アーカイブ: ヨーロッパ

地球ニュース:フランス&アメリカ&イギリス

 今回は、種々雑多なニュースをダイジェストでお届けします。
◉ フランスからはロスチャイルド家の世代交代
◉ アメリカからはGMO蚊に反対していた活動家の不審死
◉ イギリスからはシリア攻撃で金を稼ぐ大物政治家
 どれも全く繋がってはいない話なのですが、どれも「なんだかな」と呆れます。もう少し世界が良くなって来ていることが感じられるといいのですが……日本に目を向けてもゾンビ安倍がしつこく居座っているし、風が起こって欲しいですね。淀んだ空気を吹き飛ばす浄化の風が。
(Yutika)
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地球ニュース:フランス&アメリカ&イギリス

フランス:ちょこっと引退


少々気になるニュースでしたので、御紹介。フランスのロスチャイルド家が世代交代するようです。言わずと知れたマクロンの御主人様ですね(※只今シリア政府が一般市民を化学兵器攻撃した確固たる証拠を有しているとかハッタリかましていますが、あの超胡散臭い大統領が勤務していたのが「ロチルド & Cie」。「ロチルド&Co」銀行の傘下のコーポレート・ファイナンス専門の銀行です)。


ダヴィド・ド・ロチルド(75歳)が、5月17日付けで長男のアレクサンドル・ロチルド(37歳)に、ロチルド&Co銀行の頭取の座を譲るんだそうです。とはいえ父親も同銀行の監査役会の方のトップにスライド移行するので、完全引退という訣ではありません。


こちらの記事によるとこの会社、再建当初は「パリ・オルレアン銀行」という名称でしたが、2015年に念願の「ロチルド」名を復活。米国での事業拡大を虎視眈々と狙っているそうで、これだけ見るとフランス分家は今でも結構上り調子です。

一方、ロチルド銀行に未だに裏で操られていると後ろ指差されているマクロンですが、こんな写真撮られてますよ。

40歳にして、これはもう「死んだ顔」。苦労知らずのお坊ちゃまは、記事で相当酷評されていました。

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メキシコ便り(8): イタリア旅行記 Part 2

 「ボン ジョ〜ルノ〜♪」(あぁ〜。。。この響き✨popoちゃんにはたまらない。。。😊)イタリア旅行記Part 2は「花の都」?!フィレンツェです♪ 前回のイタリア旅行記Part 1で、ミラノを歩いていて、アフリカ系の移民がよく目に入ったと書いたのですが、やはりかなりの数の移民がアフリカからイタリアへ来ているようです。

 難民問題が深刻なイタリア。フィレンツェの記事をはじめとする移民に関する記事を集めてみました。最初の記事は、popoちゃんがイタリアを発った4日後の2018年3月5日(月)フィレンツェでセネガル出身の移民(54歳)がイタリア人に銃殺された事件。2つ目の記事は、2018年3月20日(火)ユーロ圏の難民収容所受け入れ申請数がEUによって発表。イタリアは2年連続ドイツの次に2番目に多かったとのこと。3つ目の記事は、移民によって救われたイタリアの小さな村(Sant’Alessio)で行われている移民対策の小さな成功の例。

 ひょっとしたらフィレンツェの銃殺事件も、ヨーロッパへの大量の移民が流入されているのと同様、カオス(混乱)を目的とした人々の仕業かもしれない。。。総選挙では五つ星運動が快挙をなし、その後、北部同盟と過半数が取れ、これからの移民対策に期待したいところですが。。。まずは、私たち地球市民が自分の心の中を見つめることが先決なのでは?!と思うpopoちゃんです✨竹下先生はよく配信映像で、組織、グループで良し悪しの判断をするのではなく、一人一人をちゃんと見なければならないと言われていますね!自分は外国の方、移民の方に対して、実際にどんな気持ちを抱いているだろう?心の奥底に無意識の差別意識や選民思考などないか、今一度よく観察するチャンスかも?!もしあれば、そんな自分を批判したり嫌悪せず、ありのままを受け入れ、そして差別意識、選民思考に「Ciao〜♪」(バイバ〜イ♪)しちゃいましょう👋。日本も移民問題は決して他人ごとではないはず。popoちゃんは2016年まで渋谷に住んでいましたが、ほとんどのコンビニ、ファーストフードやチェーン店の店員さんは外国の方(ほぼ中国の方)でした。地球市民みんなが仲良く暮らすには、私たち一人一人の心の中のお掃除が大切な第一歩かも。。。フィレンツェ編なので、後のほうに、ちょっとだけルネッサンス建築のお写真入れています♪そしてフィレンツェの中心地、パレッソ・ヴェッキオ宮殿でpopoちゃんが一瞬で凝固してしまった事件もちょこっとご紹介♪
(popoちゃん)
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メキシコ便り(8): イタリア旅行記 Part 2


フィレンツェ移民銃殺事件


記事:By Catherine Edwards 2018年3月7日)

ヴェスプッチ橋 Author:sailko[CC BY-SA]


