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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(40)働き方

かんなままさんの執筆記事第40弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(40)働き方

今の瞬間を一生懸命に生きるのです。10年先、20年先を見越して、正しいと思うことをやり続けて生きるのです。

同じことを20年やり続けてごらんなさい。必ず人が聞きに来るようになりますから。

出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)


ボランティアでやり続けたことが1つずつ市の事業に


この時期、市の事業は来年度の事業計画を精査して予算を組んでいきます。私達は10月ごろから次年度の事業計画を立ててお願いするのですが、ありがたいことに私達がずっとボランティアでやり続けたことが1つずつ市の事業になっていきました。

思えば、自分が子育てしていく中で支援して欲しかったことを当事者意識でサポートし始めたのは30年前。学校がいじめ問題で荒れ、子育ての孤立化が始まった頃です。

ちょうどその頃、小児科を開業するために引っ越してきたのですが、この町に図書館がないことにびっくりしました。子どもが通っていた幼稚園にも月刊雑誌のみで絵本がありませんでした。まずは園長先生にお願いして絵本の会を開き、お母さんたちの学びや交流の場を作りました。

幼稚園も推薦した本を全部購入してくださって部屋も開放してくださいました。1人の保護者が相談に行って、すぐに対応してくださる懐の深さに驚きましたが、その後、この園は素敵な園になり、絵本の会も受け継がれているそうです。

pixabay[CC0]


小学校でも絵本の読み聞かせのグループを作り、地域の民話を掘り起こして人形劇を作った事もあります。子連れで集まり、話し合って脚本を書き、画家のママが舞台を描き、ピアノの先生が音楽を入れて練習しました。懐かしい思い出です。

校長先生によっては親の読み聞かせは社会教育の分野で学校教育ではないと断られたこともあります。そんな時は担任と司書の先生が理解してくださり図書館事業として関わっていました。当時はそんな時代でした。

クラスが荒れたときには親の会を作って皆で支え合いました。不登校の子が増えた時も一緒に考えました。誰かのせいにするのは簡単ですが、それよりも先生と保護者が原点に戻って、どんな子も守りたいと思ったのです。もちろん言うのをあきらめて、ひたすら我が子を守ったこともあります。

どうしてそんな事ばかりしてきたのだろうと思いますが、子育て中の私は子どもから離れた生活は考えられないし、子育ての面白さに目覚めて、気が付いたらやっていたという感じです。5種体癖ですねえ!

でも、次々にそんなことをやるので、地域ではかなり浮いていたと思います(笑)。売名行為!目立ちたがり屋!など逆風も多々!初めはそんな声が聞こえてくるたびに落ち込んでいましたが、自分に正直で野心がなければ恥じることはないと言い聞かせてきました。


子育てと行政


でも、同時に子ども4人を抱えて子育てに悩み、家族関係も含めて生きる指針を求めていました。そんな頃に竹下先生に出会いました。先生の子育ての講話が乾いた大地を潤すようにしみ込んでいきました。「子どもを見なさい。自分に問いなさい。真摯に生きなさい。」と原点を教えていただいた気がしました。

やがて北欧の子育てが気になり始めました。県の事業に応募して視察の旅に出ました。その経験を活かしてジプシーのように公民館を渡り歩いて子育て広場を作りました。

その頃、市から教育委員の要請がきてびっくりしました。学校の事は保護者の立場でしかわかりませんでしたが、縦割り行政の中で子育て現場の人間が教育委員会で発言できる機会を与えられたと思って引き受けました。

正直言って行政は体制で固められています。又、毎年人事異動があって、担当職員によっては事業そのものの意味がなくなることさえあります。何度無力感に襲われたことでしょう。でも、そのたびに自分の気持ちを確認して、やる気が新たに生まれるから不思議です。幸せなのは同じ気持ちの友達がいること。その分野でいつも一歩先を行く先輩が全国にいることでした。

pixabay[CC0]


そのおかげで11年間、私の信念は変わらず、子どもの育ちに焦点を当てて発言し続けることが出来ました。私の小さな発言では体制を変えることなどできませんが関わった行政や学校の先生方とは子どもの事を真剣に話し、信頼関係を築けたと自負しています。

