かんなままさんの執筆記事第39弾です。
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(39)顕在意識、潜在意識とつながるには
人の意識がつながっているのは、顕在意識までです。しかもその顕在意識ですら、普段は使っていません。顕在意識につながって生きるということは、自分の良心に従って生きるということです。ほとんどの人は良心に反した生き方をしており、肉体の表面の意識でしか生きていないのです。
まして、潜在意識にはつながっていません。
リラックスしてぼーっとしていてインスピレーションが働いたときや、夢の中で啓示をうけているときに、潜在意識の扉が開いているのです
まして、潜在意識にはつながっていません。
リラックスしてぼーっとしていてインスピレーションが働いたときや、夢の中で啓示をうけているときに、潜在意識の扉が開いているのです
出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)
潜在意識に聞いてみる
超多忙の年末年始でしたが、ひとつひとつ専念して目の前の事に向き合っていたら、いつの間にか娘家族が帰り、義母の入院生活も落ち着いてきました。そんな時、友人から一通の手紙が来ました。
我が家の年賀状を見て思い出したことがあるとのこと。
私はその年賀状に「探し物が多くなり家の中で行ったり来たりの運動をしています」と書いていたのです。実際、この年末も大事なパソコン用の眼鏡を無くして探し回っていました。おもちゃ箱、引き出し、寝室、洗面所・・・探すのですが見つかりません。あきらめて買いに行こうとしていたところでした。
友人の手紙には「竹下先生が紹介されたJ・マーフィーの「眠りながら成功する」という本を読んで初めて潜在意識の働きを理解することが出来ました」と書かれていました。(映像配信家族の絆夫婦61~63)そして、探し物を潜在意識に聞いてみたら?とのアドバイスでした。
ああ!忙しさのあまりこのことをすっかり忘れていました。絶妙のタイミングでお知らせを頂いた気分です。さっそくやってみることにしました。
まず、リラックスします。そして自分を信頼して潜在意識に繋がるように意識を向けました。言葉は友人が教えてくれた通りに
「私の潜在意識は全てのものと繋がっています。私の潜在意識は全てを知っています。私は私の潜在意識を使ってどこかに忘れたパソコン用の眼鏡を探し出します」と言ってガヤトリーマントラを3唱しました。
後はそのことを忘れます。でも、どこかで釣り糸を垂れている気分です。10分経ったでしょうか、夫と義母が入院している病院に行くことになり車のキーを入れたカゴに目をやりました。
「\(◎o◎)/!」そこに眼鏡があるじゃあないですか!!!
私は思わず「凄い!!恐れ入りましたああ~!」と言いながら笑いがこみあげてきました。あんなに探し回ったのに!それもこのカゴは毎日見ていたのに!見えていなかったのでしょうか?
やっぱり私は表面の目に見える世界だけで生きていたようです!どんなに忙しくても今に専念して、ホッと無になる瞬間を保っていたらスッと潜在意識に繋がることができたかもしれません。私はその間もずっと考え事をしていたのです。忙しい現代人は睡眠の質も悪く、暇な時間は考え事やネット三昧で顕在意識と潜在意識の扉を閉めてしまっている!と一人で納得しました。
そう言えば、ずっと前に飼っていた犬の事を思い出しました。
夏休みに家族で旅行に行くことになり親戚に犬の世話をお願いした時の事です。帰ってきたら犬が鎖を付けたままいなくなっていたのです。多分私達を探しに行ったのでしょう。もう2日も帰ってきていないとのこと。私達は手分けして探しましたが何処にもいません。もう暗くなってきてその日はあきらめることにしました。
でも、諦めきれずに最後に車に乗って近所を一周する事にしました。そして「今からこの近所を一周するよ。出ていらっしゃい!」と心を込めて祈りました。しばらく運転していると道路の奥の家の庭先に何かが見えました。「\(◎o◎)/!!!」居たのです!