記事要訳:
2018年3月5日、フィレンツェにあるベスプッチ橋で観光客向けにレザーバッグや傘を売っていたセネガル人男性Idy Dienさん(54歳)が、イタリア人男(65歳)に6発の銃撃を受け死亡。300人ほどのセネガル出身の人々と地元の左翼の人々の怒りは爆発し暴動。その後、500人がフィレンツェの街じゅうを「人種差別反対!」とデモ行進。フィレンツェ市長はセネガル人男性のご家族にお悔やみを述べた後、この事件は人種差別が動機ではないと否定。イタリアでは、先月2月にイタリアのマセラタで外国人嫌いのイタリア人男が車を走行しながら、アフリカ系の移民6人を銃撃した事件が起こったばかり。この男の動機は、ナイジェリア人男が地元の女性の死亡に関わった疑いで逮捕されたニュースを見てカッとなったとか。。。この男は反移民の北部同盟で落選した候補者であったとか。。。


EUによる難民収容所受け入れ申請数


(記事:By The Local 2018年3月20日

記事要訳:
3月20日(火)にEurostatによって発表された数によると、イタリアは2年連続、難民収容所受け入れ申請数がドイツについで2番目だった。ユーロ加盟国28カ国のほとんどが初回難民収容所申請数が減っているにもかかわらず、イタリアでは2016年121,185人から昨年は126,550人と4%上昇。ほとんどの難民収容所申請はナイジェリア出身(20%)その後、バングラデシュ(10%)、パキスタン(7%)。他のユーロ圏内は、シリア、イラク、アフガニスタン出身の難民収容所申請者だが、イタリアは違う。イタリアはユーロ圏の中で最も難民収容所へのリクエストが多かったが、半分以上は拒否した。約40%の難民は即座になんらかの保護を受け、10%以下の難民が正式な難民として地位(許可)を得た。ユーロ圏全体の23%より遥かに低い。

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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた難民問題、移民問題 ~第9楽章 アジア人といえば、 ベトナム人、タイ人

第8楽章のアフリカ人は心優しい人たち
続いて、第9楽章のアジア人といえば、
ベトナム人、タイ人をお送りいたします。

ドイツのベルリンでは、アジア人といえば、
ベトナム人・・・が多いのです。
ベトナム料理店も多いのです。
え、なぜ?? 理由は、おわかりに
なりますでしょうか・・・。
(ユリシス)
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ベルリンで一番多いアジア人は、ベトナム人


世界中を見まわしてみると、
どこにいっても、中国人がいるし、
チャイニーズタウンがある
・・
というのは、よく言われていることです。

Author:WilliamCho[CC BY-SA]


しかし、ベルリンには、チャイニーズタウンはなく、
アジア人で一番多いのは、ベトナム人
で、
次にアジアの中では地理的に近いこともあって、
2番目はタイ人になります。

なぜ、ベトナム人が多いのか
ベトナム料理店が多いのか・・・
理由は、想像できますでしょうか・・・。

東西冷戦時代、東ドイツ、東ベルリンと
ベトナムは、社会主義国、共産圏ということで
以前から交流があったから
なのです。

ですので、アジア料理といえば、
ベトナム料理で、いたるところにあります。


ベトナム料理は、フォーという米粉の
麺料理
もあり、重金属をデトックスすると言われる
コリアンダー、香菜のハーブを
ふんだんに使用した、料理で非常に人気
です。

pixabay[CC0]


また、ベトナム人の印象は、非常に勤勉で、
ドイツ人がしっかりと週末はお休みを取る中で、
土日祭日も働いている方も多いのです。

ベトナムは古来から、中国文化の影響を強く受けてきたため、ベトナム料理にも中華料理の影響が色濃く現れている。また、19世紀から20世紀にかけてフランスの植民地統治を受けていたため、他のインドシナ半島の国々同様、フランスの食文化の影響も多く残されている(バゲットやコーヒー、プリンなどが日常の食生活の中に定着しているといったような点はその例である)。食のタブーは、「魚の王」として信仰される鯨を除き存在せず、多彩な食材を扱う。

また、ベトナムコーヒーなども
コンデンスミルクが入るので、甘くて美味しい
のです。

pixabay[CC0]


アルミニウムまたはステンレス製の、底に細かい穴を多数開けた、フランスで伝統の組み合わせ式フィルター(カフェ・フィン、cà phê phin)を使って淹れる。このフィルターは、通常カップに乗せる平たい部分、湯を受ける筒状の部分、筒の中に入れるフィルターという3重の構造で、それぞれに細かい孔を開けて、粉がカップに落ちないように作られているが、どうしても粉が孔を塞ぐ形となって、簡単には湯が通らない。このため、抽出には5分から10分程度の時間がかかり、また、たくさんの湯を受ける大きさとなっていないため、濃く抽出される。ぽたぽたとコーヒーが落ちる様子から、このスタイルの淹れ方を、中国語で滴滴咖啡(ディーディーカーフェイ)と呼ぶことがある。