退任の時「あなたほど、叩かれても一貫して子育ての事を言い続けた人を知りません」「あんなに叩かれたら私は怒って出ていく。よく我慢しましたね」と言われて逆にびっくりしました。当の本人は傷つくどころか、子ども達の幸せのために!と思って全く揺らぎませんでした(2種体癖ですね!)。そして、それ以上のことは神様にお任せするしかないという事を知っているだけでも強くなれました。

今は、子育て広場の中で親育ち、子育ち支援に取り組んでいます。初め、新米ママの講座を年に1回認められるのがやっとでしたが、来年度は行政から頼まれて4回開催することになりました。中学校での子育て広場も10年来ずっとボランティアでやって来ましたが来年度、市の事業として認められ、予算も付くことになりました。ほとんどの事業が削減される中で快挙です。自分でびっくりしています。


気が付いたことをやれる範囲でやり続ける


さて、今年も、その仲間と一緒に年に一度の市長と懇談する日が来ました。
最新の子育て事情を話して、産前産後の切れ目のないサポート体制の必要性と、夫婦で子育てをするために育休と働き方改革の話をしてきました。市長から逆に「保育料を無償にする事とそういう支援事業をすることはどちらが優先だと思いますか?」と聞かれました。

私は「保育料を無償化することだけでは子育て支援にならない。むしろ預け易くなって母子分離を早めます。母子愛着形成が最優先です。そんな目先のパフォーマンスではなく、親になる支援をし続けたほうがいいと思います」と答えました。

pixabay[CC0]


市長から「家でがんばっているお母さんへの支援を考えようと思っています」と言われました。去年ママ達が市長と懇談して「我が子を保育園に預けないで育てるからお金を下さい」と金銭要求に行ったと誤解されて落ち込んでいたことを思い出しました。
でも、ちゃんと市長の心に届いていたようです!

自分の人生を振り返ってみたら、気が付いたことをやれる範囲でやり続けて来ただけです。
たとえそれが認められなくても、わかってもらえなくても、現場の赤ちゃんやママ達が喜ぶ顔を見ていたらそれだけで幸せで30年なんてあっという間でした。そしてこれからも同じようにやっていくだけです。

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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[第44回] 地球の鼓動・野草便り 薬のいらない治療法


薬のいらない治療法

我が家にいた猫に治療猫がいました。猫達は総じて、私たちの具合の悪い身体の部分へ、何らかの治療的な行動をとることがあります。 肩が凝っていると、肩に乗って足でマッサージしたり、襟巻状態で温めてくれます。昨年亡くなった雄猫は、腕がだるい時など、邪気が出ているのが見えるのか、必ずツボを噛んできます。 年々噛み方が強くなり、あまりに痛いので少し噛んだところでサッと手を引いていました。それで十分治療効果がありました。

ある時、今日は噛まれるのに任せてみようと、相当の痛みにもグッと我慢して、手を引きませんでした。するとかなり深く歯が入り、 猫もアレッ?今日は手を引かないの?という顔をしていました。すると、腕全体が痛くて動かせなくなったのです。 手の甲のツボを噛んだだけなのに、動かそうとすると腕全体に激痛が走るのです。ちょうどギブスのように肘を曲げた状態でスカフーフで吊るして固定しました。2~3日後、噛まれた場所以外の痛む箇所をもみほぐすと、痛みが解消していき、腕が動かせるようになりました。

猫が噛んだ箇所が腕全体の治療効果がある反面、逆になれば、腕全体に影響するのがよくわかったのでした。また、噛んだ箇所以外の痛む場所も、揉み解せば治るツボなのがわかりました。竹下雅敏 東洋医学セミナー」で経脈の走行を教えていただいています。こういうことだったのかと実感しました。

以前、痛む箇所は癒着していると講習会で習ったことがあります。痛いけど気持ち良いという箇所をピンポイントで指圧します。
ある時、近所のおばあさんが転んで身体がすっかり傾いていて、思わず腕や肩を揉んで治したことがあります。そのおばあさんが「もみ医者さんですか?」と訊かれました。

その「もみ医者」ですが、最近インターネットで「腱引き療法」というのが、古来日本の治療法にあったのを知りました。筋肉の腱にアプローチして、戦場での短時間の回復を手技だけで、負け戦の時には取り敢えず逃げられる身体に、勝ち戦の時は疲れた身体を回復させて戦えるようにしていたそうです。心肺停止を蘇生させる荒技などもあったとか。

