3人のパレスチナ難民
ドイツの
ベルリンでは、
3人のパレスチナ人に出会いました。
第2楽章でお話した、シリア難民のお医者さんは、
パレスチナ人でもあり、シリア人でもあります。
つまり、
1世代前は、
パレスチナからシリアに逃げて来たのです。
また、語学学校には、もうひとり、
パレスチナ人のシリア国籍の方がいました。
家探しをしている時も、パレスチナ人に出会いました。
10年くらい前にベルリンに来たと言っていました。
もう一人出あったパレスチナ人の方は、
ベルリンで生まれたと。
だから、もう
30年以上前、親世代が
ベルリンに来ていたことになります。
パレスチナ難民として、
いつ頃ベルリンに来たのか・・
ということを考えると
1948年にイスラエルが建国されて以来、
徐々に
イスラエルがパレスチナの領土を
占拠していくにつれて、
パレスチナ難民が増えていったのです。

1948年のイスラエル独立宣言 GPO[CC BY-SA]
3回にもわたる、イギリスの嘘つき秘密外交
パレスチナ人が難民になってしまった理由は、
イギリスが第1次世界大戦の中でとった
3回の嘘つき?秘密外交に由来するのです。
あれ?
ヤマ・二ヤマの原則に
違反していますね。
嘘をついたり、人を傷つけたり
してはいけないのです。
サイクス・ピコ協定では、
イギリスは、アラブ人との約束をしながら、
中東をフランス・ロシアと
3分割をする秘密の協定を結んでしまいました。
フサイン・マクマホン協定では、
オスマン帝国打倒への協力を見返りに
アラブ国家の建設を約束していたはずですが・・
バルフォア宣言にて、
ユダヤ人国家の建設を約束したのです。
1917年のバルフォア宣言から
100年が
経過したわけです。
めちゃくちゃですね。
イギリス人の性格によるものでしょうか・・。
イギリス人の世界支配者、策略家たちは、
あまりにもインド人の綿織物の手織りが
素晴らしくて、繊細なことに驚愕して、
これでは、産業革命の機械が売れないということで、
インド人の綿織物職人の手を切り落としたとか。
それって、
現在ファストファッションが
世界中大流行りで、大量生産を優先して、
労働を請け負うパキスタン人などの
労働条件、環境を悪化させて、
同時に、丁寧に洋服を製法する
職人たちの
機会を奪っている構図と同じなのかもしれない。
もしかして、イギリスの支配者、策略家たちも
パレスチナ問題などでこんなことをしているのかもしれないと
ウフフと連想させる、ミスタービーンの策略シーンとは・・・。
1:05~ 救急車の後ろに車を止めて、救急車から病人を出られなくするシーン
1:45~ 女の子の人形を投げて、前の順番を取ってしまうシーン
2:07~ 前の2人の男性にちょっかいを出して、前の人と喧嘩をさせて、前の順番をとるシーン
2:50~ 席をすばやく分捕るシーン
4:05~ 全身包帯巻きの女性の番号表とすり替えてしまうシーン
パレスチナ人を支援するツイート
カイロでは、
エルサレム支援のために
アズハル世界会議が開かれ、
パレスチナのマフムード・アッバース大統領は、
イスラエルに占領され、困窮するパレスチナ国民への
支援と寄付を切実に訴えかけました。
教育やメディアなどで、
正しい情報を伝えていきたいですね。
宗教問題とか、テロとかの言葉で
安易に片付けないように。
ユダヤ人とアラブ人との連帯を音楽を通じて解決しようとしたダニエル・バレンボイム
ユダヤ人とアラブ人との連帯を音楽を通じて
解決していこうとする、
世界的に有名な、指揮者、ピアニストの
ダニエル・バレンボイム。
ダニエル・バレンボイムは、
ユダヤ人と
パレスチナ人(アラブ人)との連帯の意思表示として
イスラエル人の入植地区
ヨルダン川西岸地区において
演奏活動を行ってきた。
ユダヤ人であるダニエル・バレンボイムは、
ウェスト・イースタン・ディヴァン管弦楽団を
パレスチナ系文学者、エドワード・サイードとともに
設立した。
団員は、イスラエル、ヨルダン、レバノン、シリア、などの
ユダヤ人、アラブ人共存の若者たちである。
バレンボイムは、クネセト(イスラエル国会)のセレモニーにおいて、ウルフ賞芸術部門を授与された。この機をとらえて、バレンボイムは政治状況について、次のような持論を唱えた。これによって、イスラエルの元首と数名の国会議員から名指しで非難された。
