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今なお医科系の学生にワクチン強制接種が行われている 〜「情報戦から心理戦」なのか、大いなるものへの信頼を認める時代か

読者の方からの情報です。
 読者の方から、ナカムラクリニックさんのブログ情報を投稿いただきました。未だに多くの医学生や看護学生が、実習などの学びを条件にmRNAワクチンを実質的に強制されていることを取り上げ、法律家からのアドバイスを載せられていました。これまで時事ブログでも、厚労省、文科省の見解や、国会の附帯決議などを紹介し、これらを錦の御旗にして接種を拒むことができるだろうと応援してきました。
 しかし、実社会はそう単純ではありませんでした。ワクチンの危険を知っていても、「ワクチン接種やPCR検査を実習の受け入れの必須条件にするな、ワクチン接種はあくまで任意のものであることを説明せよ」という厚労省の見解を知っていても、学校や受け入れ先施設があえて接種するよう圧力をかけてきた場合、そして周りの全てが接種する中、たった一人では戦えず、結局あきらめて打たされてしまう人が多いそうです。
ワクチン後遺症に苦しむ方々も、ワクチンが原因だと認識できても、それに抗議し、お上に楯突いてまで十分なそして当然の補償を求めることなど考えられないそうです。情報戦をくぐり抜けても、心理戦が待っていた。
このことをどう考えれば良いのか思い巡らせていました。
 その時、あるツイートが目にとまりました。
「有志医師の会」に賛同しておられる勤務医の方が、医局会で上司や同僚にワクチン被害の実態、積極的な推奨をやめた自治体のことなどを、意を決して訴えたそうです。同僚の中にはこれまでワクチンを積極的に推奨していた小児科医もいたそうです。結果は思いがけず接種を見直す変化が生まれたというものでした。
 意を決して訴えても、全てこんな風には受け入れられない現実の方が多いかもしれません。けれどもこのエピソードを知った時、心理戦というよりも大いなるものへの信頼という言葉が浮かびました。辞職を覚悟で子ども達を危険に晒したくないという気持ちに正直に行動されたのだと思います。世の中がかつてない転換期を迎えている今、これまでは泣き寝入りだったとしても、これからは自分の力で立ち上がる者の時代です。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)
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接種の強要は許されない
 (前略)
(中略)このワクチンは、死ぬリスクがあります。実際すでに1600以上の接種後死亡が報告されている。接種事業の中止を求める裁判まで起こされている。こういう事実を知ってなお、接種を拒否しようとしない

不思議です。カナダでフリーダムコンボイが組織されるなど、世界各地で接種中止を求める国民運動が起こっている。しかし日本人は、医者の前で唯々諾々と腕を差し出す。どういう心理なのでしょうか?『組織のためなら死んでも仕方ない」』と思っているかのようです。実は、これは全体主義そのものです。憲法が保障する『個人の尊重』と対極に位置する考え方です。コロナワクチンの危険性については、徐々に多くの人が知り始めています。ただし、「知ったところで、戦える人ばかりではない」という問題が、新たに生じているように思います。この問題をどうすべきか?私もまだ答えを持ち合わせていません。
今回のコロナ問題は、情報戦であると同時に、心理戦でもあるのでしょうね
(中略)
結局、接種を強要されたら、具体的にどうすればいいのか? 

「まず、私がお示ししたこれらの通達や附帯決議、国会答弁などを担当者(ワクチン接種を強要してくる人)に見せて、こう言ってください。

実習に行けるように施設と交渉してください。それができないなら、学内実習で代替して、留年させないでください。養成機関はそのように対応するべきと文科省と厚労省が言っています
これでうまくいかなければ、通達に書いてある連絡先に電話して、学校に対して行政指導して欲しいと伝えてください。
それでもなおどうしようもなければ、弁護士に相談してください。その際、強要の事実が後で立証できるように、録音などの証拠保全も怠らずに。
個人(一学生)が組織を相手に「物申す」のは勇気が要ることです。しかし、最初の心理的ハードルさえ超えることができれば、弁護士のところまでいかなくても、ある程度解決できると思います。
(以下略)

