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持続化給付金の経産省よりもっと悲惨な観光庁のGoToトラベル 〜 事業開始後、未だに事務局なし、人数揃わず、外注・委託先不明のムチャクチャ

 22日に本当にスタートさせてしまった「GoToトラベル」キャンペーンですが、同じ22日に野党合同ヒアリングが行われました。そこで明らかにされたことは、これまでの疑惑満載、傲岸不遜な経産省の持続化給付金事業のさらに上を行くデタラメぶりでした。これほどの内容が大きく取り上げられないことも異常です。BLOGOS元記事では、重要な部分の書き起こしがありますが、こちらでもまとめました。野党のもっともな質問に対して、観光庁がどれほどひどい答弁をしたか、この動画は今の政権の崩壊ぶりを如実に表していました。
すでに事業は開始されているのに、その受託する事務局はまだ無く、観光庁担当者も事務局の住所、人数、事業内容を把握していないのでした。受託事業費1800億円、これ本当に事務費に消えるのでしょうか?白昼堂々の公金横領になりませんか?
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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観光庁担当者も知らなかったGo To事務局の詳細 「8月から設置」説明に野党議員も呆れ
引用元)
22日、国による観光支援策「Go To トラベル」キャンペーンが開始された同日に国会では、持続化給付金および同キャンペーンに関する野党合同ヒアリングが行われ、事務局の体制が整っていないことが判明している。このヒアリングで、野党議員が事務局の実態について追求した一幕が話題になっている。

事業費として1800億円を委託した事務局の人員について、原口一博議員(国民民主党)から質問された観光庁の担当者は「人員の詳細については今手元に資料を持ち合わせておりません」と回答所在地については「知っている職員もおります」としながらも、自身では回答できないとした

ヒアリングを中断し、担当者が携帯電話で別の職員に連絡をするという異例の展開になったが、「知っておる人間がすべて出払っておりまして、連絡がつきません」と話した。

その後、事務局の場所が判明したものの、現在はまだ設置されていないことがわかり、担当者の「8月から場所として設置されるんだそうでございます」との説明に、野党議員からも思わず笑いが飛び出していた。
(以下略)

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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第30話 ― 日露戦争の影の立役者

 自ら望んで「護国の鬼」となったある人物がいます。その人物の名前は明石元二郎ウィキペディア記事によると台湾総督に就任し、台湾軍の初代司令官も兼務し、周囲からは次の総理大臣を期待される中の1919年10月、志し半ばで郷里の福岡で55歳で死去したのが明石元二郎です。
 彼は死に際し「余の死体はこのまま台湾に埋葬せよ。いまだ実行の方針を確立せずして、中途に斃れるは千載の恨事なり。余は死して護国の鬼となり、台民の鎮護たらざるべからず」と遺言したとのこと。
 この遺言に従い、彼の遺骸は福岡から台湾に移され埋葬されたとあります。激烈な生涯を遂げたであろう明石元二郎は別のことで有名でもあります。日露戦争における諜報工作で、明石元二郎の諜報戦によって日露戦争で日本は勝利を得たともされるのです。日露戦争の影の立役者です。
 日清戦争が終結したのは1895年、日露戦争が開戦したのは1904年です。この間僅かで10年も経っていません。日本とロシア、その国力には大きな開きがあり、普通に見れば日本にとって日露戦争は無謀な戦争といえるでしょう。日露戦争で日本が有利に戦局を進められると見ていた国家はほぼ皆無だったのです。その中、意外にも日本は善戦をします。
 ただし、開戦の翌年には日本の戦闘体力はつきようとしていました。その状況下で、ロシアが日本に有利な講和に応じざるを得なかったのはロシアの国内事情からです。革命運動の激化による国内不安がそれで、これを喚起させたのが明石元二郎とされるのです。
 もともと日露戦争を強く誘導したのはロスチャイルドです。ロスチャイルドの帝政ロシア打倒作戦の一端が日露戦争だったのです。それと日本国内にも日露戦争を強く推し進める勢力がありました。それが福岡を本拠とする玄洋社です。明石元二郎も玄洋社の社員だったのです。
 玄洋社は八咫烏の政治組織です。自ら望んで「護国の鬼」となった明石元二郎は八咫烏の一人だったのでしょう。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第30話 ― 日露戦争の影の立役者

