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イタリアで勝利した「五つ星運動」が教えてくれること(後編):長周新聞より

 既存の政治家も報道も全くアテにならないと知った「五つ星」が、自ら政党を立ち上げたのが2009年。生活者目線の達成可能な、しかしこれまでの政治では到底不可能な、5つの目標を掲げました。
 制度面では議員の特権を無くし、有罪判決を受けた政治家は国会を去ることを要求しましたが、よく考えると全くもって当たり前なのに、素晴らしく画期的に思えます。
「議員に選ばれたら給料を半減させることを承認できる」など、いくつかの党の条件をクリアすれば、誰でもオンラインで、しかも1ユーロも支払うことなく立候補できる!日本の高額な供託金制度を思うと、夢のように政治が身近で、事実、意欲的な立候補者が地方レベルから国政レベルまで、次々と議席を獲得していきました。
 党内作業での様々な検討に大活躍したのが、いくつものアプリです。子供達の自由な発案を形にしたようなユニークなシステムがたくさん紹介されます。党内の選挙でも直接民主主義を可能にし、党員達でマニフェスト作成ができる「ルッソ」、党員や市民が一緒に法案を作成できる「LEX」、全ての議員が提案した法案を話し合える「シェアリング」、無料の議員養成コースもある「E・LEARNING(学ぶ)」、「インターネットの盾」では弁護士が議員を法的に守る方法を検討し、そして最も重要なのが、政治運動の資金を集めるアプリです。「五つ星」は全て市民の少額寄付で成り立っているので、市民以外の大企業などからコントロールを受けることはないのです。 

 圧巻なのは、講演後の質疑応答でした。「五つ星」が単なる市民の寄せ集めではなく、しっかりした人間関係を築きつつ拡大してきたことが窺える、多くの新鮮な言葉があります。
 「五つ星」の成功にインターネットは欠かせないツールですが、しかし彼らは実際に広場に行き、人々と直接対話をすることも同じくらい重視します。「意見の違う人と話し合いたい場合、対面で話し合わなければ意思疎通ができない。」多くの人々と運動を作り上げてきた経験を垣間見るようです。
 どこにでも居る政治に無関心な人々に対しては、全く批判的ではなく「彼らは正しい。」と私達の目を覚まします。「無関心の人を動かすには、彼らに決定権を与えること。」
 「五つ星」が大きな共感を呼んだのは「偉大な政治的観念ではなかった。地域の最も素朴な問題を解決することからすべてが始まっていく。」つまりは「五つ星」に共感した人々の地道な活躍があったのでしょう。
 イタリアの難しさを物語る通貨について「イタリアは自分たちの貨幣を印刷する権限がない。貨幣をコントロールするものは、権力をもコントロールする。」しかし、この経済的な足枷すらも「五つ星」は粘り強く克服しそうです。
 前提として人間への絶対的な信頼を感じる「五つ星」ですが、しかしシビアな対策も持っています。
「邪悪な目的のため、または自分の利益のためだけに入ってくる人を追い出すシステムを作っている。私たちにとって外部からの攻撃よりも内部からの攻撃の方がダメージが大きいからだ。」これも幾多の苦い経験から得た知恵なのかもしれません。
 また、女性議員の割り当て枠を作ることは反対で、「私たちがなにもしなくても、選ばれた国会議員の50%が女性だった。」邪魔さえしなければ、おのずと女性に票が集まる現象を讃えて「女性というのは、本来、守られるべき(弱い)存在ではないのだ。」と、茶目っ気たっぷりです。
 やはりイタリアの国民性でしょうか、とどめはこれ。
「政治活動が退屈であってはいけないと思う。私たちの人生において、喜びや楽しみはとても重要なことなのだから。」
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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本当の市民革命をおこすには ーイタリアを席巻する五つ星運動を語るー
転載元)