ままぴよ日記 94 「愛犬の急病」

 子育て広場の開所式がありました。スタッフではなくなったけれど来賓として祝辞を述べる機会を作っていただきました。
 広場を立ち上げて20年。ここに至るまでの歴史と、私達の思いの原点を話しました。初めから一緒に立ち上げたスタッフは思い出して号泣、市の職員は初めて知った歴史に驚き、感動して原稿のコピーをくださいと言われました。異動になった課長も駆け寄ってきて涙ぐんでいます。市長も新しい課長に「この人達のいう事聞くように。間違いないから」と言ってくれました。
 この言葉自体が奇跡です。行政の壁は厚かった!でも今は同じ目的に向かって共に働き、喜び合う関係になれたのです。
 ママ達が昼からの開館が待ちきれなくて外で待っています。
 ここは、小さな町の小さな子育て広場です。でも、20年間、無我夢中でやり続けたら、いつの間にか一番いい形で夢が実現していました。

 私は、この2週間のなみだ涙の日々を思い出しながら、こんなに晴れやかな気持ちでこの日を迎えられたことが嬉しくて、愛犬のいる家に飛んで帰りました。

 そう、愛犬の身にとんでもないことが起こったのです。
(かんなまま)
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元気のなくなった我が家の愛犬


前回、記事を書き終わった直後に我が家の愛犬の元気がなくなりました。

夫の還暦の誕生日に生まれた、不思議なご縁で結ばれた犬です。14歳ですがとても元気で、もうすぐ開館する子育て広場まで散歩するのが楽しみでした。

身体を小刻みに振るわせて丸くなっています。生気がなく、顔つきも変わっています。その日は土曜日。動物病院は午前中までなので、他の用事を後回しにして連れて行きました。

熱はなし、便も普通。どこか痛いのでしょうね、と痛み止めを注射されて帰宅しました。少し安心しましたが、一向に良くなる気配がありません。

いつも一緒に寝るので、早めにベッドに入りました。ぐったりしています。そう言えば水を少し飲んだだけで何も食べていません。


日曜日は朝から新しい子育て広場の家具の塗装です。何もないところから始めた広場なので、夫が家具のほとんどを作りました。新しい施設でも使ってくれることになり、皆で塗りなおすことになったのです。

愛犬の様子が気になって熟睡できません。1時半ごろだったでしょうか、なぜか反射的に飛び起きました。すると、布団の上でけいれんを起こしているではありませんか!初めてのけいれんでびっくりしました。

私は愛犬を抱きながら夜間診療の病院に電話しました。すぐに連れて来てくださいとの事で、慌てて行く準備をしました。家から高速で1時間以上かかる病院です。

その間も、起き上がろうとするのですが、起き上がれません。やっと起きて私の所に歩いてこようとして、そのまま横に倒れました。これはただ事ではありません。

夫は朝まで様子を見たら?と言っていたのですが、私の決心が硬いのを見て一緒に行こうと言ってくれました。夫が運転して私が犬を抱いて行きました。道中も私の腕の中でぐったりしています。このまま死んでしまうのではないかと思って祈り続けました。


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ままぴよ日記 93 「子育て広場が完成しました」

20年来、待ちに待った子育て広場が完成しました。もうすぐオープンします。それを祝福するかのように桜も咲き誇っています。

本当は、飛び上がるほど嬉しいはずなのに、涙が出ます。
なぜ?
恥ずかしいけど、涙の原因にお付き合いください
(かんなまま)
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私達が思いを込めて作った新しい子育て広場が完成しました


満開の桜のトンネルをくぐると、そこは子育て広場!