そのままでは非常に苦いため、cà phê sữa(カフェ・スア)と呼ぶミルクコーヒーにして飲む飲み方がある。この際、生乳ではなくコンデンスミルクを用いる。また後で加えるのではなく、あらかじめカップの底にコンデンスミルクを底が見えなくなる量敷いておき、その上からコーヒーを淹れ、飲む際にスプーンでかき混ぜる。濃厚で甘く、コーヒーキャンディーをなめている時に近い味を覚える。

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[temita] 教育水準が世界一の国 フィンランドの教育現場に日本との差を考える

 コメディかとチェックした「temita」さんの動画でしたが、思いがけず印象的な内容でした。
ムーミンの国フィンランドの教育を紹介したもので、元は「マイケル・ムーアの世界戦略のススメ」という映画の一部です。ご存知の方も多いでしょうか。フィンランドの生徒の学力は世界でトップレベルだという、その原因と思われる教育方法を取材していますが、聞けば聞くほど羨ましくなるような教室です。肝っ玉母さんのような文部大臣が、その「極秘事項」を明かしてくれました。
いわく「宿題がない」! 
授業時間も減らして遊びや家族との時間を増やした結果、学力が伸びたというのです。学生さん達へのインタビューも面白く、鼻ピアスや口ピアス、カラフルに髪を染めた子達が「宿題はやったとしても10分」と答えるかと思うと、「何ヶ国語を話す?」という質問に、皆それぞれ数カ国語をサラサラと答え、ムーア氏が絶句しています。
取材中、何度も言われたことは、
「統一テストをやめるべき」!
かつて時事ブログで語られた教育論にも、自己肯定感を阻むものがテストだとありましたが、子供達が授業でいろんな試行錯誤をする場面が、とても楽しそうです。
 教育はビジネスではなく、学校は幸せになる方法を見つける場所だと先生方が信じています。
アメリカでは、試験科目ではない「公民」や、大人になった時に役に立たない「詩」の授業は外されたとムーア氏が語ると、今度は肝っ玉母さん大臣が絶句していました。
全部で約10分の動画です。
(まのじ)
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教育水準が世界一の国 フィンランドの教育現場に日本との差を考える
配信元)
(前略)
日本は大国を意識して真似しがちですが フィンランドのような国から学ぶことのほうが多いような気がします。 
(中略)



(以下略)

独逸の伯林で見た、聞いた、感じた難民問題、移民問題 ~第8楽章 アフリカ人は心やさしい人たち

第7楽章のトルコの外国人労働者も2世代目、3世代目
引き続いて、

第8楽章のアフリカ人は心やさしい人たちをお送りいたします。

アフリカは、昔、緑豊かな国だったのに・・。
そして、文化が発達した国だったのに・・。
(ユリシス)
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アフリカの文化


和辻哲郎さんの
アフリカの文化という本
がある。

 最も小さい子供から最も年長の老人に至るまで、その身ぶり、動作、礼儀などに、自明のこととして明白な差別や品位や優美などを現わしていた。王侯や富者の家族においても、従者や奴隷の家族においても、その点は同じであった。
 フロベニウスはそこに教養の均斉を見いだした。上下がこれほどそろって教養を持っているということは、北方の文明人の国にはどこにもない。
 が、この最後の「幸福の島」もまもなくヨーロッパ文明の洪水に浸された。そうして平和な美しさは洗い去られてしまった。

pixabay[CC0]


我が家の息子は、スポーツ好きなので
オーストラリア時代もここ、ドイツでも
アフリカ出身の生徒とサッカー関連で
友達になることが多かった
のです。

息子曰く、
アフリカ出身の子は、優しい
よ・・・

例えば、自分が、ジュースを買えば、
息子の分も一緒に買ってくれるとか・・

遊びに行くのを誘うと
誘ってもらったことに対して、お返しをしてくれる
とか・・。

息子の友達は、マリ共和国出身。

マリ共和国のオンボリ山 Author:TimmGuenther[CC BY-SA]


あるとき、病院の待合室で
アフリカ系のお父さんと子供が座っていました。
なんと静かに座って待っているのでしょう
・・。

アフリカの方は、とても紳士的で
物静かで、親切である・・という印象
があります。

コシシケレリ・アフリカという、アフリカ全土で
歌われている賛美歌
がある。同時に国歌でもある。

神よ、アフリカに祝福を(かみよアフリカにしゅくふくを、コサ語: Nkosi sikelel' iAfrika コシシケレリ・アフリカ)は、アフリカ各国(特にサハラ以南)で歌われている賛美歌。現在の南アフリカ出身のエノック・マンカイ・ソントンガによって、1897年に作詞・作曲された。この曲はパン・アフリカ主義に基づく解放運動を象徴する歌(アンセム)となり、のちに独立を達成した国家のうち数か国で国歌として採用された。2015年現在、タンザニアと南アフリカ共和国が国歌として使用しており、またザンビアの国歌はこの曲の旋律に異なる詞を乗せて別タイトルを付している。
Wikimediaより

とても荘厳で素敵な曲なのですが、
いかがでしょうか・・・。



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