日露戦争の帰趨を決めたロシア国内事情 〜戦闘では敗北していた日本


明石元二郎
Wikimedia Commons [Public Domain]

明石元二郎1904年に始まった日露戦争における日本側の最重要人物が彼でしょう。明石元二郎の諜報戦の働きによって日露戦争で日本の勝利が導かれた、ともされているのです。

日露戦争は、一応は日本が勝利したことになっています。しかし少なくとも、それはいろんな意味で「苦い勝利」と言わなければならないでしょう。

一例を上げます。戦死者数です。「人間自然科学研究所」のデータによると日露戦争の戦死者は日本側は11万5600人、ロシア側は4万2600人となっています。意外なことに日本はロシアの3倍近い戦死者をだしているのです。

戦死者の数を比較し戦闘という観点に絞って見るならば、敗者は明らかに日本側です。日本側は自国兵士を消耗品として扱った大苦戦のすえにようやくロシアとの講和に持ち込んだのです。前回リンク資料とした藤原彰氏著『天皇の軍隊と日中戦争』では次にある通りです。

兵士の生命を尊重せず、生命を守る配慮に極端に欠けていたのが日本軍隊の特徴であった。(中略)...日露戦争の場合は兵士を肉弾として戦い、膨大な犠牲を出した。火力装備の劣る日本軍は、白兵突撃に頼るばかりで、ロシア軍の砲弾の集中と、機関銃の斉射になぎ倒された。(中略)...旅順だけでなく、遼陽や奉天の会戦でも、日本軍は肉弾突撃をくりかえし、莫大な犠牲を払ってようやく勝利を得ている。

大国ロシアを相手の日本の戦争はやはり無理があったのです。

第一軍司令部と観戦武官
Wikimedia Commons [Public Domain]

しかし、日本が苦戦を強いられながらもロシア相手に有利な講和条約にこぎつけられた、これはロシア国内の革命運動による国内不安からだったのです。近・現代編の第6話に次のように記した通りです。

1904年には日露戦争が勃発します。風刺画に描かれていますが日本にとっては、国力がまるで違うロシアが相手で、尻込みするのを英国と米国にけしかけられた戦争といえるでしょう。日本は開戦近くまで戦費の調達すらままならなかったのです。ところが予想外にも開戦から日本は連勝を続けます。しかし翌年には日本の体力は尽きてきていました。

そのような1905年、ロシア国内では1月のガポン神父率いるデモ隊への軍の発砲にて多数の死傷者がでた「血の日曜日事件」をきっかけとして、第一次ロシア革命が起こります。「日露戦争当時、ユダヤ人たちは『ロシア政府の敗北』というスローガンを掲げて革命運動を展開」「第一次ロシア革命の嵐がロシア全土を襲った」(イワノフ氏)のです。国内が荒れ不安定化したロシアは、既に体力の尽きた日本と不本意ながらも米国の仲介で9月に講和条約を結びます。


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「この国はもうかなり壊れてきている」孫崎享氏が指摘された過去の不審な都知事選データが今回もピタリと当てはまっていた

読者からの情報です。
不正選挙のグラフです。やはり、出てきました!
withJ&Eさんが過去の都知事選の不正選挙のグラフを検証をされ、今回の都知事選のグラフも作ってくださってます。

今回は猪瀬票に0.84掛けたら小池票とほとんど重なります!!
また、竹下先生の記事を知り、山本太郎さんと小野さんの23区のグラフも作成されてます。
こちらもピッタリ!
選挙区の開票人数×60%してみると小池票と重なる!