直接民主主義の行使へ


 政党としての五つ星運動は2009年、聖フランシスコ記念日にあたる10月4日に結成された。五つ星は、

①公的な水源確保
②持続可能な公共交通手段
③環境保護
④インターネットアクセス権
⑤持続可能な成長

5つの大きなテーマを目標にしている。

 さらに議員の特権をなくすように要求した。市民の上に立って、自分たちが金もうけをするようなシステムを廃止し、有罪判決を受けた政治家が国会に参加できないように要求した。国政と市町村の議会が透明性を持つことも要求した。そして、市町村からはじめ、国政に至るまでいろいろなところで立候補者を擁立した。

 立候補者には、これまで見たことのない新しい人を立てた。まず犯罪歴のない人、議員に選ばれたら給与を半減させることを承認できる人、他のどの党にも属していない人、このような条件を満たした人は誰でもオンラインで立候補者として名乗り出ることを可能にした。履歴や考え方を動画などで投稿し、誰でも立候補できる。五つ星運動の党員たちは一ユーロも払うことなく、彼らに投票できるようにした。

 2010年には、市町村レベルの地方選挙に参加した。そのときに議員が34人、市長が4人選ばれた。2012年には南部シチリア州の州知事・議会選挙に参加し、14・9%の票を得た。そして2013年、つまり結党から4年後に国政総選挙に参加した。そこで私たちは約900万票、全体の25%にあたる票を得ることができた。

 そして私たちは、4200万ユーロ(約55億円)の公的な政党助成金の受けとりを拒否した。その後の総選挙で、下院議員89人、上院議員35人が当選した。その後、EU議会の議員として15人、市町村の議員96人、そして45人の市長を生み出した。現在は、市町村レベルで五つ星運動の党員としての議員は2000人以上いる。2016年には、トリノと首都ローマで、五つ星運動出身の2人の女性が新市長に選ばれた。

ローマ市長のビルジニア・ラッジョ(左)とトリノ市長のキアラ・アペンディーノ



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イタリアで勝利した「五つ星運動」が教えてくれること(前編):長周新聞より

 3月5日、イタリア総選挙の結果、新政党「五つ星運動」が躍進というニュースが流れました。以前に、しんしん丸様がイタリア社会の奇跡と紹介された、あの「五つ星運動」です。大手メディアからは単に「反体制派政党」「ポピュリズム(大衆迎合主義)」と決めつけられていますが、イタリア一国のみならず、EUそして日本にもインパクトのある出来事でした。長周新聞が見事、その本質に切り込んだ選挙解説をされました。また「五つ星運動」自体についても、その背景や運動の内容を丁寧に伝える記事があり、今の日本にとって大変参考になると思われます。2回に渡って、長周新聞からご紹介します。

 まず、今回の選挙について、リーマンショック後に典型的な経済植民地となり、貧困層が3倍になるほど痛めつけられたイタリア国民が、右派左派どちらに転んでも「IMF、EU、欧州中央銀行(ECB)の内政干渉政権」になるのが二大政党制だと理解し、腐敗と汚職の政権を拒否して、国民が直接政治に参加する政治制度を求めて選んだのがこの「五つ星運動」でした。「五つ星」は、2009年から政党となり、またたく間に地方議員や市長、州知事を送り出すなど急速に勢力を拡大し、今回は総選挙での勝利に至りました。
 では、「五つ星」は新星のように現れて、いきなり成功したのでしょうか。
来日したリカルド・フラカーロ氏の講演内容は、様々な示唆と人間洞察に満ちた「五つ星」の経過が語られます。まずは、政党に到るまでの軌跡を見ますと、、。
 そも市民革命が成功する背景には、歴史的に2つの要素、エネルギーと情報の革新があると言います。今はまさに再生可能エネルギーとインターネットが新時代への革新的要素ですが、「五つ星」躍進にも、この2つは重要でした。
 またイタリアでは「情報を得て、問題意識を持ち、その解決策を自分の頭で考えることができるのに、自分たちでその解決策を実現することができない」という日本でもおなじみの政治状況に苦しみ、具体的には、本来国民の使用人である議員が、国民に仕えることなく汚職で権力を濫用し、国民に主権がないことへの不満が高まっていました。
 そんな時、人気のコメディアンが政権批判を理由にテレビ業界から追放され、独自のショーで人々を揺さぶり始めました。多くの人々を啓発していたところに、IT専門家と出会い、ショーの対象は一気に世界規模となりました。しかも一方的に発信するのではなく、市民同士がネット空間で議論や協力をし、さらにはそれらを現実の世界へ移して政治的提案を作成し、政治家たちへ働きかけました。まさに草の根からの大規模なムーヴメントを何度も起こしました。ところが、政治家もメディアも全く動かない。それを知った国民は、当初自分達が政治家になるなど考えていなかったのに、ついに政党を結成して直接働きかける手段を選びました。コアとなる二人の勇敢な創設者がいてくれたラッキーはもちろんありますが、政治的無力に諦めないイタリア国民の熱い思いが、「五つ星」を運動から政党へ育て上げました。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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イタリア総選挙 既存政党凋落のもとで五つ星運動が第1党に躍進
転載元)

