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ぴょんぴょんの「寂しさに向き合う時」 ~ネコが家出して動揺する心

テレビを捨ててから、ボーッとしたり、考えたりする時間が増えました。
そして、気づいたのです。
これまでは、心がざわついた時、テレビに逃げ場を求めていたことに。
そして今、さらにもう一つの精神安定剤を失ってしまいました。
嵐の波間を漂う木の葉のように、不安定になった心を鎮めてくれたのは、やはり、ガヤトリー・マントラでした。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「寂しさに向き合う時」 ~ネコが家出して動揺する心

留守中に家出した「くろまる」


くろちゃん、お帰り。3泊4日のお祭りは楽しかった?

ああ・・。

今週末は近所のお祭りがあるよ。一緒に行こう。

う〜ん・・。

まだ、腰がおかしいの?

いや、腰はすっかり良い。

じゃあ、行こうよ〜♪

悪いが、今日はそっとしといてくれ、またな。

いったい、どうしたの? いつものくろちゃんじゃないよ。

・・実はだな、おれの留守中にくろまるが家出しちまって、まだ帰って来ねえんだ。

ええっ?!

くろまるの世話を頼んだ人が言うには、おれが帰る前日は見たそうだ。ご飯はほとんど食わず、勝手口でずっと待っていたそうだ。

それは心配だ。外はこんな異常な暑さだし。


くろまるは、おれをずっと待っていた。でも、帰ってこないと思って、飛び出した。なのにおれは、あいつのことなんかすっかり忘れてお祭り三昧だった。

でも、これまで何度も、くろまるが家出した話は聞いたよ。

1ヶ月帰らなかったこともある。だが、あの頃はまだ若くて太ってたから、帰ってきた時も、変わってなかった。だが今はちがう。年取って、ガリガリに痩せている。そんな体で、炎天下をさまよっているかと思うと・・・。

それは、心配だ。

おれは自分じゃ、けっこうタフな人間だと思っていた。くろまる以外のネコが家出しても、ぜんぜん平気だった。もっと言えば、親が死んでも平気だった。なのに、くろまるがいなくなって、こんなに萎えるとは、自分でも意外だ。

よっぽど、かわいかったんだよ。

はあ~ 思えば、あいつを拾ったのも、こんな暑い日だったなあ。


足にケガして動けなくなってたんだよね。

暑い日に拾って来て、暑い日に出ていくことになるとは、ウワ〜ン(泣)。

大丈夫、ひょっこり帰ってくるよ。

あの、ガリガリが? この猛暑の中で、生きていける? 今ごろ、どっかで、野垂れ死んでるんだ、ウワ〜ン(泣)。

落ち着いて、いつもの強気のくろちゃんはどこ行ったの?

すまん。強気なときは「大丈夫、帰ってくる」と思えるが、弱気になると「どっかで、野垂れ死んでる」と落ち込む。

まるで、躁うつ病だね。

落ち込んだときは、自分を責めるのが止まらない。お祭りに行ってたから、こんなことになったんだ。そう言えば、くろまるがしつこくて、めんどくさい時は、「もう、帰ってこなくていい」って言ったこともある。

ひえー!

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ぴょんぴょんの「銅線グルグル巻き」 ~あらふしぎ! これは使える!

2日後にお出かけの予定が、朝起きたら腰がエライことに。
これじゃ、とてもお出かけできそうにない。
そこで、ひらめいたのが・・
まのじ編集長の「銅線グルグル巻きの術」(勝手に命名)。
「あれを実験するチャンスだー」とばかりにやってみると、驚きの結果が!
(ぴょんぴょん)
 突然おじゃまします、まのじです。
解説しよう! そう、あれは梅雨のある日、勝手口ですべって段差を尻から転倒するという目に遭ったのです。とっさに「尻がやばい!」と思って右手で庇ったおかげで、尾骶骨は無事でしたが、犠牲の右手が痛い。。。
しばらく呆然として「折れたかな?」。何はともあれ「ぺりどっと通信」の記憶に従って、即座にひまし油で湿布をしました。多分折れてはいないと踏んだのですが、なにしろ痛い。みるみる腫れて、後日、右手首から肘のあたりまで現れた青い皮下出血はグロテスクでした。箸もペンも持てず、それどころか生活全部が左手のみで、否応なくカルマ・ヨーガ生活です。
 しかし、パソコン作業は左手トンチンカン打法で時間がかかるし、ミスタイプは多いし、変なところに触れてブラウザの表示は変わるし閉口です。
 ふと、なぜか植物の生育を助ける「銅線ぐるぐる」のことを思い出し、人間も助けてくれるのではないかしらと、おぼつかない左手で銅線を巻いてみました。動く!右手の可動域が増えてる!「銅線ぐるぐる」をしているとパソコン作業はもとより、食器洗いまではいけます。たまたま治癒する時期だったのか? 
 おもしろかったので、その道の先輩、ぴょんぴょん先生とぺりどっとさんに報告したのですが、どうやらこの用法はご存じなかったらしく、まのじ、ちょっとお得意気分でした。
 幸い現在はほぼ完治し、右手復活でございます。
(まのじ)
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ぴょんぴょんの「銅線グルグル巻き」 ~あらふしぎ! これは使える!