これらのグラフや先日、竹下先生が紹介されたグラフを見ても、不正選挙を疑わない人はまだ、いるのでしょうか・・・

ありえない偶然ですね!
本当にカイロ大主席卒の女帝がトップ当選だったのでしょうか・・・

あべぴょんたちの、国民の批判にすら「どこ吹く風」の破茶滅茶さも私たちが不正選挙を疑っていないという慢心から来るものではないでしょうか・・・
今回の都知事選の不正選挙を明らかにしなければ、次の衆議院選でも自公の勝利となるでしょう。
支配層にとって邪魔ものは落選の運命に。
今、彼らが一番恐れているのは山本太郎代表(れいわ新選組)です。次の選挙でも落選させられる可能性があります。
1%側の無法にSTOPを!!
拡散してください! 影響力のある人に伝えてください!
東京都知事選の不正をみんなで暴きましょう!
正義が行われますように・・・♡
(匿名)
 こうした検証をせぬまま不正選挙が陰謀論であると決めつけ、不正選挙を告発する人々を貶める発言をする人が居ることが不思議でなりません。
不正選挙があると考えるか、ないと考えるか、いずれにしても検証作業をすれば良いと思うのですが。
選管が率先してフルオープンにし潔白を証明して見せれば、たちどころに解決することが、な・ぜ・か、それもなされない。
お賽銭マンさんにとっては、もう何度も提示してウンザリでしょうの「ムサシのソフト」情報ですが、今回も最後に拝借しました。
(まのじ)
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配信元)

ジワジワと若い人を中心に感染が広がっている中、県内初の感染者への警戒感が高まる岩手県

竹下雅敏氏からの情報です。
 7月18日の記事で、“他県から、「GoToトラベルキャンペーン」で無症状感染者が大量にやって来るとなると、地方がいくら頑張っても限界がある”とし、日本を守る不思議な力「ファクターⅩ」も、“他県から来る旅行客の前では、完全に無力化されてしまう”とコメントしたわけですが、新型コロナウイルスの感染者が確認されていない全国唯一の都道府県である岩手県では、「1人目になりたくない」「最初の感染者を出したくない」という警戒が高まっているとのことです。
 岩手県の達増拓也知事は、「第1号をとがめない。決して後ろめたく思わないで」と強調したと言うことですから、遠からず県民の恐れる第1号が出ると見て良いのではないでしょうか。
 ツイートを見ると、第1波とは異なり病院は比較的落ち着いているように見えますが、ジワジワと若い人を中心に感染が広がっている様子が窺えます。qqdoctor さんは「控えめに言って現場がヤバいことになってきている」と言っていますが、医療関係者の疲労が限界に近付いてきたのではないでしょうか。
 「第二波、三波は防げないだろう」というツイートがありますが同感です。現場の医師で、“新型コロナウイルスはただの風邪”と思っている人はいないでしょうが、安易に考えている人が多すぎるように思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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「絶対帰るな」「第1号だと生きていけない」 感染ゼロの岩手で高まる緊張と圧力
引用元)
画像はシャンティ・フーラがツイートに差し替え
 
旅行需要喚起策「Go Toトラベル」が始まるなか、新型コロナウイルスの感染者が確認されていない全国唯一の都道府県になって3カ月以上たつ岩手県では「1人目になりたくない」「最初の感染者を出したくない」という警戒が高まっている。
(中略)
東京都在住の男性(26)は6月下旬、盛岡市にある実家への帰省を父に無料通信アプリ「LINE(ライン)」で相談した際(中略)… 父は「岩手1号はニュースだけではすまない」とたしなめていた。
(中略)
達増知事は記者会見で(中略)… 「感染者が出ないことは好ましいが、第1号になっても県はその人を責めない。県民も優しく接してあげてほしい」と発言。6月にも、再び「第1号をとがめない。決して後ろめたく思わないで」と強調した。
(以下略)  
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配信元)
 
 
 
 
 
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まみむのメモ(31)〈時代の要求〉


 この度の大西つねきさんの命についての発言で、れいわ新選組を除籍というショックな出来事があり、日頃おぼろげに考えていた死について、改めて考えさせられることになりました。
 これまで家族として暮らしてきた犬や猫の天晴れな死に方を思い出しています。
(まみむ)
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まみむのメモ(31)〈時代の要求〉


ヤマトシジミ蝶

ノイバラ


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まぁ

犬が亡くなる1か月くらい前だったか、まだ散歩ができている頃のこと、お気に入りの山際に水路のある木々に挟まれた道を歩いていた。すると不意に「お別れです」とテレパシーが聞こえた。その時は犬の言葉とは気がつかなかった。


木立


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むぅ

犬には死期が迫っていることがわかっていたのですね。


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まぁ

満月の夜、血を吐いて、まぁの腕の中で死んだ。


満月


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みぃ

お月様が導きますとおっしゃった。


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