鎖をつけたまま私の方をまっすぐ見ていました!車から飛び出して名前を呼ぶと飛んできました。私達は抱きあって再会を喜びました。この時確信したのです。すべてが見えないもので繋がっている。祈れば通じるという事を。
自分を磨けばここに在る
そう、祈りは潜在意識に繋がる方法です。日常の除霊と浄化の祈りはもちろん、自分の人生を分けるような判断の時や子どもの成長、日常の些細な事までどれだけ祈ってきたことでしょう。でも、祈っているうちに祈っていい事と祈ってはいけないことがあるのを感じました。
例えば日常の祈りでも○○大学に合格しますようにという自分の願望ではなく、私にとって最善の学校に合格しますようにという祈りの方がしっくりきました。私の求めているものは目先の願望ではないのです。実際、○○大学が自分にとっていいのかわかりません。その時の狭い了見で限定した欲を叶えてもらうより、神様にお任せした方がずっと世界が広がります。一時的に願望が叶わなくてもそれが自分にとって最高の学びになることも多いものです。
そして、もう一つ心配なのは、本人は自覚していなくてもフッと思ったことが潜在意識に繋がって、この世界で反映されることです。いくら正論を言っても心の中で逆の事を思っていたらそちらの方が実現されてしまいます。まずは自分を変えるために身・口・意を一致させ、良心に沿って生きていくことから始めるしかありません。
でも、良心って?・・・それが難しいのです!
例えば、義母のために施設に入所させたのか?逃げたいという欲なのでは?と自問します。時には自分が犠牲になっている気がします。これでは自己愛に反します。でもなぜ犠牲になると思うのか?結局自分の野心にたどり着きます。ああ・・そのたびに自分のありのままを見て浄化するしかありません。祈りながら自分を見つめる作業です。
でも、それをやり続けていたら気も軽く、クリアになり、顕在意識は健在!アンテナは高感度!潜在意識の想いが形となり愛や喜びが増えていくような気がします。
このように自分を清浄にして良心にそって生きていけたらいいなあと思います。ホッと自分に戻る時間も大切にします。だって全てと繋がり、全てを知っている自分の潜在意識がここに在るのです。遠くに求めなくても自分を磨けばここに在るのです!
子供を勉強嫌いにするのは簡単で、宿題をいっぱい出して、テストをいっぱいやることです。とどめは、親がうるさく、“勉強しろ!”と言います。これで、子供の将来性を確実に潰せることは間違いありません。
宿題をいっぱい出すことで子供の自主性をなくし、テストをいっぱいして×をいっぱいつけることで、“お前は馬鹿だ!”ということを潜在意識に送り込みます。“勉強しろ!”とうるさく言うことで、勉強にマイナスのイメージを植え付けることに成功します。こうして子供が、楽しく学ぶことを出来なくさせるのです。
こうした、子供に対する洗脳工作の名人は、親と教師なのです。その手腕はほとんど天才的で、子供たちが彼らから学ぶのは、言行の不一致、すなわち偽善です。
学校で教えていることは、いかに体制に逆らわないかということで、苦痛の45分間をおとなしく座っている能力を身に付けさせていると考えられます。このように、無事育った子供たちは、国に逆らうということはありません。なので、将来性のない子供、従順な子供を作るには、今の教育が最適であるということになります。
しかし、この記事に書かれているのは、学ぶということに対する、最も根本的、かつ重要な事柄です。それは、学ぶことは、“なんとおもしろいことか”ということです。授業を聞いて、別に理解出来なくてもそれで良し。理解出来ればさらに良し。宿題無し。テスト無し。授業が楽しいというのが本来の授業ではないでしょうか。現状のように、学ぶということが苦痛をもたらすものであるならば、いっそのこと、十分に遊ばせ、その子の興味があることを自主的に学ばせた方が、よっぽどまともなのではないでしょうか。
少し特殊な世界ですが、例えば将棋のプロ棋士になりたいという子供の場合、親が“将棋をしろ!”と叱咤激励したり、“宿題は詰将棋のp5~p12まで”などと追い詰めなくても、子供は勝手に嬉々として将棋に打ち込んでいます。よく出来る子の場合、高校に行く時間がもったいないのです。
この記事を読むと、本来教育とはこういうものではないかということを、考えさせられます。学校というのは、学びたい者が来る所で、教えたい人が教師をやっているのが自然です。ところが、どちらも、夏休みを歓迎するとすれば、これは根本的に何かがおかしいということなのだろうと思います。