腰の調子がおかしい…


くろちゃ〜ん、楽しみにしていたお祭り、近づいてきたねえ。

ああ・・。

花火大会のチケットも買ったし、楽しみだねえ。


ああ・・。

どうしたの? あんなに楽しみにしてたのに、元気ないよ。

1週間前から、腰がおかしかったが、今朝になってMAXになって。

うわあ、こんな大事な時に? なんでそんなことになったの? テレビを捨てたバチ? NHKの呪い?

ばーか、ガヤトリー・マントラで、そんなん、とっくに跳ね返してるわ。

だって、ずっと元気だったじゃん。

晴れて、テレビから開放されて、自由の身になれるとばかり、喜々として運んだテレビは、けっこう重かった・・。デッキ類も重かった・・。それだけじゃない。その調子で、片づけが止まらなくなって、DVDやBDやCDを整理したり、家具を移動させたり、休む間もなく動き回ってた。

お片づけスイッチが入っちゃったんだ。

さらに、テレビがなくなって、時間ができて、片付けが楽しくて。

くろちゃん、何でもやりすぎるからね。

1週間前のある日、奥の方にあったクーラーボックスを移動させようとした時、腰が「!」ってなった。遠くのものを持ち上げるのは腰によくないのは重々わかってたのに、気づいた時は遅かった。

時事ブログに、あったね。

※動画は配信元でご覧ください(画像をクリックすると配信元へ飛びます)

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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた社会問題、教育問題 ~即興曲♩後半 10年ぶりの東京一時帰国

 前半に続きまして、後半は、10年ぶりの6月11日から30日までの東京一時帰国について書き留めたいと思います♩.•¨•.¸¸今までドイツで出会った人と話す中で、日本はアイランド️よね・・という表現を何度か耳にしました。アイランド️か・・まあ、島国とはよくいうけれど、アイランドと言われると、南国のどこかゆったりとした国を思い浮かべてしまいます♩.•¨•.¸¸そして、一瞬思いました。そうだ!日本はアイランドなのに、経済中心で競争主義が蔓延している・・、その点が問題なのではないのか♩.•¨•.¸¸。日本はお米を作り、モノ作りをしてゆったりした時間が流れる国になった方がいいのではないかと♩.•*¨*•.¸¸
 10年ぶりの東京への飛行機は、ドイツからカザフスタン上空を通り、ユーラシア大陸まっすぐ、そして、日本海側の京都あたりから日本の領域に入り飛行していました️️。窓側でしたので、ずっと景色を眺めていました。そして、上空からの景色を見て思ったこと・・日本は緑が多いのですね・・地理でも山地と緑が多い日本と習ったように・・隣の席の方とも、日本は実は緑の多い国なのよね・・と話していました。そして、隣の席の方は言いました。「日本はこの10年で東南アジアのような亜熱帯地方になったのよ・・」♩.•*¨*•.¸¸

行きの上空から見た富士山

(ユリシス)
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東京の放射能どうなったの?


羽田に到着するや否や、確かに、東南アジアで経験したときのようなムッとした蒸し暑さを感じました。昔は、東京の国際線といえば、成田空港だけでしたが、今では、羽田空港も国際線を乗り入れて便利になりました。新宿までのリムジンバス・・10年ぶりの東京の新宿はお店が変わっていました。10年前のPASMOを持ってきたので、チャージをすれば使えると思っていましたが、なんと、10年経過すると使えないとのこと・・。そして、世界的に半導体が不足しているために、製造に必要なICチップの入手が困難なために新規のカードも作れないとのことでした。ですので、東京滞在中は、乗り換えごとに何度も切符を買う羽目になりました。


私が10年ぶりに東京に一時帰国して、いちばんの気掛かりだったのは、2011年の原発事故の影響による放射能汚染がどうなったのか・・でした。以前第10楽章の記事に書いたことがありますが、この10年間、帰国をしなかった理由は、放射能を避けるためでもありました。私だけならいいのですが、息子への影響を懸念。なぜなら、2012年、2013年には手続きのために一時帰国していますが、成田空港に到着した途端に、鉄金属のような匂いを感じて、当時はマスクが流行っていない時代でしたが、N95のマスクを2つ重ねていたほどでしたので・・。2013年には、成田からの高速道路で草木が枯れている様子も確認していたのです。今回も、もし鉄金属の匂いがしていたのならば、マスクをつけようと用意していたのですが、あれ??何も感じない・・実家の緑が多い地域では、空気が綺麗に感じました。この10年で放射能はどこへ行ったのでしょうか?土壌の中に染み込んだのでしょうか・・。

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ぴょんぴょんの「内部告発者を守れ」 ~パワハラ、おねだり、えこひいきの斎藤元彦兵庫県知事

 時事ブログでも取り上げられた、兵庫県のスキャンダルを調べてみました。
 県職員W氏の内部告発に、知らぬ存ぜぬの斎藤元彦県知事。
 内部告発で不正行為に関わったとされるH課長も、W氏が自殺した3ヶ月前に自殺していたことが、今ごろ、公にされました。
 異様な状況の兵庫県、県民だけでなく、国民が見守る中、すべてが明らかにされることを願います。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「内部告発者を守れ」 ~パワハラ、おねだり、えこひいきの斎藤元彦兵庫県知事

「維新の会」の息がかかった斎藤知事


兵庫県がてんやわんやだ。

知事が内部告発されて、告発した人も自殺したとか。

そうなんだが、もう1人自殺者がいたことが、最近わかった。

へええ?!

