生活の中の木
よく燃えるのは松、クロモジなど油分の多い木です。火を燃やしたいときに、松葉などが着火剤になります。昔から老松の根元や芯部分の油が多い肥松(コエマツ)を細かく切って着火剤として使っています。この肥松は木工材としても珍重され、光沢があり赤みがかった美しい木目の高級銘木です。
ただし、松を燃やすと高温になるので一度にたくさん燃やすと釡やストーブを痛めます。地元の鍛冶屋さんでは松の炭を使って鉄を熱し鍛えておられます。その松の炭も地元の炭窯で作られます。

松
クロモジは燃やすといい香りがします。精油が多く雨で濡れていても燃えます。クロモジはご存知楊枝の高級材ですが、平安時代は生の枝の端を叩いて歯ブラシにしていたとか。精油が虫歯予防、口臭予防になっていたのですね。

クロモジ
どこの家も薪風呂だった一昔前は、落ちた杉枝を拾うのが子供の仕事で、学校から帰って遊びながらも、杉枝を毎日拾ったそうです。
杉枝があるとお風呂を沸かすのにも、薪ストーブで火を焚くにも助かります。

杉
笹や竹なども油分が多くよく燃えますが、節と節の間の空気が膨張して弾けますので、気をつけます。 竹は色々な用途に使いますが、身近なところでは、菜箸を竹で手作りしています。他にも南天の木や桜など剪定ででた木を箸にしています。桜の木の箸置きなどもかわいいですね。色々な木の輪切りは素敵なコースターになります。ちょっと削ればお皿もできそうです。竹のお皿やコップなども夏には合いそうです。
竹を長持ちさせたい時は火であぶって油を滲み出させ、拭きとって使います。この時も弾けると危ないので、ドリルなどで穴を開けて空気抜きを作って火であぶります(穴から出る熱い蒸気にも注意)。

竹林
建材にする時など、竹を伐る時期があるそうで、10月~11月頃が虫が入っていなくていいのだとか。
木は冬場に伐った方が水分が少なく、春は勢い良く水を吸い上げていて、伐るとまるで血を流すようだったと聞いたことがあります。
木も生きていて命があり、「すべてのものに心も知性もある」と竹下先生のお話にもあるのですが・・・・。
5~6年前チェンソーの使い方実習に参加して、間伐用の直径20㎝くらいの杉を伐ったことがあります。教えられた通りに伐ったのですが、木のてっぺん辺りが曲がっていて、自分の方に倒れそうになりました。その時、命のやり取りを感じました。
木を伐ることに一生懸命で、自分が木の命を絶とうとしていることに気が付かなかったのです。杉は一度伐られると広葉樹のように再生できません。自分が危険になってやっと、その木の命を奪おうとしていることに気がつきました。
ロープをかけて反対側に引いてもらい、木は倒れたのですが、その倒れた杉を見た時、杉の木がまだ幼かったのを・・・感じてしまいました。
日本の斧には、木こりが木を切る時にお祈りするための、3本の筋が刻まれているのを、教えていただいたことがあります。お神酒を意味していて、木を伐る前に斧を立てかけて祈るための3本筋なのだとか。
また、インターネットで調べると4本筋もあり、こちらは太陽、土、水、空気を表すそうです。

4本筋をヨキ(木を育てる4つの気)、3本筋をミキ(神酒)と呼び、山の神様へ感謝と木を伐る許可と安全を祈るとか。
以前住んでいたところに砂防ダムが作られる時、突然、木が伐られる日の朝、あたり一面なんとも言えない悲しい空気が漂っていて、私の頭の中では『悲しくて悲しくてとてもやりきれない~』の歌が繰り返し浮かんできて、今日は一体どうしたんだろうと思っていたのです。山の木々の悲しみが辺りに充満していたのでしょうね。

自然賛歌
昨日の記事で、“積極的不登校、ポジティブな引きこもり”を勧めましたが、これはもはや、文科省のお墨付きをもらったようなものです。
人間の価値は成績や学歴とは無関係です。成績優秀で官僚になって国税庁長官にまで出世しても、誰もかれもから嫌われるようでは、実に悲しい人生だと言わざるを得ません。その意味で、現在の安倍政権には、“人間、ああなったら終わりだよな〜”という反面教師が山のように居て、実に良い勉強になります。学校の先生は、ぜひとも、“人間はどう生きるべきか”を反面教師を題材にして、しっかりと道徳教育を行ってもらいたいものだと思います。
誰もが幸福になりたいのです。ネット上には可愛らしい動物の癒し系動画があふれていますが、動画を見て癒されるのは、飼い主と動物たちの信頼関係のおこぼれに預かれるからだと思うのです。私たちは、可愛い動物たちに、“ただそこに居てもらうだけでいい”という関わり方をします。なので、そこに愛情も信頼関係も生まれるのです。
親と子の在り方も、同じでは無いでしょうか。子供に成績のことを言うのは止めませんか? 宿題をする、しないなど、どうでもいい事ではないでしょうか。もし、両親が子供に対して、“ただ居てくれるだけでいい”という関わり方をすれば、親子関係は直ちに正常化します。
本来の人間関係とは、このように一切の損得勘定無しに、互いに何も期待しないところで育まれるものなのです。夫婦関係、親子関係は、このような宝を育むために、天から与えられたものなのです。人間として成熟するための千載一遇のチャンスを与えられているのに、それを逃し、本来の喜びも充足感も得られない仕事に逃避する人々が、何と多いことか。
間違った生き方をしている人々が多いという証として、離婚の多さが挙げられると思います。もし、あなたが十分な個人資産を持ち、1人での生活に困らないとしたら、現在の配偶者と果たして一緒にいるでしょうか? 現在、そして老後の生活のために仕方なく夫婦でいるというのは、偽りの関係です。
要するに、地球上の人々の人間関係というのは、ほぼ100%損得勘定に基づいたもので、真の関係と呼べるものは、ほとんど存在していないと思われるのです。そのような関係は、若干、人間とペットの間に見受けられるように思います。
その真の関係を、私たちは“愛”と呼んでいるのではないでしょうか。