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ままぴよ日記 91 「おうちで愛のマントラの大合唱」

家に居て、母の介護と、家業の子どもへのワクチン接種と、コロナ禍の子育て支援の事ばかり考えています。

思いが溢れても、どうすることもできないのですが、出来ない事は神様にお任せして、できる事に目を向けようと思いました。
私の生活を、関わり方を、生き方を、愛に変換していきたいです。

それは、おうちでできそうです。
(かんなまま)
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何もしなくても人が集まってきます


寒い日が続きますが、庭のフキノトウが芽吹き始めました。私の実家の桜の古木も、母の命に合わせて急いで膨らみ始めたような気がします。母が愛した桜の木です。


でも、不思議なもので、母はもう旅立つのかと覚悟した日から、少しずつ元気になっていきました。

そして、一日中ウトウト寝ている母の周りで何かが起こり始めています。4人の子ども達がかわるがわる母の所に集まってくるようになったのです。私は末っ子の一人娘です。どうしても義姉と私の出番が多くなるのですが、兄たちも介護するようになりました。

休みの前日は、兄が泊まります。日曜日は別の兄が1人で母の世話をします。平日は別の義姉がかわるがわる来てくれます。一緒になることも多く、母のベッドの周りでおしゃべりが始まります。

母を入院させていたら、こんな豊かな時間はなかったでしょう。自然におかずが飛び交い、次の当番が決まります。みんな60代から70代なので自分の終活の話になります。

日本では約8割の人が病院で亡くなります理想は自宅で自然に死を迎えたいと願っているのですが、現実は「家族に負担がかかる」「症状が急変した時の対応に不安がある」という理由で自宅介護ができないのです。

確かに介護は大変です。働き手が介護にまわったら生活できなくなります。独居老人、老々介護、ヤングケアラー、8050問題・・・あげたらきりがありません。福祉の在り方が問われています。自分の死をどう捉えるか?私達は自分の事をもっと話すべきだと思います。

そんな話をしていると、母が目を覚まします。当然のように、そこにいる者で体位を変えてオムツ交換をします。もう手慣れたものです。そして、氷にした栄養食を口に入れてあげると、いきなり「サイコー!」「おいしい~!」「ばんざーい」と言う母。どこまでも明るい母です。歯のない口の顔に見慣れてくると、くしゃくしゃになるその笑顔が可愛い。


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ままぴよ日記 90 「生ききっている母」

窓の外は雪。久しぶりに家で原稿を書いています。毎日、母の所に行っているので、母の介護日記になってしまいました。

私達は子育てと同じように介護の仕方を習っていません。今は自宅でお産したり介護する人が少なくなりました。だから家で学習することもありません。
人生で必ず直面する大事な事なのに・・・。

でも、人はその場面に直面したら、相手が何を望んでいるのか?何をしてあげればいいのか?洞察していたら知恵やアイデアが出てくるものです。今回はそれで乗り切ろうと思っています。

そのためには、日頃の人間関係が大事です。介護したいと思う関係を築いてきたか?自信はなくとも子育てしたいと思う愛が湧いてくるか?
どちらも、愛の井戸が空っぽでは頑張ることができません。
でも、そこに一緒に頑張ってくれる家族や友人がいたらできるかもしれません。
子育ても介護も同じだと思いました。
(かんなまま)
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日に日に意識がもうろうとなる母


前回、母を送る決意を書きました。あれから毎日が母中心で回っています。

母は、日に日に意識がもうろうとなり、時々無呼吸になるようになりました。苦しそうではありませんが、私達が気が付かないまま亡くなってしまうのではないかと心配になってきました。私は、夜中に母を一人にしておけなくて泊まる事にしました。

実家に泊まるなんて久しぶりです。最後にお産した時以来です。そう35年前。母の横に寝るなんて紀元前以来?(笑)