私も、身体のあちらこちらを指圧していて、怪我をした場合でも、傷とは違う箇所のツボを揉むと回復が早かったり、お腹の大腸辺りもコリがあり、骨盤の際などをほぐすと楽になったりしていました。
ところが、最近右肩が急に五十肩?という感じになっていて、揉んでいるのですが、その時だけ楽になり、なかなか治りません。 せっかく習っているヨガをあまりせず、コタツにばかり入っていて・・・。

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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(39)顕在意識、潜在意識とつながるには

かんなままさんの執筆記事第39弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(39)顕在意識、潜在意識とつながるには

人の意識がつながっているのは、顕在意識までです。しかもその顕在意識ですら、普段は使っていません。顕在意識につながって生きるということは、自分の良心に従って生きるということです。ほとんどの人は良心に反した生き方をしており、肉体の表面の意識でしか生きていないのです。
まして、潜在意識にはつながっていません。
リラックスしてぼーっとしていてインスピレーションが働いたときや、夢の中で啓示をうけているときに、潜在意識の扉が開いているのです

出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)


潜在意識に聞いてみる


超多忙の年末年始でしたが、ひとつひとつ専念して目の前の事に向き合っていたら、いつの間にか娘家族が帰り、義母の入院生活も落ち着いてきました。そんな時、友人から一通の手紙が来ました。
我が家の年賀状を見て思い出したことがあるとのこと。

私はその年賀状に「探し物が多くなり家の中で行ったり来たりの運動をしています」と書いていたのです。実際、この年末も大事なパソコン用の眼鏡を無くして探し回っていました。おもちゃ箱、引き出し、寝室、洗面所・・・探すのですが見つかりません。あきらめて買いに行こうとしていたところでした。

pixabay[CC0]


友人の手紙には「竹下先生が紹介されたJ・マーフィーの「眠りながら成功する」という本を読んで初めて潜在意識の働きを理解することが出来ました」と書かれていました。(映像配信家族の絆夫婦6163)そして、探し物を潜在意識に聞いてみたら?とのアドバイスでした。

ああ!忙しさのあまりこのことをすっかり忘れていました。絶妙のタイミングでお知らせを頂いた気分です。さっそくやってみることにしました。

まず、リラックスします。そして自分を信頼して潜在意識に繋がるように意識を向けました。言葉は友人が教えてくれた通りに
「私の潜在意識は全てのものと繋がっています。私の潜在意識は全てを知っています。私は私の潜在意識を使ってどこかに忘れたパソコン用の眼鏡を探し出します」と言ってガヤトリーマントラを3唱しました。

後はそのことを忘れます。でも、どこかで釣り糸を垂れている気分です。10分経ったでしょうか、夫と義母が入院している病院に行くことになり車のキーを入れたカゴに目をやりました。
「\(◎o◎)/!」そこに眼鏡があるじゃあないですか!!!

私は思わず「凄い!!恐れ入りましたああ~!」と言いながら笑いがこみあげてきました。あんなに探し回ったのに!それもこのカゴは毎日見ていたのに!見えていなかったのでしょうか?

やっぱり私は表面の目に見える世界だけで生きていたようです!どんなに忙しくても今に専念して、ホッと無になる瞬間を保っていたらスッと潜在意識に繋がることができたかもしれません。私はその間もずっと考え事をしていたのです。忙しい現代人は睡眠の質も悪く、暇な時間は考え事やネット三昧で顕在意識と潜在意識の扉を閉めてしまっている!と一人で納得しました。

そう言えば、ずっと前に飼っていた犬の事を思い出しました。

夏休みに家族で旅行に行くことになり親戚に犬の世話をお願いした時の事です。帰ってきたら犬が鎖を付けたままいなくなっていたのです。多分私達を探しに行ったのでしょう。もう2日も帰ってきていないとのこと。私達は手分けして探しましたが何処にもいません。もう暗くなってきてその日はあきらめることにしました。

でも、諦めきれずに最後に車に乗って近所を一周する事にしました。そして「今からこの近所を一周するよ。出ていらっしゃい!」と心を込めて祈りました。しばらく運転していると道路の奥の家の庭先に何かが見えました。「\(◎o◎)/!!!」居たのです!