4月にオープンする私達の広場です。まだ工事のロープが張られているので勝手に入ることはできません。庭に回って覗くと小さな丘が見えます。歩き始めた子ども達が挑戦したくなるような高さです。

その丘を囲むようにどんぐり、銀杏、モミジの木が植えられています。秋になったら色とりどりの葉っぱやどんぐりが子ども達と一緒に遊んでくれることでしょう。少し離れて山桜桃梅の木。白い可愛い花が咲いています。もう少ししたら真っ赤な実をつけて子ども達のお口に入ることでしょう。そして桜の木が3本!今満開です。

日よけが張られた砂場、足洗い場もあります。子ども達にとって葉っぱや木の実、泥や砂、水は大切な遊び仲間です。ここには人工的な遊具は殆どありません。自然が子どもを誘ってくれるような仕掛けを作りました。

建物と庭の間に屋根付きの広いデッキがあります。そこは屋内でもあり、外でもあり、子どもをいつの間にか外に誘ってくれる空間です。日差しの強い夏はここでプール遊びができます。

部屋の中は、歩き回る子のスペースとねんねの赤ちゃんのスペースがあります。子どもでも家の中から外が見える高さに窓を作りました。ママが赤ちゃんと一緒に部屋に居ながら、上の子が外で遊んでいる様子を見る事ができます。

広場の利用者は殆どが2歳未満。特にねんねの赤ちゃんが多くなりました。だから部屋にはプラスチック系の大型遊具はありません。絵本コーナーは床を1段2段と下げて階段状にくりぬいています。きっとこの段差が面白くて、登ったり下りたり、お座りしたりすることでしょう。

他に、セミナールーム、桜並木が見えるランチルーム、相談ルーム、授乳室、オムツ替え、男女のトイレと子ども用のトイレが併設されています。お尻や足を洗うシャワー室もあります。


開放的なスタッフルームはオープンカウンターなので全てが見渡せます。もともと、スタッフは部屋に籠りません。広場内で親同士を繋いだり、子どもの様子に配慮しています。

そうです!私達が思いを込めて作った新しい子育て広場が完成したのです。ここに至るまで20年かかりました。

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「知識、発見というものは人間が共有するもの」名声への無欲、研究への誠実さが宮沢孝幸先生をワクチン警鐘に立ち上がらせた

 2020年12月の時点では、峰宗太郎氏は明確に「核酸注射の安全性に対してかなりの懸念を持ち」「すべての情報をディスクロージャーすると、おそらく打つ人は減ると思っています。」とまで述べていました。また国会で参考人としてワクチンへの懸念を述べた専門家まで別人のように手のひらを返す世界で、自身に正直に、研究に誠実であり続けることがどれほど稀有なことかと思います。
「これでも、毎日毎日、ぐっとこらえています。」とコメントされている宮沢孝幸先生には凄まじい攻撃があるのだと想像します。その宮沢先生のご自身を語る10分の動画がとても面白く心地よく、もっと聞いていたい気持ちになりました。もともと自然界に共感する能力の高い方らしく植物に興味がお有りだったのに、運命は宮沢先生をウイルス学へ導きました。「内在性レトロウイルス」へのインスピレーションが躍動感をもって語られています。お母さんと赤ちゃんの合作である胎盤で多く見つかることから、母体に何か情報を与えているらしい可能性や飛ぶ遺伝子のお話、また他の研究者に論文の先を越されても「あまりがっかりしない」「知識、発見というものは人間が共有するものであって、誰が発見しようがどうでもいいと思っている」「自分が発見しても楽しいが、誰かが発見してくれても楽しいもの。発見は自分のものではないので。」自分の才能は広く世に中のために捧げるという無欲ゆえ、どんなに不利益を被っても世の中にワクチンの危険を訴えざるを得なかったことが分かります。宮沢先生の貴重な研究時間を奪ってしまったワクチン禍でしたが、たった一人でも先生のアドバイスで救われたら、その時間は「無駄」ではなかったのではないかしら。
 このような学者さんを重用し、のびのび研究していただけるまともな政治、社会に変えれば、私達も幸せになりますね。
(まのじ)
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配信元)