昼の疲れで睡魔が襲ってきます。でもぐっすり寝てしまったら母の呼吸の変化に気が付かないかもしれません。私の父も眠ったまま亡くなりました。病院の血圧モニターが急に下がり始めたので気が付きましたが、それがなかったら横に居てもわからなかったかもしれません。

母のそばには、血圧計も、酸素ボンベも体温計すらありません。私の感しか頼れない。「母に何かがあったら気づかせてください」と祈って寝ました。暖房器で空気が乾燥しています。入れ歯を外しているために口が開いた状態で寝ている母。古い加湿器を用意しましたが母の唇と舌がどんどん乾燥していきます。


スポンジを水に浸して口を湿らせてみましたが、すぐに乾きます。ふと、はちみつを塗ることを思いつきました。ヒマラヤはちみつを唇と舌にたっぷり塗りました。歯が一本もないので虫歯になる心配もありません。舐めてもいいし、しっとりしてきました。いい感じです!

結局、30分おきに目が覚めてしまいました。朝方、兄夫婦が来て、3人でおむつを替え、体位を変えました。3人とも介護に慣れていないため、中腰の姿勢で腰が痛くなってきました。途中で、電動の介護ベッドを高くすれば腰が楽になることに気が付きました。全て試行錯誤です。

母は目を覚まして、喉が渇いたと言いました。経腸栄養ドリンクにとろみをつけて飲ませようとしましたが、もうストローを使って吸ったり、嚥下する力がありません。口に入れて少しずつ溶けていくようにキューブ状に凍らせてみる事にしました。

成功です。冷たくて気持ちがいいのか、3個食べてくれました。小さな声で「甘露、甘露~」と言って微笑みました。思わず笑ってしまいました。

それから、少しずつ氷を欲しがるようになりました。おいしそうな米麹が手に入ったので、甘酒を作ってビワの種の粉末と一緒にミキサーにかけ、それを凍らせてみました。さて、食べてくれるでしょうか?

一口入れてみたら「おいしい~!」との事。気に入ったようです。何だか元気になってきました。3番目の兄が来て「誰かわかる?」と耳元で聞いたら「ガッテン、承知の助!」と入れ歯のない口で笑いました。もう、こんな時にも冗談です。いつもの母が蘇ってきました。

私は2晩寝ていないので、義姉と交代して家に帰りました。寝不足で時差ぼけ状態です。銀のマーラーを首からかけてサウンドテラピーの音を聞きながら横になりました。とても楽になりました。母の所に持っていって聞かせようと思いました。ただし、母は耳が遠いのでどうでしょうか?試してみようと思います。

夜もぐっすり眠ることができて朝ごはんを食べていたら、義姉から連絡が来ました。母が元気になって、一人でトイレに行くと言い張ってベッドのふちに座っているというのです。もう自分では歩けないし、今までおむつで用を足していたのに、急にトイレを思い出したようです。


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まみむのメモ(34)〈人生のステージ〉

 昨年末頃の寒波の到来とともに、みぃ(母)が要介護状態になって、生活が一変したけれど、その頃しきりに「蛍の光〜♪」と歌が浮かんできていて、人生のステージが変わったのがわかりました。
 自分のことが自分であまりできなくなった母のお世話に加えて、今まで母がしていた仕事も全部しないといけないから大変なんだけど、何気にスムーズにできる自分がいて驚きました。
 むしろ母のためにという思いが一層家族愛を育んでくれていて、母への愛しさが増した気がします。
(まみむ)
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まみむのメモ(34)〈人生のステージ〉


花桃

日向ミズキ


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むぅ

人を生産性で測り、お年寄りを粗末に扱う社会って、人生の目的がちがっているのがよくわかりますね。愛を高め幸せになることが望みなのでしたら、お年寄りを大切にすることで、愛を育むことができますよね。


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まぁ

母のお世話をする時に、赤ちゃんの頃、自分がこんな風に世話をしてもらって、育ててもらったんだと思い、ありがとうありがとうと心で思っているんだ。そうするとトイレのお世話もありがとうという感謝の気持ちになるから不思議。