心に痛みを感じながら、私は今日お尋ねしたいのです。征服と支配の立場が、はたしてイスラエルの独立宣言にかなっているでしょうか、と。他民族の原則的な権利を打ちのめすことが代償なら、一つの民族の独立に理屈というものがあるでしょうか。ユダヤ人民は、その歴史は苦難と迫害に満ちていますが、隣国の民族の権利と苦難に無関心であってよいものでしょうか。イスラエル国家は、社会正義に基づいて実践的・人道主義的な解決法を得ようとするのではなしに、揉め事にイデオロギー的な解決を図ろうとたくらむがごときの、非現実的な夢うつつにふけっていてもよいものでしょうか。
結局、
この地域の争いの本質は、
お金に目が眩んだ、石油戦争でしょうか・・。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7922
Writer
ユリシス
311を機に息子と共に、東京からシアトル、2012年ケアンズ、2015年ベルリンへと移住。
ユリシスの名前は、ケアンズ近郊でみられる見ると幸せになると言われる青い蝶から命名。
幸運にもケアンズの家の近くでペアのユリシスに遭遇したので、それを思い出し・・。
映像配信、東洋医学セミナーなどシャンティフーラでの学びが大好きです。
体癖1-8
制度面では議員の特権を無くし、有罪判決を受けた政治家は国会を去ることを要求しましたが、よく考えると全くもって当たり前なのに、素晴らしく画期的に思えます。
「議員に選ばれたら給料を半減させることを承認できる」など、いくつかの党の条件をクリアすれば、誰でもオンラインで、しかも1ユーロも支払うことなく立候補できる!日本の高額な供託金制度を思うと、夢のように政治が身近で、事実、意欲的な立候補者が地方レベルから国政レベルまで、次々と議席を獲得していきました。
党内作業での様々な検討に大活躍したのが、いくつものアプリです。子供達の自由な発案を形にしたようなユニークなシステムがたくさん紹介されます。党内の選挙でも直接民主主義を可能にし、党員達でマニフェスト作成ができる「ルッソ」、党員や市民が一緒に法案を作成できる「LEX」、全ての議員が提案した法案を話し合える「シェアリング」、無料の議員養成コースもある「E・LEARNING(学ぶ)」、「インターネットの盾」では弁護士が議員を法的に守る方法を検討し、そして最も重要なのが、政治運動の資金を集めるアプリです。「五つ星」は全て市民の少額寄付で成り立っているので、市民以外の大企業などからコントロールを受けることはないのです。
圧巻なのは、講演後の質疑応答でした。「五つ星」が単なる市民の寄せ集めではなく、しっかりした人間関係を築きつつ拡大してきたことが窺える、多くの新鮮な言葉があります。
「五つ星」の成功にインターネットは欠かせないツールですが、しかし彼らは実際に広場に行き、人々と直接対話をすることも同じくらい重視します。「意見の違う人と話し合いたい場合、対面で話し合わなければ意思疎通ができない。」多くの人々と運動を作り上げてきた経験を垣間見るようです。
どこにでも居る政治に無関心な人々に対しては、全く批判的ではなく「彼らは正しい。」と私達の目を覚まします。「無関心の人を動かすには、彼らに決定権を与えること。」
「五つ星」が大きな共感を呼んだのは「偉大な政治的観念ではなかった。地域の最も素朴な問題を解決することからすべてが始まっていく。」つまりは「五つ星」に共感した人々の地道な活躍があったのでしょう。
イタリアの難しさを物語る通貨について「イタリアは自分たちの貨幣を印刷する権限がない。貨幣をコントロールするものは、権力をもコントロールする。」しかし、この経済的な足枷すらも「五つ星」は粘り強く克服しそうです。
前提として人間への絶対的な信頼を感じる「五つ星」ですが、しかしシビアな対策も持っています。
「邪悪な目的のため、または自分の利益のためだけに入ってくる人を追い出すシステムを作っている。私たちにとって外部からの攻撃よりも内部からの攻撃の方がダメージが大きいからだ。」これも幾多の苦い経験から得た知恵なのかもしれません。
また、女性議員の割り当て枠を作ることは反対で、「私たちがなにもしなくても、選ばれた国会議員の50%が女性だった。」邪魔さえしなければ、おのずと女性に票が集まる現象を讃えて「女性というのは、本来、守られるべき(弱い)存在ではないのだ。」と、茶目っ気たっぷりです。
やはりイタリアの国民性でしょうか、とどめはこれ。
「政治活動が退屈であってはいけないと思う。私たちの人生において、喜びや楽しみはとても重要なことなのだから。」