首相候補のルイジ・ディマイオ(中央・31歳)と元党首のベッペ・グリッロ(左)


 イタリアで4日におこなわれた総選挙で、新政党「五つ星運動」が上下両院で最多議席を確保し、第1党に躍進した。
(中略)

だが、今回の選挙からは40%以上を得票した政党に自動的に過半数議席が与えられる「ボーナス制度」が廃止されたため、政党単独で過半数(158議席)に届かない場合は政党間の協議による連立政権を模索することになる。この選挙制度の改定は、国民的な支持を広げて躍進する五つ星運動などの新興勢力に政権を奪われることを危惧した民主党や右派連合の二大政党が推進し、昨年成立させていた。

今回の総選挙は、表面上対立する格好をとりながら国民を欺瞞してきた左右の既存政党と、その政治構造の根本的な変革を求める国民世論との対決となった。

 イタリアでは、リーマン・ショック後の金融危機で財政が悪化し、中道右派のベルルスコーニ政府のもとで2011年11月にIMF(国際通貨基金)の監視下に入り、二大政党の片方を担ってきた民主党政府に移行してからも、政治中枢をIMF、EU、欧州中央銀行(ECB)の通称「トロイカ」関係者が握り、国民の主権を無視した徹底した緊縮策を実行してきた。

貧困層は10年で3倍に膨れあがり、全人口の8%に及ぶ500万人が生活必需品すら買う経済力がないほどになり、IMFは昨年、「国民の29%が貧困層に転落する」との調査結果を報告している。周辺国からの移民流入に加え、イタリア人自身が移民となって欧州各地や中国、米国へと移住する事態が社会問題となっている。

(中略)

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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた難民問題、移民問題 ~第7楽章 トルコの外国人労働者も2世代目、3世代目

第6楽章のパレスチナ人に出会うに引き続き、
第7楽章のトルコ人外国人労働者も、2世代目、3世代目です。

ドイツのベルリンには、トルコ人が多く住む
地域がいくつかあります。
トルコ人は、人数が多いので、コミュニティーが発達して
集団で固まっている傾向があるのです。
(ユリシス)
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ドイツでのトルコの影響


戦後、1950年ごろ、高度経済成長した
当時の西ドイツは労働力不足で
した。
外国人の労働力に期待をするしかなかったのです。

pixabay[CC0]


1955年にイタリア、1961年にトルコ、
1968年に旧ユーゴスラビアとの労働協定を結びました。

その後、トルコ人の外国人労働者が一番多くなったのです。
現在、ドイツの人口が8000万人のうち、
外国人が8.2% で、そのうちトルコ人が25%
で、300万人くらい
と言われています。

ドイツのベルリン発祥のドネルケバブサンド。
しかし、ケバブは、トルコ料理です。
1960年にトルコから移民したヌルマンさんが
1972年にベルリンでケバブサンドを屋台で売ったのが
はじまり
です。

opencage[CC BY-SA]


ベルリンには、1000以上のドネルケバブサンドの
お店があり、とても人気
ですが、
これは、トルコ移民が頑張ってきた賜物です。

あるトルコ人の方に質問を投げかけてみました。

Q・ベルリンで生まれたのですか?
A・自分の親世代の前のおじいさん、おばあさんの世代が
トルコからベルリンにやってきた。
だから、ベルリンで生まれて、ベルリンで育った。
トルコから移民して3世代目です。