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みぃ

それはそうと、年をとって栄養の吸収力が下がっているのに、断食をしてはいけないね。神様が断食ができる体ではないとおっしゃったのが良くわかった。

今回急に介護ベットが必要になったのも、ヤギの乳を配達してくださっていた方が急病でヤギを手放されてから1年近く、たんぱく質といえば豆腐や赤飯を少しずつ食べるだけだったからタンパク質が不足していたのが血液検査でわかった。たんぱく質成分のアルブミンが減ると血管から液が漏れ出すとお医者さんが話してくださった。


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まぁ

この頃はタンパク質多めの食事にしてる。母の好きな牡蠣を毎日いただくようにして、卵やかつお生節や黒豆や豆乳も常食するようにしているよ。以前豆乳にヨモギの葉を入れてヨーグルトを作っていたのを思い出して、今回は柿酢でヨーグルトにしているんだ。できたヨーグルトを少し残して次の豆乳を入れておくと、1日くらいでヨーグルトになる。
シャンティ・フーラの黒にんにくCBDオイルも母にあげている。


豆乳ヨーグルト


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[通販生活]「介護保険制度は消滅の危機にあります」介護職の報酬も利用者のサービスも削られ続け、事業者の多くは赤字、何のための保険料負担だったのか

 「*まるっと◎なんくるないさぁ~* あい∞ん在宅看取り介護」シリーズが終わりました。記事の中で、あい∞んさんが再三話されていたのは、いかに介護職の方々に助けられたかということでした。身内を精一杯在宅で介護したいと願っていても、知識や経験、個々の事情によって異なる介護現場に唯一の正解は無く、あらゆる面で支援して下さる介護職員さんの働き無くして安らかな介護は難しいと思われます。
 一方で、日本の介護保険制度の現状はどうなっているのでしょうか。雑誌「通販生活・春号」に「介護保険制度は消滅の危機にあります」という驚きの記事がありました。これは誌面記事でネット上では閲覧できないので、内容の一部を要約させていただきましたが、2000年に始まった介護保険制度が20年を過ぎた今、危機的な状況であることを服部メディカル研究所所長・服部万里子氏が解説されていました。政府は国民からの保険料はがっつり取っているのに、事業者、介護職員さんへの報酬は非常識なまでに低く抑え、現場の善意に重荷を負わせ、利用者へのサービスも削りに削ってきた経緯が報告されています。
 また別の記事では、ケアマネージャーさんの一人の利用者にかかる業務内容の凄まじさを具体的にあげ、現状では36.3人もの担当を抱える限界状態なのに、政府は赤字対策でさらに44人まで増やせとの方針を出しました。服部氏は、ケアマネージャーの増員こそが必要なのに「介護報酬が低すぎる」と根幹の指摘をされています。
 安倍前首相は「『令和の時代の社会保障=全世代型社会保障』を掲げ、(厚労相ではなく)西村経済再生担当大臣を全世代型社会保障改革担当大臣に任命した。」とあります。ここに、国の福祉を経済性で見ている政府の姿勢が見えます。高齢者福祉、児童福祉、障害者福祉、貧困支援、就労支援などあれもこれも「丸ごと化」を進めますが、どの分野も個別のきめ細やかなケアが必要な世界です。この大事な財源を削る政府に未来を託すなど不安しかありません。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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20年かけて報酬やサービスの削減の方向に進んでいきました
・2000年に始まった介護保険制度は、国民から強制的に保険料を徴収し、「いつでもどこでも必要なサービスが選べて、費用の1割負担で使える。老後は安心」と期待されていた。

・ところが、事業者に支払われる「介護報酬」は低く設定されており、介護事業者の多くが赤字

・2005年の改定から、利用できるサービスを減らし、国の元々の方針である「軽度者切り捨て・重度者中心」に舵を切った
それ以降、介護のための財源を、まだ介護の必要のない人の予防などに使い始め、軽度者の切り捨てが進む。