鎖をつけたまま私の方をまっすぐ見ていました!車から飛び出して名前を呼ぶと飛んできました。私達は抱きあって再会を喜びました。この時確信したのです。すべてが見えないもので繋がっている。祈れば通じるという事を。

pixabay[CC0]



自分を磨けばここに在る


そう、祈りは潜在意識に繋がる方法です。日常の除霊と浄化の祈りはもちろん、自分の人生を分けるような判断の時や子どもの成長、日常の些細な事までどれだけ祈ってきたことでしょう。でも、祈っているうちに祈っていい事と祈ってはいけないことがあるのを感じました。

例えば日常の祈りでも○○大学に合格しますようにという自分の願望ではなく、私にとって最善の学校に合格しますようにという祈りの方がしっくりきました。私の求めているものは目先の願望ではないのです。実際、○○大学が自分にとっていいのかわかりません。その時の狭い了見で限定した欲を叶えてもらうより、神様にお任せした方がずっと世界が広がります。一時的に願望が叶わなくてもそれが自分にとって最高の学びになることも多いものです。

そして、もう一つ心配なのは、本人は自覚していなくてもフッと思ったことが潜在意識に繋がって、この世界で反映されることです。いくら正論を言っても心の中で逆の事を思っていたらそちらの方が実現されてしまいます。まずは自分を変えるために身・口・意を一致させ、良心に沿って生きていくことから始めるしかありません。

でも、良心って?・・・それが難しいのです!
例えば、義母のために施設に入所させたのか?逃げたいという欲なのでは?と自問します。時には自分が犠牲になっている気がします。これでは自己愛に反します。でもなぜ犠牲になると思うのか?結局自分の野心にたどり着きます。ああ・・そのたびに自分のありのままを見て浄化するしかありません。祈りながら自分を見つめる作業です。


でも、それをやり続けていたら気も軽く、クリアになり、顕在意識は健在!アンテナは高感度!潜在意識の想いが形となり愛や喜びが増えていくような気がします。

このように自分を清浄にして良心にそって生きていけたらいいなあと思います。ホッと自分に戻る時間も大切にします。だって全てと繋がり、全てを知っている自分の潜在意識がここに在るのです。遠くに求めなくても自分を磨けばここに在るのです!

pixabay[CC0]


Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
かんなままの子育て万華鏡はこちら


テストのない授業のなんとおもしろいことか! ~学校の授業は大人になった今や最高のレジャー~

竹下雅敏氏からの情報です。
 非常に面白い記事で、教育の本質を突いていると思います。是非、引用元の全文をご覧ください。
 子供を勉強嫌いにするのは簡単で、宿題をいっぱい出して、テストをいっぱいやることです。とどめは、親がうるさく、“勉強しろ!”と言います。これで、子供の将来性を確実に潰せることは間違いありません。
 宿題をいっぱい出すことで子供の自主性をなくし、テストをいっぱいして×をいっぱいつけることで、“お前は馬鹿だ!”ということを潜在意識に送り込みます。“勉強しろ!”とうるさく言うことで、勉強にマイナスのイメージを植え付けることに成功します。こうして子供が、楽しく学ぶことを出来なくさせるのです。
 こうした、子供に対する洗脳工作の名人は、親と教師なのです。その手腕はほとんど天才的で、子供たちが彼らから学ぶのは、言行の不一致、すなわち偽善です。
 学校で教えていることは、いかに体制に逆らわないかということで、苦痛の45分間をおとなしく座っている能力を身に付けさせていると考えられます。このように、無事育った子供たちは、国に逆らうということはありません。なので、将来性のない子供、従順な子供を作るには、今の教育が最適であるということになります。
 しかし、この記事に書かれているのは、学ぶということに対する、最も根本的、かつ重要な事柄です。それは、学ぶことは、“なんとおもしろいことか”ということです。授業を聞いて、別に理解出来なくてもそれで良し。理解出来ればさらに良し。宿題無し。テスト無し。授業が楽しいというのが本来の授業ではないでしょうか。現状のように、学ぶということが苦痛をもたらすものであるならば、いっそのこと、十分に遊ばせ、その子の興味があることを自主的に学ばせた方が、よっぽどまともなのではないでしょうか。
 少し特殊な世界ですが、例えば将棋のプロ棋士になりたいという子供の場合、親が“将棋をしろ!”と叱咤激励したり、“宿題は詰将棋のp5~p12まで”などと追い詰めなくても、子供は勝手に嬉々として将棋に打ち込んでいます。よく出来る子の場合、高校に行く時間がもったいないのです。
 この記事を読むと、本来教育とはこういうものではないかということを、考えさせられます。学校というのは、学びたい者が来る所で、教えたい人が教師をやっているのが自然です。ところが、どちらも、夏休みを歓迎するとすれば、これは根本的に何かがおかしいということなのだろうと思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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学校の授業は大人になった今や最高のレジャー
引用元)

学校の先生による授業を大人になった今受けてみた。これは最高のレジャー…!