Q・ドイツで育ってきて、どうでしたか?
A・良い点と悪い点がある。ドイツ語、英語、トルコ語を
すべてネイティブに話せることが良い点だが、
自分はドイツ人なのか、トルコ人なのかわからない
ことがある。

Q・人種差別などを感じますか?
A・私は特に感じないが、人種差別の感じ方は、
環境によって、人それぞれだと思う。就職などで、
あるといえば、あると思う。

このような率直な回答が返ってきました。

質問をさせていただいたトルコ人の方は、
トルコの第3の都市イズミルの出身。
トルコの首都は、アンカラで、第1の都市は、
イスタンブール
になります。

イスタンブール WikimediaCommon[CC BY-SA]


第3の都市イズミルは、地中海に面し、
現在、シリアの難民たちのボートの出発点でもあります。

イタリアのような雰囲気で、オリーブオイルを
ふんだんに使う料理がたくさんあるようです。
トルコ料理とギリシャ料理の起源争いもあるそうです。

イズミル WikimediaCommon[CC BY-SA]


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ドイツの再生可能エネルギーを支えるのは、なんと日本の最先端?の蓄電技術!

 中国が”2050年に再生可能エネルギーを全電力の80%にする”と宣言したことを天晴れにおもい、他の国の事情を調べてみました。
 すると、ドイツも”再生可能エネルギーの拡大”と”原子力からの脱却”を柱に、国全体のエネルギーの需要構造を抜本的に変革しようとしていて、中国と同様に2050年には再生可能エネルギー80%へと向かうべくすでに実証プロジェクトを始動させているとのことです。しかもそのドイツの再生可能エネルギーを支えているのは、なんと日本の最先端?の蓄電技術というではないですか!
 日本は蓄電技術においてそれだけの技術をすでにもっているというのです。ただ日本はドイツと違って電力会社が"再生可能エネルギーの拡大"よりも"原子力の再稼働を重視"する姿勢を維持しているため、蓄電池による電力の安定供給に取り組む動きはさほど活発になっていないのです。ほんとに情け無い話ですが、原発事故までおきていながら今だに原子力の再稼働を重視しているというのはなぜなのでしょう?
 そもそも原発が日本に持ち込まれた経緯を見てみると、日本における原発政策というのは単なる「安定的な電力確保」の側面だけでなく、(米・イスラエル軍産による)「軍事的」な側面があり、こうした海の向こうの軍事覇権勢力によって、いわば麻薬のような「原発依存利権」が国内に強固に作られてしまっているといいます。これが日本の脱原発を飛躍的に困難にしてしまっている!というわけです。こうした話を陰謀論で片付けようとする人もいますが、それは真実を知られたくない連中による世論工作であることもすでにばれています。
 そしてその他にも、さらに耳を疑うような原発に関する闇があるともいわれています。
 真実が明らかになり、闇に光があてられて、地球に優しい再生可能エネルギー(#)が万人に供給される世の中になっていってほしいものです。

(#)太陽光発電はパネルの寿命による廃棄物問題があったり、風力発電では低周波発生の問題がある等、再生可能エネルギーにはまだまだ様々な課題があります。しかし原発から出る放射性廃棄物の処理方法を子々孫々への宿題として残したままで、このまま我々が使い続けるわけにはいきません。ウランの半減期は45億年です。原発ゼロのために、波力発電、地熱発電、バイオマス等々、様々な再生可能エネルギーへの取り組みを応援する必要があります。
(しんしん丸)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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再生可能エネルギー80%へ向かうドイツ、日本の蓄電池で電力を安定供給
引用元)
日本の最先端の蓄電技術を生かした実証プロジェクトがドイツで4月から始まる。風力発電所が数多く集まる北西部のニーダーザクセン州の沿岸部に大容量のリチウムイオン電池とナトリウム硫黄電池を設置して、地域の電力供給を安定化させる4通りの機能を3年間かけて実証する予定だ。
(中略)
 ドイツは再生可能エネルギーの拡大と原子力からの脱却を柱に、国全体のエネルギーの需給構造を抜本的に変革する「エネルギーヴェンデ(Energiewende)政策」を2010年から推進している。
(中略)