・国は一定額で何度でも介護サービスを使えるメリットを目指すが、事業者側にとっては一定額でたくさんのサービス提供はできない。その結果、利用者が必要なケアを受けられなくなった

・2011年、住み慣れた地域で自立した生活を送るための制度「地域包括ケアシステム」が法制化された。しかしこの「本当の目的は医療費削減」

・2014年法改定では、要支援1、2の訪問介護とデイサービスが介護保険制度から切り離され、財源の限られた市区町村の総合事業に移されたため、事業者への介護報酬を低くせざるを得ず、結果的に利用者は望むだけのサービスを受けられない

・2017-18年の改定で「財政的インセンティブ」が導入され、全国の市区町村を競わせて、要介護度の重い人やサービス利用が多いところの評価を下げ、評価の高い市区町村にお金を出すシステム。「なるべく介護にかかってはいけない」という社会的圧力が高まる懸念もある。

・服部万里子氏は「20年かけて報酬やサービスを削減し続けてきた」「国は介護保険をこのまま続けるつもりはないのでは?」と警鐘。


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*まるっと◎なんくるないさぁ~* あい∞ん在宅看取り介護10(最終回)

 あい∞んさんは介護の日々を終えられました。生前のお父様と話し合われた通り、3日間ご自宅に安置して、その翌日に火葬、そして骨葬を無事済まされたそうです。あい∞んさんはサラッと言われましたが、これを実行するのはやはり信念の要ることだと思いました。
 お見送りからすでに数年を経た、あい∞んさんの今のお気持ちを伺いました。在宅介護を選ぶということ、病院で最期を見守ること、あるいはそれ以外の事情であっても、大切なことは同じかもしれないな、と思えてきました。多くの支え、祈り、自身の心を見つめること。その中からタイトルの言葉を確信されたのかもしれません。
(まのじ)
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あい∞ん在宅看取り介護10(最終回)

Q.あい∞んさんの介護体験、当時を思い返していかがですか。

全てが終わって振り返ってみると、やってみて良かったと想う事ばかりだなぁ…と感じます。「気づきと学びの宝庫」でした。神様が与えて下さった「今までの宿題保留を解消する機会だよ~☆スパルタ式だよ~(笑)」

命に向き合って、感じて、相手を観察しつつ、今はこれが必要かな…と直感的に感じたことを実践していくような…貴重な日々を神様が下さったように感じています。

ずっとありのままの父を受け入れられなかったけれど、最後に父に色々なお世話をさせていただけて、今までのことも謝れて、父が自慢に思っていたお家を(見えるとこだけ(笑))片付け、きれいにして、お別れに来て下さった方々にお抹茶をお出ししたり、おもてなしをさせていただけて、あぁ良かったなぁ…と安心しております。

「今まで色々沢山ありがとうございました。
そして色々ごめんなさいでした…。
今世の人生、本当に本当にお疲れ様でした!!」


Q.私があい∞んさんのお話の中で一番好きなエピソードは、お抹茶とお花のところでした。お父様も喜んで聞いておられるような気がするのですよ。あい∞んさんが丁寧にお茶を点てる姿を見るのもお好きだったのではないかしら。

父は寂しがり屋で人好きな人だったので、家に様々な方々、…看護婦さんや先生や訪問入浴の皆様が訪ねてきて下さるのは嬉しいことだったかもしれません。毎回の様に「金魚が大きくて立派で凄いですねぇ!」と皆様が言って下さると、嬉しそうな顔をしていました!