(前略)

断言しよう。学校の授業が大人になった今や最高のレジャーである。
 
(中略)

大人は分かってないしそれでいい
授業がはじまる。加藤先生が教えてくれるのは「イオンについて」である。

(中略)

中学の勉強をさぼっていた私は理解があやふやである。周りも分かってない者がほとんど。しかし恥ずかしさはない。知らなくてもここまで生きてこれたのだからもうこれでいいのだ。

(中略)

中3用の授業をそのままやってもらった。イオンと水溶液について

 
(中略)

わかる気持ちよさ
そう、大人が学校の授業を受けることの何がおもしろいのかを突き詰めるとそれは「わかる気持ちよさ」だ。

(中略)

大人がやる学校の授業はわかる気持ちよさのマッサージ50分コースと言ってもいい。

(中略)

質問がこわくない
なぜ大人の学校授業にこれほどわかる気持ちよさが宿るのか。一つ大きいのが「質問しまくれる」ということだろう。

(中略)

イオンの授業なのに「とけるってそもそも何!?」「分子の数って有史以来変わらないんですか?」「電圧ってそもそも何なんですか!?」と質問も脱線しまくる。

みんなもはや自分の知のマッサージのことしか考えていないのだ。洗髪時に「かゆいところないですか?」と聞かれて「ヒザ」と答えるようなものである。もっとわかりたい…わかりたい…知の亡者たちが這い出してきて、しかも彼らが今後日本の知に貢献することは一切ない!

(中略)

わかりゼーションサロン、はじめたい
ああ、テストのない授業のなんとおもしろいことか。


(中略)

これは学びではなく純粋に気持ちよさを追求したものだ。体を治癒するというよりリラクゼーションサロンに近いのだろう。授業が終われば知でホックホクに蒸しあがったおいもさんが並んでいる状態なのだ。

(以下略)

[第43回] 地球の鼓動・野草便り 冬には冬の植物で


冬には冬の植物で

冬になると庭木の剪定の枝が色々あります。無農薬無肥料なので、それを大切にいただいています。

今年驚いたのは椿の葉っぱがお茶にすると美味しいのです。さすがお茶と同属だけのことはあります。茶の木、サザンカともにツバキ属です。
花も葉も滋養強壮や健胃、整腸作用があり、生葉は傷やおできなどにも効くようです。椿の実からできる椿油は酸化しにくく、粘着性も少ない油で、そのままで整髪や肌に使えます。花に少し苦味があり、散った花や散りそうな花を天ぷらでいただきますが、実も苦味があるので、そのまま食べるのは難しそうです。

椿


茶の木の実やサザンカの実からも油がとれます。茶の実油(ティー・オイル)も香ばしく美味しい油だそうです。薬効成分の中に魚毒などにしていたサポニンがありますが、人間には少量なので、去痰、抗炎症などの薬効成分となるようです。サザンカも椿と同じようにいただけます。

山茶花(サザンカ)の花


新芽をお茶にすると香りが良く、香袋にもしていたそうです。花もほんのり甘い香がします。まだいただいたことはありませんが、椿もサザンカも乾燥した花を刻んでお湯を注いでいただくといいようです。

近年海外でも人気のお茶の効能は抗菌、抗酸化、抗ウィルス、抗アレルギー、高血圧予防、糖尿病予防、動脈硬化予防、脳、神経機能、腸などにも有効だそうです。


茶の実の殻



ただし、ヨーロッパなどの残留農薬基準を満たすお茶は、ほとんどないのが現実だとか。日本では普通に市販されていますが・・・。
(シャンティ・フーラおすすめの「しもやま農産のお茶」は無農薬で貴重ですね。)

剪定されたナンテンも咳止め、滋養強壮になり、お茶に少しづつ混ぜていただいています。松なども体を温めるので、冬のお茶に最適です。
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