再生可能エネルギーの導入で先進的なドイツを舞台に、日本のメーカー3社の製品と技術を生かした最先端のスマートグリッドシステムを実証するプロジェクトになる。
(中略)
原子力は2022年までに全面的に廃止する。(中略) さらにドイツでは2050年までに再生可能エネルギーの比率を80%以上に拡大する方針で、そのために必要な施策に取りかかっている(図8)。送電・発電・消費・貯蔵の4つの分野で再生可能エネルギーの比率を高める施策を展開していく。日本のエネルギー産業と共同で取り組む実証プロジェクトは4つの分野すべてに関連する。
(中略)
日本国内でも大容量の蓄電池システムを導入して、風力発電と太陽光発電の増加に備える動きは広がりつつある。ただしドイツと違って電力会社が再生可能エネルギーの拡大よりも原子力の再稼働を重視する姿勢を維持しているため、蓄電池による電力の安定供給に取り組む動きはさほど活発になっていない。ドイツの実証結果を日本にもフィードバックして、長期的な再生可能エネルギーの拡大策として生かしたいところだ。

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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた難民問題、移民問題 ~第6楽章 パレスチナ人と出会う

 第5楽章の息子の移民クラスの生徒たちに続いて、第6楽章のパレスチナ人と出会うをお送りいたします。
 世界の難民は、
1位は、パレスチナ 479.8万人
2位は、コロンビア 435.6万人 
3位は、アフガニスタン 412.2万人
4位は、コンゴ民主共和国 361.2人
5位は、シリア      284.6万人
(今がわかる 時代がわかる世界地図2014年度版 成美堂出版より)
このようになっています。
第2楽章では、シリア難民のお医者さんの話
第3楽章では、アフガニスタンのアシュラム難民の話
をお話ししました。
 今回は、世界の難民の数が1位である、パレスチナ人のお話です。
(ユリシス)
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3人のパレスチナ難民


ドイツのベルリンでは、
3人のパレスチナ人に出会いました。

第2楽章でお話した、シリア難民のお医者さんは、
パレスチナ人でもあり、シリア人でもあります。

つまり、1世代前は、
パレスチナからシリアに逃げて来た
のです。
また、語学学校には、もうひとり、
パレスチナ人のシリア国籍の方がいました。

パレスチナ pixabay[CC0]


家探しをしている時も、パレスチナ人に出会いました。
10年くらい前にベルリンに来たと言っていました。

もう一人出あったパレスチナ人の方は、
ベルリンで生まれたと。
だから、もう30年以上前、親世代が
ベルリンに来ていた
ことになります。

パレスチナ難民として、
いつ頃ベルリンに来たのか・・
ということを考えると

1948年にイスラエルが建国されて以来、
徐々にイスラエルがパレスチナの領土を
占拠していくにつれて、
パレスチナ難民が増えていった
のです。

1948年のイスラエル独立宣言 GPO[CC BY-SA]


3回にもわたる、イギリスの嘘つき秘密外交


パレスチナ人が難民になってしまった理由は、
イギリスが第1次世界大戦の中でとった
3回の嘘つき?秘密外交に由来する
のです。

あれ? ヤマ・二ヤマの原則に
違反していますね。
嘘をついたり、人を傷つけたり
してはいけないのです。

サイクス・ピコ協定では、
イギリスは、アラブ人との約束をしながら、
中東をフランス・ロシアと
3分割をする秘密の協定
を結んでしまいました。

フサイン・マクマホン協定では、
オスマン帝国打倒への協力を見返りに
アラブ国家の建設を約束していたはず
ですが・・

バルフォア宣言にて、
ユダヤ人国家の建設を約束し
たのです。
1917年のバルフォア宣言から100年が
経過した
わけです。

めちゃくちゃですね。
イギリス人の性格によるものでしょうか・・。

Author:Jon[CC BY]