♪コイじゃない~♪
金魚ぎょっっ♪


丁度季節が春だったので、近所の桜の花が咲いたことや、庭にある花が咲いたら見える場所に活けたりなど、季節の移ろいを伝えてあげたりすると良い反応を返してくれました。

春爛漫の頃には、桜やチューリップ、水仙、シャガ、鈴蘭みたいなお花などを、里山暮らしの友人が父に届けて下さって…。部屋に居ながらのお花見と素晴らしい香りに、父も「おぉ~すごい」と、とっても喜んでいてお花ちゃん達から元気を頂いている様子でした!父に「ほんとに有り難いね」と言うと「うん」と素直に返事してくれました。

父は家のお花を活ける担当だったので、父が出歩ける時には母と二人で花を買いに行っていましたが、外出しなくなってからも母が花を買ってきて、父がお仏壇・お地蔵様・玄関などの花を活けていました。父は茶道の先生をしていた時期もあり、字も上手だったし、浪曲とかも好きで風流なことが好きでした。そしてお花を活けるのも、育てるのも本当に上手だったのです。

クリスマスローズ


幾つものお花を組み合わせてセンス良く上手に活けるのって難しかったりしますが、父の活けたお花は本当に毎回美しかったです。心根が優しいから、お花の気持ちが解るのかな…。


Q.とても優しい情景ですね。

やりきった…からでしょうか、悲しい想いは無くて(^o^;) お父さん無事に解放されて良かったな~と。そして、あんなに「嫌だー!」と想っていたいろいろなお世話を乗り越えられた…と安堵の気持ち…なのかな。尿も便も、出てくれて(毒素を身体から出してくれて)ありがとう~と感謝できた自分にも驚き&ちょっと嬉しくなりました。身体さんは本当に素晴らしく素直で、学ぶことが沢山でした。

そして、あぁ…私3種―9種で良かったなぁ(*^^*)と、体癖が役立っていて感謝です!9種強めが幸いしたのか…介護の職人技を自分なりに追求(追究?)しようとした事が、色々な閃きに繋がって大変助けられた様な気がします。今まで気付けていなかった事が『あ!』と解ったりすると喜びに感じてしまい、更にマニアックに探求(探究?)したくなります(笑)

そして、感情が表に出やすい3種なので…、疑問点不安点などの気持ちも包み隠さずに看護・介護士さん方々に伝えてしまった事が幸いして、お互いに信頼感が増した事は何より嬉しい事でした!
父の好みの食べ物も、すぐにピンっと解る~(笑)



Q.おお!体癖ですか。確かに2種の私には「とてもとてもムリムリ!」と思えるお世話を心を込めてされる様子は頭が下がりました。
看護師さんのアドバイスを参考にされたり、見よう見まねでされていましたね。

看護のお仕事の大変さ、有り難さが、とっても身に沁みました!!看護師さんの言葉かけの優しさも、見習うことが沢山でした!!介護の終盤、私の限界を超えた時の自分の心は優しくないことも…(>_< ) 父のお陰で良く理解できました。

そして父が身をもって、死の過程までの身体と心の変化の過程を教えてくれたような気がします。亡くなった父に「本当にありがとうね!!」と身体をなでてあげたりお礼を伝えたりしてから、病院に電話をしました。


Q.家で介護ができてよかったですか?

もしも病院と良いご縁を頂けたなら、病院ではいつも優しい対応で接していただけて、プロの方々に安心してお任せできて、家族も心身に余裕がうまれて、いつも優しくすることに専心できるので、居心地良く旅立てるかもしれない!?と感じました。

でも私の在宅介護の場合は、後半はすったもんだ有り…家族それぞれの問題点が色々浮き彫りになってしまいましたが…、きっとそれも必要な事だったのかもしれません。

余談ですが、父の場合は、在宅介護でかかった料金も在宅入浴の料金も、「え…計算間違えてない?」って言うくらいにお安かったです。介護内容で様々に料金が決まっていますが、本人さんの負担割合の違いや、私がほとんどのお世話を自分で行ったから、というのもあるのかも知れませんが、、、本当にビックリでした!! 病院も在宅も、それぞれにメリットやデメリットがあるでしょうし、人それぞれの事情や身体の状況が異なるので…為るようになる!のだと思いました。

