○月○日。飼ってくれる人を探してるんだって」という事でした。

私は思わず、「えっ?」と息をのみました。予定日が夫の還暦の誕生日だったのです!ペットショップで買う気が無い私にとって、これこそが神様が与えてくださった犬だと直感しました。帰ってすぐに夫に話しました。「あなたにとって運命の犬が向こうから来てくれたのよ」と。

乗り気でなかった夫も、なぜか「早くしなきゃ!」とOKを出しました。


誰からも期待されていない愛犬ルナとの生活〜その不思議な力


それからが不思議です。何も楽しいことがないと言っていた夫が得意のDIYで犬小屋を作り始め、まだ性別もわからないのに名前を付けたり、やる気が出てきたのです。

お乳が離れるまではママの傍にいた方がいいとのことで、我が家に来たのは3ヶ月ごろでした。真っ白でかわいいトイプードルでした。その日から9年間。我が家でかけがえのない存在になりました。


愛犬のルナ



「おすわり、待て」しかできないけど、いつも穏やかで私達のどちらかの膝に乗ってじっと瞑想にふけっています。吠えることもなく、孫に遊ばれても耐えています。お手伝いもしない。学力も知識もありません。そんなこと誰からも期待されていません。

でもいつも愛くるしくて存在そのものに胸がキュンとなるのです。感情も豊かです。何かが欲しい時、甘えるとき、ごめんなさいの時、体全体と目で表現します。話さなくてもちゃんと伝わります。

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青年会議所の広報委員長だった私が振り返る21世紀初頭
〜2001年 特集記事『 道しるべを探して…』4月号を題材に(上)〜

seiryuu氏の執筆記事第2弾です。
 「道しるべを探して・・・」の4月号を題材にして振り返っていきたいと思います。記事の長さや読みやすさを勘案して4月号を上中下の三回に分けて見ていきます。
 ごめんなさい、読者の皆様に最初にお断りしておきます。4月号は倫理全般を取り上げた回です。冒頭の「倫理は人間が集って、生活を営んでいく上での基盤であり、これがなければ、社会生活は成り立たないものです。」これはこれで本当にその通りだと思います。
 しかし今見れば三回の中の2回分上と中、この部分は実体験が薄い者(当時の私)が記しているので仕方の無いところではありますが、文章が拙いというか中身が薄いのです。別段、間違っていることを記しているわけではありません。ただし「倫理が崩れて大変」と新聞や雑誌、誰かが皆言っているようなことをなぞっているのに近い内容です。(勿論、倫理の崩壊は当時より今のほうがひどくこれはこれで大問題なのは間違いないのですが。)
 そしてすごく読みにくい(臭い?)ところがあります。今回掲載文書の最後のところ□で囲った文です。全体を大幅カットしようかとも考えたのですが、あえて掲載させて頂きました。ここから見えてくるものがあるからです。現代社会というより私の抱えている問題です。
(seiryuu)
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青年会議所の広報委員長だった私が振り返る21世紀初頭 〜2001年 特集記事『 道しるべを探して…』4月号を題材に (上)〜

pixabay[CC0]


特集記事 「道しるべをさがして・・・1」   2001年4月号掲載  上

倫理は人間が集って、生活を営んでいく上での基盤であり、これがなければ、社会生活は成り立たないものです。ところが昨今、新聞や雑誌だけではなく、テレビにおいても、現代文明と遺伝子に関わる最先端医学等の特集番組を通じて、倫理や、人間存在そのものを根本的に問い直す試みが、多くなされていることに、お気づきではないでしょうか。これらのことは何を意味するのでしょうか。

・現代の姿

現在、先進国と称される私たち日本の社会状況は、自由主義のもと、物質的に豊かで便利な生活を謳歌しているといえると思います。しかし、本当に私たちが、安心して、いきいきと充足した生活を送っているのかと問えば、どうでしょうか。

私たちをとりまく状況は、自然環境面では温暖化現象、ダイオキシン、環境ホルモン等の問題。社会環境では、未成年者の凶悪犯罪、麻薬等の薬物の氾濫、年間数万人の自殺者の輩出、政治腐敗、そして天文学的な国家の負債といった問題等々、数え切れないほどの病理的な現象をあらわしていることも否めない事実であり、これらの病理的な現象を生み出してきたのは、私たちの生活スタイルにあることも忘れてはならないことだと思います。

そして何よりも大きな問題は、社会の閉塞状況という言葉でよく表現されていますが、私たちが来るべき未来に対して、いきいきとした夢や希望を持ちづらい状況にあるのではないかということです。私たちにとって、夢や希望とは、充実した生を営んでいく原動力となるものであるといえます。

ところが、未成年者の凶悪犯罪、麻薬等の薬物の氾濫、年間数万人の自殺者の輩出といった問題は、私たちの社会が未来に対して、夢や希望を持ちずらい状況にあることを、端的に表現している現象だと思います。未成年者の凶悪犯罪等、これらは、いわば現実否定や現実逃避の行為です。

現在から未来へかけて、明るく豊かな展望が開けていれば、物質や経済的なものが、現在たとえ苦しい状況下にあったとしても、こういった現象は起こりにくいものだからです。精神的な空白感、もしくは飢餓感と表現すべきものをここに感じます。

この部分に関することですが、知人が面白いことを言っていました。「私たち現代人はまるで幽霊みたいになっているね。と。ご存知の通り日本の幽霊には足が描かれていません。このことは「不足」即ち「足ることを知らず、感謝できず、心身の置き場がない状態」を表現しているそうです。物質的に豊かで便利な生活を送りながらも、精神的な空白感、飢餓感を抱えながら過ごしている、現代社会の状況を巧みに表現した言葉であると感じました。


物質世界と精神世界



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振り返るとこの時代までマスメディアでよく踊っていた言葉が「こころの時代」です。「物質的には豊かになり便利になった。しかし、精神的には・・・」というフレーズが頻繁に使われていたのです。「こころの時代」をテーマとしたテレビ番組が多くありました。「物質的には豊かになったのだから、後は精神が豊かになるように。そのためには何が大事でしょうか。」といった内容で、物質世界と精神世界を分けて精神世界の大切さ優位性を訴える番組構成が主だったよう記憶します。そして当時私自身これにうなずいていたものでした。

・・・ところが、この頃は「こころの時代」、「物質的には豊かになり便利になった。しかし、精神的には・・・」というようなフレーズはさっぱり耳にしなくなりました。なぜって?「物質的にも貧しくなった(させられた)」からです。日本ではこの頃から構造改革が本格的にスタートしたのです。

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