鎖国体制のはずの江戸時代の黄金の流出 〜流出は江戸時代初期に遡る?
ご隠居、
黄金の流出は江戸時代に幾度もあったとのことでやしたね?
それは具体的にはいつ頃に?
そうだね。そのことは大室寅之祐の先祖がいつ渡欧したのかも含め、整理する必要があるね。
大室寅之祐の先祖の渡欧などについちゃ、本編の
第19話で指摘しているように、大室寅之祐の曾孫を名乗る張勝植氏が著作で主張しているその年代内容は、クチャクチャみたいでやすが?
そうなんだ。どうしてあんなクチャクチャな内容になるのか? ご本人は良い人のように見えるが、意図的なのか?誰かにウソを吹き込まれているのか?よく分からんが、ただし黄金の流出の時期などを整理していけば、彼の先祖がいつ渡欧したのか?等も大体の年代は特定できてくるだろう。
先ずはそこからだね。
日本からの金流出の一つの基点になったのが1777年の蘭芳公司の成立のようだね。
蘭芳公司とは客家によって建てられたアジア初の共和国で、
この蘭芳公司が黄金を集約して、後には欧州にも送ることになる拠点になったと記事にはあるね。
編集者註:領土に関しては
こちらを参考。
蘭芳公司(らんほうこうし)は、1777年から1888年にかけてボルネオ島西部に存在した客家系の華人による政権。アジア初の共和国とも言われ、現代中国語では蘭芳共和国と呼ばれる。(
ウィキペディアより抜粋)
蘭芳公司、そして客家でやすか。客家とは中国のユダヤ人とも呼ばれ、本編の
第11話で「八咫烏と関連は深そう」だと記していやしたが、金流出の主体がサンカというか八咫烏なら確かにそうなりやすね。
そうだね。
八咫烏と客家が組んで黄金を欧州に流出させたことになりそうだね。
うーん、それと
1777年頃と言えば、1773年にボストン茶会事件、1776年にはバーバリアン・イルミナティ結成と米国独立宣言、1789年にはフランス革命と、大動乱の頃でやすね。
その通りだったね。ただその当時に何があったかは後回しにし、年代を先に追っていくことにしよう。
記事では
ウイーン会議後に大量の金が日本から流出したとある。
ウイーン会議は1815年のことだったね。
ふーむ、ていうことは、
1777年頃を基点として幕末にかけて日本から金が流出したとなりやすね?
いや、その前があるんだ。
日本では1695年貨幣改鋳がされているのだが、その原因は金銀の海外流出だったようだ。ウィキペディアの「
貨幣改鋳」記事の中に次のようにある。
長崎貿易によって海外に金銀が流出したこともあって、幕府が貯蔵していた金銀を鋳潰しても貨幣の供給は追いつかなかった。
オランダ東インド会社との貿易で日本が主に輸入したのが生糸、対して輸出品が金銀だったのがその要因だ。
日本の鎖国体制というか
貿易相手がオランダに絞られたのが、1641年のオランダ商館が出島に移った時でやすね。て言うことは
日本からの金流出のポイントになる年代を古い順でいくと、
1641年、1777年、1815年、1860年台の幕末、
こう見るといいわけで?
そうだね。
幕末の大量の金の流出が倒幕のトドメになり、その上実は
米国の南北戦争、リンカーンの北軍の軍資金となったのが、駐日大使タウンゼンド・ハリスが日本から持ち去った大量の金だったようだから、1860年台の幕末をポイントに見るのは世界的な視線の意味でも正しいだろう。
編集者註:上記の「人権の踏み絵」さんのアカウントが凍結されたため、画像を追加。(20/04/29)
えっ? リンカーンの北軍の軍資金となったのが日本からの大量の金?
そうだ。タウンゼンド・ハリスはいわばリンカーンの子分だった。ただこのあたりの詳細は省こう。
そして江戸時代の金の流出についてだが、非常に気になる情報がある。
大変な大量の金が流出したのは江戸時代の始まり頃にまで遡るかも知れない。
えっ?江戸時代の始まり? それは一体どのような情報で?
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参考程度にしかなりませんが、けっこう、使えるレメディがありますよ。