父の自慢だった家で、質素ではあるけれど、静かで、あたたかな、穏やかなお別れの時を過ごさせていただけたのではなかしら…。父も嬉しく感じてくれたかしら…。


Q.今は、あい∞んさんの介護をされた時期とは異なり、コロナへの対策もあって本当に大変だと思われます。あい∞んさんの体験談の中でも「祈りと全託」は、今も大事かもしれませんね。
あい∞んさんは覚えておられるかしら、ごく初期に、在宅介護を振り返って書いておられた詩があります。読者の方にもご紹介して、あい∞んさんの在宅介護体験記をお仕舞いにしようと思います。

お家で亡くなるのっていいな♪
いつものベッド、いつものお布団、いつもの見慣れたお部屋だもの。
とっても落ち着くと思うもの。

死へと向かう身体さんは、身体の中を軽く、きれいにするために、
♪おそうじ!おそうじ!大掃除!!!大忙し!!

あの手この手で、徹底的に身体の中から『出す』んだね!
そりゃあ、もう、プロフェッショナルなお仕事だったなぁ

身体さんは、すごい。
身体さんは、すなお。
身体さんは、けなげ。
身体さんは、優しい。
とっても不思議で、神秘的。。。。

あんなに痛かったところ、『痛みが無くなりますように…』
心からお願いして信じたなら、
ちゃんとその願いを聴きとどけ治まってくれたよ。

身体さんありがとう!
お願い聴いて下さって本当にありがとう!!

お願いしたら、やっぱり御礼が大事だよね♪
『ありがとう』の言の葉は、
言うのも言われるのも、いっぱいなのが嬉しくて、幸せだもの。

幸せの潤滑油なんだな~と想ったもの。

神様も、いつも見守って下さり、助けて下さるよ!!

色んなご配慮で、救いの手を優しく差し伸べて下さるから、
ちゃんと最後はお家で亡くなることが叶いました。
感謝いっぱい申し上げます。



お家で看取り!?お家で介護…ハードル高そう!?

初めてでも、きっと大丈夫。
自分自身が『大丈夫だ~ぁ♪』と想ったなら、何とかなる! なるようになる!

解らないこと色々は、
ちゃあんとプロフェッショナルな方達が優しく丁寧に教えて下さるし、
助けて下さるから大安心!

だけど、先に学んで知っておかないといけないことがあります。

知っておかないと、身体さんの大掃除が上手く出来ないことが起こるかも…しれないから。。。。
世間一般の常識は、身体さんからしてみたら『それ非常識だよ~』ってなることを、
先に皆様方々から色々学ばせていただいていたから…、

大安心で、
ありのままを受け入れられて、
なるようになり、

すったもんだ色々反省することが沢山あったとしても、

結果『あぁ良かったなぁ…』と。

みんな『死』を素直に迎え入れられて、
ほっとした空気の中を過ごさせていただけたのだと…ただ感謝の想いです。


看取り介護は学びと気付きの宝庫なのでした。
そして総合芸術だなぁと想ったし、身体は命は美しかった。。。。


今まで見えていなかったことに、光があたったんだね。

自分自身の限界を超えた時、今の本当の自分の内面を知る。

あぁ…だめだめだなぁ…と、良く解ったからこそ、
浄化の大切さがより納得できて身に沁みる。

自分の中の大きな囚われ、ずっとずっと手放したかった想い、
命と命で向き合う貴重な機会を頂いた
から…

やっと水に流すことができたんじゃないかなぁ…と思う。

いっぱいの気付き
いっぱいの学び
いっぱいの貴重な経験


最後にちゃんと向き合えて、良かったなぁ!

本当にありがとうございました。
本当におつかれさまでした。

感謝しないといけないこと、
当たり前じゃないこと、
大切なことを沢山沢山教えていただきました。

人生のご卒業に敬愛と感謝を込めて。
あい∞ん


「なんくるないさー」は、挫けずに正しく歩むべく努力すれば、いつか良い日が来る、という意味だそうです。生きている中で沢山の色々な事が起こるし、沢山挫折もするけど、「まるっ」と今を受け入れて、「なんくるないさぁ~」を心の杖にして生きれたなら良いな~♪
(あい∞ん)