ままぴよ日記 92 「ママが仕事をするという事は」

 春です。入学、異動の季節です。
 嬉しい反面、子どもの学校や自分の仕事の事でママ達のSOSが聞こえてきます。
 ウクライナとロシアの問題、ワクチン騒動も含めて、春の嵐が吹き荒れているようです。

 そんな時に感謝のマントラが授けられました。唱えたとたんに力が抜けて涙が出てきました。こんなに緊張していたのだと気が付きました。個人では解決できないと無力感に襲われていたことも、できる事があると思えました。ありがとうございます。
(かんなまま)
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母の介護は私の癒しの時間


どうも、母が赤ちゃんを産んだらしいのです⁉
眠ってばかりだった母がいきなり興奮状態になり、義姉に「私の赤ちゃんが隣の部屋に寝ていると思うから早くここに連れてきて!」兄にも「ふにゃふにゃしている赤ちゃんを抱かせて!」と懇願し、最後には私が連れて来てくれると思っているようなのです。

私が現れると、嬉しそうに「赤ちゃんを連れてきて!」と頼みます。「へえー赤ちゃんを産んだの?おめでとう」「ところで何歳?」と聞くと、しばらく考えて「99歳」と笑います。この年にして赤ちゃんを産むのか・・・と、驚きますが、もはや母の介護は私の癒しの時間になってきました。

日曜日に、夫と、母の弟、兄3人が一堂に集まり、母の家のスロープの修理をしました。10年ほど前に夫と甥っ子で作ったのですが朽ちて危なくなっていました。

夫が1人で修理しようとしていたら兄たちが手伝うと言ってくれたのです。「もうおばあちゃんは動けないし、この家は誰も使わないのに、なぜ修理するの?」と甥が聞きましたが、なぜでしょう。

母のために何かしたいという気持ちがそうさせるのでしょうか。現に、みんな嬉しそうに修理しています。庭の桜の花が咲いたら、車いすでこのスロープを通って見せてあげられるかもしれません。

人は無駄のような行為でも、気持ちを乗せて動いているだけで救われる時があります。私の人生も、これでずいぶん救われました。きっと、子どもの世界もそうだと思います。子どもの行動に無駄はないのです。



夫のワクチンのモヤモヤ


はワクチンのモヤモヤの気持ちをこの行動に乗せているのかもしれません。母の家に向かう車の中で「市に調査依頼したよ」と話し始めました。「今まで自分の小児科で出た第5波の陽性者は120人。そのうち18歳以上は36人。その36人のワクチン接種の有無を調べてもらったら何と30人が接種済み。予想を超えて83%がブレークスルー感染だった。3回接種しても感染している人がいたよ」との事。

「重症化を防ぐと言われているけど、みんな軽症だから意味が分からない。国は4回目の接種も考えているようだけど、もう止めて欲しい」と前を向いてはっきり言いました。

「それをみんなに話したら?」と私が言ったら「話しているよ。特に子どもには打たない方がいいと話しているけど、これは個人的見解であって、医師会全体でしませんとはならない」と、苦しそうです。

現実は5歳から11歳までのワクチンの予約が多いので枠を増やすように市の担当者から電話がかかってきているのです。これは、打ちたい人が早く予約を取っただけで、それ以後は少なくなるだろうと予測していますが、ふたを開けて見ないとわかりません。


テレビでは、毎日のように子どもの接種の有効性と「副反応は心配ない」と御用学者が言っています。実際に子どもが「痛くなかった」と言って、褒められている映像を見ると苦しくなってきます。

私は一生懸命、我が家に届くワクチンに愛のマントラを送っていますが、その社会的な思惑に怒りを持たないで感謝のマントラも唱えたいと思います。

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