イギリス人の世界支配者、策略家たちは、
あまりにもインド人の綿織物の手織りが
素晴らしくて
、繊細なことに驚愕して、

これでは、産業革命の機械が売れないということで、
インド人の綿織物職人の手を切り落としたとか。

それって、現在ファストファッションが
世界中大流行りで、大量生産を優先し
て、
労働を請け負うパキスタン人などの
労働条件、環境を悪化させて、
同時に、丁寧に洋服を製法する職人たちの
機会を奪っている構図と同じ
なのかもしれない。


もしかして、イギリスの支配者、策略家たちも
パレスチナ問題などでこんなことをしているのかもしれないと
ウフフと連想させる、ミスタービーンの策略シーンとは・・・。



1:05~ 救急車の後ろに車を止めて、救急車から病人を出られなくするシーン
1:45~ 女の子の人形を投げて、前の順番を取ってしまうシーン
2:07~ 前の2人の男性にちょっかいを出して、前の人と喧嘩をさせて、前の順番をとるシーン
2:50~ 席をすばやく分捕るシーン
4:05~ 全身包帯巻きの女性の番号表とすり替えてしまうシーン


パレスチナ人を支援するツイート



カイロでは、エルサレム支援のために
アズハル世界会議が開かれ、

パレスチナのマフムード・アッバース大統領は、
イスラエルに占領され、困窮するパレスチナ国民への
支援と寄付を切実に訴えかけました。



教育やメディアなどで、
正しい情報を伝えていきたい
ですね。
宗教問題とか、テロとかの言葉で
安易に片付けないように。




ユダヤ人とアラブ人との連帯を音楽を通じて解決しようとしたダニエル・バレンボイム


ユダヤ人とアラブ人との連帯を音楽を通じて
解決していこうとする、
世界的に有名な、指揮者、ピアニストの
ダニエル・バレンボイム


Author:Alkan[CC BY]


ダニエル・バレンボイムは、ユダヤ人と
パレスチナ人(アラブ人)との連帯の意思表示として

イスラエル人の入植地区ヨルダン川西岸地区において
演奏活動を行ってきた。


ユダヤ人であるダニエル・バレンボイムは、
ウェスト・イースタン・ディヴァン管弦楽団を

パレスチナ系文学者、エドワード・サイードとともに
設立した。
団員は、イスラエル、ヨルダン、レバノン、シリア、などの
ユダヤ人、アラブ人共存の若者たち
である。

ダニエル・バレンボイム指揮するウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団 WikimediaCommon[CC BY-SA]


バレンボイムは、クネセト(イスラエル国会)のセレモニーにおいて、ウルフ賞芸術部門を授与された。この機をとらえて、バレンボイムは政治状況について、次のような持論を唱えた。これによって、イスラエルの元首と数名の国会議員から名指しで非難された。

心に痛みを感じながら、私は今日お尋ねしたいのです。征服と支配の立場が、はたしてイスラエルの独立宣言にかなっているでしょうか、と。他民族の原則的な権利を打ちのめすことが代償なら、一つの民族の独立に理屈というものがあるでしょうか。ユダヤ人民は、その歴史は苦難と迫害に満ちていますが、隣国の民族の権利と苦難に無関心であってよいものでしょうか。イスラエル国家は、社会正義に基づいて実践的・人道主義的な解決法を得ようとするのではなしに、揉め事にイデオロギー的な解決を図ろうとたくらむがごときの、非現実的な夢うつつにふけっていてもよいものでしょうか。


結局、この地域の争いの本質は、
お金に目が眩んだ、石油戦争でしょうか
・・。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7922


Writer

ユリシス

311を機に息子と共に、東京からシアトル、2012年ケアンズ、2015年ベルリンへと移住。
ユリシスの名前は、ケアンズ近郊でみられる見ると幸せになると言われる青い蝶から命名。
幸運にもケアンズの家の近くでペアのユリシスに遭遇したので、それを思い出し・・。
映像配信、東洋医学セミナーなどシャンティフーラでの学びが大好きです。
体癖1-8