その話をする前に、斎藤 元彦(さいとう もとひこ)兵庫県知事、46歳、元総務官僚について話そう。

斎藤元彦

官僚出身なんだ。

いまや、官僚出身の知事は多い。すべての知事のほぼ半数、23人がキャリア官僚出身。中でも総務省出身が10人で最も多い。nippon.com

なんで、総務省?

しかも、斎藤知事には、「維新の会」の息がかかっている。

Wikipedia[Public Domain]

うわーお!

2021年3月末、斎藤氏が兵庫県知事に立候補したとき、自民党は他にも候補がいた。が、「日本維新の会」が斎藤氏を推して、自民党も斎藤氏を公認したおかげで、当選。

斎藤知事、「維新の会」には頭が上がらないね。

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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた社会問題、教育問題 ~即興曲♩前半 母の死・・悲しいものではなかった・・

 大変ご無沙汰しております(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾ベルリンのユリシスです♩.•¨•.¸¸♩
 そして、✼••┈┈┈┈••✼暑中お見舞い申し上げます🌻✼••┈┈┈┈••✼
 ユリシスさん・・どうしたのかしら??と思われていないかな・・と、ずっと気に掛かっていましたが・・ドイツで活動しながら・・変わらずに平穏な毎日を過ごしておりました♩.•¨•.¸¸♩
 ドイツは実は色々と真実を書くことができない国でして、(書くのなら英国で書いて!みたいな・・)、ドイツではタブーと言われる内容の映像配信をドイツで楽しんでいる私も笑える、ウフフ♩.•と思いつつ、祈りを中心としたシャンティ・フーラ的生活だけに絞ったミニマルな生活を構築していました♩.•¨•.¸¸♩
 愛を拡大すること、期待せずに見守ること・・という映像配信や時事ブログなどの教えを守りつつ、息子も成長していき・・見守ることは忍耐だー、日本だと就職する時期なのに、ドイツは学生の間は25歳まで子供手当も支給されて、まだまだ最終子育て続行中で・・・♩.•¨•.¸¸♩
 お休みしていた期間には、悲しい出来事もありましたが、おかげさまで、悲しいと思うことなしに平穏な心でいられたこともあり、それをお伝えしたいと思ったことを前半に、また、6月にはなんと10年ぶりに東京に一時帰国したので、(2013年の東京の家をダウンサイズするために引越しの準備をしたのが最後でしたので・・)感じたことを後半に書き留めたいと思っています♩.•¨•.¸¸♩.•*¨*•.¸¸
(ユリシス)
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母の命日


以前に時事ブログで、私の父の超老老介護について書きましたように、私の母は、2015年2月11日にくも膜下出血で倒れて、脳動脈の手術後、ある程度回復したようになり、自宅に戻り生活をしていたのですが、2年後の2017年9月に脳梗塞になり、寝たきりで経管栄養の状態になりました。最初は介護病院に入院して、父が毎日病院に通う生活をしていたのですが、コロナ時代もあって、父は母の介護を自宅でするようになりました。(経管栄養も父が自分で作業できるようになり、素晴らしかったです・・)ちょうど、自宅での介護をはじめたのが、2021年7月ですので、2年5ヶ月経過後のこと・・・


2023年12月24日 ドイツ時間20時ごろ(日本時間25日午前4時ごろ)、なぜか私はPie Jesuの曲を聞いていたところ、、、30分ほど経ってからかな・・、父からのスカイプの呼び出しが突然なりました!!日本ではこんな早朝に、どうしたんだろう・・と思っていると・・

「ママが死んだ・・!」

えっ、と息を飲みましたが、とっさに私は、「大丈夫よ!ママはそこにいるよ!」と父に伝えました。父は、安心したように、「そうだね・・」と言ったのです。「医者に連絡した?」と聞くと、「今、呼んでる・・」とのこと。私は、その後、スカイプにて、医者や看護師、介護士が家に来て最後の処置をしている様子をずっと見ていました。

思い返せば、2週間前ごろから、母の腕などが柔らかく軽くなっている・・と父が言っていたのです。前日は、酸素濃度が低くなっているので、医者を呼んだのに、大丈夫だと言ったらしいのです。

ということで、2023年日本時間の12月25日・・が母の命日になりました。母の命日・・これはきっと神さまのお導きなのかもしれません。父も老老介護で2年5ヶ月を過ぎて疲れてきているし、最適な日を選んでくれたのだと感じています。

今後は、12月25日をクリスマスという名のニムロデの誕生日としてではなく、母の命日として・・毎年ケーキを食べることにします🤣

元気の出るティラミスでお祝い

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